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第140話「王との暇つぶし」

治療から一週間。

アデルバートとセリアは、ついに無事快復を果たした。


テントの外に出ると、風に揺れる稲穂の波が迎えてくれる。

金色の粒は陽を反射してきらめき、ざわめく音はどこか子守唄のように心地よかった。


薬草と土の匂いに混じって、わずかに漂う稲の甘さ――命を繋いできた糧の存在を全身で感じる。


「ふん……これまでの草粥は、お前らのおかげだったか。ごちそうさん。美味かったぜ」


アデルバートは稲穂の前に立ち、掌を合わせて深々と頭を垂れた。

その仕草は、戦場では見せない素直な感謝の形だった。


「アデル様!」


馴染んだ声に振り返る。

そこには、重傷を負ったことなど信じられないほど軽やかに駆け寄るセリアの姿があった。


白い衣を揺らしながら、笑顔を弾ませて。

その後ろに、落ち着いた歩調で華佗の姿も見える。


「おう、セリア。……怪我が治ったんだな。安心した」


「はい。アデル様もご快復なさったようで、何よりです」


にこり、と柔らかく微笑むセリア。

その笑顔は一週間ぶりで、胸の奥に懐かしさと安らぎを運んでくる。


だが同時に、なぜかくすぐったいほど照れくさく、アデルバートは思わず頬を赤らめてしまった。


「お、おう……」


慌てて腕を組み、ずり落ちかけた黒マスクを引き上げる。

――この赤面を見られたら、きっと彼女は額に手を当てて診察してくるに違いない。


「アデル様、もしかして熱が……?」


そう言われる光景が脳裏に浮かび、余計に胸が騒いだ。


(……言えるかよ、馬鹿。これはただの照れだって)


