第118話「悲運な逃走」
「可愛い!」
開口一番、レベッカは顔を赤く染めて
女性となったルシウスをベタ褒めした。
「あ、ありがとう、ございます。
とりあえずこのサンプルは危険なので
後で消させてください」
ルシウス、いや、今は女性名でルーシーと呼んだほうがいいだろう。
黒く艶のある肩まで伸びた髪に綺麗な二重、シミやニキビひとつない綺麗な肌は、男であればぞっこんすること間違いなしと思えるほど整っている。
「ねぇ、ルシ……いいえ、ルーシー。
どうするの?これからあの追跡者ニ人が来るわよ」
「なんだいそのルーシーって
僕にはルシウスという名があ———」
「ルーシー!それでいて僕っ子!
いいですね!素晴らしいです!」
レベッカは興奮している。
どうやら可愛い子、かっこいい人ならば見境なしにテンションが上がるタイプらしかった。声もはっちゃけている。
「あのぉ、レベッカ様、あまり大声を出されますと位置が特定されます。
なるべく小声でお願いできませんでしょうか」
「そんなこと関係ありませんよ!
セリアさん!可愛いでしょ?」
ルーシーを指差してキラキラとした眼差しをセリアに見せる。どう反応したものか、セリアはリアクションに困っていた。
「た、確かに美しいとは思いますが……」
思ったことを口にするセリア。
そして、その彼女の肩にポンと手を置くルーデリア。
「ねえレベッカ、人の話聞いてる?
口にガムテしようか?」
彼女はやれやれとリアクションをしつつ、電子媒体からガムテープを取り出した。
いつでも口をグルグル巻きにできるんだぞ、という圧力をかけている。
「ご、ごめんなさい」
観念したらしい。
ルーデリアになったとしても本人の中にある“怒”の度合いは変えられない。
ましてやアデル、いやルーデリアは蒼髪として貴族達に恐れられた人物、怖がらないわけがなかった。
「ごめん、僕は歩けそうにない。
ルーデリアちゃん、悪いんだけど
背におぶってくれないかな?」
その言葉に反応し、ルーデリアはルーシーの身体を診察するように見回す。確かに、無理に力を入れてしまえば薬の効き目が遅れて、さらに絶叫することになるだろう。
「まだ鎮痛剤が効いてないみたいね。
別に構わないけど。セリアも———」
「私は大丈夫です。変身すればおニ人の目は撒けるはずですから。」
セリアをお姫様抱っこして脱兎の如く
逃げよう。と伝えようとしたのだが
そうだった、セリアにはそれがあった。
あいつらは男性には目もくれない。
金品をすられないようにフィレンツェを注視しておけばセリアは上手くやり過ごせるだろう。
「そうか、それもそうね。
で、レベッカ、あんたは責任持って一人で逃げなさいよ?」
「えっ」
「えっ、じゃねえですの。
誰のせいでこんなことになったとお思いなのかしら」
「アデルさん、なんで女口調———」
ルーデリアはレベッカの頬を強めに摘んで睨んだ。圧がすごい。
「今はルーデリアと呼んで貰えると嬉しいのだけど?????」
「ごへんなひゃい」
にこやかな笑みの中に浮かぶ確かな苛立ちがピリピリと伝わってきた。レベッカは反射的に謝罪する。
「それで、どうするのだ?
俺はここで待っとればいいんだろ?」
「ええ、そうね。
貴女はエレノア達が帰ってた時の伝言役をお願いしようかしら」
「ほう、女子に伝言をか!よかろう!
なんと伝えればいい」
ルーデリアはうーむと腕を組んで考える。
そして、頭の上で豆電球が光った。
「“しばらく王の元でじっとしてなさい”そう伝えてくださるかしら」
「うむ、承ったぞ!アデルバート!」
「あっ」
でっかい肺活量ででっかい声で言われた。
それはもう避難所一帯に響いた、いや、轟いただろう。ルーデリアは頭を抱え声を殺して怒った。
「このあんぽんたん!」
「???
余、何かしたか?」
奥の方の人混みが盛り上がっているような気がする。ルーデリアの赤い双眸はそれを捉え、背筋が凍るような思いを感じた。
「ルーシー!行くわよ!ここにいたら周りの人に迷惑がかかるわ!早く背に乗りなさい!」
「そうしたいのは山々なんだけど、まだ痛みが———」
「おだまらっしゃい!」
痛みを堪えていたルーシーを無理矢理背負ったせいで痛みが限界突破したらしい。
絶叫にも似た悲痛の声が喉元から発せられた。
「リーゼ!レベッカ!モタモタしない!」
「はっ、はい!」
「畏まりました、お嬢。このリーゼ、こちらに」
「よし!レッツゴー!」
ルーデリアは一目散に非常口へ駆け出した。
人混みは自然に道を作ってくれる。
プロダンサーとして顔が知られているおかげだろうか。
「失礼するわね皆様、またどこかでお会いしましょう〜さようなら〜」
走り方すら優雅で気品のあるルーデリア。片手をひらひらとさせ、笑顔を浮かべて避難所という名の会場を去っていく。
「そういうことですので、皆様どうか息災でお過ごし下さい。ではでは」
続いてセリアが変身したリーゼは
両手の白い手袋の位置を変えながらにこやかに笑い、その場を去る。
「あー!リーゼ様かっこいいですぅ!」
レベッカは惚けながらリーゼの後へ続いていく。
「うっさいわね!さっさと走れってんですよレベッカさんよぉ!」
最前線で罵倒されるレベッカ。
思わず謝罪の意を述べる。
「ごめんなさいぃぃ!」
そして——————
「うぉい!待てぇぇぇ!美人なら俺の掌の上でダンシングしやがれぇぇぇ!
