(前編)
「過去から来た船」(完結済み)の次の話になります。
360度全面地平線と稜線。水樹は、はあ、とため息をついた。辺境勤務とは聞いていたけれど、まさかここまでの大辺境とは。ポケットから辞令を引きずり出す。惑星系連合航宙管制局第63宙域所属宇宙航路・空間保全隊第106部隊へ配属す、味も素気もないつるりとした文字でそう書かれている。
水樹はしばらくその文字を眺めていたけれども、気を取り直して歩き始めた。ぽつねんとある管制塔へと向かう。
「やあ、ようこそ宇宙一の大フロンティアへ」
管制塔で待っていたのは最近赴任してきたばかりの63分室室長、ライリー・キャンベルだった。水樹からみれば斜め方向の上司にあたる。が、水樹は一瞬声が出なかった。趣味の良いデザインのグレーのスーツ、流行を少し取り入れた、それでいてオーソドックスな髪型、茶色い革の靴。ここまでは良い。
キャンベルは水樹の驚いた顔にいたく満足したらしかった。
「平凡な人間はどこか一点アクセントをつけなくちゃね」
そんなことを言って笑う。
「はあ・・・」
水樹は返しようもなくて曖昧に賛同した。赤地ネクタイの上で鮮やかなグリーンのとかげが行進している。
「キャンベル室長はとかげがお好きなんですか?」
何も言わないのも悪いような気がして水樹が言う。キャンベルは笑った。
「外れ。これはいもりだよ」
「いもり・・・ですか」
「そう。とかげもあるんだけどね、まあ、いつかお目にかけよう。ところで、辞令とID証を見せてもらえるかな」
ネクタイに気を取られていて忘れていた。慌てて水樹が辞令とID証を出す。キャンベルはそれをスキャナに通すと、少しばかりすまなさそうに言った。
「悪いね、決まりの手続きって奴だ。網膜パターン照合を頼むよ」
言って機械を示す。水樹は指示に従って四角い箱のようなものをのぞきこんだ。
「はい、完了。ヘリオス星系地球出身、かやの水樹と確認」
キャンベルはID証を返しながら言った。
「106隊からの迎えが少し遅れているんだ、着任早々すまないね。ちょっとトラブルが発生したらしい。何しろ、この第63宙域には、105隊と106隊が所属しているっきりだからね。それがええとなんだったかな、清掃部隊兼警察兼・・・救急医療室兼輸送をやっているものだから大変さ。何しろ辺境部なものだから、不便な惑星が結構多くてね」
20分ばかりたってようやく迎えの小型艇が来る。
「ではよい旅を」
キャンベルはそんな随分トンチンカンな挨拶を水樹に送って手を振った。
「ようこそ、106部隊へ」
ぱんぱんぱん、とクラッカーが鳴る。水樹は緊張した面持ちで部屋に入った。数十人ばかり人が集まっている。
「長旅で疲れたでしょう」
隊長のブルストリーはそうねぎらった。順々に皆が自己紹介して行く。隊長のブルストリー、副長のレイ・アリューズ、機関部長兼保守整備部主任のキャラウェイ、医師の霧影まや、庶務担当の翠楓・・・一度にはとても覚えられそうにない。順々に紹介が進んだところで、不意に場の空気が変わった。面白がるような、興味津々というような、そんな感じ。
「科学技官のイシュラインと言います」
人の背後にいたイシュラインが前に出てくる。昆虫そっくりのクヌート人。水樹は卒倒しそうになった。昔いとこにカミキリムシでいじめられて以来、虫の類は大の苦手である。イシュラインは軽く会釈するとまた後ろに下がった。自己紹介が続くけれども水樹はまったく上の空。クヌート人、クヌート人、そんなものがいるなんて聞いていなかった。
水樹が育った地球は、現在では、辺境に近い位置づけになっており、クヌート人なぞ遠い遠い世界の話でしかなかった。実物を見るのは、無論初めてである。
早くも逃げ出したい気分になっていた水樹は、歓迎レセプションの後の翠楓の言葉に本当に今すぐにでも荷物をまとめて立ち去ろうかと思ってしまった。
「イシュライン技官、すみませんけど、彼女に船内を案内していただけますか」
イシュラインが先を歩く。二メートル近く離れて水樹はその後を歩いた。できるだけ見ないよう顔を上げないよう廊下を見つめる。
「ここが休憩室兼リビングになっています。そしてここが食堂」
キッチン・スタッフに軽く挨拶をして部屋を移る。温室、プール、ジム・・・一通り大体揃っており、環境としては悪くないのだが、水樹は相変わらず上の空。何でもいいから早くこのクヌート人から解放されたい、そんなことを思う。
「それからここが----」
