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旅立ち


 

 松木修は苛立っていた。ヘビースモーカーで知られる彼は、二口程度、煙草を吸っては消し、

また新しい煙草に火を付けながら、総務部の若い社員に、癇癪を破裂さすように怒鳴りつけた。

「おい、大川先生は、まだ到着してないのか。」

「はい、先ほど秘書の方からご連絡がございまして、あと五分ほどでお見えになられるとのことです。」

「そうか。先生がご到着すれば、ご来賓の方々は全員揃うんだな。」

 そう信じ込んでいた松木は、その言葉が終わらない内に、その場を去ろうとしたが、背後から部下が、言い難そうに口を開いた。

「あの・・・専務。まだ五十嵐巧様がご到着されておりません。」

 すると、途端に前にも増して不機嫌な表情になり、

「なんだとー。あのクソ野郎、いつもいつも遅刻ばかりしやがって。それで、巧から連絡は入ったのか?」

「いえ・・・まだ入っておりません。」

「おいっ、じゃあのバカと打ち合わせできてないのか。」

「・・・申し訳ありません。」

「今日はおまえ、入社式だぞ。あのバカ、即興で何を話すつもりなんだ。巧の事務所や自宅には連絡したのか?」

「ご自宅にお電話しましたところ、奥様が一時間ほど前に家を出たと仰っておりました。」

「あと十分で開会なんだ。とにかく到着したら、直ぐに無線で俺に知らせろ。」

 乱暴な口調で去ろうとした瞬間、部下が声高に、

「専務、五十嵐様がお見えになりました。あっ、大川先生もご一緒です。」

 前方には初老で若干猫背の男性と、長身で、一見して芸能人としてのオーラを醸し出している若くてハンサムな男性が松木のことなどお構いなしで、悠然と談笑しながら向かってきた。

 猫背の男は、松木の心配を余所に、

「おー、松木君。遅くなってすまなかったな。」

 松木は到着時間を気にしながら神経質になっていたにも関わらず、揉み手をしながら慇懃な態度で、

「これはこれは大川先生、政務でご多忙の中、ご臨席下さり、社長はじめ役員一同、恐縮致しております。さっ、控え室で社長がお待ち申しておりますので、ご案内致します。」

「しかし君、入社式は二時からではないのかね。もうそんな時間はないだろう。」

「いえいえ。時間など五分や十分遅れても何ら問題ございません。それより、社長の上塚から大川先生がいらっしゃったら、時間は関係なく、控え室にお通ししろときつく言われておりますので。」

「そうかね。じゃ伺うとするか。」

 大川は松木に促されて歩いていたが、思い出したように、

「玄関先で巧とバッタリあってな。彼を起用したコマーシャルの効果はどうかね。」

「はっ、五十嵐君の爽やかさと、当社のマンションのイメージが見事合致して、営業促進に大いに役立っています。それもこれも、彼をご紹介頂いた大川先生のお陰です。」

 大川は満面に笑みを浮かべながら満足そうに、

「どうだ、松木君。ワシの勘に狂いはなかっただろう。」

「仰るとおりです。先生の眼力に今更ながら敬服致しております。」

「そうだろう、そうだろう。ところで、今年は何人採用したんだ。」

「過去最高の百九十五名です。偏差値別に見ても、一昨年辺りからグーンと上がってきており、かなり優秀な新卒者を迎え入れることができました。」

「そうか、後は株式上場だな。もう正式な日程は決まったのかね?」

「予定では年明け一月になる見通しです。これでやっと我が社も一流企業の仲間入りができます。それもこれも大川先生のご尽力のお陰です。」

「君も世辞が上手くなったもんだな(笑)。心配せんでも先行きはバラ色じゃよ。」

「ご期待にそえられます様、粉骨砕身、頑張る所存です。」

 松木は来賓控え室前で、静止すると、「こちらでございます。」と、大川を中へ促した。その際、五十嵐には、少し打ち合わせがあるからと、大川のみ部屋に入室させた。すると、厳しい顔つきで五十嵐の方を睨みつけた松木は、大川に対する姿勢とは対照的な態度に出た。

「この野郎、いつもいつも遅刻ばっかりしやがって。今日は打ち合わせをしたいから三十分前に来いと言ってたろうが。」

 五十嵐は、どうもこの松木が苦手らしく、面倒くさそうに「すんません。」と頭をペコリと下げた。しかし、その謝罪は、松木の感情を逆撫でした。

「なんだその謝り方は。テメエの業界じゃそんな謝罪しか出来ないのか。お前、今日喋ることちゃんと考えてきてるんだろうな。」

「専務、僕もプロですよ。任せておいて下さいよ。」

「調子のいいことばっかり言いやがって。テメエのCM契約なんていつでもボツに出来るんだからな。」

 明らかに感情的になっている松木に、今は何を云っても聞く耳を持たないだろうと判断し、

「申し訳ありませんでした。でも、話す内容は、もうまとめておりますので、どうかご安心下さい。」

 謝罪をしてはいるが、その根底に自信が見え隠れしているのを垣間見た松木は、じゃあしっかり頼むぞと、言い聞かせ、五十嵐を来賓のいる部屋へ入れた。

 入社式は予定より大幅に遅れていた。真新しい背広を着込んだ社会人の卵たちは、窮屈そうで、落ち着かない様子であった。最前列で、卸したばかりの紺色の背広に身を纏った立川悠樹は、自分がこの会社でいったい何をやるのかさえ、全く分からず、ただ、漠然と着座しているだけだった。

