part.03 魔王城【01】
光の国に伝わる魔法使いの正装とは、膝下まである生成り色の襟付きローブである。その下には白いシャツと、女性ならば暗い青のタイトスカートを着用し、守護の魔石を身に付けるのが望ましい。戦いの場以外ではフードを被って顔を晒さないでいるスタイルが好まれる。たとえ公の場だとしても、格の高い相手への挨拶の際に少しの間外すだけで、それが終わればまた被るというのがマナーだ。
今日のところはローブの襟元には魔石ではなく聖王より賜った光の国の勲章を付けた。国花を模した銀細工のブローチは光の王家の証であり、これをつけた人間は光の国からの正式な使者であることを表すのだ。さらに服の下には虹の雫のネックレスも隠している。亜空間に収納し続けてもよかったが、念のため、というやつである。
——四日間ほど現実逃避をしたものの、ついに腹を決め、魔王城へやってきた。
目と鼻の先にある黒き城は荘厳に聳えている。城壁の周りは水の流れる深い堀があり、城と街とを繋ぐ唯一の通行手段である桟橋を渡れば城門へと辿り着く。門の両脇は兵士が見張っていた。観光なのか何なのか、桟橋付近にはそれなりに人がいて、私が特別怪しまれるような事にはならなそうで何よりだけど……。
しかし、私はどう内部へ潜入すればよいのだろうか?
光の城へ赴く時は聖王の使いとして私を拉致しに来た執事や騎士に無理やり連行されていたので、城への立ち入り方が分からなかった。しかも顔見知りの居ない異国の城ともなれば、どうやってアポイントを取れば良いのか悩ましい。
あの門番に話しかければ通してもらえるだろうか。この勲章があれば大丈夫とは言われたものの、試したことはないので不安だった。
正直に言って緊張している。
許されるならば逃げ出したい。
今更だと理解はしているけれど、しかし。
(脈絡もなく「勇者ですが戦いに来ました」って名乗るのも、何だか変な気がするし……)
第一声についてうんうん頭を捻って、捻って、捻って——すっかり忘れていた聖王からの親書の存在を思い出した。光の王家のエンブレムで鑞付けされた手紙だ。なんとなく「勇者です」と名乗り辛いのだから、これを届けに来たと言えばいいのでは?
そうと決まれば、とりあえず入り口に立っていた衛兵たちを捕まえて、聖王から託された手紙をこれ見よがしにアピールした。
「聖王より魔王様への親書を託され、光の国より参りました。これが使者の証である勲章です。どうか近日中に謁見の御許可を頂けないでしょうか」
少々確認に時間はかかったが、幸いにも何の疑いもかけられずに済んだようだった。
本来は後日に日を改めて——となる想定だったのだが、「どうぞ」とすぐに城の中へ招かれてしまい焦った。予想よりもフットワークが軽過ぎる。
見上げる程もあった城門を潜ると、見事に整えられた庭園が顔を出す。残念ながら美しい景色を楽しむ余裕も今は無く、案内役の兵士の後を無言で歩きながら痛む胃をさすった。
城の内部に入ると真っ先に目に飛び込んでくるのは八つの柱に支えられた円形のホールだった。前には大階段があり、先で三つに別れている。階段の下からも左右に道が伸び、しかしどのルートも扉で遮られていた。真っ直ぐに登って行った先に待ち構える漆黒の扉の前には、守るように兵が立っている。その華美な装飾、重厚さは、何か特別なもののように思えた。
眼前の兵士はあの扉を目指しているようだ。深紅の絨毯が敷かれた階段を一歩一歩踏み締めるようにしながら、程なく私はその前まで辿り着いた。
大扉が、兵士二人の手によって開かれる。
生唾を呑み下し、跳ね上がった鼓動の音を他人事のように感じていた。
扉の先は、謁見の間だった。
階段から続く赤い絨毯は、真っ直ぐに玉座へと伸びている。玉座の周囲には低い階段が設けられ、王のための椅子をこの場で一番に高い場所へと変えている。高い天井を支える左右の八つの柱の間を埋めるように兵士が整列していた。
案内役の兵士は私へ道を譲り、頭を下げたまま動かない。私は覚悟を決め、一歩を踏み出した。
場の空気は張り詰めて、否応にも背筋が伸びる。
改めて見据えた玉座は——よく見れば、空だった。
(……?)
