【07】
仙頭の体を魔力で拘束し、魔法で意識を奪い——私達は天を仰いだ。
青い空を遮るように聳える呪術結晶は、今もなお煌々と輝き続けている。
『——ん、ユイちゃん、聴こえる?』
「!」
木々のざわめきだけが聴こえた静かな空間で、不意に脳裏に響く声があった。
『良くやってくれたね。ありがとう。そして申し訳ない。魔具が壊れかけているせいか、そちらで強い魔力を使うと、どうも混線するみたいでねぇ……』
「いえ、結界の支援助かりました。それで、この結晶はどうしましょう?」
セイブルは一人話す私に首を傾げている。
首の魔具を指差して「お城と通信が繋がってるの」と端的に説明すると、彼は納得したのか頷いた。
「あ、の! それってボクの声も聴こえて……ます、か?」
そう言うが否や、私達の前に魔法陣が現れた。闇の陣から放たれた光は長方形を形成し、なんとそこにまるでテレビのモニターのように映像が映し出されたのである。
ミシロさんの他にトモさんなどの城幹部らしき面々を端にして、中央には黒い外套を羽織った金髪青眼の線の細い美形——いつか、雑誌で見た覚えがある。あれはたぶん、魔王その人だ。アイリに癒して貰ったのだろうか?
ということは、先程から話しかけてきていた相手も彼だったのかもしれない。
『遠見だけは何とか維持できたから、君達の様子はずっとこちらでも観測していたよ。光鏡の調子はどうかな』
なるほど。光鏡。……遠見の水鏡の応用技、なのかな。
「問題ありません」
『そう。それで、セイブル=クラウンフィール。君は何か話があるようだったけど』
「!」
セイブルもこの人が誰であるか理解しているのか、その顔はどこか固かった。
「は、はい。あの呪術結晶ですけど、ボクが何とかできると思います」
『それは……どのように?』
「ボクは自分で作った結晶には必ず弱点を仕込んでいます。子供の頃に作ったとある解呪結晶さえあれば、それで呪詛を浄化することが……」
言いながら、彼は鏡池を振り向いた。
「その解呪結晶なら、少し前に虹の雫と一緒にあの池の中に放り込んで——」
「……は?」
「ひっ⁉︎」
話の途中ではあったが、思わず普段出すことのないような低い声を出してしまった。
私より随分と背が伸びたセイブルだが、恐る恐る私を窺うその情けない顔を見るに、中身はそう変わっていないようである。
「ゆ、ユイちゃん、なんか、顔と声が怖い……よ?」
「私の虹の雫を鏡池に落としたのがセイブルだったって本当?」
「ウッ、いや、その、」
「本当? どうして? なんで? 国宝を失くしちゃって私死ぬほど焦ったんだよ?」
「ご、ごめん、ごめんなさい、でもその、さ、探しに来てくれるかなって……」
じりじりと滲み寄ると、セイブルは半泣きで弁明を始めた。
「アイリさんから聞いたんだ! セラピア様のお告げで聖剣と虹の雫をユイちゃんに託したんだって。呪いを弾く聖剣と、どんな病も呪いも癒す魔石だよ? しかも女神様に愛されたマギアルッソの君がそれを持ってるなんて、そんなの最適解すぎるじゃないか……。だからもし仙頭に勝てるとしたら、それはユイちゃんしかいないと思って……」
「……ふうん?」
「ぼ、ボクは、四六時中ずっと操られてた訳じゃなくて、仙頭が許可を出すか、もしくは仙頭と物理的な距離が開くと自由が戻るんだ。魔法は使えないし、勝手に出歩くとすぐバレるんだけど……。その隙を見て虹の雫と解呪結晶を池に投げ入れたり、小屋に仕掛けてた転移魔法式のトラップを書き換えて転移先をアイリさんが居る場所にしたり、キミの助けになるよう対結界用の呪術結晶を壊したりとか、ほら、意外とボクも頑張って……」
「私を逃がそうとしたくせに?」