あとアデル!金寄越せやコラァァァ!」
フィレンツェが来た。
「飯ぃぃぃぃぃいいい!!!!!」
ユーゼフが来た。
ニ人は並走しながら今再会したみたいにお互いが目を見開いた。
「よぉ、なんだ犯罪者じゃないか
しっしっ!飯なんていらねえだろ!
ていうか貧困になるわ!この胃の中ブラックホール野郎がよぉ!」
「あ?後輩に振られてから美人な人に
手当たり次第ナンパして振られまくる
白帽子の人に言われたかないんですけどぉ?」
「んだとコラァ!?」
「あぁ?やんのかぁ?おぉん?」
そんなやりとりをしながら、非常口へ
ニ人は駆け出して行った。
そして、静寂だけがその場に残った。
「がはは、愉快愉快!」
獅子王ネメア、何が何だかよくわからないが
面白かったからとりあえず笑った。
発生している砂埃は、まるで水飛沫のようだ。それだけ凄まじいスピードで
走っているのだ、それほどまでに逢いたくない相手なのだ。
彼女らは舗装されている道すら通らずにただただ真っ直ぐに、建物など無視して手当たり次第ぶつかりながら直進している。
おかげで周囲はめちゃくちゃだ。
「あぁぁぁぁぁもう!!!!!
なんでこんなことになるのよ!!!!!
私が、私たちが!何したっていうのよ!ふざけんじゃないわよ!」
悪態を吐きながらも、速度を緩めずに
目的もなくただただ走り続ける。
「ルーデリアちゃん、もう少しゆっくり」
「無理ぃぃぃぃぃ!!!!!」
そして、隣に並走するのはリーゼだった。
いつの間にかレベッカを抱き抱えて走っている。姿が見えなかったのはそのせいか
「あれ?いつの間に抱いてたの?」
「今初めて知ったのですが、どうやら筋力を増加する特殊機能が組み込まれているらしいです。おかげで抱いても問題なしです」
「素敵……」
レベッカは両手を口元に当てて顔を赤くしている。セリア、いや、リーゼも甘やかしすぎではなかろうか。こんなことを繰り返していたらいつか絶対調子に乗る。
誰に甘やかされ続けたらあぁなるのか。
「くっ、とりあえず逃げるわ、逃げて逃げて逃げ続けるのよ!」
「承りました。あとでリルル様を出迎えにいきましょう」
「うぉぉぉぉぉ!!!美人なお姉さん三人とも待てえぇぇぇぇ!!!」
「金持ってそうだから飯寄越せぇぇぇぇ!!!」
両者並走しながら叫んでいる。
ルーデリアが苦悶の表情を無意識に浮かべ激しい偏頭痛に悩まされるほど
このニ人は厄介だ。
戦禍の火種である。
放置しておけばたちまち燃え上がり、また多くの人が困惑の渦に巻き込まれるだろう。
だがしかし、彼女の本能が、食い止めるという思考を拒絶した。なぜならば
二人は人工的な厄災だからだ。
近づけば女性は痩せこけ、食料は瞬く間に底をつく。本来であれば、止めねばならない。
だが、それが出来なかった。
倒すことは可能だろう。世の中ストレスフリーになることは必須だろう。
だがそれよりも先に、一撃を打ち込むより先に、支離滅裂な発言と爆撃機の如く罵詈雑言をベラベラと話してくるのだ。
それで一気にストレスがマッハになってしまうのだ。それを理解しているからこそ彼女らは逃げる———!
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
飯なんてないわよ!!!
後私は美人じゃないから!」
「んなことわかんねぇだろ!そこで立ち止まれ!ジャンプしろ!コッペパンの一つは出るだるぉ!?」
「お嬢さん!その愛しくも青く美しい髪を持つ貴女にぜひ口付けをしたい!そして舌を潜り込ませたい!」
「きっも」
「俺だけ辛辣ぅ!?」
ルーデリア一行と並走する人工災厄ニ名の距離は100メートルほど離れている。
遠目から見たら、なんだあれはとなるはずだ。
◇◇◇
「ふぅ、やれやれ、紅蓮の騎士連中の士気は下がったかな。」
手をパンパンと払い、レイは一息ついていた。額を拭って夜空を仰いでいると
ドドドドドと地割れの前兆のような音が聞こえてきた。その音の方向を見やる。
「……?????」
何かが真っ直ぐに
ここへやってくる。紅蓮の騎士軍の連中の
中に、敵軍の中に———
◇◇◇
クレイラは気を失ったイングラムを
お姫様抱っこしながら屋根から屋根へと跳躍していた。避難所まで届く中間地点で
彼女は息を整えるため、飛ぶための足を止め、目の前に広がる景色を見た。
「綺麗な青い夜空、レオンがいたら
“月が綺麗ですね。”って言うのになあ……ん?」
クレイラの視線に、不自然なほど巻き上がる砂埃があった。まるで地中を泳ぐサメのようで、それは遠くからでもよくわかった。
お互いが遠く離れているものの
同じものを眺めて、同じことを思った。
砂埃が上空に巻き上がり、重力に従って落ちていくその光景を———
「「なんだあれ」」
と、レイとクレイラはふと、同じセリフを吐いたのだった。