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【04】


 目覚めてすぐ、妙な獣臭さに不快感を覚えた。


「……?」


 床や手足がひんやりと冷たく、腕を持ち上げるとジャラリと金属が鳴り合う音がした。見れば、両手首に手枷が嵌められ、鎖で檻に繋がれているではないか。足も同様だった。


「……………………」


 驚いた。なんと、目覚めたら檻の中にいた。全体的に薄暗い部屋の中には他にも空の檻が幾つか鎮座されているくらいで、私以外には誰もいなさそうだ。


(……どうしてここにいるんだっけ……)


 思考がぼやけて、あまり深く考えるのは面倒臭いなあ、という気分だった。まだ頭が眠りから覚醒し切っていないせいかもしれない。


 ぼーっとし続けて、どのくらい経っただろう。

 鎖とは違う、近しい別の場所で金属が鳴る音。扉が開く音だろうか。

 目蓋を持ち上げると、さっきと違う明るい視界に目が眩んだ。瞬きを繰り返し、どうにか目を慣らす。

 ローブを被った集団が部屋に入ってきたみたいだった。硬い足音が幾つも重なって部屋に響く。彼らは真っ直ぐにこちらへやって来ると、ズラリと私の檻の前に並んだ。

 全員頭から足首まで真っ黒いローブで覆われて、性別すら不明だ。こう眺めても顎元しか見えず、何となく女性っぽいとか、髭があるからおじさんっぽいとか、そんな曖昧な判断しか下せない。


「どうです? お探しの少女でしたかな」


 嗄れた低い声が誰かに話しかけている。誰の目元も見えないけれど、何となく、全員に品定めされているような、観察されているような、そんな気がした。


「……ああ。まさかこの国でこの子に会えるとはね」


(……? なんか……聞いたことある……懐かしい……声、かも……?)


 ぼんやりとした意識の中でも見過ごせなかった違和感に首を傾げると、目の前の人が、その場でしゃがんだ。


「ノエル。……ノエル。私が分かりますか?」


 ノエル——その、名は。

 どくりと心臓が大きく脈打った。


「……、……」


 声を出そうと口を開いたが、はくはくと口を動かしただけで終わってしまう。

 ……あれ。声が出ない?


「あ! サーセン、暗示掛けっぱでした」


 誰かは分からないが、若い声の主がそう言った瞬間。

 彼らの隙間から見えていた背後の壁が——音を立てて崩れた。

 振り向いた集団の一人が「若宮……⁉︎」と緊迫感に満ちた声で誰かを呼ぶのを、私は他人事のようにぽわっと聞いていた。そして先刻も耳にした金属音に気を取られて音の方を向くと、重たそうな扉に手を掛けている新たなローブの人物を発見した。荒く息を切らせて、何やら切羽詰まった様子である。


「“陽炎”が、商品をみんな掻っ攫って……‼︎」


 「応援、を……」声は徐々に尻すぼみとなり、新たにやってきたローブの男は扉から手を離して後ずさった。


「わ、若宮(わかみや)葉介(ようすけ)……⁉︎」


 ————何が起きているんだかさっぱり分からない。


(でも、若宮って人が来たらしいのは分かったかも……)


 たぶん、壁を壊したのがその人なんだろうな。有名な人なのかな。

 ローブの集団にも動きがあった。杖を召喚する人、扉へ向かって走る人、様々である。目前で膝をついている人だけは、特に動きがないけれど。


(誰だっけ……知ってるはず、なのに)


 頭にモヤがかかって答えを掴むことができないのがもどかしい。そうしているうち、部屋の中で幾つもの魔法陣が展開され、私は眩さに目を閉じた。


「ノエル……私の天使」


 ふっ、と。

 頭に何かが触れて。

 目前で揺れた黒い袖から、愛しい匂いがふわりと香って。


「今はまだ君を迎える時ではないのです」


 とても、とても懐かしい声が落ちてきた。


「時期が来たら——また、会いましょう」


 待って、と声を出そうとして、しかしやはり声は出ない。立ち上がり、踵を返してしまったその人の裾を掴んで引き止めたいのに、手を伸ばすこともままならない。

 ——行かないで。

 その人の姿が前触れもなく掻き消えたのを見納めに、私は耐え難い眠気に打ち負けた。


 *


 ——天使に憧れていた頃がある。


「私はね、昔、天使に会ったことがあるんです」


 その人はいつも天使について話していたから。愛おしげに語るその瞳に焦がれて、私には与えられない全てを手にしているその天使を羨んだ。

 私もまた天使になるのだと、そう教育されてきたけれど。

 努力は空回りし裏目に出て、日を追うごとにあの人が私を見る目に失望の色が濃くなっていく。焦燥は更に私を追い込んだ。

 ——幸せだった頃が、確かにあった。

 ずっと、あの人と二人きりで居た。あの人が私の世界の全てで、私を認識している唯一の人。私に優しさや愛をくれるとすればあの人しかいないのに、けれどあの人は夢の中の天使だけを見つめていて。