立川が関西の大学を卒業したのは、日本がバブル経済を謳歌し、猫も杓子も「株と土地」で実態の伴わない好景気に浮かれていた頃である。素人がマネーゲームに熱中し、企業は湯水の如く接待費を浪費し、街には高級ファッションブランドが溢れかえっていた。実質GDPは世界一になり、日経平均株価が三万円を越えるまでになっていた。

ロクな就職活動もせずに遊びほうけていた立川でさえも、入社試験を受けた全ての企業から採用通知が送られてきた。北浜にある中堅の証券会社、信州に本社がある製薬会社、郷里にある信用金庫、そして、東京に本社がある新興の不動産デベロッパー、その全てから内定通知を貰っていた。父親は郷里に帰って信用金庫への就職を望んだが、立川は東京のデベロッパーを選択した。しかし、その決断に昭和九年生まれの父親が烈火の如く反対した。父親はエンジニアとして地元の電力会社勤務で、堅実な生活を送り続け、三人の子供を育て上げた。当然息子にも堅い仕事をさせたかったが故に、いかに勢いのある企業であっても、父親にとっては、所詮成り上がりの不動産屋にしか写らなかった。しかし、立川を惹きつけたのは、業種というより、東京という街で過ごしてみたいという単純な欲求と、最近テレビコマーシャルで、頻繁に見かける社名に多少の興味があったのみであった。その程度の知識故、不動産デベロッパーがどんな仕事をしているのかなど皆目分かららず、また、深くも考えてはいなかった。ただ、この年代層においては、立川のみでなく、殆どの学生が、どんな仕事をしなければならないかということより、企業ブランドに比重を置いており、如何に名の通った会社に勤務するかの方が、彼等にとっては大切な判断基準だったからだ。しかし、数年後、その甘い選択をしたことが、彼等の人生を大きく狂わすことになろうとは露ほども感じていなかった。父親の猛反対を押し切り、立川が選んだ会社は、エースデベロッパーズという、主に分譲マンションを扱う新進気鋭の不動産開発業者だった。


「エースデベロッパーズ株式会社」・・・。一九七二年に東京で設立した新興の不動産デベロッパーだ。経営者の上塚弘明は、現在ではマンションデベロッパーとしては群を抜いての業界最大手に伸し上がった、株式会社大都出身であり、海のものとも山のものとも分からなかった大都躍進の中心的人物であり、最大の功労者であった。その後、若干二十九歳で退社し、僅かばかりの資金で、他社の売れ残りマンションの販売代理業務で実績を積み重ね、独立から2年後、ゼネコンと銀行の力添えもあり、一九七四年に念願の自社ブランド「ヨーロピアンレジデンス」を出し、その北欧風で瀟洒なイメージが受け、その後は怒涛の勢いで拡大路線を突き進み、生き馬の目を抜くと云われる不動産業界において僅か数年で奇跡的ともいえる成功を収めた企業だった。

社内は典型的な天皇制が敷かれており、役員も多数居るには居るが、実態は名目だけであり、全てが上塚の命令で動いているという極端なワンマン企業だった。ただ、業界の風評はともかく、一企業としては確実に成長路線に乗っており、創業十六年で、社員数千二百名・資本金二十一億円・売上高千三百億円を稼ぎ出しており、それまでのマンションデベロッパーでは、最大手の大都以外に達成し得なかった全国展開を成功させているのも大きな特徴だった。


八十年代後半の日本は正に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代であった。ウォール街では日本人が肩で風を切って闊歩し、ニューヨークやロスにおいては日本の大手不動産会社が次々とビルを買収し、ジャパンマネーの猛威を世界中に見せ付けた稀有な時代ともいえる。国内においても不動産ビジネスの狂乱は留まる所を知らず、特に東京は異常ともいえる上昇を毎年更新しており、都心の一等地においては坪一億円を超える事態にまでなっていた。中でも大きな社会問題になったのが地上げ屋の横行だった。狙いを定めた土地を買収する際には、大手不動産会社が最初に゛紳士的な脅迫゛で立ち退きを迫り、応じない相手にはヤクザが乗り込み゛力ずくの脅迫゛で退去させるということも頻繁に起こりつつあった。しかし、その強引なやり口の根底には、後方補給として銀行が、深く大きく関与していたことも紛れもない事実である。この時代において、日本があと二年で「土地神話」が崩壊し、奈落の底に突き落とされ、失われた十年を迎えるなど、企業も国民も予想だにしなかった。


立川が入社した八十九年は、そんなバブル経済の頂点であり、土地神話崩壊のプロローグを迎えた年でもあった。もとより不動産知識の欠片もなく、放蕩な大学時代を送った彼にとって、鬼神の如く成長したエースデベロッパーズの本質などは理解できる筈もなかった。しかし、それは立川だけでなく、入社した殆どの新入社員に概ね共通していたことである。そして、同年四月一日、銀座ロイヤルホテルにおいて八十九年度の入社式が行われようとしていた。

男女合わせて総勢百九十五名の新入社員が不安そうな顔を覗かせながら整列していた。大株主の挨拶、大手ゼネコンの常務、国会議員の儀式的な挨拶の後に、昨年からエースデベロッパーズのCMキャラクターになった五十嵐巧が紹介され、演台の前に立った。

