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part.09 君の一番



 親善試合の翌朝。

 聖剣との結びは、まるであれが夢だったかのように解けて——は、いなかった。


 本来ならば色々と他にやるべきこと、用意すべきものがある中、最低限必要だろうと思われる行為だけで済ませたあの日の簡易的な結び。

 それでもやはり聖王の危機という特殊な状況だからこそ、聖剣も大目に見てこちらへ応えてくれたのだとばかり考えていた。


 過去にも聖王の危機により一時的に聖剣と結んだ話があり、その時には事態が解決すればすぐに結びは解消されていたという。


 そも、結びというのは魔具と人で交わす契約のようなもの。一般に出回る魔具と行うそれは、召喚に必要な(パス)または呪文を自分で設定する行為を指す。

 私と流れ星の杖(トゥインクル・ロッド)の場合は“おいで”と呼びかけるか、鍵——独自の魔法式を展開するか、そのどちらかを行えば、普段は指輪として眠っている杖が真の姿を取り戻すのだ。


 グランシャインもまた、私の右手の人差し指に白銀の指輪として眠っている。

 ……その、今も。


「うーん……?」


 聖剣は他の魔具とは違う。

 何せ女神様の力を宿し、意思のようなものまで存在する。会話はどうにもできそうにないが、この短い間でもグランシャインには確かに意思が宿っているらしいことは実感できた。時折、物言いたげに魔石が点滅するのが最たる例だろうか。


 だからこそ、てっきり空気を読んで親善試合の終わりまで特別に結びを継続してくれているのだとばかり考えていたけれど……。


(まあ、いっか)


 聖王に返せば、何とかなるだろう。たぶん。


 今日は一旦光の国へ帰り、聖剣を返上し、一泊後に再び闇の国へ戻ってくる予定だ。ちなみに、移動は全て転移魔法に頼る。

 憂鬱をグッと押し殺し、私はシャワーを浴びるため浴室へ続く扉を開けた。



 *



 白い建物。青い屋根。道は白煉瓦で舗装されているか、踏みならされた地面のままか、草原かの三択に絞られる。

 闇の国と比べれば緑が多く、どこか牧歌的な印象すらある光の国には、ほんの少し前にも戻ってきたばかりだ。


 白く輝くスイファンの都に転移すると、私はすぐにフードを深く被った。

 真っ先に王城へ向かうべきかもしれないが——

 しかしどうにも足が向かず、私はふらりと別の道を歩き出す。


 久々に歩く都は賑やかだ。

 闇の国ならば魔導車が走っていただろうが、ここは光の国。徒歩の他には緩やかに走る馬車や自転車、騎士を乗せて滑走する馬の姿があるのみである。



 「あ」。通りの向こう側を、白馬が過ぎったのが見えた。

 青い鞍を着けた美しい白馬に跨るのは陽光を受けてキラキラ輝く金髪の女騎士。


(ひーちゃんだ……)


 すぐに姿は見えなくなってしまったが、何となく嬉しくなった。


 ふと思い立ち、大通りにある友人の魔具屋の前や仕立て屋の前を通過し、それとなく店内を覗いてみたりもした。

 快活に働く友人達の姿を見つけ、こっそり笑って、すぐに立ち去って。今思えば、ちょっと不審者じみていたかもしれない。



 その後は細い路地を通り過ぎ、橋を渡り、丘を登って……。



 導かれるように迷いなく進み、辿り着いたのは立ち入り禁止の広い空き地。

 以前張られていた侵入を阻害する結界は無くなっていた。



「……ユイ?」


 いつか結界が張られていた境界線の辺りをぼーっと眺めていると、不意に名を呼ばれた。


 フードを被ったこの状態でも私である事を看破できるとするなら、それなりに付き合いのある相手だろう。

 そしてこのよく通る声——


「ヒジリくん……」


 振り向けば、木陰の向こうから予想した通りの姿が現れた。


 彩度の低い茶髪と、同じ色の瞳。人好きのする整った顔立ちの彼だが、今は見違えるようにやつれていた。きっとろくに眠れていないのだろう、目の下には濃い隈がある。

 今すぐ休むべきに見えるが、今も仕事中なのか、黒い燕尾服を纏っていた。


 「大丈夫?」と思わず声を掛けると、彼は微かに目元を緩めた。


「平気だよ。……いつかユイも通った道だろう?」


 やつれた姿とは裏腹に、彼の浮かべる表情は不思議と明るかった。



「——少し、な。すっきりした面もあるんだ」


 私の視線を受け止めて、ヒジリくんは笑っていた。


「陛下もお前も、俺は悪くないなんて言ってくれるだろ? ……確かに、俺自身は何もしていないさ。だが家を継いだ以上、一族の人間が犯した過ちは全て当主である俺の責だ。無関係でいることはできない」


 「ずっと俺は誰かに裁いて欲しかったんだ」と、彼は言う。


「でも、それが叶って気が付いたよ。どんな非難の言葉より、お前たちから向けられる不変の信頼の方が、よっぽどしんどい」


 はあ、と溜まった何かを吐き出すように深く息を吐き、困ったように頭を掻いたヒジリくんに、思わず少し笑ってしまった。


「……ふふ。分かるよ。しんどいよねえ」



 二人でしばらく笑い合う内、私の中にあった気まずさが解けていくのを感じた。


「陛下はどれだけ批判・反対されようが、俺をお側に置き続けて下さるそうだ。一蓮托生、覚悟を決めろと凄まれたよ」


「大変だね」


「本当にな。……ユイはどうだった?」


 何を指しての問い掛けか分からず、きょとんとヒジリくんを見上げてしまった。

 すると彼の手がこちらへ伸びてきて、私の頭を隠していたフードを後ろへ追いやってしまった。



「“勇者”になる夢を叶えて、どう思ったのかが気になったんだ」


 風を浴びたことで舞い遊ぶ髪を押さえるふりをして、私は俯いた。



「……楽しかったよ」



 本心からの言葉だった。


「楽しかった」


 「そうか」。繰り返すと、ヒジリくんは穏やかに言った。どんな顔をしているか気になり、ちらりと見上げると、声の通りの表情がそこにはある。彼も私をじっと見た後、視線で丘の上を示した。


