短冊狩りと冷やし中華
天の川を渡り、空からお客がやってきた。店を閉めようとしていたマアトは急いで看板に明かりをともし、入り口を箒で掃き清めた。
「いらっしゃいませ! 美容室のダンジョン開店中です」
「こんにちは。すごく七夕っぽい髪型にしてほしいの」
空から降りてきたのは、マアトと同じくらいの年頃の女の子だった。長い髪をツーサイドアップに結い、きゅっと上がった瞳は悪戯っぽく輝いている。
マアトはあっと声を上げた。
「あなた前にも来たわね。確かカワウソを連れてた」
「そうそう! これ、カワウソからお土産よ」
女の子はバッグの中から魚取り網を出し、とれたての鮭を差し出した。マアトは丁寧に受け取ったものの、生の魚をどうしていいかわからなかった。
女の子は恐れもせずに入口をくぐり、暗い階段を飛ぶように降りていった。
「お客さま、まずはシャンプーのフロアに」
「りん子でいいわ。その魚、凶暴だから気をつけて」
聞き終える前に、魚はマアトの手から跳ね上がり、びちびちと暴れて頬を打ち、空へ泳いでいってしまった。
* * *
「今夜はいろいろやることがあるの。まずはいつもの男の人と会うでしょ。それから麺を茹でて、はぐれた星を拾ってゼリーにして」
「なるほど。七夕デートね」
「デートじゃないわ。行事よ」
りん子の髪を洗って乾かしながら、マアトは部屋に飾ったカットモデルの写真を見回した。七夕らしい髪型といえば、やはり頭の上で二つの輪を作るスタイルだ。お姫様らしく耳の横にひとふさ残すのも良いだろう。
「いつもは凝った髪型なんてしないの。朝の三十分は貴重だから」
「ふうん。今時の織姫は現実的なのね」
「織姫?」
りん子は笑い出した。猫の首につけた鈴のように軽やかな声だ。
「私、織姫じゃないわよ。機織りなんて苦手中の苦手だし、友達の着物を借りたらすっ転んで仏像に踏まれるし、気づいたら山のふもとでバラバラになってるし」
「前言撤回。めちゃくちゃ非現実的ね」
マアトは櫛と鋏を両手に持ち、内心どきどきした。
モンスターや精霊、山姥など不思議なお客が多いこともあり、神話や昔話は一通り読んでいる。
今の話が本当なら、りん子の正体は天邪鬼だ。美しい姫を騙し、嫁入りを邪魔しようとした挙句、殺してしまう悪い女の鬼。不動明王に踏まれる姿は現代の仏像にも残っている。
マアトは首をかしげる。
雑誌をめくり、これも好き、こっちも素敵、と目を輝かせるりん子はとても素直で可愛らしい。反対のことばかり言って人を困らせる天邪鬼とはまったく違う。
マアトの心を読んだように、りん子はちらっと目を上げた。
「天邪鬼の仕事って、本当はいくつもあるのよ」
ここはダンジョンの地下三階だ。見えない空を懐かしそうに見上げ、りん子は言った。
「私は天気を読むのが専門。今夜は晴れるから短冊狩りができるわ」
「短冊狩り?」
「そう。近所の家を回って、願い事しなきゃお菓子を食べるぞー! って脅かすの」
マアトは笑った。
お姫様でも天邪鬼でも関係ない。りん子に似合うのは淑やかな織姫ヘアではなく、もっときらきらと華やかなスタイルだ。
「前髪少し切ってもいい? 毛先を巻いて、天の川みたいに動きをつけて……」
「任せるわ。ここにある写真、全部マアトが考えたヘアスタイルでしょ? あの猫耳カットも、透明なスライムみたいなのも可愛くて好きよ」
それは本物の猫とスライムよ、と心の中でつぶやき、マアトはりん子の髪に鋏を入れていった。
* * *
程なくして、りん子の髪型が出来上がった。
ツーサイドアップの形を残しつつ、結ぶ分量を増やして動きをつけ、トップには五色の星のピンをちりばめるように飾った。後ろ髪は肩の上で外側に跳ね、毛先まで艶やかだ。
「可愛い! さっそく出かけるわ」
「待って。いいものがあるの」
マアトは三つ下のフロアへ降り、金魚帯を二本持って戻ってきた。子供の浴衣に合わせるような明るいピンクと赤で、どちらもマアトが縫ったものだ。
「これをベルトみたいに巻くと、普通のワンピースが浴衣みたいに見えるのよ」
「ありがとう! お揃いで巻きましょ」
りん子はピンクの帯を素早くマアトの腰に巻き、残った赤い帯を自分に巻きつけた。
その素早い仕草は、天邪鬼がお姫様と着物を交換する絵本のシーンとどこか似ていた。
二人で帯を直し合い、鏡を見ていると、地上から呼ぶ声がした。
「マアトー! 短冊狩りに行こう!」
元気の良い、聞き慣れた声だ。マアトとりん子は顔を見合わせ、階段を登っていった。
入口には、友達のタイガと水野が来ていた。夜空のように真っ黒なウナギにまたがり、小さなぬいぐるみのブタを連れている。
「みんな揃って……どうしたの? 今日は仕事で帰れないんじゃなかったの」
「そのはずだったんだけどさ。水野さんが短冊狩りだって言うから」
二人は掃除ギルドでダンジョン清掃の仕事をしている。タイガは作業着のままだが、水野は黒い帽子と星模様のケープに着替えていた。
久しぶり、と水野は小さく手を振る。マアトの横で、りん子は頭の星をしゃらしゃらと鳴らした。