玉座の背後を隠すように掲げられた深紅の旗には左右対称の金の鳥の紋様が入れられている。それは古くからここ一の島の民達が信仰するという金鵄であり、闇の国王家の紋章だ。いや、それはいい。問題はそこにいるべき人物の姿がない点だ。
玉座に続く階段の真下には、三人の男が待ち構えている。この四日間で入念な下調べをした通りの見た目なので、彼らが四天王なのだろう。それはいいけれど魔王様は?
(やっぱり……急に来ちゃったから、そう簡単には会わせてもらえない感じなのかな?)
疑問を胸にしまい込み、四天王を観察した。噂通り三人しかいない彼らはそれぞれ闇の国の高位魔法使いの証である漆黒のローブを身に付けている。
右端の群青の髪を持つ落ち着いた風貌の男性は、時魔法という特殊な魔法の使い手である時任祐司。
そして、その隣に立っている赤茶の髪の男が闇魔法を得意とする玖珂智尋。
最後に葉さんの姿を認めて、私の胃痛が増した。
……妙にニヤニヤしているのは気のせいだろうか。あれからずっと頭の片隅に居座っていた“何故教えてくれなかったのか”という疑問はあの顔を見てすぐに氷解した。絶対に面白がって自分の立場を秘密にしていたに違いない。薄々感じていたけど、彼はちょっぴり意地悪な人だ。
私は重たい足取りで前へ出た。光の国の礼式ではあるが、その場に跪く。
「——此度は急な来訪にも関わらず場を設けて頂けたこと深く感謝致します。光の国十四代目聖王アイリ女王より魔王陛下へ親書を与かって参りました」
ローブの袖口にある隠しポケットから手紙を出すと、なんと、その手紙が何者かに掴まれて私の手から逃げ出した。
「……⁉︎」
思わず顔を上げる。先ほどまで確かにいなかった人物が、すぐ目の前に立ち魅惑の微笑みで私を見下ろしていた。その白く小さな手には手紙が握られている。
年の頃は光の民の感覚で言えば七〜十歳ほどに見えた。淡い白金の髪、長い睫毛に縁取られた海の青の瞳。中性的な美少年を、私は呆然と見上げた。
「光の使者よ。確かに受け取ったよ」
似ている。雑誌で見た伊月陛下に。しかし彼は光の民で言うところの二十代半ばほどの見目だったはずで、これではあまりにも若すぎる。
二の句が継げない私を楽しげに見下ろし、少年は自分の胸に手を当てた。
「僕は——もごもご」
高らかに自己紹介でもしてくれようとしたのだろうが、後ろからこっそり近づいてきていた葉さんに捕まって、口を塞がれた。見れば他の二人も困ったように——いや、呆れたように少年を見ているようだった。
「申し訳ない。この子は……あだっ」
思い切り足を踏まれた上に手に噛み付かれ、葉さんが短い悲鳴をあげる。拘束から逃げ出した少年はなんと私の背中に隠れてしまったではないか。ローブをぎゅっと握り締められている。
「何をするんだ葉介! 僕宛の手紙を僕が受け取って何が悪い?」
少年の抗議に、時任氏が深いため息を吐いた。
「ぼ、僕宛って——この方が魔王陛下ということですか……?」
「その通り! よく来たね、光の子よ。僕こそが我が闇の国第二十一代目国王・伊月=シスディリアである!」
ぴょんと私の前に再び躍り出た少年——伊月陛下は、私に右手を差し出した。
「いつまでも膝をつく必要はないよ」
「え、あ——しかし、」
「ああ、光の国では紹介が済むまでは傅くんだっけ? ならば君の名を問おうじゃないか」
四天王三人は最早止めるつもりはないようだった。
多少混乱しながらも、私はフードを後ろに下げる。開けた視界で見上げた先、ニコニコ笑顔の魔王とぱっちり目が合った。
「私はユイ=マギアルッソと申します」
「マギアルッソ? ……七名家の?」
