11.エピローグ
春期休暇の間に、二人の婚約は成立した。
「まさか、父から婚前交渉を禁止されるとは思いもしませんでした」
ランプレヒトは不服そうに口端を下げる。二年の一学期が始まり、春の陽射しが麗らかな昼下がりだった。校庭の端にある東屋の空気は、気候ほどほのぼのしていない。
不満を露わにする彼に、ユーディットは曖昧に笑うことしかできない。両家とも反対なく、卒業後に婚姻する前提での婚約が交わされた。ただひとつ条件付で。
通常、娘側の親から希望するはずのことを、ランプレヒトの父親から厳守令としてくだされてしまった。理由は、自分がそうだったからという完全なる私情であった。自分の息子にその制限がないのは、癪に障るらしい。ユーディットの両親は、有力な侯爵家と縁ができるので、先に既成事実ができても甘んじる心づもりのようだった。
騎士の家系の者が婚姻前に純潔を奪うのは体裁が悪いなど、世間体で説かれるところを、そうしない彼の父親は変わっているとユーディットは思う。騎士団長を務める人間なので、もっと厳格な人柄かと思っていた。だが、実際にあってみると直感で生きる率直な男性だった。
それを論をもって納得させたのは、ユーディットが間接的に恩恵を受けている彼の母親だった。
彼女はユーディットに在学中に学ぶ意思があるのか確認し、ユーディットが頷くと、自分の息子に婚前交渉のデメリットをこんこんと説いた。女性側に負担がかかることや、万が一に身籠ってしまえば勉学に臨める状態ではなくなることを自身の経験をもとに言って聞かせるものだから、生々しい内容にユーディットが居たたまれなくなったほどだ。自分のことを思いやってのことなので、ありがたくはあり、ユーディットは口を挟めなかった。最終的に推し活のなんたるかに至り、ランプレヒトは母親に説得されたのだ。
禁止された婚前交渉は、接吻以上全般であった。なぜ接吻も駄目なのかとランプレヒトは抗議したが、兄のアルトゥルにそれで終われるのか問われ否と即答したために、彼の抗議は却下された。
そんな経緯により、二人は今手を繋いでいるだけだ。互いの指を絡ませた固いつなぎ方で、ユーディットにはそれだけでも照れくささを感じてしまう。婚約前にも送るときなどにされたことはあるが、勝手が違う。想いを確認しあったあとだからか、こうして触れられるだけでユーディットは幸せだった。
頬を染めながらも微笑む彼女をみて、ランプレヒトは諦めたように小さく嘆息する。可愛い。ささやかなことで幸せそうにする彼女が大変可愛い。進展したい気持ちは本心でしかないが、こんな彼女を愛でるのも一興だと思ってしまうのだ。
「最推しに迷惑をかけるのは本意ではありませんので、辛抱いたします」
「私もその方が、助かります」
「なぜですか!?」
少しぐらいは残念がってほしい。安堵をみせるユーディットに、ランプレヒトは理由を問うた。
「だって、推しカプが幸せになるのを見届けられないまま、自分だけ幸せになるのは信条に反するというか……」
ゆっくり心の準備をさせてほしいと思わなくもないが、年頃の男子にそれは酷なことだとユーディットも解る。そもそも彼に触れられるのは嫌ではないのだ。話しながらずっと手を繋いでいるのは、ユーディットも触れていたいからに他ならない。ランプレヒトほどではないだろうが、自分も我慢している。
己を律する理由として、ユーディットは推しているリーゼルとハルトヴィヒの関係をあげた。リーゼルを男性化して薔薇妄想に変換してみているところはあるが、一般的な男女としてもユーディットは二人の仲を応援している。自分が何かを我慢することで彼らの仲が進展するとはユーディットも思っていない。単に推し活の一環で、願掛けのようなものだ。推しているからこそ何かせずにはいられない。
ランプレヒトにとっても推しカプなので、ユーディットの気持ちは解る。いかにプラトニック傾向で百合を愛でる彼でも、さすがにあの二人は結ばれた方がいいと思っていた。ユーディットより長く、じれじれ両片想いを眺めていたから余計そう思う。
なにより自身の都合も発生してしまったので、ランプレヒトは思わず舌打ちしてしまった。
「っち、くっつかないと出られない部屋にあの二人を入れられればどんなにいいか……」
「なんですか? その萌えを感じる部屋は!?」
「概念の部屋なのですが、一定条件を満たさないと出られないと仮定して――」
ユーディットが萌え用語に食いつき、ランプレヒトがその解説をしだす。男女の関係になっても、二人の本質は変わらない。結局、そのあとは特定のことをしないと出られない部屋にどの推しカプを入れたいか、どういう展開になってほしいかなど互いの妄想を語り合うのだった。
これからもこんな日々が続くのだろう。どんな未来が待っていようと、彼が隣にいることはきっと変わらない。それが確信できる幸福を、ユーディットは噛みしめる。
卒業までに、何度か食べられそうになる窮地に立つとは、このときのユーディットは思いもよらなかった。
それでも、彼の手をとったことを、もう後悔はしない。誤りではなかったのだから。
fin.
どんな要素があろうと、女の子は女の子です。
どうか自分を大事にしてくれますように。







