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第138話「2人のこれまでの行方」

イングラムとソフィアを伴って、無事に入り口地点まで戻ってきたクレイラは、ようやく一息ついて安堵の息を漏らした。


「大丈夫ですか、クレイラさん」


ルシウスの声に、クレイラは少し疲れた表情を見せつつも、柔らかな笑みを返した。

「私は大丈夫。でも――」

ふと視線を横にやり、軽く眉をひそめる。


「……二人が敵の呪術を受けてしまったから、念のため一日は様子を見たいんだけど、いい?」


「俺は構わん。不調のまま戦われて死なれても、迷惑なだけだしな」


アデルバートが木の幹にもたれ、両腕を組んだまま淡々と言い放った。


「そっちは何事もなかった?」


腰を下ろしながら、クレイラは周囲に視線を巡らせる。  少し離れた木陰では、セリアとリルルが寄り添い合い、静かに寝息を立てていた。


その穏やかな光景に、思わず頬が緩む。


「はい、こちらは特に問題なく……ちょっと昔話をしていました」  


ルシウスが静かに応じる。彼もまた腰を下ろしており、その声にはどこか和んだ響きがあった。


「そう。それはよかった。……ところで、“昔話”って?」


「ええ。コンラでアデルくんとセリアさんが、あの後どうなったかって話ですよ。……お話ししましょうか?」


「……おい」  

アデルバートが低く、短く呟いた。警告めいた一言に、空気が一瞬だけ引き締まる。


アデルバートは眉をひそめ、露骨に不機嫌な顔をしながら、恥ずかしげに言葉を遮ろうとした。  


だが、その袖をそっと引いたのは、レベッカだった。

彼女は小さく首を横に振り、目線で語る。


(ここまで話しておいて、彼らに聞かせないのは、ちょっと不親切かもしれないよ)



アデルバートはレベッカの意図をすぐに読み取った。  一瞬だけ視線を逸らし、舌打ち寸前の息を吐く。


「……ふん。勝手にしろ」


 腕を組み直し、木の幹により深く背を預けながら、彼はぶっきらぼうにそう呟いた。


 レベッカは小さく笑って、ルシウスたちの方を向き直る。


「じゃあ、本人からの“許可”ももらったことですし―――」


 そう前置きして、物語が始まる気配が漂う。  火の粉が小さく弾け、森の奥から微かな風がそよいだ。


◇◇



レオンの偽者が突き立てた刃が、アデルバートの腹を貫いた。  それが致命となり、コンラの守護者は友の腕の中で静かに息を引き取った――はずだった。


「……はぁ、はぁっ……ちっ。  いくら水分身が身代わりに死んだって、ダメージがこっちに来ねぇわけねえか……」


呪詛のように吐き捨てる声が、朽ち果てたコンラ城の玉座の間に響く。  血に濡れた胸元を押さえながら、アデルバートはその場にへたり込んでいた。


背後には、かつて王が腰かけた玉座――その傍らには、歴史の終焉を象徴するように、王の亡骸が置かれている。


アデルバートは事前に、自らの体液を用いた“水分身”をあらかじめ仕込んでいた。  敵の一撃が迫るその瞬間、体液探知の能力で本体と分身をすり替える――神業に近い芸当だった。