イシュラインは305と書かれた部屋をノックしながら言った。中からどうぞ、という声が返ってくる。
「この船の頭脳、白竜号の"自室"です」
部屋中央に立体映像映写台が据え付けられており、その上に白い服を着た少年が立っていた。茶色い癖っ毛。
「イシュライン技官じゃないですか、ごきげんよう」
愛想良く言って手で中を示す。イシュラインが奥に入り、ずいぶん遅れて水樹がおずおずとついてきた。
「ようこそ、水樹。私がこの船を預かる頭脳、白竜です」
「え・・・あ、かやの水樹です」
わけも分からぬまま手を差し出す。白竜は幻の手でそれを握り返しながらそんな水樹の反応にいたく満足したらしかった。
「歓迎しますよ、水樹。私はいつもここにいますから、時々は遊びに来て下さいね。あ、イシュライン、冷蔵庫に確か冷えた飲み物が入っているはずです。よければ・・・」
「いえ、今船内を案内している途中なので・・・」
「おや、それは残念。水樹、また来て下さいね」
白竜はにこやかに言って二人を送り出した。
「あれは・・・?」
きっちり距離を置きながらも水樹が思わず尋ねる。
「彼は船の頭脳です。どういうわけか途中で意識を持ってしまいましてね。ああ、そうだ、彼は無視されることを嫌いますから、適度にかまってやって下さい。まあ、人を扱うように扱ってやれば大丈夫です」
イシュラインはそんなことを言って笑った(もっとも水樹にはこの表情は分からなかったけれども)。
なんだかんだでようやく一巡りし終え、自分の部屋に引き上げさせてもらえる。水樹はベッドに倒れ込むなり、しばらく動けなかった。
トントントン、ノックの音がする。
「こんにちは、となりのグレースです」
そんな声に扉を開ける。
「えへへえ、ご挨拶に来ましたーっ」
小脇にボトルと紙包みを抱えている。
あっという間に宴会状態になる。
「地球から来たって?地球ってあれでしょ、元々のわたいらの故郷」
グレースはバリバリと煎餅をかじりながらそんなことを言った。癖っ毛の金髪、鼻の頭にはそばかす。ピンクのゴムでちょん、と右上の方を小さくくくっている。
「って言っても今はど田舎だけどね」
水樹が笑う。人が宇宙へ出るようになって、手頃な鉱物資源がもうあまりなくなってしまった地球はあまり見向きされなくなった。というわけで、最近ではもっぱら観光事業で成り立つ惑星になっている。
「でもここいらよりはましでしょ。ねえ、じゃさ、ピラミッドとか見たことある?」
目を輝かせてグレースが尋ねる。おきまりの質問。
「それが実はないんだよね」
と水樹。
「そっか、じゃさ、えーとえーと、エッフェル塔は?」
「あー、それもないの」
「えー、もったいない。近いんでしょ?」
大体地球から来ました、と言うと皆同じことを聞く。万里の長城に行ったことがあるか、自由の女神は美人か、アマゾンは行ったか、etc.etc.大体皆、隣近所にそういうものがごろごろ転がっていると思ってくれているものだから始末が悪い。地球と一口に言っても広いのである。
「うーん、惑星のほとんど裏側だからねえ」
「結構遠いんだ」
ここでようやくグレースは納得したらしかった。
「でもいいよねー、いろいろいっぱいある星でさ。わたいのところなんかほんとなーんもない」
グレースは言ってくすくすと笑った。
「ところでさ、水樹、ひょーっとして虫とか苦手?」
「あ・・・は・・・あはははは」
思わず笑ってごまかす。
「やっぱりね。気をつけた方がいいよ。翠楓さんにばれると無理矢理組まされちゃう」
グレースはそう言ってくれたけれども、もう遅いようだった。翠楓の方はどうやら水樹が虫の類が嫌いで、その大親分のようなイシュラインがそれこそ「大」がつくほど苦手であると、とうに見抜いているフシがある。
「翠楓さん、いい人なんだけどさー、ときどききっついんだよねー。わたいなんか機械類苦手なんだけど、逃げ回ってちゃだめだって徹底訓練コース受けさせられちゃった。お陰で多少使えるようになったんだけど、やっぱだめ」
グレースは言ってぱっと両手を上げた。
「わたいが触るとなーぜか機械がストライキ起こすんだ。ぜったいあいつら人見て動いてるって」
翌日。グレースの予言は見事的中した。
「基本的に作業は二人一組でやります。何かの時に一人だと身動きがつかなくなりますからね。無論シフトも同じ。で、あなたの相手ですが、」
翠楓は、シフト表を示して言った。
「イシュライン技官にお願いしてあります」
やっぱり。水樹は熱が出そうだった。荷物をまとめて帰るべきかしら?