五十嵐巧は、エースデベロッパーズの顧問でもある、衆議員議員・大川宗之のお膝元である、茨城県・水戸市の出身であり、芸能界にも大きな影響力を持つ、大川の子飼いの役者として、メキメキ兎角を現した俳優である。爽やかなキャラクターと確かな演技力を武器に、作品にも恵まれ、今や好感度では毎年、ベストテン入りしており、幅広い年代層から支持される俳優として、その人気は定着していた。そして昨年、美人アスリートとして、フィギアスケートのオリンピックで銅メダルを獲得して引退した、長崎恵と電撃結婚し、その新居として、エースデベロッパーズが開発した渋谷区松涛の一等地に建つ、「ヨーロピアンレジデンス・松涛グランドアーク」に入居した。そのグランドアークを紹介したのは、後援会長である大川宗之であり、それが縁で、エースデベロッパーズのCMキャラクターに抜擢された。

 演台の前に立った五十嵐は、別段緊張もしておらず、巧みな話術と、俳優としての演技力を疲労した。

「皆さん、入社おめでとうございます。エースデベロッパーズのマンションで暮らしている、俳優の五十嵐巧です。私たち俳優は、家を空けることが多い職業です。特に映画の撮影などでは、半年一年と長期間留守にすることだってあります。

私は昨年結婚しました。妻は、皆様ご存知のように、元スケート選手ですが、引退した今は、専業主婦として家を守ってくれています。私たちは、特殊といえば特殊なカップルかも知れません。妻にはアスリート時代の友人がいますし、私には芸能界の友人が大勢います。だから我が家は毎日のようにお客様で溢れ返ってます。

つい先日も、映画で共演した日本を代表する大物俳優さんが、うちに遊びに来ました。その俳優さんは、気難しくてめったに笑わないような人なんですが、妻の手料理を全部平らげた後に、持参したワインを二本も空けてしまいました。私も大先輩なんで、緊張しながらお相手をしてたんですが、なかなか帰らないんです。気がつくと夜の二時を回っていたので、私も少し心配になり、思い切って、「先輩、よろしかったら泊まって行きませんか。」といったら、「流石に眠くなったのでそうさせて貰おう。」といって本当に泊まってしまったんです。翌朝、その大御所は、「実に寝心地が良かった。こんなに熟睡したのは久しぶりだ。」といって、満足そうに帰って行きました。それから二ヶ月経って、今度は、その大御所から夫婦共々遊びに来ないかって誘われましたので、緊張しながら妻と二人でお邪魔したところ、なんとそこはエースデベロッパーズのマンション『ヨーロピアンレジデンス・レジェンド品川』だったんです。よくよく訊いてみると、「とにかく快適だったんだ。仕事柄、様々なホテルや旅館に泊ったけど、君のマンションが一番快適だった。だからこの歳になって、女房を説得して、このエースのマンションを購入したんだ。」といって笑ってました。

 私は嬉しくなって、その後は大勢の人に、エースのマンションを薦めています。どうか、皆様も自信を持って、エースデベロッパーズのマンションを普及していって下さい。家族が心底寛くつろげて、友人知人に誇りを持てるマンションはエースデベロッパーズのマンションしかありません。どうか自信を持って仕事に励んで下さい。」

専務の松木は、五十嵐の挨拶に胸を撫で下ろしていた。心配ばかりかけているCMキャラクターだが、やっぱり流石プロだと、若干ではあるが、五十嵐を見直していた。

式典は予定通り進んで行き、社長の上塚による挨拶でクライマックスを迎えた。挨拶というよりも宗教団体教祖による、説教のような内容であり、五十嵐巧の仄々(ほのぼの)とした内容とは打って変わって、社員には厳しい現実を自覚させるものだった。

鋭い目付きで登壇した上塚が、金屏風を背にして話し始めた。


 『皆さん、入社おめでとう。諸君もこれからいよいよ社会人です。この社会への船出をご親族を中心に大勢の方が喜んでいるのではないでしょうか。数多い会社の中から諸君が当社を選択し、当社も諸君を選択しました。これは概ね偶然がもたらした結果かも知れませんが、私は人と人との出会いは偶然ではなく必然と考えております。しかし、必然的な出会いであるにも関わらず、私は敢えて厳しい言葉を諸君に投げかけなければなりません。この百九十五名全員が十年後、二十年後に当社にいることは百パーセントありえないでしょう。はっきり言えば、一年後にさえ全員が辞めているかも知れません。

私はこの中で一人が残ってくれたら満足なんです。その一人とは誰なのか、それを決めるのはあなた方一人ひとりの結果でしかありません。辞表を出した人を引き止めることは絶対にありません。今、この場で全員が辞表を出しても快く受理します。何がいいたいのか?聡明な皆さんであればもう気付いていることでしょう。そうです、皆さんはたった今、企業という戦場に降り立った戦士なのです。ビジネスというのは食うか食われるかしかありません。そして一人も戦死者を出さない戦争などはあり得ません。誰が最後に勝ち残るのかは分かりませんが、勝ち残った者は必然的に経営幹部として新しいエースデベロッパーズを牽引する立場になる訳です。

若い皆様にこのような過激な発言は不適切かも知れませんが、あえて申し上げます。世の中は極端にいえば小数の「使う人間」と大多数の「使われる人間」に大別されます。私は諸君に「人を使う人間」として大成して欲しいんです。もし、諸君がサラリーマンになったという意識を持っているとすれば、その意識を今すぐに捨て去って頂きたい。また、当社には世襲という制度はありませんので、誰でもトップに立てるという社風です。創業以来、徹底した実力主義を貫いたからこそ今日があります。しかし一瞬の気の緩みが命取りになるのがビジネス社会というものです。ひたすらアクセルを踏み続けることしか生き残る術はないということです。そしてこの中から次世代の経営者が現れて欲しいと、これは心底思っておりますし、また出てこないことには当社の未来はありません。