だが、代償はあまりにも大きい。  水分身が受けた傷は、時間差で本体にも襲いかかる。


死ぬほどではない。だが、心臓のすぐ近くを貫かれた傷は、浅くはない。


「セリア……無事か?」


吐息の一つ一つが、肺の奥から胸をえぐる。  この状態では、立ち上がることすらままならない。


情けなく腰を下ろしたまま、彼は天を仰ぎ見た。


「……ったく、こんな時に限って……やけに青空が綺麗じゃねぇか……」


痛む胸を押さえ込もうと力を込めた瞬間、口端からさらに血が溢れた。  赤い筋が顎を伝い、衣を染める。


「……レオン……お前はまだ、戦ってるってのによ……俺が先に逝くわけにはいかねぇだろ……!」


にじむ視界を振り払い、周囲を見渡す。  そして、彼は――それを見つけた。


「……セリア……!」


事前に仕込んでいた水分身と入れ替わったセリアが、石の床に倒れていた。  彼女もまた、命を賭けた一手を放ったのだ。


必死に立ち上がろうとするも、脚が言うことを聞かない。  重傷の身体を無理やり動かし、這うようにして彼女の元へと近づく。


「セリア……!目を覚ませ……!」  彼女の襟を掴み、ようやく引き寄せる。  壁にもたれかかりながら、その身体をしっかりと抱き締めた。


「おい、セリア……生きてるよな?」


「……あ、アデル……様……?」 「よし。……よかった。今は喋らなくていい。意識だけ、意識だけしっかり保ってろ……」


口内に広がる鉄の味を噛み締め、喉までこみ上げてくる吐き気を気合いで押し込める。  彼女を汚すわけにはいかない。そんな思いだけが、アデルバートを支えていた。


「どこか……痛むか?」


掠れた声で問う。  セリアは震える手で、自分の腹部をそっとさすった。  アデルバートは理解した。

彼女もまた、致命の一撃を“寸前”で分身と入れ替えたのだ。


想像を絶する痛みと恐怖。彼女が今もこうして微笑んでいることが、奇跡だった。


「……悪かった。怖ぇ思いを、させちまった」


「……いいえ……大丈夫です。 アデル様が、私に勇気をくれましたから」


彼女は、穏やかに微笑んでいた。  痛みも、恐怖も、吐露しない。  それが逆に、アデルバートの胸に突き刺さる。  


彼女の頬をつたう一筋の涙を、指先でそっと拭った。


「いや、セリア。……勇気をもらってたのは、俺の方なんだ」  


その瞬間――城全体が大きく揺れた。  崩れかけた天井が軋み、外の海が咆哮を上げて荒れ狂う。  コンラという国の終焉が、音を立てて迫っていた。


「え……?どういう、ことですか……?」


「俺は……お前の笑顔に、いつも救われてた。  血塗れのこの手を、拒まず包んでくれた。……それだけで、救われたんだよ。  仲間以外で……初めて心が安らいだ。  セリア、今の俺があるのは……お前のおかげだ。ありがとう」


「……ふふ。どういたしまして、アデル様」  


再び、彼女は微笑んだ。  その表情に、アデルバートの瞳からも涙が溢れ出す。  それは一筋の熱い雫となり、彼女の頬に重なって落ちた。


「……セリア。俺たちは……最期まで一緒だ」


「はい。私も……最後まで、お供します」


2人は強く手を握り合い、そのぬくもりを確かめ合う。  そのまま――終わりゆく国と共に、静かに命を預けようとしていた。


轟音と共に、天井が崩れ、地が裂け、コンラの城は音を立てて崩れていく。


(……いよいよか。すまねぇな、レオン。先に逝って待ってるぜ)


