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第142話「練習しましょう」

「……アデル様、セリア様。

ご快復なさったと聞き、何よりです。しかし……お会いした頃とは、まるで雰囲気が違われたように見えますね」


長い歳月の感覚が曖昧になりつつあった頃、数年ぶりに姿を現したサン=ジェルマン伯爵。その眼差しは、懐かしさと小さな驚きを帯びてふたりを見つめていた。


「はは、まあな。退屈しのぎに色々やらかしてたら、いつの間にかこうなったんだ」


アデルバートが軽口を叩きながら顎で指した先には、黄金に輝く稲穂と、瑞々しい緑に覆われた大地が広がっている。陽光を浴びた大気はむっとするほど濃く、土の香りさえ甘く鼻をくすぐった。


「……確かに。稲だけでなく木々までもが、前よりも生き生きしているように感じます。これはあなたのマナの力なのですか?」


セリアが感嘆混じりに言うと、アデルバートは肩を竦めた。


「おう。やんちゃしてたら、勝手にこうなったんだ」


「やんちゃ……?」


伯爵は小首を傾げるが、その答えを探ろうにも頼みの華佗は治療にかかりきりで不在。真相を知るのはアデルバートただひとりだった。


「それで伯爵、久々に顔を見せてきたが……今日はどんな用件だ?」


「ええ、実は――。あなた方ふたりに“スアーガ”という国へ降り立っていただきたいのです。そして、迫り来る紅蓮の騎士軍の進撃を止めていただきたい」


「……ッ!」


アデルバートの瞳が鋭く揺れる。


「紅蓮の騎士……! ではやはり、コンラは……」


セリアの声が震えた。逃れるように避難してきた日々が脳裏に蘇り、胸が締めつけられる。


「ええ。あなた方の奮戦もむなしく……国の痕跡すら、いまや海の底です」


静かに俯いたセリアの横顔を見て、アデルバートも言葉を失った。奥歯がきしみ、拳が勝手に握られる。胸の奥に澱のように溜まった悔しさが、熱となってこみ上げる。


「クソが……! どれだけ国を滅ぼせば気が済むんだ、あの連中は! 国がなくなりゃ、その分だけ大勢の人間が路頭に迷う。飢えに苦しむ。それがわからないってのかよ!」


「……もしかすると、理由があるのかもしれません」


セリアが小さく反論するように口を開いた。


「伯爵様、紅蓮の騎士軍は……国以外には手を出していないのですか?」


「はい。街や村への襲撃は確認されていません。むしろ、そこに住んでいた人々からは感謝すら寄せられているとか」


「……なるほどな」


アデルバートが腕を組む。深く息を吐き、思索の霧の奥を探るように言葉を吐いた。


「国にあって、街や村にないもの……それは“階級”だ。つまり奴らは、社会的階級を破壊しようとしている……?」


伯爵は静かに頷いた。


「はい。彼らは階級に追い詰められた者たちが結集し築いた組織……そう見てまず間違いないでしょう」


「ふむ……。確か、奴の名はリオウとか言ったな。伯爵、あんたはタイムトラベラーだと聞いたが……奴の過去について、何か掴んでないのか?」


「残念ながら、存じ上げません。ただ――お二人の推察が正しいなら、リオウ様はかつて貴族か王族から深い被害を受けたのでしょう。ですが私の能力では、彼の個人的な過去へ飛ぶことはできません。真実を直接確かめる術はないのです」