 今現在、当社は経営計画を超える実績を積み重ねております。実績が予算を下回ったことなど一度もありません。この成果に対してはメイン銀行である共栄銀行はじめ各取引銀行から大きな信頼を得ております。

現在は最大手である大都に次いで業界二位までに成長しました。しかし問題なのは未来です。口幅ったいようですが、ここまでは私一人の裁量でやってきたといっても過言ではありません。しかしこれだけ会社が大きくなると、今後も私一人で会社を動かすことは不可能です。より一層組織を有機的・機能的に改革していかなければなりません。私は種をまく担当の役割を得ました。そして広範囲に種を植え付けてきました。しかし育てるのは諸君です。そして刈り取るのも諸君であって、刈り取った後に違う種をまくのも諸君の仕事です。そしてエースデベロッパーズという畑をもっともっと大きくして頂きたい。

皆さんにお約束します。当社は来年早々にも、東京証券取引所二部に株式上場を目指しております。主幹事である証券会社からは、数年前から今直ぐに上場しても、高い株価が予想されますと、嬉しい言葉も頂いております。しかし、私は常時厳しい見方をする人間ですので、中途半端で株式上場はしたくありません。上場するからには明確なビジョンが必要ですし、十年先を見据えた経営戦略なくして株式上場などしようものなら、迷走することが目に見えているからです。しかし、ここに来てやっと機は熟したと思えるようになってきました。後は更なる付加価値を付け続けることで、安定した高い株価を保つことが可能となります。現在、着々と株式公開に向けて準備が整っております。絶対に諸君の期待以上の企業に変貌することを約束致します。

 最後になりましたが、私から諸君に送る言葉を伝えます。「どうせ一度の人生なんだから、勝って終わる人生にしましょう。」諸君の頑張りに大いに期待しております。』


 上塚の言葉には歴戦の兵にしか発することのできない圧倒的なオーラがあった。その証拠に不安な顔立ちで整列していた新入社員の顔立ちが、この社長挨拶で、心なしかキリッと引き締まったのも事実だ。最前列に着席していた立川悠樹も、生まれて初めて接する業界の風雲児の言葉に度肝を抜かれていた。具体的数字や企業理念・経営計画等は全く語らず、新卒者に対してモチベーションを上げるのみの訓示であった。

 式典後は盛大な懇親会が行われた。この宴には、芸能界・スポーツ界・政財界等から大勢のゲストが参加し、有名人と初めて接する新入社員は、驚きの表情を隠せずにいた。代表して挨拶に立ったのは、元横綱で、今や角界を代表する相撲部屋の親方だった。この親方が率いる部屋は、上塚が後援会長を努めている関係で、エースデベロッパーズの催す式典には常時顔を出しており、その都度「上塚社長の《努力と根性》は我々のように勝負に生きる者にとっては良き手本であり、目標でもある」と持ち上げていた。今回もまた、同じ台詞を新入社員に送ったが、この親方の本音は、新入社員へ向けられていたのではなく、上塚個人への社交辞令そのものであった。

芸能人とも積極的に交流を続けており、子飼いの役者をスポンサーになっているテレビ番組へ斡旋もやれば、一等地に建った自社マンションに゛今が旬゛の芸能人達を入居させている。また、政界においては与党民政党の第二派閥の領袖である大川宗之を顧問に据え、多額の献金を惜しみなく出し続けていた。この有名人との交流は上塚が単に派手好きという訳ではなく、彼なりの周到な計算の上に成り立っており、互いが要求されたこと以上のことをすることで、その結び付きはより一層強いものになっており、今回の新入社員の懇親パーティーにおいても、単なる顔見世ではなく、自らが進んで新入社員と積極的に懇談し、ゲストの口から新入社員にエースデベロッパーズの素晴らしさと、上塚の経営者としての素晴らしさを新入社員に伝えていた。

 宴も終盤に差し掛かった頃、新入社員の代表挨拶になった。挨拶に立った古木敬一郎という新入社員は、別段緊張する素振りも見せず、堂々としていた。キリリと引き締まったその顔つきは好男子ではあるが、一見して一癖あるように見え、新入社員なのに永年実績を積み重ねてきたような貫禄をも兼ね備えていた。外見同様に新卒者らしくない言葉が発せられた。

 「本日は私ども新入社員のために、このような神聖且つ盛大な宴を催して頂き、新入社員一同、深く感謝致しております。式典においては上塚社長より生涯忘れられないお言葉を頂戴しました。今はこの百九十五名全員が、最後に残るのは自分だと思っているのではないでしょうか。明日からいよいよ新入社員研修に入ります。もうギアは切り替えられました。企業人として、いや企業戦士として、思う存分戦っていきたいと思います。本日は本当に有難うございました。」

 古木の短い言葉に上塚は至って満足そうな顔立ちで微笑んでいた。


 翌日から信州の禅寺にて、約二週間に及ぶ新入社員研修が行われた。研修メニューは豊富であり、若い彼等としたらかなりハードな内容だった。


  五 時 ・起床(洗面・部屋の掃除)

  五時半 ・運動(約五キロの山道をランニング)

  六 時 ・朝食(原則として食べ残し禁止)

  六時半 ・座禅(精神力の強化)

  七 時 ・書道(集中力の強化)

  七時半 ・住職の説教(生きることの意義)

   休 憩

  八時半 ・論文(社会人として)

