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第1話 「終焉を越えて」

――騎士は、夢の中にいた。

世界はモノクロ。灰の粒が、雪のように静かに舞う。 遠くの音は霞み、息遣いすら自分のものではないようだ。


ただひとり――色を持つ男が、そこに立っていた。 瞳は澄みきった快晴、外套は深い群青。 その色彩を視界に入れるだけで、胸の底から温かい泉が湧き上がる。


男は口角を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。


「イングラム、安心しろ。俺は必ず帰ってくる」


その声音に、疑う余地はなかった。 言葉よりも先に、心が頷き、首が動く。

ギィ……と扉が軋む音。 男が背を向け、ゆっくりとドアノブを回す。


――白光。


視界が焼かれるほどの光が全てを覆い、世界が反転。 夢は裂け、意識は現実へと引き戻された。


「――――」


目覚めは意外なほど軽い。 重たい瞼を何度か瞬かせると、天蓋越しの淡い光が輪郭を取り戻していく。 枕の冷え、喉の渇き、そして鎧の手入れで染み付いた鉄の匂い。


〈イングラム殿、謁見の会議が始まります。……随分といい夢を見ておられたようで〉


寝台脇に、青白い光のホログラムが浮かんでいた。 兵士の顔が映し出され、ため息まじりに口角を下げている。

「おはようくらい言え……」 心の中で毒づきながら、イングラムは短く答えた。


「今向かう。通信は切る」


指先でホログラムを払うと、像はノイズを散らしながら消えた。

洗面台の冷水を両手で掬う。 水が頬を刺し、夢の残滓が溶けていく感覚。


鏡の中には、アップバングに整えられた淡い金髪と、深い翡翠色の双眸。 余計な力を入れなくても、鍛え上げられた筋肉は鎧のように浮きあがる。


黒紫の甲冑に腕を通すと、革の匂いと金具の冷たさが肌に馴染んだ。


「やれやれ……今日も“進展なし”の会議か。無碍にはできんがな」


腰の剣を確かめ、扉を押し開く。 廊下の石の冷気が靴底を通して伝わってきた。



城下町は、いつもの喧噪に包まれていた。 パン屋の釜からは焼きたての麦の香り。 露店の鍋は香辛料の熱気を吐き出し、獣人の毛皮に染みた獣脂の匂いが風に乗る。


鐘の音、商人の呼び声、子どもたちの笑い声。 人間、亜人、獣人が肩を並べ、同じ通りを歩く――それがこの国の“普通”だ。


「相変わらず賑やかだな」


二年。 ここで暮らし、呼吸の仕方を覚えた二年が過ぎた。


視線の先で、白い鎧を着た兵士三人が、幼い少女の腕を乱暴に引き、人気のない路地へと消えようとしていた。

胸の奥で、嫌な音が響く。 見過ごせるはずがない。


イングラムは人波を切り裂き、兵の肩を掴む。 骨と鉄のきしみが掌に伝わった。


「なんだお前――がッ!」


「ほう……“お前”とは偉い口だな。職務中に見えたが?貴様、どこの者だ」


取り巻きの細身が、ひぃっと情けない声を漏らし、足をもつらせて尻餅をつく。 中太りの兵は狼狽し、舌がもつれて言葉にならない。


「離せ、我々は、その……」


「迷子のボランティアか? それならまず、その手を離せ」


握力をわずかに強める。 甲冑の継ぎ目が、金属の悲鳴を上げた。

一人が耐えきれず、踵を返して逃げ出す。 残りの二人も視線を泳がせ、少女から手を放した。


「全く……」


イングラムは後頭部を掻き、少女の前に膝をつく。 髪は乱れ、目尻は赤いが、その瞳はまだ折れていない。


「大丈夫か。ひとりで帰れるか?」


「……うん! ありがとう、騎士様!」


小さな頭をひと撫で。 手のひらに、まだわずかな震えが残っている。

少女は勢いよく走り出し、角を曲がって消えた。 その背が完全に見えなくなるまで見送ってから、イングラムは城へと向き直る。


胸の奥で、夢の声が微かに反響した。 ――必ず帰ってくる。

なら、俺は迎えに行く。何度でも。



ソルヴィア城――そこは宝石の光に満ちていた。

香木の甘い香りが空気を満たし、磨き上げられた石床は足音を静かに吸い込む。

深紅の絨毯は、血潮のように玉座までまっすぐに伸びていた。


「よくぞ来た! イングラム・ハーウェイ! 其方の来城を心待ちにしていたぞ!」


両腕を広げる王。

第十代国王、ソルヴィア五世。

その声には威厳と柔らかさが同居し、一瞬で広間の空気を支配した。


「陛下。遅れて申し訳ありません。イングラム・ハーウェイ、ただいま参上いたしました」


跪き、深く頭を垂れる。

その瞬間、周囲の貴族たちがざわつき、金糸の袖や裾がひそひそと揺れた。

その視線は、刃物のように冷たく、毒を含んでいる。


「はっ……インペリアルガードともあろう者が遅刻とは、随分と余裕で?」


豪奢な衣をまとった一人が、挑発するように前へ出る。

同調するように、いくつもの顎が縦に動いた。


「やめよ」


王の一声は、刃のように鋭く、静かだった。

広間のざわめきが一瞬で凪ぐ。


