【05】
——王都が近付くにつれ、葉さんの謎は深まるばかりだ。
葉さんが提案したのはバスと呼ばれる魔導車の一種を乗り継いで王都へ向かう旅で、車に乗り慣れない光の民としてはこれが中々面白かった。街を移動するごとに葉さんオススメのお茶屋さんで休憩するのも忘れない。
彼は顔が広いのか、大抵のお店で「久しぶり」などと迎えられていたし、それどころか何処へ行っても注目の的だった。
「若様、サインお願いします〜!」
しかも女性達からは“若様”と呼ばれているようだ。サインや握手、写真撮影を求められては快く応じる彼を、私は都度一歩引いた場所から眺めた。
豪華客船セントムーン号の一等室に乗る財力があるのだから、葉さんは十中八九お金持ちだ。そして彼は顔が良い。考えに考え、悶々とした日々を過ごすこと数日。
私はようやく、それらの要素から一つの答えを導き出した。
「葉さんって貴族のアイドルなんですか?」
「は?」
宿屋の部屋に置かれていたテレビという魔科学機械を暇つぶしに点けてみたところ、画面の中で男性達が歌いながら踊っていたのだ。そう、闇の国にはアイドルという文化がある。男女を問わず、見目がよく歌も上手な踊り子をそう呼ぶのだといつか話に聞いたことがあった。曖昧な知識とテレビの中の彼らを紐付け、私はもう世紀の大発見をした気分になってしまった。
ピンときてしまっては確認せずにいられなくなり、深夜ではないのをいいことに私は葉さんの部屋をノックしていた。
いつも、夕食の後はそれぞれ宿を取る。基本は葉さんオススメの宿で一緒に泊まるが、もちろん部屋は別にしてもらっていた。こうして部屋を訪ねたのは初めてだったが——普通に迎え入れてくれた葉さんは、勧められた椅子に座るのも惜しくすぐに口を開いた私に目を丸くした。
「どういう誤解を経てその答えに辿り着いたんだか興味あるわ」
なんと、違うらしい。自信満々だった私はつい唇を尖らせた。
「なんか“若様”って呼ばれてるみたいですし……」
「あー、まあなぁ」
お風呂上がりらしい彼はバスローブに身を包んでおり、濡れた髪をタオルで拭きながら苦笑している。
「それにほら、カッコいいし」
「ほー?」
「遂に俺の魅力に気付いたか?」とニヤニヤ笑いつつ、彼は向かいの席に腰を下ろす。いつも前髪を上げているから、そのセットを解いている今は何だか別人のように映った。
「あなたの容姿に対する評価は初対面時から特に変わっていませんが……」
頬杖をついてこちらを見てくるその顔が何だか居心地悪く、私はふいと目を逸らした。
「あ、もしかして俺がカッコいいから同行オーケーしてくれたの?」
「いえ、面白そうだったからです。あなたはだいぶ変な人に見えました」
「前も似たようなこと言った気がすっけど、俺以外の変な人には付いてっちゃダメよ?」
「葉さんだけはオーケーなのってよく考えたら可笑しくありませんか? あなただって、本名も仕事も分からないのに……」
「あ〜それ言っちゃう? そこ気にしちゃう? ……ユイちゃんは俺のことが気になって仕方ないんだなぁ分かる分かる」
「そういう訳じゃ……」
「そうなの?」
葉さんの手が不意にこちらへ伸びてきた。小さなテーブルの上を通過して、卓上に置いていた私の左手を撫でるように触れる。
「俺はユイちゃんのこと気になるけどなぁ?」
「……⁉︎」
さ、触られている……。なでなで……されている……?