  九時半 ・討論(企業人として)

  十時半 ・発表(代表者発表その後意見交換)

  十一時半・昼食(原則として食べ残し禁止)

   休 憩

  十二時半・運動(団体競技)

  十四時 ・清掃(寺院の清掃)

  十六時 ・座禅(精神力の強化)

  十七時 ・準備(食事・風呂・買い物)

  十八時 ・夕食(原則として食べ残し禁止)

  十九時 ・入浴(最後は風呂掃除)

  二十時 ・討論(テーマを決めて各テーブルにて討論)

  二十二時・就寝(外出絶対禁止)


 このメニューを見た、新入社員は概ね批判的だった。精神論が余りにも誇張されていたからだ。しかし正面切って批判する新入社員は居るはずもなく、受け入れる他、術はなかった。部屋は四人一組となっており、立川は糸原、楠木、正岡という三人の新卒社員と同室になった。皆、初対面故、最初はかなり緊張していたみたいだが、そこは同い年故、三十分もすれば打ち解け、色々な話をするような間柄になっていた。

 研修初日の夜、全てのメニューが終わったのは九時を少し過ぎていた頃だった。糸原が立川に話しかけた。

「なんか、大学の体育会的な空気を感じないか?」

「体育会に入ったことはないけど、こういう経験は初めてだから結構疲れるね(苦笑)。」

「うちの親が言ってたけど、不動産会社って、世間的には、なんか如何わしい業種って思われてるそうだよ?」

「よく分からないけど・・・やっぱりそうなの?」

「土地取引とかヤバい筋の人が関わっているって聞いたけど・・・。」

 横で聞いてた小柄でひ弱そうな楠が割り込んできた。

「うちの親も不動産屋に就職することにかなり抵抗があったみたいだよ。なんだか業界そのものが認知されてないんだろうね・・・。正岡はどうなんだ?」

 正岡久という、見るからに頭の良さそうな青年が皆とは違う意見を口に出した。

「別に違法なことをしてる訳じゃないし、『衣食住』っていう人間にとって最も大切な役割を担ってる仕事なんだから、逆に胸を張って営業を進めていったらいいんじゃないか。要は働いてる人の意識の問題だよ。例えば、ゴミを収集してる人の仕事だって、世間一般的にみれば、地位の低い仕事に見えるかも知れないけど、その人の意識が、地域の環境改善に尽くしているという目的を持っていたら、その仕事はとても誇り高いものに繋がるじゃないのか。」

 この正岡の言葉に、三人が若干救われたような気持ちになっていた。そんな正岡だったが、彼にも苦しいことがあったらしく、本音をポロリと漏らした。

「それにしても、朝五時に起こされて山道を走らされるのは正直嫌になるな(苦笑)。」

 運動が苦手の楠は、首を大きく上下に振り、搾り出すように同調した。

「そうだよ。今の時期、朝の五時なんて真っ暗だし、めっちゃ寒いもんな。俺、運動が苦手だから置いてけぼりになりそうで・・・ちょっと怖いよ・・・。」

 不安そうな楠に、正岡が手を差し伸べるように云った。

「大丈夫だよ。俺が一緒に走ってやるよ。別に陸上競技やってる訳じゃないんだから。」

「ホントか?」

 楠は縋るような顔で正岡を覗き込んだ。その言葉に正岡は、

「本当だ。だから安心しなよ。」

 と笑顔で応えた。


研修はじっくり二週間に渡って行われた。彼等には長い時間だったようだが、人間、二週間で本質が変わる筈もなく、参加した社員の殆どが、とにかく早く終わって欲しいという願望のみの二週間だった。しかし、成果がなかった訳でもなく、大学時代に染み付いたダラダラした生活から、規則正しい生活になっていたのは大きな変化だった。


 東京に帰ってからの寮生活は慣れぬ東京暮らしというのも相成って、苦痛の連続だった。板橋区東武練馬の寮から、勤務地の日比谷までは優に一時間以上かかる。午前六時半に起床したあとは、駅前のファーストフードの店に飛び込んで軽く朝食を摂り、異常とも思える満員電車に揺られ、オフィスに着くのは八時半頃だった。

実務面における新入社員研社は、他社と大きく違い、約三ヶ月間に及び、徹底的に専門的な知識を叩き込まれる。企業としてはこの間、彼等から得る利益はゼロであるが、中途半端を嫌う上塚の厳命によって五年前からこの制度が実施されていた。余りの厳しさ故に、毎年この三ヶ月間で辞職していく新入社員がいることも悲しいかな事実である。

立川が配属になる営業部のカリキュラムは、各部所の中でも最もハードだった。午前中は宅建業法・権利関係・民法・仕入れ・契約方法・業界分析等の講義があり、午後は、より実践的な営業、接客・マーケティングに関する強化の連続だった。手が抜けないようなシステムなので、サボることは全くできない。講義の後は、本当に覚えているか否かの質問責めがあり、間違った回答や、覚えてない場合は雷が落ちることも頻繁にある。

三日を一区切りとして、四日目は試験があり、九十点以下の者には終業後に補修講座があり、その後に再試験をやり、全員が九十点以上の成績を上げるまで徹底的に行われる。僅か三ヶ月という期間だが、このような密度の濃い研修なので、現場(配属先)に出る七月一日には全体的にかなりレベルアップしており、OJTオン・ザ・ジョブ・トレーニングを取り入れている他社の新入社員と比較しても、圧倒的に成熟度合いは違っていた。