砕け落ちた屋根の隙間から、十字の陽光が差し込んだ。  再会できぬ悔しさを胸に、それでも――彼らは、命を受け入れようとしていた。


そのときだった。


「……こんなところにおられましたか。よかったです」


 ——紳士然とした、男の声。  次の瞬間、ふたりの頭上に迫っていた瓦礫が、音もなく“停止”した。


「あぁ……?」


アデルバートは思わず目を細める。  血の気が引いていく。  現実感のない光景に、言葉が出なかった。


「……誰だ……」


未だにまとわりつく意識の靄を無理やり振り払い、アデルバートは声のする方向へ顔を向けた。

瓦礫の山の上、宝石のような意匠を散りばめた衣装を纏った――異国の男が、佇んでいた。


「私はサン=ジェルマン。…ただの時空の旅人です。あなた方お2人は、アデルバート様とセリア様ですね? 間に合って、よかった」


「……サン=ジェルマン? 知らねぇな」


アデルバートの警戒心むき出しの言葉に、男はくすりと笑った。その姿が霞んだかと思えば、瞬きの間に二人の目の前へと現れる。


優雅な所作で膝を折ると、白手袋の手を差し出して言った。


「しがないフランス貴族ですよ。私は、あなた方を救うために来ました」


「貴族、ね……そういう連中にはロクな思い出がない。俺も、セリアも、命を狙われ続けてきたからな」


「それはお気の毒に。しかし、どうかご安心を。私は“西暦時代の貴族”です。あなた方が知るような、粗暴で腐敗した貴族とは違います」


一切の虚飾を感じさせぬ声音だった。アデルバートはわずかに眉を動かし、そして静かに頷く。


「……いいだろう。その手、借りるぜ」


男は目を細めた。


「移動します。目を閉じて」


アデルバートとセリアがゆっくりと瞼を閉じると、身体がふわりと浮かぶような感覚に包まれた。雲の上にでも乗せられたかのような、浮遊感。


「さあ、目を開けて」


目を開いた先に広がっていたのは――

黒い海に呑まれていくルークの姿。そして、その光景を高所から見下ろす、仮面をつけた魔術師の影。


どうやら、サン=ジェルマンはその更に上空に位置しているらしかった。


「ルーク!」


「ご安心を。彼の生存は既に確認済みです。……今はまず、あなた方の治療が先決ですね。再び移動します」


サン=ジェルマンが指を鳴らす。瞬間、視界が弾けた。

次に目を開いた時、二人は金色の陽に照らされた平原に立っていた。


光と風が交錯し、地上そのものが淡く光って見える。その中心に、古びた直裾袍を身に纏ったひとりの老人が立っていた。


「やあサン=ジェルマン。……その方々が、例のお客様ですかな?」


柔らかな声と、長い白髭を整えながら親しげに語るその姿は、まさしく仙人のようだった。


「ええ、治療をお願いできますか? 華佗様」


「ほほほ、もちろんですとも。あなたの頼みなら断りませんよ」


「華佗……!?」


セリアの目が見開かれる。だが、それは驚きよりも、畏敬の色が強かった。


「まさか……薬学に通じた、あの華佗様ですか……?」


「おやおや。お嬢様、ご存知ですか?」


華佗は笑みを浮かべながら彼女に近づき、膝を折ると、まるで孫娘に話しかけるような声音で問いかけた。


「はい。私は現代で医師をしておりまして……先人の偉業を学ぶ中で、あなたの記録に何度も触れました。まさか、こうしてお会いできるとは……!」


「それはそれは。……後世で私が語り継がれているのなら、医者冥利に尽きますな。あなたと出会えたこと、私も嬉しく思います」


そう言うと、彼は中華風の鞄から器具を取り出し、手際よく準備を整えはじめた。


「さて、お2人は――刺し傷と内出血が見えますね。まずはそれを癒しましょう」


熟練の医師の目は、傷の深さと組織の損傷を瞬時に見抜いていた。彼は注射器と小型メスを用意し、静かに語りかける。


「大丈夫。治りますとも。さあ、少しのあいだ、楽にしていてくださいな」


まるで祖父のような優しい声色に、セリアはようやく身体の緊張を解き、瞼を閉じて意識を委ねた。


「華佗様、私は一度、晴明殿と合流してきます。……後ほど戻りますが、お任せしてもよろしいか?」


「ええ、問題ありませんとも。ここに来られる者は、我々以外におりませんので」


短いやりとりの中に、深い信頼が感じられた。サン=ジェルマンは満足げに笑みを残し、その場から姿を消す。


「さて、アデルバート様。まずはセリア様の処置から始めます。つきましては……しばし視線を外していただけますと、助かりますな」


「……安心しろ。覗きなんざ、しねぇよ。つーか……俺も、そろそろ限界でな……」


そこまで言いかけたところで、彼の意識がぷつりと途切れる。崩れ落ちるように倒れ込み、視界は闇に沈んでいった。


全ての感覚が――深海の底へと、静かに、静かに、沈んでいく。

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