(主に……指輪を……)
そう、指輪を。
私の愛杖の仮の姿は指輪であり、いつも左の中指に着けている。これは召喚魔具と呼ばれる魔具の一種だ。魔具というものは一言でいえば“誰でも魔法を使うことができる道具”である。中でも召喚魔具は万人に扱う事が難しい亜空間制御魔法を、様々な条件付けや術式変更などの工夫を施して誰にでも使えるようにしたものだ。
武器と同じ素材を使用した器——主には指輪や耳飾りといったアクセサリー類が主流である——に“結びの儀”を施すことで完成する。器と武器は元々同一の物であるという定義付けを行うことで難易度を最低限まで抑えている。ちなみに、街中で常時武器を携帯するのは治安上良くないという価値観が広まり開発されたと聞くが——まあこれ以上は割愛するとして。
私の杖は普段この銀の指輪となって眠っているのだが、葉さんの指先はその形を確かめるように何度もなぞっている。一体何のつもりなのかと戸惑いの視線を送れば、彼は私の困惑を受け流して笑った。
「俺さ、光魔法使いの知人さっぱりいないのよ」
「はあ」
「だから——」手をギュッと握り締められて、心臓がやや高鳴った。葉さんは菫色の瞳で私を真っ直ぐに見つめてくる。
「俺に光魔法について教えてくれない?」
…………。
「えっ、語っていいんですか⁉︎」
思わず私からも葉さんの手を握り返してしまった次第である。
「幾らでも語ってくれていいのよ。そんで実演してくれたらもっと最高」
今まで見た中で一番に爽やかな笑みをもって頷いた彼に、ならばと私も欲を出す。
「あの、私も闇魔法について教えて頂きたいのですが……!」
「お?」
「葉さんも魔法使いなんですよね? 以前さりげなく亜空間制御魔法を無詠唱で魔法陣も省略して使っていましたし、きっと実力のある方なのだろうと思っていたんです!」
「はっはっは。そうなのよ。実は俺ってば凄い闇魔法使いでさぁ」
「葉さんの魔法見たいです! 見せて頂けるなら私も好きなだけ光魔法についてお教えします!」
「よし、乗った」
言うが早いか葉さんは私から右手を離し、真っ直ぐに腕を伸ばした。虚空を掴むように伸ばされた手の平にぽぅと金色の燐光が集まり、細長い形を形成する。光の消失と共に現れたのは長く細い金杖だった。先端に羽根を模した意匠が施されている以外はシンプルなものだ。
それを見て、私も横に手を伸ばす。指輪にほんの僅かな魔力を込め、心の中で愛杖『流れ星の杖』に呼びかけた。
「前も思ったけどユイちゃんの杖かーわいー」
私の手中に召喚された杖を見て、葉さんがからかいの声を上げた。
……確かに私の杖は可愛い。不浄を払う銀の芯の先端には王冠を模した装飾があり、その中に核となる魔石を閉じ込めたデザインだが、魔石は星の形に削り出され、王冠には黄色のリボンが付いて、動かすたびにヒラヒラと宙を舞う。ちょっと少女趣味と言えなくもない……が、まあ、お気に入りでもあるので、からかいは流す事にした。
「それで、早速ですが——」
その夜から、葉さんは毎晩私の部屋へやって来た。
夜が更けるまで魔法談義に花を咲かせ、最終的には二人で朝まで寝落ち。
別々に部屋を取る必要が無いのではと思うのだが、それについて私から特に言及する事はしなかった。葉さんが良いのなら良いんだろう。たぶん……。
それにしても私は魔法が何よりも大好きだという自負があったが、葉さんも同じ類の人だとは思わなかった。魔法について饒舌に語るあのご機嫌な姿は、普段ならば見られないとてもレアなものなのではないだろうか。
「で、あそこに見えるのは一兎砦」
そして気のせいかもしれないけれど、ここ数日はバスに乗る本数が減り、徒歩での道のりが増えた。
葉さんは道中まるでツアーガイドのように行く先々にある名所などを紹介してくれるし、魔法談義を繰り返すことでそれなりに打ち解けたので、道行きは中々楽しい。真夏に徒歩で長距離移動など、自殺行為もしくは嫌がらせでは……と最初は不満を抱いていたのだが、闇の国は夏でも涼しかった。風が心地よいから日差しも苦ではないのだ。もうこの要素だけで闇の国への評価は鰻登りである。
「内戦中に四天王が拠点に使ったりしてたのよ」
「四天王……うっ……」
その単語を聞いた私の胃にギリギリとした痛みが走った。
「どうした?」
「い、いえ、お気になさらず。あの、そういえば四天王って……四天王なのに四人いないという噂は本当ですか……?」
この国で魔王や四天王とは本当に人気のある存在のようで、街中を歩けば度々彼らの噂を耳にする。基本的には愛称で親しまれているようで最初は分からなかったのだが、街ゆく人々が話す“トモ様”や“祐司様”などの名詞は四天王のことだと葉さんが教えてくれた。
中でも特に気になっていた噂を尋ねれば、葉さんは何でもなさそうに頷いた。
「三人体制になってもう十年は経つな」
「元々は四人いたんですよね……? どうして……」
「どうして、なぁ。……んー。語弊はあるが、お嫁に行ったというべきか……」
「へ?」
…………お嫁さん?