「かやのさん、」
翠楓は独特の表情を浮かべて言った。
「部隊の任務は常に危険を伴います。苦手や嫌い、といった感覚をメンバーの中に持っていては、いざという時動きが遅れて大惨事にもなりかねません。昆虫嫌いの人もあるようですが、クヌート人は昆虫とは異なります。宇宙空間にあっての唯一の隣人であり友人たちです」
「は・・・はい・・・」
一応学校では習ったが、習うのと実物を見るのとでは大違いである。翠楓は目の奥を光らせて言った。
「詳しいことは技官から説明を受けて下さい」
はああああ、翠楓と別れて深いため息をつく。よりによって・・・早くも後悔の嵐。と、非番のグレースが通りかかった。
「どうしたの、浮かない顔して」
「それがね・・・」
事情を話す。
「あーあ、やっぱりね」
グレースは笑って言った。
「翠楓さんって人の弱点見抜く天才なんだよねー。絶対あの人とはケンカしない方がいいよ。それはともかく、挨拶は行った?」
「まだ・・・地球に帰りたい」
「何情けないこと言ってんの。まだ来たばっかりのくせに。ほらほら、ついてったげるから」
グレースは気乗りしない様子の水樹の手を引いて解析室へ向かった。
「大丈夫だって。イーさんはとってもいい人だから」
「イーさん?」
「うん、イシュラインだからイーさん」
「・・・」
水樹思わず脱力。
「おや、解析室にいないとすると・・・おっと今非番か。部屋かな?」
イシュラインの部屋をノックする。
「はい」
そんな声がして扉が開いた。至近距離。
「わー、水樹!」
慌ててグレースが後ろを支える。
「いや、あの、その、えと、その」
どうしても顔を合わせられない。水樹は結局床を見つめたまま言った。
「あの、ペアを組むことになりましたかやの水樹です、よろしくお願いします」
「床に向かってしゃべってどうするのよ」
ばん、とグレースに叩かれる。が、顔を上げると悲鳴が飛び出しそうで上げるに上げられない。
「話は伺っています。科学技官のイシュラインです・・・ああ、昨日もうこれは言いましたっけね。どうぞ」
イシュラインは言って入るよう勧めた。逃げ出したいけれども後ろにグレースがいて逃げられない。水樹はイシュラインからいちばん遠い隅に立った。
「あ、あ、あの」
「イーさんあのね、水樹ちゃん虫嫌いなんだって」
はっきりグレースが言う。慌てて水樹はグレースを止めた。
「グレース!」
「馬鹿だね、ちゃんとこういうことははっきり言っておいた方がいいんだよ」
今日は蛍光黄緑のゴムでちょこんと髪を留めたグレースが言う。
「だって、そんな、失礼なこと」
「あんたのしてることの方がよっぽど失礼だよ。大丈夫、イーさん慣れてるから」
「あ、あの、すみません。クヌートの方と虫は違うって分かってはいるんですが、その、あの。昔いとこがカミキリムシ持って追いかけてきて、それで、噛みつかれて、あの」
あたふたとしてしまう。グレースは豪快に笑うとどん、と水樹の背中を叩いた。
「まあしっかりやんなよ。じゃね、イーさん、あとよろしく」
「あ、グレース」
水樹が慌てる。もうしばらくいてくれると思っていたのに。グレースはにいいっと笑うと軽く指先をつけたりはなしたりして挨拶し、出ていってしまった。
後に水樹とイシュラインが残される。
「どうぞ、ええと・・・なんとお呼びすればよろしいですか」
丁寧な口調でイシュラインが言う。
「あ・・・なんでもいいです。水樹でもなんでも」
「ではお名前でお呼びしてよろしいでしょうか。私の方も呼びやすい名前で呼んでいただいて結構です。椅子をどうぞ」
椅子をぐい、と水樹の方へ押しやる。それを受け取り、出来る限り後ろへ引いて水樹は椅子に腰を下ろした。相変わらず顔が上げられない。
「ええと水樹さんは科学解析室配属ですね。失礼ですがご専攻は?」
「あ・・・地質学です」
水樹は小さな声で言った。あまりこの清掃部隊には必要ない分野である。
「ああ、ではトレーニングプランを組んだ方がよいでしょう。大丈夫、すぐに慣れますよ」
イシュラインはどこまでも丁寧な調子でそう言った。
「翠楓さん、ちょーっとあれは可哀相じゃない?」
一応機器類の表示を監視しながらグレースが言う。
「かやのさんのこと?」
「うん・・・なんかえっらく憔悴っていうの?げっそりしてるよ」
「でも避けては通れないことでしょう?」
「そりゃそうだけどさあ」
苦手なもんは苦手なんだよねー、口の中でグレースがつぶやく。
と、不意にSOS信号受信の高い音が鳴り響いた。
「緊急時体制準備!」
翠楓が指示を出す傍らオペレーティング・タッチに指を滑らせ発信船を特定する。
「エウリリテ号ね。どうしました?」
そう尋ねる傍らもう指は白竜号の跳躍準備指示に入りかけている。
「助けてくれ!もう持ちこたえられない!」
「落ち着いて。今すぐにそちらへ向かいますからね。事故ですか?」
「ちが・・・」
わっという悲鳴。
「エウリリテ号!エウリリテ号!応信願います!」
翠楓はコムに向かって言いながら、素早く白竜号にサインを送った。
「座標63域155、99、-132。シールドレベル9」
「了解」
白竜号の落ち着いた声が司令室に響く。船はすぐさま跳躍モードへと突入した。