拝啓、10年前の僕へ
世界一、天才だと疑わなかった10年前の僕に書き記した手紙です。
行き場のない手紙をここで成仏させてください。
こんにちは10歳の僕。
僕は今地方の公立大学に通っています。
過ぎ行く日々に身を任せ、1日1日をただ何もなく消費しながら生きています。
そんな僕が10年前の僕に手紙を書くので是非とも面倒くさがらず読んでほしい。
10歳、小学校四年生の僕は今頃こんなことを考えているのではないでしょうか。
「俺ってなんの世界一になれるのかな」
ある程度恵まれた家庭環境。家族仲は良好。友達も多く、人から好かれていた僕は自分が世界の主人公のように感じていたはずです。
保育園から小学校に上がり、世界が自分を中心に回っている。
そんなある種の全能感が自分の心を支配し、俺はなんでもできる、なんでも一番、と思い上がっていた小学校低学年。
毎日が楽しくて、幸せで、悩みなんてひとつもない少年、俺。
けどそれは幻想でしたね。
3年生に上がり、自分が一番である機会が減り、いつも二番目三番目をコンスタントに取り続ける俺。
人より勉強も運動もできるけど、決して一番ではない。
たまに一番になる時もあるけれど、不安定な結果は自分は特別な存在ではないと突きつけられているように感じているでしょう。
よく言えば「なんでもこなす」、悪く言えば「取り柄がない」。
100点中80点の存在。
しかし第三者から見れば「なんでもできてすごい」、「欠点がない」。
他人の評価と自分自身の評価に乖離が存在し、その乖離は歪みとなり、自分自身でもどうしたいか分からないくらい迷っていることでしょう。
そこで10年前の僕は認めてしまった。
それが俺なんだと。
一番じゃなくてもいい、努力せずこの結果があるなら俺にはとんでもない才能が眠っているに違いない。
まだ本気を出していないだけ。
あまつさえ10年前の僕はガラスのような仮初の現実に胡座をかき、努力することを放棄してしまった。
いや、最初から努力なんてしてこなかったのに、偶然良い結果ばかりの日常に慣れすぎて、周りが努力していると勘違いしてしまい、それに乗せられ、裸で踊るピエロに成り下がっていたのです。
中学校に入っても同じです。
元々レベルの低い中学校で、世渡りだけが上手だった俺はなんの努力もせず、甘い汁ばかり吸い、10歳の頃の葛藤は水に流し、踊り続ける。
勉強なんてしなくても学年10番目までに入れる学校全体の学力の低さ、自主練なんてしなくてもレギュラーを張れる部活の層の薄さ。
そして小学生時代に身に染みついた努力せず、自分にとことん甘くなることができる心の弱さ。
それが僕を堕落に誘い込み、甘い誘惑に溺れさせる。
運良く市内のトップレベルの高校に入ることができても、この自分の根底にある腐った濁りは消えません。
中学校までのメッキは剥がれ落ち、ただの凡人であることが露わになります。
運動神経には本当に恵まれていたのか、部活は順調なものの、学力は加工の一途をたどります。
最終的な順位は半分くらいのところをぶらつく。
そんな凡人の出来上がり。
努力なんてテスト前にちょっと勉強して、満足している。
あまりにも傲慢で横暴で我儘な凡人暴君です。
結局僕は大学受験には失敗し、地方の最底辺公立大学に入学してしまいます。
小学校、いや生まれた時から身についていたのかもしれない僕の性格は、何一つ変わることはなく、変えようとすることはなく、ただ時間に身を任せて行った結果、こんな捻くれモノになってしまいました。
結局は自分が悪いのです。
失敗を周りのせいにしていた俺よ、認めましょう。
今からでも遅くないです。
努力しましょう。
第三者の言葉なんて雑音です。
自分が自分に満足するくらい、努力しすぎだよ俺と思うくらい、その怠惰な心に抗って生きてください。
もうこんな僕みたいにはならないでください。
応援しています。
長くなったが果たして読んでくれたでしょうか。
きっと読まないでしょうね。
10年後、この手紙と同じ内容の物を書いてないことを祈ります。
拝見いただきありがとうどざいます。