「なら」と続いた言葉に私は目を見開いた。
「君は前に勇者としてやってきたロルフくんの……?」
——ロルフ=マギアルッソ。
我が叔父であり、かつて先代聖王陛下より聖剣を託されていた騎士でもある。
「ロルフは私の叔父に当たります」
「へぇ、そうなんだ。君の叔父君とはかつて戦ったことがある。素晴らしい騎士だったよ」
「……魔王陛下からそのような言葉を頂けるとは、彼も遠い空で喜んでいることでしょう」
…………。あの人の所業はきっとこの国にも届いているはずなのに、魔王陛下はまるで何事もなかったかのように言及してみせたから、私はどんな顔をすればいいか分からなくなってしまった。顔を僅かに伏せ、目を逸らす。
「さあ、お立ちよ」
どうしても私を立たせたいらしい魔王様の言葉に従い、フードを被ってから立ち上がる。陛下は私の胸あたりの身長だった。
魔王が子供になっている——
その噂はこの国に来てから何度か耳にはしていた。しかしどれも「噂」の域を出ないものという扱いだったし、私も眉唾物とばかり考えていた。
(まさか本当に子供の姿になられているとは……)
魔王はその華奢な体に不釣り合いな玉座に腰掛け、頬杖をついた。
「それにしても、この時世にわざわざ大使を立てて手紙を届けさせるとは古風な事をするねぇ。遠かっただろう? 不便はなかった?」
玉座のそばに戻った四天王を見つつ、その中の一人が気になって仕方ない。
この様子を見るに、葉さんは間違いなく道中で勇者と一緒だったことは報告していないのだろう。何を思っての判断か、こちらから推し量ることは難しい。私は視線を魔王陛下に固定した。
「いえ、我が国にはない素晴らしい技術ばかりで、そのおかげでとても快適な旅でした」
「なら良かった。……ところで君はこの手紙の内容は知っているの?」
「詳細は存じませんが、勇者についての文であると伺っております」
「勇者! そういえば共に来たりはしなかったの? 今年はどんな剣士が来るか楽しみにしていたんだ」
……剣士。そう誤解するのも仕方がない。聖剣はその名の通り基本のフォルムは剣なのだし、まさか魔法使いが単品乗り込んで来るとは思うまい。
私はローブの中に隠れるように背負っていた聖剣を取り出し、何とも暗い気持ちで手に持った。
「大変申し遅れましたが、私がその勇者であります」
ぱちくりと大きな瞳を瞬かせて、陛下はキョトンと私を見た。場の注目がますます私に集まったのが分かる。
「……君のその服は光魔法使いのものだよね?」
「ええ。間違いなく私は魔法使いです」
「他のパーティは? 勇者は他にいるってことではなくて?」
「居りません。聖王より聖剣を託されたのは魔法使いの私ただ一人でございます。……我が王が何を考えていらっしゃるかは私には計り兼ねますが、おそらくその答えが親書に記してあるのではないかと……」
「……ふむ」
手の中の手紙を眺め、しかし魔王は封を開けようとはしなかった。
「もう宿は探してしまったかな。勇者には、戦いの準備が整うまでの間いつも城に寝泊まりしてもらっているんだ。できたら君にも部屋を提供したいのだけど……既に宿を取ってしまったのならこちらから使いを出してキャンセルさせるよ。それでもいいかな」
「ええ、お心遣い感謝します」
「祐司、話は聞いていたよね? 手配を頼むよ。トモ、彼女に今後の説明を——」
「それは俺がやりますよ」
「……葉介」
言葉を遮った葉さんに、少年魔王は少し驚いたようだった。
「君がやる気だなんて珍しいね。ならトモと二人で説明しておいて。失礼のないようにね」
「信用ないなあ俺」
「可愛らしいお嬢さんだからって口説かないでね」