 それでも、幸せだった頃は僅かにあった。まだ、私に期待してくれていた刹那のひととき。私はただそれを取り戻したかっただけなのに——



 『天使になんか、ならなくていいんだよ』

 


 そう言ってくれる声と出逢うまで、私は。




「——っ」


 嫌な夢を見て飛び起きた私の視界に飛び込んできたのは、薄暗い見知らぬ部屋。木製の壁には海の絵画が飾られて、大きな窓はカーテンが閉じられている。


「あ、起きた?」


 そしてその窓のそばに設置された木製のテーブルセットに、男性が足を組んで腰掛けていた。細身のシルエット。前髪が長く、目にかかっている。しかしその隙間から覗く垂れ目や綺麗な顔立ち、更にその声には覚えがあった。


「……葉、さん?」


 恐る恐る呼びかけると、彼はひらりと手を上げた。足をほどき、こちらへやってくると、私が寝かされていたらしいベッドの縁に腰を下ろした。現状がよく分からないまま近くにある横顔を眺めたが、薄暗い為その表情はよく見えず、視界から特に新たな情報が得られるでもない。


「気分はどうよ? 不調は?」


「……夢見が悪くて気分は優れないですが、体調は普通だと思います」


 彼はくるりと指先を回し、何も無い虚空から水の入ったボトルを出現させた。……亜空間制御魔法だ。


「喉乾いただろ。とりあえずこれ飲んどけ」


「……ありがとう、ございます」


 喉が乾いているのはその通りなので、キャップに手をかける。冷たい水は寝起きで火照った体全体を冷やしていくようで心地良く、勢いよく中身を減らしてしまった。

 満足して一息つくと、それを待っていたように名を呼ばれた。


「どこまで覚えてる?」


「…………」


 よく分からないながら、言われた通りに記憶を紐解いてみる。


「葉さんと……逸れた、ような?」


「おっ、そうだな。気付いたらユイちゃんどっか行ってて焦ったわ」


 「その後は?」と促され、私は首を捻った。その後は何をしていたっけ?


「ええと……ベンチに座って……隣のベンチにいた人達の話をしばらく聞いて……」


「何だそれ?」


「逸れた時は動き回らない方がいいって聞いた事があったので……」


「あーなるほど。……ユイちゃんを発見したのはベンチじゃなかったんだけどよ、それは覚えてるか?

「…………。果物を拾いました。袋が破けて、落としちゃった人がいて。一人じゃ持ち切れないみたいだったから、お家まで運ぶのを手伝って……」


「ほー? その後は?」


「あ、お礼に食べ物をいっぱい貰いました!」


「良かったな〜。でもたぶん俺が知りたいのはもうちょい後のことなのよね」



 その後、は。


「……変な人に会ったかもしれません」


「おっ、それだわそれ。何があったのよ?」


 葉さんが顔だけで振り向いて、ちらりとこちらを一瞥された。声は軽い調子なのにその表情は真剣さを感じるものだったから、意外に思う。


「黒いローブを着た人物に呼び止められて、紙を渡されました。それに闇の陣が描かれていたので何なのか尋ねようと思った所で記憶が途切れていますね。目深にフードを被っていたので顔はよく見えなかったです」


「……闇の陣ってのは間違いないか? 特に改変も無し?」


「記憶が確かなら」


「それ以降については?」


「………………分からないです」


 不思議なことに、それ以降については朧げだ。あの妙な魔法の効果だと思うが、一体私はあの後何をされてしまったのだろうか。

 体を見下ろしても、特に怪我はしていないみたいだけど……。


「私はどうしてここで寝て? ……そもそもここはどこでしょうか。葉さんが助けてくださったということですか?」


 葉さんはすぐには答えず、長い脚を組んだ。


「……まあ、そんなところかねえ。探索魔法でユイちゃんの居場所を突き止めて迎えに行ったのよ。犯人らしい連中もその場には居たが逃げられた。見たところユイちゃんはまだ何もされてなさそうだったから、宿屋に運んで休ませてたってわけだ」


「そう……だったんですね。ご迷惑をおかけしました」


「それはいいが、何か狙われる心当たりとかある?」


「ありすぎて分からないですね……」


 反射的に答えてから、しかしここは闇の国だと思い直す。


「ああ、いえ。訂正させてください。闇の国の方に狙われる心当たりは特にありません」


 そのはずだ。闇の民の知り合いなんて葉さんくらいしか居ないし、私は何か事件に巻き込まれていたらしいが、それはきっと偶然だろう。


「でも昔から不審者に遭遇し易い体質なので、今回のもそれかもしれません」


「…………ユイちゃんも苦労してんのね」


 たっぷりの間をあけてからそう言うと、葉さんは脚を組み替えた。


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