「で、補充しようにも四天王になるには幾つか条件があるのよ。特に大事なのは魔王が己より優れていると認めた者であることか」
「今代の魔王様というのは最強と謳われる方なのでは……?」
「そうそう。だから十年経っても次が見つからないのよねえ、これが。困ったもんだ」
「……ち、ちなみに、残りの三人ってどんな方達なんです……?」
近々、四天王とも戦うことになる。一人減ったところで強敵はまだ三人も残っているわけだし、何か対策などを練っておきたいところだ。
(いくら勝敗に拘る必要が無いとはいえ、流石に瞬殺されるのは恥ずかしいし……)
そういう考えのもと投げた問いかけだったのだが、しかし。
「……どうしても知りたい?」
と、葉さんは妙に答えを渋った。
「知りたいです」
「ユイちゃん魔法以外全然興味無いじゃんよ。俺の渾身の名所解説もほぼ聞き流してるだろ? 四天王の解説とか要る?」
「申し訳ありませんが、四天王の解説は名所解説よりも遥かに興味度が高いです」
深く頷くと、彼は「なんでよ」と菫色の瞳を半眼にして口をへの字に曲げた。
「歴史が知れるんだぞ。つまりロマンよロマン。浪漫に触れるのは楽しいだろ?」
「なんでと言われましても、気になるものは気になります。あと私は魔法以外のものにさして浪漫を感じない質でして……。というか、どうしてそんなに渋るんですか? 四天王はお嫌いとか?」
「いやまあ今代の連中は嫌いじゃねえけど……むしろ先代より好きだけどよ……」
「なら良いじゃないですか」
「……。まあ、解説するのは構わないが……ユイちゃんが妙に押してくる理由が気になる」
「………………」
「何々、意外と闇の国の歴史に興味——は無いよなぁ。さっきそう言ってたしな……」
何やら失礼な視線を受けているような、そうでもないような……。
ムッとした気持ちをどうにか宥めつつ、私は「別に何でもいいじゃないですか」と唇を尖らせた。このまま押していけば、どうにか聞き出せないだろうか。
「主に四天王の得意とする魔法や弱点なんかがあったら知りたいです。あと、ついでに今代魔王陛下の得意魔法と弱点もお願いします」
「…………実は刺客?」
「あり得ません」
「知りたい部分が幾ら何でもピンポイント過ぎるぜお嬢ちゃん……」
「……むう。刺客ではないです。危害を加えるつもりは何も。でも……」
はあ。小さく息を吐いたつもりが、意図せずまるでため息のような響きを伴った。
「どうやら私はその方々と戦わなきゃいけないらしくて……」
ぽろりとこぼしてしまった愚痴をどう受け取ったか、葉さんが無言になる。それどころか足を止めてしまったではないか。数歩遅れてそれに気が付き、肝が冷えた。
「あ! ええと、命のやり取り的な意味ではなくてですね……‼︎」
光の国では勇者の任務は一部の人間しか知らないものだが、闇の国ではどうなのだろうか。勇者として聖剣を託されて来たのだと話しても良いものか否か判断が付かず、かと言ってよい言い訳も浮かばず閉口するしかない。
「——もしかしてユイちゃんって勇者なの?」
ようやく口を開いた葉さんは、信じられないものを見るような顔で首を傾げた。
「え。光魔法使い……だよな? あー、でもマギアルッソはそもそも光魔法使いであると同時に騎士の家でもあったか。勇者の子孫だしな。じゃあ実は魔剣士?」
この口ぶりからするに、闇の国では勇者の任は周知の事実なのかもしれない。私は変な誤解を受けなかった事に安堵の息を吐いた。
「光魔法使いです。……剣も叔父に教わってはいましたが、運動はあまり得意ではなくて」
「勇者って聖剣使いのことだよな? 他にパーティーがいるとかか?」
「…………葉さんこそ妙に聞いてくるじゃないですか」
「そりゃ気になるだろ、何せ勇者よ?」
「……あなたは教えてくれなかったので、私だって教えません。不公平は良くないです」
「今から教えるからさあ」
「やです。もう遅いです」
「早くしないとバスに遅れちゃいますよ」と急かすと、彼は諦めたように歩き出した。