第117話「兄弟の決闘」
「流石だレイ。
俺の気配を察知するとはな」
上空に現れた一人目の弟ライル。
仮面の魔術師を護るかのように降り立った。
「お前がいるということは、レオンは———」
ライルはにやりと笑みを浮かべて
返答しない。レオンが死んだのか。
肯定か、否定か。兄にはどちらとも取れなかった。そんな余裕が、掻き消えていたから。
「馬鹿三男の話などいつでもできる。
偶には、俺とも遊べよ」
「やれやれ、そこまで侵蝕されてしまったか。これは私の責任でもある。
これまで、全てレオンに丸投げしていたからな。あいつへの謝罪も兼ねて、少々派手な兄弟喧嘩をしようか」
レイの雰囲気がひょうひょうとしていたものから、戦場へ赴く戦士のそれへと変わった。彼の周囲の空気が鋭利な刃物のように研ぎ澄まされたように思えた。
「そうか……来い!
久しぶりに拳を交えよう!」
「いいだろう!ここでお前を倒せばレオンの負担も減るというもの!
喜んでその決闘、受けさせてもらう!」
ライルは着地し、袖の中に隠れた両腕を曝け出す。実に鍛え上げられた見事な両腕は力を込めずともに筋肉が隆起している。
殴られれば頬の骨折は免れないだろう。
そして、対するレイもボクシングスタイルの構えをとってヴァルをその視界に固定し
捉える。狙った獲物は逃さない。
「っ———!」
雨風が轟々と降り注ぎ吹き荒ぶ中で
兄弟はその拳をお互いの拳にぶつけ合う。
雨の雫がぶつかり合う衝撃で弾け飛び
地面に吸い寄せられる雨と同化していく。
「はぁっ!!!!」
ライルの左拳が、レイの頬目がけて
接近する。彼はそれに対応するように
自分の右拳を用いて自身の受けるダメージを防いだ。
それが、二度、三度と続く。
「おぅらぁっ!」
レイの左脚がしなやかに、そして素早く浮かび上がりライルの肉体に蹴りをぶちかます。
「ゔっ!くくくはははは!」
ならばと、ライルは右脚を豪速球で動かして
レイの脇腹を蹴り上げる。
「———っ!」
「そぉらぁ!」
続けて第二撃、強烈な裏拳が
レイの顔面にクリティカルヒットする。
しかし、レイとてレオンの兄、身体を鍛えていないわけがなかった。
「ふっ」
無音から放たれるボディブロー。
強烈な痛みが外側ではなく内側から込み上げてくる。内部から出血しているように温かい感覚がライルを歓喜に誘う。
「ぐ、ふふふ、やはり強い!
レオンと同じ、いや、それ以上!」
「当たり前だ、俺はお前達ニ人が本気で来ても倒せるように鍛えてきたんだからな」
「ははは!!なるほど納得だ!
だがその夢はもう叶わん!俺はもはや昔の俺ではないのだからな!」
「知っている!だからここでお前を止める!
兄として、一人の人間としてな!」
哀しげな声色、儚げな表情を浮かべながらレイは攻撃を続ける。
ライルも、それをまるで望んでいるかのようにそれをいなし続けていく。
ライルは空中へ浮遊し、膨大な数の魔法陣を作り出しそこから無数の光弾を発射する。
ガトリング砲のように、毎秒何十発と
放たれるそれは、レイ肉体を抉らんとして迫ってくる。
しかし、軌道と速度がまばらだったのか
レイはそれを片手で全て弾いていく。
「着弾すれば高温を発して肉を焼くというのに、ふむ、おかしな話だな?
お前にマナは無かったはずだが」
「無いなら、無いなりに戦いを工夫すればいい。それに、私には術式がある。
お前も見ていたんだろう?」
光弾を弾きつつ、兄弟は会話を続ける。
そして、その中の一発がクレイラを拘束していた楔を溶かした。
「あちち……!」
両手を拘束で払いながら熱を逃して姿勢を整える。長い間同じ体勢だったので、身体の筋肉が全体的に強張っている。
まるで麻痺にでもなったかのように、身体の自由が制限されていた。
「——————!」
ライルがクレイラに意識を向けた。
幽霊のように浮遊しながら真っ直ぐ直線を描きながらクレイラに姿勢を変えて飛んでいく。
「そうか、そうか、お前がレオンの……!
なら、壊し甲斐があるというものだ!」
「そうはさせん!」
ライルの停止地点を予測、跳躍して
レイは身体を逸らしながら回し蹴りを繰り出す。そして、相手側もそれを読んでいたのか、左腕でそれを防いで嘲笑った。
「は、甘いな!」
「お嬢さん、少しそこでじっとしていてくれると助かる!」
レイは片目で視線を送りながら
クレイラにそう伝えると、全身に力を込め始めた。光でも闇でもない色を持たないオーラが顕現する。
「な、なにっ!貴様そのオーラは!」
「しばらくじっとしてろ!