舌打ちを胸の奥に押し殺し、アデルバートは組んでいた腕を解いた。


「なるほど……まあ、要件は理解した。俺たちをそこに降ろせるか?」


「はい。ただし密入国となりますが」


「構わん。潜入は慣れてる」


「さすがです。では、お二人にこれを」


伯爵の掌が淡く光り、次の瞬間にはふたりの端末に通知が弾けた。


「……アプリ?」


「はい。“性別を入れ替えるアプリ”です。起動中は、アデル様は女性に、セリア様は男性に。とびきりの美女とイケメンに変身できますよ! はっはっはっは!」


「…………」

「…………???」


アデルバートは若干引き気味に眉をひそめ、セリアは頭に疑問符を浮かべた。


「ごほん……」


伯爵は咳払いし、真顔に戻って説明を続ける。

「実は近々、スアーガで舞踏会が開かれます。各国の名だたる貴族たちが一堂に会し、舞を披露する予定なのです」


「で? なんでわざわざ俺たちが変装する必要がある? 普通に出ればいいだろ」


「いいえ! それでは意味がないのです!」


ぐわしっと肩を掴まれ、至近距離で伯爵の顔が迫る。アデルバートは仰天し、思わず声が裏返った。


「な、な、なんでござる!?」


「このアプリを使わねば、危機は回避できません! あなたの同級生……ええと、フィ……フィーなんとか、彼の目を欺くにはこれしかないのです!」


「……いや待て。俺が女に変わったら、あいつ余計に食いつくんじゃねえのか?」


「そこはご心配なく! 私の“スペシャルな機能”が働きます! それにセリア様が男性に変われば、フィレ肉のように狙われることもないでしょう!」


「……もはや名前ですらねえ」


「伯爵様……ずいぶん気持ちが昂っていらっしゃるようですが……大丈夫ですか?」


はっと我に返った伯爵は肩を放し、一歩退いた。アプリの画面を切なく見つめながら、小さな声で呟く。


「これは……私と晴明様が開発した特別なアプリなのです。ですが、これまで使ってくれる者は誰一人いませんでした。数多の英雄を救ってきましたのに……誰ひとり、見向きもしてくれなかった……」


「な、なんでそんな悲しい顔してるんだよ。てか安倍晴明って、あの式神使いの——」


「そう! これまで誰も使ってくださらなかったのです! お願いですアデル様、セリア様! どうかあなた方が第一人者となってください! 何卒っ!」


声は切実で、目尻に涙さえにじんでいるように見えた。



サン=ジェルマン伯爵は十数歩後ろに下がると――

ズザァァァッと滑り込み、地面に額を叩きつけるような勢いで土下座をかました。

土煙が舞い上がり、芝の青い匂いまで立ち上る。


「わ、わかった! わかったから!

インストールして使えばいいんだろ!? ったくよぉ!」


あまりの必死さに押し切られ、アデルバートは観念したように肩を落とす。

隣のセリア――いや、彼女はもう慣れた手つきで端末を操作し、迷いなく“変身ボタン”をタップした。


瞬間、二人の身体が眩い光に包まれる。

骨が鳴るような感覚、皮膚が張り替えられるようなぞわりとした違和感。血が逆流するような熱を伴いながら、姿が逆転していく。

サン=ジェルマン伯爵は手を組み、祈るようにそれを見届けた。


「おおおおおぉ……!」


光がはじけ、そこに現れたのは――。


アデルバートの身体は、褐色の肌が艶やかに映える美女へと変わっていた。

青い髪と赤い瞳はそのままに、引き締まった筋肉はしなやかな曲線に変わり、胸元は確かに女性のそれになっている。


「……あっ!? あー! 声まで女になってるだと!?」


喉に手を当ててみれば、喉仏が消えている。押しても、撫でても、確かに存在しない。冷や汗が背中を伝った。


「アデル様……私もどうやら男性になれたようです」


低く艶のある声が隣から響いた。

そちらに視線を向けると――紫の髪をなびかせ、タキシードを纏った美丈夫が立っていた。

まるで舞踏会の主役そのもの。


「タキシードがおまけでついてきました。似合っておりますでしょうか?」


「…………」


あまりの変貌ぶりに、ルーデリア(元アデルバート)は言葉を失った。

互いに自分の身体を確かめ合う二人。サン=ジェルマン伯爵は感極まったように拍手をしながら涙を流す。


「素晴らしい! ここまで完璧に変わるとは! 今すぐ正式リリースせねば!」


「お、おい待て! どうやって戻るんだ!?」


「アプリを終了すれば元通りですよ。……ですが、その姿に“アデル”は違和感がありますね。よし! アデルバート様をもじって“ルーデリア”にしましょう! 王妃のように美しいお名前ではありませんか!」