「だって子供のまま来るとか思わないじゃないか! 普通に考えて勝てるわけないだろ!」
「あ、あれはアイリから虹の雫の残使用回数を聞き忘れてたから……‼︎ 最優先はアイリだったし、実際あれが最後の一回分だったみたいだし⁉︎」
「そもそもまさか聖剣を手から滑り落として呪いに掛かっちゃうとか思わないよ! 幾らなんでもドジっ子過ぎるよ⁉」
「うっ……」
負けた……。それを言われるとあまりにも痛くて、何も言えなくなってしまう……。でも悔しい……。むむむ……。
モヤモヤしていると『お前ら、こんな時に喧嘩をする奴があるか……』と呆れた声が割って入った。凛として透き通ったこの美しい声は、聞き間違えるはずもない。
「あーちゃん⁉︎」
見れば、光鏡の中でいつの間にか魔王の横に青い髪の女性が立っていた。
『今は聖王様と呼べ』
「あっ、はい」
『それで、セイブル? あれを何とかできると言ったな。今すぐやれるか?』
「は、はいっ!」
腕を組んだアイリ——聖王はどこか疲れた様子で、それ故にか妙に威圧的だった。私もセイブルも今の状況を忘れて口論してしまった後ろめたさから、タジタジになってしまう。
「せ、せっくん、ほら」
私は首から提げていたネックレスを外し、それをセイブルへと押し付けた。彼は手にしていたものとそっくりな結晶の付いたネックレスを見て、目を丸くする。
「……あれ? これ……ボクの解呪結晶?」
「虹の雫と一緒に落ちてたから、たぶんせっくんのだと思って拾っといたの」
「そっか、ありがとう。これから池に入って探さなきゃいけないと思ってたや」
眉を下げ、少しホッとしたようにネックレスを受け取ったセイブルは、そのままスタスタとあの巨大な結晶の元へ歩いて行ってしまう。
一体今から何が起こるのか気になり、私は彼の姿を注視した。
そもそも、呪術結晶の破壊は難しいものだ。
特にこのサイズの呪術結晶を丸々沈められるほどの聖水——ならまあ、私ならどうにかできるけれど、かといって何に容れるかは悩ましい。地面に穴を掘ってみるとかその程度しか思い付かないし、何にせよ、すぐに浄化が完了するものでもない。
そしてこれから行われるのは、全ての問題を一切無視した、創作者であるが故の解決策——
「それにしても、大きく成長したなあ」
私の前でのほほんと場違いな感想を述べたセイブルは、結晶を握る手を胸の前に持ち上げるとそれを「えいっ」と放り投げてしまった。
「えっ」
放物線を描いて飛んでいった小さな結晶は、光り輝く巨大呪術結晶へぶつかり——目も開けていられないような強烈な閃光を生み出した。思わずキツく瞼を閉じてしまう。
無音だ。
何が起きたのか、さっぱり分からない。
「ユイちゃん、もう大丈夫だよ」
少しして、緊張感のない声が降ってきた。
恐る恐る瞼を持ち上げる、と——あれほどまでに存在感を放っていた巨大な結晶が、跡形もなく消えていた。
視界にあるのは、少しだけ寂しげな顔をしたセイブルひとり。
「……仙頭は意外とボクに優しいところもあったから、宝物だって話してたこの結晶だけは取り上げられずに済んだんだ。……まあ、たぶん、解呪じゃなくて呪術の方の結晶だと勘違いしてたのもあるけど」
淡々と語りつつ、セイブルは地面に落ちていた解呪結晶のネックレスを拾い上げた。
「今回の計画の要だった成長する呪術結晶——呪いで奪った魔力を元にして加速度的に成長し、効果範囲を拡大していく。最初は手の平大の小さな石だったんだよ? 仮に、もし誰にも止められずに成長しきっちゃったら……国中にまで呪いが蔓延した筈だ。その時はこれが唯一の対抗策になる。でもボクは自由に動けないから、虹の雫と一緒に池に投げ入れといたんだよ。……ユイちゃんが生きてるってアイリさんに聞いてから、もうこれしかないと思ってた」