破ァっ!」
驚愕と同時にライルの五臓六腑が一撃の元に
叩きのめされ、吹き飛ばされる。
「ぐぅぉぉぉぉ!?」
瓦礫の山に叩きつけられ、全身に鋭利な針やら刃の先端やらが突き刺さり、全身から出血
する。血だらけの幽鬼が、ゆっくりと立ち上がり、息を切らす。
「内側を火傷のような持続した痛みがお前を襲い続ける。薬ではどうにもならんぞ」
「うぐ、ぬぅ、やはり強い。
マナを抜きにしても、この実力とはな」
内側がドロドロに溶けるような感覚に襲われ、ライルは膝を吐き、血を吐き出した。
鉄が焼けるような不快な匂いが鼻腔を劈く。
「さてライル、大人しくしろ。
私は身内殺しはしたくないからな」
「ふ、身内殺しか。
確かに、それを行えば重罪になることは変わりない。だがな!それが貴様の甘さよ!」
地面に付着したばかりの血が浮かび上がり不明瞭な物質の形へと変貌。
まるで風船のように膨らみ始める。
「……!まさか———」
「3———2———」
レイは眉間に皺を寄せ、クレイラの前に立ちはだかると、空中に血の文字を描く。
「防護展開!」
僅かな血から展開される防御術式。
それは彼自身とクレイラを閉じ込めるようにして顕現した。そして———
「1———!パァン!!」
ライルが叫ぶと同時に、その不明瞭だった血液はウニのように全身を針尽くしにして、その針を360度全方位へと爆発しながらばら撒いた。血の防御壁も、亀裂が入るほどに凄まじい勢いで、それは無数に飛んできた。
レイの両腕が、衝撃で小刻みに震える。
「ははははは!さらばだ兄弟!
いずれまた会おう!」
激痛に冒されて尚、不敵な表情を
崩さないまま、ライルは姿を消した。
そして、降り注いでいた黒い雨と雲も
やがて掻き消え、雲一つない星々の輝く夜が姿を見せた。
「ふぅ、とりあえずはなんとかなったかな」
レイは防護を解除して、クレイラの方へと振り返る。
「助けてくれてありがとう、レイ」
クレイラは頭を下げて、礼を述べた。
ははは、とレイは軽快に笑う。
「いや、礼には及ばない。
君が傷付けば、レオンが悲しむのは分かっていたからね。間に合ってよかったよ。クレイラ」
レイはクレイラの名を溢しながら
手際良く邪神化しかけているイングラムに封印術式を施してやる。
荒々しくも歪な姿だったイングラムのその身体は、術式の効果によってゆっくりとその姿を元に戻していった。
「さすがソルヴィアの元騎士だ。
あれほど呑み込まれても意識をすぐに戻せるらしい。これは、目覚めるのも時間の問題かな。とにかく、起こした後はあまり激しく動かないように言っておくように」
「うん、わかった。
でも、どうして私の名前を知ってるの?」
クレイラの疑問に、レイは顔を向けて返答する。
「あぁ、私の仕事上、どうしても耳に入ってくるんだ。どんな仕事なのか、なんて野暮なことは聞かないでくれると助かる。
それと、レオンに聞くのも禁止
その代わりと言っちゃなんだけど、これをあげよう。レオン探索の助けになるはずだ」
レイはクレイラに何かを手渡した。
目を凝らして見ると、何かの鍵を描いた絵のようなものがメモに書き記されている。
ご丁寧にペイントまでされていた。
「これは?」
「それは、銀のロザリオ。
おそらくは、門のない門を開くために必要なものだと思う。
すままいが、今の私にできることはここまでだ。それじゃあな」
レイは手をひらひらと振りながら夜の世界へ姿を消した。
クレイラはそれを見送ったあと、鍵の絵を睥睨する。奇妙なアラベスク模様に表面が覆われた銀の鍵だ。
「この鍵の感じ、どこかで———」
◇◇◇
「そうか、レオンが石化になったか。
これはいよいよ切羽詰まってきたな」
レイは電子媒体を耳元に近づけ、誰かと通話しているようだ。
「ん?あぁ、“例のヤツか?”
見つけたよ。今はまだ兆候は見られないが、早いところ対策を打った方がいいだろう。
何、策はある。万が一の時はアンタが———あぁ、そうしてくれ」
レイは歩きながら、通話を続ける。
そしてその行く先に群がるのは赤き紅蓮の騎士団の傭兵達。
「さて、そろっと通話は切らせてもらう。
これから、ちょいと野暮用があるんでな。
あぁ、また経過報告はきちんとする。
報酬もきちんと払う。そこんとこは抜かりなくやるさ。それじゃあな」
レイは通話を終了した。
そして、にやりと笑みを浮かべて
「久しぶりの外だ、肩慣らしをさせてもらうぞ」
男はただ一人、真っ直ぐに紅蓮の騎士団の方へと歩き始めていった。