「イングラムは連日の討伐任務で疲弊している。多少の遅れは目を瞑るべきであろう」


「しかし――」


「くどい」


短い言葉が、余計な音を断ち切った。

王は玉座脇の男へと視線を向ける。


「宰相ルード、本日の議題を」


眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。宰相は一歩前へ出て、淡々と口を開いた。


「先月より、城下および周辺にて正体不明の集団の噂が増えております。捜索隊を派遣しておりますが、尻尾は掴めず。

さらに……南方小国との境に位置するウルガル山の頂にて、多数の遺体が発見されました。被害者の多くは、我が国の民です」


「何だと……! あの山は入山禁止立て札を立てていたはずだ」


王の声が低く震える。

宰相は表情を変えぬまま、さらに告げた。


「立札は外されておりました。現場には魔術行使の残滓を確認。犯人は魔術師の可能性が高いと見られます」


広間の重臣たちの喉が、ごくりと同時に鳴った。


イングラムは一歩前へ出る。

視線は王から逸らさず、声に迷いはない。


「部隊を編成し、至急の調査を行うべきです。もし魔物が関与しているなら、早期に芽を摘まねばなりません」


宰相の目が細まり、周囲の空気が露骨にざらつく。

――インペリアルガードに手柄を立てさせたくない。

そんな浅い思惑が、香木の煙よりもはっきりと見える。


「確かに理はあります。しかし、貴殿は“王の剣”。易々と動かせぬ立場です。軽挙は許されませぬ」


褐色の肌の大貴族が口角をわずかに上げ、横目で刺すような視線を送る。


イングラムはそれを受け流し、ただ王の目だけを見据えた。


「この件は、見逃せません。民あっての国。土台が崩れれば、城は形だけ残っても国ではない」


広間の空気が、ぴんと張り詰める。

言葉に飾りはなく、重みだけが残った。


王の瞳がわずかに細くなる。

その奥には思案と、そして確かな信頼が宿っていた。


「イングラム……勝算はあるのか」


頷き――それだけで十分だった。


王は小さく笑い、広間を見渡す。


「お前たちは覚えていよう。満身創痍のイングラムに、まとめて打ち倒された日のことを」


青髭の貴族が顔色を変え、歯をきしませる。

広間の温度が、一度下がったように感じた。


宰相が咳払いをひとつ。


「……では、ハーウェイ卿。支度が整い次第、ウルガル山へ。もし魔物がいるならば――」


「無論、討ち取るとも」


イングラムは立ち上がり、胸に拳を当てる。

王は僅かな吐息とともに頷き、命を下した。


「我が国最強の騎士、イングラム・ハーウェイ。直ちにウルガル山へ向かい、原因を究明せよ。可能であれば討伐し、その首を我が前へ」


「拝命いたします」


拳が胸板に当たる鈍い音が、誓いの鼓動と重なった。



広間を出ると、回廊に冷たい風が通った。

石壁の隙間から差し込む光は薄く、遠くで鳴る鐘の音が昼を告げる。

甲冑の帯を締め直す指先が、汗で少し滑った。


――レオン。


夢の残り香が、名前と一緒に喉に引っかかる。

必ず帰ってくる……そう言ったあの日から、何度この言葉を思い出しただろう。


なら、俺は信じて探す。

山の上でも、闇の底でも、世界の果てでも。


掌にマナが集まり、微かな熱を宿す。

それは心臓の鼓動と同じリズムで脈打ち、静かに燃えた。


視界の端で、ホログラムの小型端末が点滅した。

兵士からの追加連絡だ。

イングラムは一瞥だけ送り、歩みを止めることなく通り過ぎる。


やがて、巨大な扉が見えた。

城門だ。


重厚な鉄扉が開くたび、外の光と音と匂いが一気に流れ込む。

陽光が甲冑を照らし、石畳の熱が靴底から伝わる。

屋台の香ばしい匂いと、人々のざわめきが耳に満ちた。


世界は動いている。

なら、俺も動く。


目指すはウルガル山――邪神の影が蠢くという、その場所へ。

探し人の手がかりと、国を侵す黒の源を断つために。


剣の柄に触れる。

革の感触が、現実の重さを確かに伝えてくる。


深く息を吐き、視線を前へ向ける。

その瞳には迷いがなかった。


イングラム・ハーウェイは、ひとり歩み出す。


物語は、ここから始まる。

初めに読んでいただきましてありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
RT企画へのご参加ありがとうございます。 イングラムが途中で子どもを助けた描写があることで、人柄の良さが表現されていて、いいなと思いました。 今後どうなっていくのか展開が気になります。 ブクマと評価入…
[良い点] 比較的読みやすい 舞台が現実の超未来である可能性を伺わせる描写が良かった。 [気になる点] 一字下げがない。 主人公の説明不足が気になる。 あと、文字数が多い。 分割した方が良いと思う。 …
[良い点] 重厚なハイファンタジーという感じです。追いかけさせていただきます。
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