マアトは両手をぱちんと合わせた。
「りん子のデート相手、水野さんだったのね!」
「デートじゃないわ。行事よ」
りん子はさらりと答え、黒ウナギによじ登った。水野のそばではなく、タイガを押しのけて一番先頭に乗った。
「そういうこと。マアトも行こうよ」
水野は黒ウナギのヒレを引っ張り、マアトがつかまれるようにした。ぬいぐるみのブタはタイガの膝からりん子の頭に飛び移り、星を踏んでぴょんぴょん跳ねている。
「全員乗ったか? 落ちても拾わないぞ」
人使いが荒い、ウナギの稚魚の正式名称も言えないくせにとぶつぶつ言いながら、黒ウナギは空へ舞い上がった。
先頭にりん子とブタ、すぐ後ろにマアト、その後ろにタイガが座り、水野は尻尾のそばに立ってケープをなびかせている。
空には天の川が柔らかく流れ、いくつもの星が呼び合うようにまたたいている。街を見下ろすと、ダンジョンの明かりが遠ざかり、星を映した鏡のように散らばっている。
マアトは黒ウナギの背中につかまり、夜風を全身に受けた。
* * *
水野が金平糖を撒くと、ふわふわと短冊が寄ってきた。地上からも、遠くの空からも、雲の彼方からも、魚のように集まってくる。
黒ウナギは呆れて息をついた。
「おい、ゆとり精霊」
「何?」
「返事するのかよ、マジでゆとりだな。菓子は必要ないって毎年言ってるだろ。あいつらは俺の光に集まってくるんだ」
水野は気にせず金平糖を撒き続ける。落ちていく粒は一瞬だけきらめいて、すぐに消えてしまう。
「綺麗!」
「でしょ? ほら、来た来た」
りん子が前方を指差した。短冊の群れがやってくる。
「私に任せなさい! 狩りなら負けたことないわ」
ぬいぐるみのブタが両手を広げたが、風圧でりん子の頭から転げ落ちてしまう。マアトの肩にぶつかって弾み、タイガが慌てて受け止めた。
「バカ、落ちるだろ」
「落ちなかったじゃない」
ブタはふんと鼻を鳴らした。ブタを追ってきた短冊は全てりん子の髪と、マアトの帯の結び目に引っかかっていた。
「良かったよ、優秀な織姫が二人もいてさ」
「優秀なブタもいるわよ」
よそ見するな、と黒ウナギが言い、スピードを速めていく。
風を切って急降下し、民家の窓へ近づいていった。
「オラァ短冊よこしやがれ!」
「菓子巻き上げっぞてめえ!」
りん子と水野は別人のようにどすを効かせた声で、住民を驚かせて短冊を奪っている。
「ちょっと、二人とも何やってるのよ」
大丈夫、とタイガがのんびりと言った。
「あれで願いが叶うって、みんな知ってるからさ」
「どういう伝説よ。ナマハゲと変わらないじゃない」
二人の怒鳴り声に、人々が短冊を持って出てくる。これを取って、こっちもあげる、と笹を振り回す人もいる。
途中の家で、タイガの仕事仲間のヒトデと赤カバを拾った。水野の妹のミウも、りん子の友達のカワウソも黒ウナギによじ登り、大所帯となった。
「いやあ、いい眺めですな」
「私、どうしてここにいるのかしら」
「俺を先頭にしな。カワウソの鼻は万能だ」
重い、うるさい、と文句を言いながら黒ウナギは飛んだ。
集めた短冊は山のように積み上がり、五色の光を放っている。
「サッカー選手になりたい、これはまともだね。夏までに痩せたい、これはもう夏だからアウト。彼女が欲しい、はい無理〜!」
「人の願いを踏みにじるんじゃないの」
水野は短冊を読み上げながら両手で切り刻み、キュウリと錦糸玉子に変えていく。りん子は網飾りや貝飾りを薄く伸ばし、つるつるとした麺に変えていく。
あっという間に全員分、料理が出来上がった。願いを叶える極上の冷やし中華だ。
「短冊狩りってこういうことだったのね」
「マアト中華好きだろ? 絶対誘わなきゃって思ってさ」
タイガは全員の皿にチャーシューを乗せ、ブタの皿にはカニカマを乗せた。
「私もチャーシューが良かったわ」
「お前時々黒すぎるんだよ」
ヒトデがガラスの光を放ち、ミウが傘を広げる。傘の上を赤カバとカワウソが走り回ると、高い空からきらきらと雨が降ってきた。
「あら? 今日は晴れのはずじゃ」
「雨じゃないわ。これは記憶」
ミウが言った。顔は水野にそっくりだが、雰囲気はだいぶ違う。タイガの話によると、この兄妹は生まれも育ちも違うらしい。
「忘れても消えないように。願いが叶ってもなくならないように」
ミウは丸い光の粒をすくい、冷やし中華にふりかけて食べた。
マアトもタイガも光の粒を食べた。麺によく絡み、喉に心地よい甘さが降りていった。
「りん子と水野さんも食べなよ」
「後でねー。まだまだやることがあるから」
「はぐれ星のゼリーを作るわよ!」
りん子の掛け声でブタが勢いよく跳ね、黒ウナギは空高く昇っていく。
雲の粒が、星くずが、涼しい空気が耳元でぶつかり合い、キンと音を立てる。
マアトは黒ウナギにしがみつき、空を目指すりん子の後ろ姿を見た。
ふわふわなびく髪と踊る金魚帯に、そっと願いをかける。
また会えますように。
裁縫が上達しますように。
逃げた生魚が空を泳ぎ、流れ星のようにすれ違った。
おわり