立川悠樹の配属先は「本社営業一部一課」になった。本社には営業部・事業部・宣伝部・総務部・経理部・人事部・秘書部・経営企画室・IPO準備室等があり、本社営業部は第一営業部から第五営業部まであり、ひとつの部に三つの課があり、平均して一つの課に課長一人、係長一人、主任一人、四人の課員がいて、特徴としては、若い順に優秀な人材がいるというシステムになっている。この仕組みから考えると、立川が配属された、本社営業一部というのは、精鋭揃いの人材がいるということになる。ただ、新卒者なので、ある意味事務的に配属された感は歪められない。

 エースデベロッパーズの本社は、日比谷公園西側に三年前に完成した、パシフィックタワーの十五階から二十階の六フロアーを借りており、家賃の高さで定評のあるパシフィックタワーにおいて、最も占有面積の広い企業である。この半額以下の賃料を払えば、都心に現在の二倍の広さの部屋を借りることはできるが、上塚があえて新しい東京のシンボルである、パシフィックタワーを選んだのは、顧客と世間に対する信頼を得るということと同時に、優秀な人材を発掘するためのリクルート活動にも繋がっていた。営業本部は十五階から十七階の三フロアーを占有している。また、札幌・仙台・金沢、名古屋・大阪・福岡に支店網を拡げており、それ以外の地方都市には営業所が五ヶ所あり、各営業所は支店管轄で、各支店は本社が統括している。

また、関連企業として数社の経営に携わっていた。


 エース管理

(主に自社物件の管理業務)

 エース商事

(備品・消耗品・家具等の一括購入)

 エースファイナンス

(頭金等の融資)

五島建設

(昭和二年創業の中堅建築会社・昭和六十年にエースデベロッパーズが買収)

 アトランティックリゾート

(リゾート施設のメンバーズクラブ)※資本参加

 九条ゴルフ倶楽部

(千葉県、茨城県、兵庫県で所有するゴルフ場運営)※資本参加

 ナショナルホテルズ

(沖縄、札幌、横浜等のビジネスホテルの運営)※資本参加


立川の配属先の本社営業本部一部一課は常時営業成績は全社一位をキープしており、他を寄せ付けぬ、圧倒的な実績を残していた。かなり高いノルマを達成しなければ出さない「社長賞」を頻繁に受賞している部署でもある。それ故、スタッフも個性的な猛者揃いだった。

第一営業部長の石原健三は、部長と云っても未だ四十一歳である。物腰の柔らかさ、落ち着いた口調、堂々たる体躯、他の追随を許さぬ実績等もあり、まさに悠揚迫らぬ風貌を兼ね備えた男性であり、エースデベロッパーズにとっては、将来を約束された人物であり、社長の上塚弘明の懐刀的存在である。自他共にそのことを強く意識してはいるが、昨今は出来上がった自分というイメージを演じることに若干疲れているようでもある。現在営業一課・二課・三課を取りまとめる立場にあり、取締役就任寸前との噂もあるし、十年後の社長候補最右翼でもある。

 課長の木之元薫は三十二歳で、元々東京六大学で野球をやっていたという、根っからの体育会系であり、あまり細かなことは言わない変わりに、強引な営業手法で短期間で記録的な営業成績を上げ、若くして課長になったこの世代の出世頭でる。しかし、単細胞のように見えて、自分の将来の為には誰に付いたらいいのかを見極める力は備わっており、部長の石原を゛今のところ゛兄のように慕っている。ハードな仕事の反動で、ここ数年で十キロ近く太ってしまい、最近はダイエットに励んでいる。

 係長は二十九歳の赤嶺譲治といい、沖縄の出身である。赤嶺は辞表を二度ほど出しているが、上司の木之元が赤嶺の潜在的能力を見抜き、そのはからいで、部長の石原まで辞表が回らず、今日に至っている。誰であっても辞表は受理するという社風を唱えてはいるが、現実は表向きとは若干違うのが実態のようだ。神経質なところもあるが、不思議と人に好かれる得な人間性を持ち合わせている。

 主任は二十七歳の原嶋孟という岩手県出身の瘦せぎすの男で、東北特有の粘りがあり、彼が関わる契約にスマートなものは殆どなく、何度も上司が駄目出しをし、見込みなしと見放した相手に辛抱強く関わり、最終的には「君だから契約したんだ!」と言わしめた契約が数え切れないほど多いのが特徴だ。無口なだけに何を考えてるのか分かりにくく、「座頭市」という渾名を課長の木之元から拝命されている。

課員は大垣新作、徳武陽一、夏木渉の三名がいて、皆二十代前半から半ばの独身で、モーレツ社員になることを表面的には嫌がる素振りをしてはいるが、実態は三人共強烈なライバル意識を持ち合わせている。しかし、共通する悩みは、若いだけに女性と交際する時間がないということだ。一番若い夏木渉などは、母親が病院に担ぎ込まれたという虚偽の理由で、会社を早退し、大学時代から交際していた女性とのデートを楽しみ、深夜のカフェでたまたま居合わせた部長の石原と鉢合わせし、激昂した石原から馘首かくしゅを言い渡されたが、涙ながらに訴え、年齢のこともあって温情を受けるに至っている。

大垣と徳武は偶然にも大学の先輩後輩の関係にあるが、営業成績は一年後輩の徳武の方が優れている関係で、人間関係はギクシャクしており、大垣の陰湿なイジメに徳武が辟易としている現状だ。