 「ユイ。あそこに用があるんじゃないか?」と。


 丘のてっぺんには、ぽつんと一本の木が立っている。

 何も考えずにここまで来たが——私の中には、もしかして、という期待が片隅にあった。


「親友と出会えた場所だから、ここは特別なんだと以前話されていたよ」


 そう言って送り出してくれたヒジリくんに笑顔を返し、私は思い出の道を歩いた。



 一面に生い茂る緑を風が撫で、穏やかな波のように揺らめいている。

 なだらかな坂道を私は急ぐことなく登っていく。

 夏は青く、秋が来れば黄金の葉をつける木の下に、誰かがいるみたいだった。


 まだ暑さの続くこんな夏の日にもかっちりとした白い衣服と外套を纏った彼女は、根元に腰掛け、ぼんやり空を見上げているようだった。


 爽やかな風が私の背を押した。



「…………」


 何をしているのかと思えば、彼女は深緑色のアイスを食べているらしかった。ワッフルコーンをサクサクと齧る音が微かに聞こえる。


 瑠璃の瞳に一瞥されただけで、特に何も言われなかったから、私も無言でその隣に腰を下ろした。

 揺れ動く木漏れ日を浴びながら、じわじわと流れてくる汗を手の甲で拭う。



「ここはオレのお気に入りの場所なんだ」


 ——オレ。懐かしい一人称だ。

 彼女は昔から剣が好きで、騎士になるのを夢見ていた。光の国には女騎士も多いが、しかし男の方が身体的なポテンシャルは上回るはずだと、男に生まれたかったとよく溢していたものだ。中性的な容姿なのも相俟って、彼女は好んで男装をし、父上を真似て自分を“オレ”などと称していた。再会してからは、そういえば聞かなくなっていたっけ……。


 兄に代わり王位を継ぐことになり、夢を諦めたからだと思っていたけれど——


 隣の彼女はアイスをすっかり食べ終えると、包み紙をくしゃくしゃと手で丸めた。



「昔はここに屋敷があったな。貴族の家にしては小さめだった。この木には子供が四人も座れる師匠(せんせい)手製のブランコが、そしてあの辺りには屋敷よりも大きな道場があって、オレは兄と二人であそこに通っていたんだ」


 それは昔を懐かしむ声とは違い、目の前にある風景を説明しているだけのような、妙にはっきりとした響きを持っていた。


「よく父様がオレ達の様子を見るという名目でサボりに来ては、ヒジリの父に連れ戻されていた」


 彼女の声を耳に目を閉じれば、まるでまだそこにあるかのように思えてくる。


「師匠の愛娘とやらが道場にやってきた時にはどんな天才が来るのかと思ったが、実際は剣に振り回されてばかりで、哀れなほど弱かった」


「……うるさいなあ、もう」


 つい口を挟んでしまうと、彼女は可笑しそうに笑う。


「でもお前は、私が攫われると何故か一番に助けに来てくれたな」


 横目で盗み見たアイリは、膝に頰を乗せてこちらを眺めていた。


「いつも一緒に攫われてたから、一番に助けにっていうのは何か違う気がするけど……」


「はは。それもそうか」


 快活に笑い、彼女は言葉を続ける。


「でもさ、いつもは臆病で弱っちいのに、そういう時だけやけにお前は強くて頼りになるんだよな」


「……ここを耐えれば、絶対にパパが助けに来てくれるって信じてたからじゃないかなあ」


「この前は?」


 「誰も頼りにならないと知りながら、それでも助けに来てくれたのだろう?」と、そう話す瞳は優しげで。私は一瞬言葉に詰まり、目を逸らした。

 落とした視線の先で、木漏れ日を反射する白銀が目に留まる。


「グランシャインが一緒だったから」


 指輪を外し、私はそれを尚もこちらを見つめているアイリへと差し出した。白い指先が指輪を掴むと、それは光り輝き、純白の鞘に収まる一振りの剣へと変化した。


「そこは、大好きなオレの為にとか言っておく場面じゃないか?」


 フッと笑うと、アイリは立ち上がった。

 太陽を背負った彼女の影はちょうど私の上に落ち、陽に透けた青い髪は空に映えて美しい。


挿絵(By みてみん)


「——ユイ。良いことを教えてやろう。オレもお前のことが好きだ」



「!」


「一番の友だと思っている。……ふふ。オレにはな、一番の友が二人もいるんだ」


 「じゃあ、またな」。目を丸くする私へ悪戯っぽく笑って、彼女はふらりと立ち去ってしまった。


 ひとり残された私はといえば、心臓が妙に跳ねて口許がにやけてしまう状態に陥り、暫く直らなかった。



 ——お互いが一番の友達だ、と。



 記憶の中の(ユイ)も、彼女と笑い合っていたっけ。


「もう一人の“一番”って、誰なんだろ……」


 私も知る誰かだろうか。

 それとも、私には分からない人だろうか。


「ノエル、君は誰だか知ってる?」


 ふと湧いた疑問は、誰の耳にも届かず風に溶けた。



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