「勝手に決めんな!」


「セリア様は“リーゼ”と……ええ、ええ、完璧です! これで血潮をかけて開発した甲斐が……グスッ……ああ、ところでティッシュをお持ちでは……?」


「ねえよ!!!!」


伯爵が涙を鼻に垂らしながらすがると、リーゼ(元セリア)が慌てて差し出す。


「サン=ジェルマン様、ハンカチならこちらに……」


「おお、ありがとうございますリーゼ様。その仕草……完璧な紳士ですな……」


ちらちらとルーデリアを見やる伯爵の視線が痛い。

女性らしくしてほしいオーラが、ひしひしと伝わってくる。


(偉人は……変人ばかりだな……)


深いため息を吐き、ルーデリアは仕方なく背筋を伸ばすと、わざとらしい仕草で扇を広げた。


「おほん。サン=ジェルマン伯爵、お初にお目にかかりますわ。わたくし、ルーデリア王妃と申しますの。舞踏会は初めてで……心底、くっそブル緊張しておりますわ。おーっほほほほ!」


「……なんか違いますね」


「んだと!? 俺のイメージする王妃ってこれだぞ!? 何が違うんだよ!?」


激昂するルーデリア。リーゼは冷静に瞬きを繰り返しながら、その茶番を楽しむように眺めている。


「ダメですよルーデリア王妃。お二人は“プロの舞踏家”なのです。安倍晴明様がすでにそういう設定を地上にばら撒いておりますので、凛とした態度でお願いします」


「勝手に広めんな! 踊りなんざしたことねえわ!」


「口調が荒れていますよ、ルーデリア様」


「セリア……! じゃなかった、リーゼ! お前、馴染みすぎじゃねぇか!?」


「意外と楽しいですね、これ」


ルーデリアは顔を覆って頭を振った。嫌な予感がする。このままじゃセリア――いやリーゼは本当にハマりかねない。


「で、踊りってどうやんだよ」


「…………」


ジト目で見つめる伯爵。そこには「これじゃない」王妃像を訴える無言の圧。


「おほん……踊りとはどのように披露すればよいのでしょうか? 私、初めてなのでぇ〜」


「よろしい! では私の時代で盛んだったダンスをご覧に入れましょう!」


優雅な旋律が空間を満たす。

「仔犬のワルツ」。

近くで生演奏しているかのような臨場感で、鍵盤の響きが胸に染み渡る。


「モーツァルト様! ベートーヴェン様! いつもありがとうございます! ……ところで、ルーデリア様!」


「なんだよ」


優雅にターンを繰り返していた伯爵が、ぴたりと動きを止める。音楽も不思議と同時に消えた。


「……え? なんで止まった? 俺のせい?」


横でベートーヴェンがうんうん頷き、モーツァルトは小声で下品なフレーズを鍵盤に刻んでいた。


「おほん。何でございましょうか、伯爵様? あとそこのゴーストライターうるせえですの」


「……ええ。ルーデリア様、私と踊っていただきたい。その感覚を体に染み込ませ、リーゼ様とふたりで完璧な舞に仕上げるのです」


「まぁ! 伯爵様がお相手してくださるなら……私、踊り切れる気がいたしますわ!」


だが、そこへモーツァルトが割り込んできた。


「ねぇねぇサン=ジェルマン。そこのふたり……ちゃんと体の構造も変わってるの?」


「え?」


「確かめさせてよ」


言うが早いか、モーツァルトはルーデリアに近づき、遠慮なく胸をわしづかみにした。


「はぅっ!?!?」


「ふむ……女だね! よし次はリーゼ! 立派な“それ”があるはず!」


「???」


リーゼは意味がわからず首を傾げる。だがモーツァルトはにやりと笑い、手袋を締め直して手を伸ばす――


「この変態がぁぁぁぁぁ!!」


ルーデリアのドロップキックが閃光のように炸裂した。

胸の痛みも忘れて放った渾身の蹴り。モーツァルトは吹っ飛び、木に激突。見事なモーツァルト型の凹みが刻まれた。


「伯爵! 救う相手は選べよ! “俺の尻を舐めろ”とか作曲する奴は特にな!」


「も、申し訳ありません……知己だったもので……」


「……おほん。さて、あのお尻作曲家はそのうち復活しますわ。伯爵様、エスコートをお願いしても?」


伯爵はにっこり微笑み、「もちろん」と手を差し出した。

ベートーヴェンが奏でる仔犬のワルツに合わせ、ルーデリアとリーゼは――ついにプロ顔負けのダンスを会得していったのだった。

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