 そんな環境の中で迎えた七月一日、研修を終えた立川が配属先に現れ、精一杯の声を張り上げ、皆に挨拶した。

「おはようございます。昨日新入社員研修を終了し、本日より営業本部一部一課に配属になります立川悠樹です。一日も早く戦力になれるよう努力いたしますので、何卒よろしくお願い致します。」

儀礼的ともいえるような挨拶ではあったが、あまりにも緊張気味の立川を見て、課長の木之元が殊更明るくひょうきんな言い方で「期待してるぜ、ルーキー!」とあえて乱暴に肩を叩いた。緊張のレッドゾーンに入っていた立川は幾分救われたような気持ちになった。

その日から本格的な営業活動が始まった。本社が担当する関東圏での分譲物件は、都心で七棟、都下で五棟、東京身辺の横浜、千葉、埼玉を合わせると、計二十棟を超える分譲を行っている。

分譲マンションの営業手法は大別するとテレビ・ラジオ・新聞・雑誌等のマスメディアを使い、潜在的な顧客をモデルルームへと誘導する方法と、主に高額所得者への投資目的のために勧誘する電話営業がある。それ以外には駅前でチラシを配ったりする原始的な方法もあれば、高校・大学の卒業名簿を搔き集め、自宅や勤務先に勧誘の電話をしたり、物件近くの賃貸マンションに居住している人の帰りを待っての飛び込み訪問をしたり、一度契約して頂いた顧客から次の顧客を紹介してもらう方法等がある。要は売れさえすればどんな方法でも構わないということだ。

そして、販売物件を一日でも早く完売することで、宣伝広告費や人件費が補え、結果的に利益率向上に繋がるということだ。そんな中、誰もが嫌がるのが飛び込み訪問だった。見ず知らずの家庭を訪問するのは新卒者にとって大変なプレッシャーである。しかし、会社もこの飛び込み訪問で成果を期待している訳ではない。一番嫌な思いを何度も繰り返させることで、度胸を付けさせるという極めて単純な図式である。

 立川が一番最初に携わったのは電話による営業活動である。高額所得者への電話でのアプローチであるが、この業務も科学的とはいえず、砂漠で針一本を探すようなものである。研修で話し方の基本は教わっていたし、何度かシュミレーションを行っていたが、本番となると流石に緊張を隠せなかった。八十七年度「東京都高額所得者名簿」にて闇雲に電話をかけてみたがまともに相手にしてくれる人は一人もおらず、中には虫けら同然のような対応をされ、叩き切られることも多々あった。百本を越えた頃からは耳鳴りがし始め、業務の終わった午後九時頃には精根尽き果ててしまい、実務は初日なのに逃げ出したい衝動に駆られていた。

 ミーティングが午後十時頃に終わり、報告書をまとめていると退社は午後十一時前になっていたが、新入社員研修で相部屋になっていた他の営業部に配属された三名と近所の居酒屋で一杯やることになっていた。心身ともに疲れていたので、本当は断りたかったが、他の人たちの情報も知りたかったから、重い足を引きずりながら約束の店に着いたら、他の三名は未だ到着してなかった。

取り合えずビールを注文し、胃袋に流し込んだら、疲れきった臓器に慈雨が染み込むような感じを味わった。十一時を過ぎた辺りに全員が揃い、その日一日の感想を言い出した。

口火を切ったのは大学でアメフトをやっていた糸原という巨体を誇る男だった。糸原はその巨体に似合わず繊細な神経をしており、悲壮感漂わせながら呟いた。

「この暑い中、飛び込みセールスをやらされて、白山の物件近くの賃貸マンション十棟を回ったんだけど、昼間は人がいないんだよ。そんな時にはチラシを入れておくんだけど、途中からなんだかエロチラシを入れているみたいな卑屈な気持ちになってしまって・・・。それにたまに在宅してても、何千万もの金を出して新築マンションを購入しようかって輩は皆目見当たらなかったよ。途中で余りの暑さに脱水症状を起こしそうになり、何度水分補給をしたか・・・それにしてももっと科学的なやり方がないのかなー。」

糸原の言葉を横で聞いていた正岡という日焼けして凛とした顔立ちの男が口を開いた。正岡は新興デベロッパーには珍しく、東京の超一流大学である慶陽大学出身であり、新入社員研修においても理解力は随一で、あらゆる局面でリーダーシップを発揮しており、試験も三ヶ月間連続してトップを維持していた。それだけではなく、正岡は研修について来れない同期の何人かにも、仕事帰りや、社員寮で根気強く教えてやっていた。その正岡から思いがけない言葉が出た。

「俺はもう辞める・・・。」

 いきなりの言葉に全員が驚き、立川が問い質した。

「辞めるって、一体どうしたんだ。」

「どうもこうもない、辞める。ただそれだけだ。」

「だから理由は何だよ。」

「いちいち理由をお前に説明しなきゃならないのか!」

 普段は挑発的な言葉など出さず、朗らかで面倒見の良い男だと知ってるだけに、明らかに感情的になっている正岡に驚きながらも、

「そんな、喧嘩腰になるなよ。心配してるから訊いてるんだ。」

「俺の人生を俺が決めるのに、他人のお前に心配して貰う筋合いはない。」

正岡の口からこんな台詞が出るとは、夢にも思ってないだけに、その場は一瞬にして凍りついた。立川は、余程のことがあったんだと考え、敢えて反論はせずに、優しい口調で云った。