そんな心情を読み取ったかのように、華佗が口を開いた。


「お二人は快復されましたが、まだ万全とは申せません。傷が完全に塞がるまで、もうしばらくこちらで過ごしていただきます」


「「!?」」


驚いた二人の反応をよそに、華佗は続けた。


「加えて、私はセリア様にお伝えしなければならないことがございます。アデル様もご理解ください」


激情を吐き出すよりも早く、釘を刺される。

アデルバートは眉をひそめ、セリアに視線を投げた。


「……セリア、それはどういう意味だ」


「アデル様。どうか聞いてください。私は華佗様に師事することを決めました。技術も精神も、受け継がなくてはならないのです」


「…………」


アデルバートは華佗を鋭く睨みつけた。

しかし老人は視線を逸らさない。

二人で真剣に話し合った上での決断だと悟らされる。


「好きにしろ。……だが、伝えることがあるのなら最短で頼む。俺たちには時間がない」


「その点はご安心を」


華佗は静かに頷いた。


「ここは地上とは異なり、時間の流れが緩やかです。こちらの一日は、地上の一分に相当いたします。肉体的な成長はありませんが、知識や技術ならば確かに蓄えられる」


「……そうかよ」


アデルバートの肩から重荷が下りるような安堵が広がった。


「なら俺だけ、レオンの歳を追い越すことはねぇってことか。安心したぜ」


ふと頭の片隅に、似たような世界を描いた漫画の表紙が浮かぶ。

だが首を横に振り、すぐに振り払った。


そして――真剣な眼差しで華佗に問いを投げた。


「……俺はどうすればいい。何もしねぇままじゃ、暗殺技術が鈍っちまう」


退屈そうに吐き捨てるアデルバートに、華佗は髭を撫でて目を細めた。


「ふむ……確かに、貴方だけ手が空くのは退屈でしょうな。では――あの方に頼んでみましょう」


「あの方?骨のある奴なのか」


「ええ、それはもう。空いた口が塞がらないほどの威厳をお持ちですよ」


アデルバートが片眉を上げるのと同時に、華佗は静かに頭を垂れて外へと出ていった。


ほどなく戻ると――その隣には、陽を遮るほどの巨躯が現れた。


「……誰だ、てめぇ」


思わずセリアがアデルバートの背に身を寄せる。全身から吹き出す圧力に、空気が押し潰されるように重くなった。


「この方は、エジプト第4王朝のファラオ。クフ王様である」


黄金を散りばめた衣に、褐色の肌が映える。まばゆい輝きと圧倒的な存在感に、アデルバートは思わず舌を打った。


王は興味深そうに彼を見据え、低く響く声で告げる。


「人の子よ。退屈そうであるな。余が直々に、相手をしてやろう」


鋭い視線に貫かれても、アデルバートは一歩も退かず、ニヤリと笑った。


「王の威光なんざ浴び飽きてんだよ。跪く?笑わせんな。俺にゃ似合わねぇ言葉だ」


「ははは!面白い。ならばその意気を、余に示してみよ!」


次の瞬間、クフ王の腕に赤銅色の大剣が顕現した。血の匂いを帯びたような古びた刃は、陽光を浴びて赤黒く輝く。


アデルバートは双剣を抜き、水のマナを纏わせながら突貫した。

連撃の水刃が嵐のように迫る――だが王は微動だにせず、大剣一振りで悉くを受け流す。


まるで攻撃を予見しているかのような正確さだった。


「……隙を見せたな」


地面に突き刺した大剣を軸に、巨腕が唸りを上げて振り下ろされる。

咄嗟に水の膜を何重にも展開して防御するが、剛腕は容易く砕き破った。


「ぐぉっ!?」


腹部に衝撃が叩き込まれ、全身が痺れる。

地を踏みしめているはずなのに、足が宙に浮いた錯覚に囚われた。


次の瞬間、巨木に叩きつけられるように吹き飛ばされる。咄嗟に双剣を地面に突き刺し、激突寸前で身体を止めた。


「……はぁ、はぁ……効いたぜ、ちくしょう」


「ふむ、まだ息があるか。では――」


クフ王は弓を顕現した。赤銅色の巨大な弓。矢を番えた瞬間、黄金の光が迸り、まるで太陽そのものが形を取ったかのように巨大化する。


「ちぃっ!」


アデルバートは指先から水のレーザーを放つ。衝突地点で砂塵が爆ぜ、稲穂が焼け焦げていく。それでも黄金の矢は勢いを落とさず、容赦なく迫ってきた。


「相対する者には実力を示す。王とはそういうものだ!」


二の矢、三の矢が続けざまに放たれ、空を黄金で染める。

アデルバートは灼熱の圧力を浴びながら、嗤った。


「はっ!面白ぇ!俺を灼き尽くしてみろよ、ファラオ!」


右手に水のマナを集中させ、地を叩く。

轟音と共に大量の水が溢れ、膝までを覆う水域が広がる。


「イングラムの真似事だが……やってやる!」


両手で印を結び、迫る矢を迎え撃つ。

衝突と同時に、凄まじい轟音が鳴り響き、大地は蒸発。水蒸気が雲のように立ち昇り、稲穂は一瞬で干からびた。

大地には深い亀裂が走り、繋がりが裂け落ちる。


「……若き命を散らしたか」


クフ王は矢を下ろし、背を向けた。


「少々力が入りすぎた。華佗と娘に謝罪せねばなるまい」


だが、その時。

頬に一筋の切り傷が走り、赤い滴が地に落ちた。


「……まさか」


振り返った視線の先。

そこにはなお立つアデルバートの姿があった。


「余所見すんなよ、クフ王」


反対の頬にも、薄膜に覆われた切り傷が刻まれる。


「ほぉ……あの一撃を受け、なお立つか。中々どうして――面白い!」


王は腕を組み、笑いながら見上げる。


そこには――蒼髪の戦士の姿はもうなかった。

全身を幾層もの水に覆い、巨大な龍の姿へと変貌したアデルバート・マクレインが、咆哮と共に君臨していた。


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