「キミは昔から、ボクの勇者様だったからね」。悪戯っぽく笑いながらセイブルは私を振り返った。蜂蜜色の瞳は、嬉しそうに細められている。
「ユイちゃん、さっきはありがとう」
「うん……? 何かしたっけ?」
「あはは。ユイちゃん、すっかり別人みたいになったと思ってたけど……そういうところは相変わらずなんだね」
彼の言う所は私にはあまり理解のできないものだったが、一人満足げな顔を見れば、それ以上語ってくれる気は無さそうだと分かる。
さて、残る問題は——
『セイブル』
聖王からの呼び掛けに、セイブルはびくりと肩を揺らした。
『次は王都中にいる患者をどうにかしたい。幼児化の呪いの解呪結晶はあるか?』
「いえ……作らせてもらえなかったので……」
『新たに作ることは』
「ボクの異能は……一日に作れる結晶の数はそう多くありません。たぶん、今日はもう精々対個人用のを二つぐらいしか……」
『…………』
二つ。被害者の総勢が何人かは知らないが、流石にそれでは間に合わないだろう。それを聞き目を閉じた聖王は、深く息を吐いた。彼女を横目で一瞥した魔王も、何も言わない。誰も。何も。
——被害が大きすぎて、きっともう、どうしようもないのだ。
聖王の女神の加護による癒しも、そこまで多くの人々を一度に癒すのには向いていない。その奇跡は一対一で施されるものだからだ。更に気力も魔力も多く求められるから、そう何度も短時間で繰り返すのは難しい。
私はグランシャインを杖に戻し、大きく息を吸った。
「聖王様」
『ユイ』
奇しくも、私達は同時に互いを呼び合った。
光鏡の中の彼女と見つめ合う。
勝気な瞳は、グランシャインの魔石と同じ色。
女神の愛する高貴なる青。
『……試してみたいことがある。いけるか?』
その声は、彼女にしては珍しく弱気だった。
だから私は精一杯笑ってみる。
「お任せください。こんな事もあろうかと、ちゃんと魔力を温存しておきました」
*
聖剣は伝説に事欠かない。
グランシャインが与える希望は、まさしく神しか為し得ぬ奇跡であると。
聖王が女神の現し身ならば、勇者はそう——女神の剣。
私の場合は杖かもしれないが、どちらにせよ神の力を行使する道具としての役割があるだろう。
かつて独立戦争の際、姫騎士と勇者は死の街となった都市を丸ごと一つ救ってみせた。
女神の権能を貸し与えられた姫騎士が癒しの力を練り、勇者はグランシャインを用いて魔法の雨を降らせたという。
それは女神セラピアの権能を遺憾無く発揮した奇跡のひとつ。本来一対一で与えられるはずの女神の癒しをグランシャインの中で増幅し、魔力として還元する。癒しの力を得た魔力で作られた雨は浴びた者達を尽く癒した。
私と聖王様が倒れるまで魔力を使い果たして再現して見せた“伝説”は、果たしてきちんと呪われた人々を救ってくれたらしい————……
目覚めた時にはもう事件による混乱は収束済みだった。
セイブルは仙頭と同じく捕まって、私は魔王城の面々から散々感謝され、目にするのも恐ろしい豪華な褒美の品をたくさんもらって……。
事件の日。あれは濃い一日だった。
私にとって……いや、私達にとって大きな因縁のある相手と再戦することになったあの日。燻り続けた疑念を晴らすことになったあの日。
寝台に横たわりながら、未だ結ばれたままのグランシャインをぼんやりと眺めた。
心に空があるならば、きっと私のそれは曇天か、ざあざあ雨が降っている。
「パパ……」
あの日からずっと呑み込めないでいるこの感情を、私はどうすればいいのだろう。