「何があったかは訊かない。しかし、折角三ヶ月も一緒に頑張ってきたのに、寂しいじゃないか・・・。」

「・・・。」

重い空気を振り払うように、正岡と一番仲が良かった、小柄な楠木が、口を開いた。

「正岡、お前慶陽大学だったよな、それも法学部だ。私立大学の中でもトップレベルなのにどうしてエースに入社したんだ?有名メーカーや国家公務員や法曹界とか選択肢は色々あったんじゃないのか。」

「そんなの俺の勝手じゃないか。」

「勿論そうだ。俺なんかはぎりぎりで採用された口だけど、お前は絶対トップ採用だ。その証拠に配属だって本社営業一部になっている。それに研修の時だって挫けそうになる同期の面倒を一番見ていたのがお前じゃないか。俺は他の誰よりお前と一緒に仕事がしたいんだ。」

 この楠木の言葉にやっと重い口を開いた。

「・・・ヤクザに三時間近く監禁されてたんだ。」

「えっ!」

 思いもよらない言葉に一同が驚愕していた。

「どうして・・・。」

「六本木に出してる物件のセールスで、近隣の高級賃貸マンションにアプローチしたんだけど、その内の一軒が、暴力団の幹部らしき人が住んでいて、全身に刺青をしたその男が、買ってやるっていうんだ。結構です、失礼しましたって出ようとしたら、強引に中に入れられ監禁されてしまって・・・。」

「暴行されたのか!」

「いや、脅迫じみた言葉のみで直接暴力を受けた訳じゃないんだ。」

「上司には報告したのか?」

「ああ。でもそんなことは日常茶飯事だって涼しい顔だったよ。」

「酷いなー。三課の課長の藤谷さんか?」

「ああ。でもいいんだ。もう決めたことだから。」

「警察に相談したらどうだ。脅迫罪になるんじゃないか。」

「警察に行くと云ったら、「やめとけ」の一言だったよ。それに・・・。」

「それに何だ?」

「そんなことより、ノルマはちゃんとこなしたのかって追求されてしまった(苦笑)。」

チビの楠木が怒り心頭で、立ち上がるや否や

「なんだよそれ!ふざけやがって。」

と、叫んでいた。しかし、全て話して気が楽になったのか、正岡は冷静な顔で、

「とにかく短い付き合いだったけど、お前等のことは忘れないから、また気が向いたら呑みにでも行こうぜ。」

 居たたまれなくなった立川が、

「そんな冷静な顔で云うなよ。何のために三ヶ月も苦しい研修を受けてきたんだ。それにお前が居なければ、少なくとも確実に十人以上の落伍者がでてたんだ。なのになんでお前が一番最初に辞めなきゃならないんだ。俺が一緒に警察に行ってやる。今から行こう。」

 その場に居た他の二人も立川に同調し、今から行こうと言い出した。しかし、そんな声を遮るように正岡が言った。

「ヤクザに腹が立ってる訳じゃないんだ。会社の社風がどうにも我慢できないだけなんだ。さっき楠木が何故この会社に入社したか俺に訊いたけど、単純にエースのマンションが好きなだけなんだ。たまたま親戚が世田谷でエースのマンションを購入しており、遊びに行ってるうちにこんなマンションを分譲している会社で働きたいと、思うようになっただけなんだ。」

 黙って聞いていた糸原が、

「だったら辞めるなんていうなよ。一生あの課長の下って訳じゃないんだから。」

「いや、概ね同じなんじゃないのか。今考えると、社長が入社式で云ってたことにも繋がるしな。結果を残すことのできない社員以外は全部切り捨てていく社風には凄い抵抗感があるし、それにどうせ転職するなら中途半端じゃなく今直ぐ辞める方が傷も浅いしな。」

 なんとかしたいと思いつつも若い彼等には具体的な方策は見つからなかった。そうこうする内に終電の時間となり、互いの寮が反対方向だったので、後ろ髪を引かれる思いで別れた。しかし、立川は、このまま社員寮に帰る気持ちになれなく、踵を返すと走り出しながら、正岡を追いかけていた。すると、そこには既に楠が居て、必死に正岡に思いなおすよう懇願していた。

「俺、チビで、勉強も運動もさっぱり出来ないから、この歳になるまで親友なんて一人もいなかったんだ。この会社に入った時も、会う人全てが怖くて怖くて・・・。誰にも相手にされずに、いつも人から馬鹿にされてたのに、入社以来、お前だけはいつも俺の隣にいてくれた。正直不思議だったんだ。一流大学出て、こんなにかっこいいのに、どうしていつも俺を庇ってくれるんだろうって・・・。」

 この心の叫びに、流石に言葉を失いかけていた正岡だったが、

「楠、もうお互い社会人だよ。誰かがいないと何も出来ないじゃ通用しない年齢になってるんだぜ。それとな、お前は勝手に自分を過小評価してるだけだ。研修だってなんだって、結果はともかく、一番真摯に立ち向かっていたのはお前じゃないか。もっと自信を持てよ。」

 正岡の励ましの言葉も楠には通じなかった。

「一緒に居てくれ・・・。頼むよ・・・。」

 困り果てている様子が、立川にも痛いほど分かっていた。よく見ると、楠は涙を流していた。そのまま正岡を辞めさす訳にはかないと思い、立川は、二人の間に割って入った。

「正岡、やっぱり辞めたら駄目だ。お前も男だったら、楠の気持ちを分かってやれよ。もし、明日辞表を出したら許さないからな。」

 まるで三文芝居の台詞のようで、説得力というには程遠い言葉だったが、立川なりの愛情を込めたこの投げ掛けに、正岡は寂しい笑顔で応えていた。


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