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【06】



 やはり、見間違いではなかった。

 呆然と見上げる私の前では濃紫の結晶が妖しく輝き、その存在を遺憾無く主張している。

 結晶の真下には寝かされたセイブルと仙頭が居り、いや、それはいいんだけれど、やっぱりこれはあまりにも大きすぎないだろうか?


 大体にして呪術結晶は普通、手のひら大くらいのサイズである。元から大きかったのに、更に巨大に成長するとはどういう原理なのだろう。


(仙頭は……魔法を使ってる?)


 詠唱の声は聞こえないが、彼らの足元には魔法陣が輝いている。しかしこちらへ攻撃する訳でもなく、何をしているかは不明だ。巨大化は仙頭の仕業なのだろうか。

 戸惑いに揺れていると、


『——ユイちゃん、聴こえる?』


「! は、はいっ」


 頭に誰かの声が響いた。

 あの少年魔王の高く透き通った声ではないが、これは城からの通信だろう。首に付けた魔具はセイブルによって少し傷付けられた筈だから、てっきりもう壊れたのかとばかり考えていたが違ったようだ。


『ようやく通信が繋がったか……。早速だけど、君にして欲しい事がある』


 『仙頭巡の無力化だ』と、返事を待たずに声は告げる。


『彼が呪術結晶に何らかの魔法をかけたおかげで、結晶が他に類を見ないサイズに成長しちゃってねぇ。呪いの効果範囲が王都全域にまで拡大した。聖王陛下が解呪に尽力して下さってはいるが、到底追い付くものじゃない』


「王都全域——」


『ただし、城は無事だよ。どうやら聖王陛下を中心とした少しの範囲は呪いが無効化されているようだ。……しかし、住民全員をその範囲内に収めるのは不可能だ。そもそも救助がまず厳しい。彼女が動けば、無効化範囲もまた動く。範囲外に出てしまった者は一度癒されていてもまた呪われてしまう』


 思っていたよりも大変な事になっているようである。

 アイリを中心に呪いが無効化される理由は、私が託したグランシャインの分け身の加護という事で説明は付くが——かと言って、これ以上グランシャインを分裂させては、こちらとアイリの加護が薄まりかねない。


『あの巨体では結晶の浄化もすぐには難しい。よって、まずは仙頭の対処に当たりたい。……君、攻撃魔法は使える?』


「あまり得意ではありませんが、水、風、光属性なら……」


『こちらも出来る限り援護するよ。守りはミシロさんに任せ、君は仙頭に近付き彼の結界を破壊するのに集中してほしい』


 「結界……?」。つい、おうむ返しにしてしまった。見る限り結界を張っているようには思えなかったからだ。


『ああ。仙頭は今も結晶に何らかの魔法をかけ続けている。古代魔法に於ける魔法陣とは、内にいる者を守る結界の役割も果たすんだよ。そして通常の結界と違い鍵は無いが、蓄積ダメージによる破壊なら可能だ』


「……なるほど。やってみます」


 結界の破壊方法は大きく分けて二つある。

 魔力で干渉し鍵として設定された魔力濃度・魔法式の組み合わせを見つけるか、耐久力が無くなるまで攻撃を続けるか。今回は後者のみが有効らしい。


「黎明なる白き精霊(とも)よ、静謐なる青き精霊(とも)よ、遥けき彼方より声届くならばどうか応え給う——」


 自分とグランシャインの魔力を練り上げ、普段ならば省略する呪文を敢えて口にする。今は余計な魔力消費は出来る限り減らし、温存しておきたかった。


「遍く神の光が照らすは原罪の海、是なるは深々(しんしん)と貫き穿つ浄化の一矢……」


 私の前方に青白く輝く魔法陣が描かれたのを薄目で見ながら呪文を結び、魔力が極限まで高まったその瞬間を待ち——放つ!


 「“断罪の矢”!」。私の声を合図に魔法陣が弾け飛び、光は渦巻く水を帯びた矢となりまるで流星のように標的の元へ飛んでいった。

は仙頭の魔法陣の外円部に結界があるのだろう、不可視の壁が矢の動きを阻む。仙頭はそれに目もくれず、ただ杖を天に掲げ呪術結晶を見上げている。


 この程度で壊されるはずがないなどと考えているのかもしれないが、だとすれば読みが甘い。

 光の矢は消える事なく宙に留まり、じわじわと前進していく。私は矢に送る魔力を更に増やした。

 もう少し、もう少し多く……。



(——割れた!)


 不可視の壁と思われたそれが砕け散る様は一瞬だ。

 まるでガラスが破れたかのように光の破片が舞い落ち、消えていく。そして矢はそのまま仙頭の肩を貫いた。


「っぐぅ……ッ」


 杖を落とし、肩を押さえて蹲る。私はすぐに捕縛用の光輪を魔法で用意したが、仙頭もただやられっぱなしという訳ではなかった。何らかの闇魔法で光輪を弾き返し、地に落ちた杖を再び掴み上げる。


「邪魔をするなァッ!」


 私へ向けて、雨のように闇が降る。

 それを光の矢で相殺し、すり抜けてきた攻撃は——恐らくはミシロさんの結界によって無効化された。


 ……なるほど。

 ここならば、魔王城からのバックアップを受けられるのか。誰かにこうして魔法で守られるのは初めてだけど、中々安心感がある。と言っても、それは全てミシロさんだからというだけかもしれないけれど。彼の結界ならば大丈夫だろうと、私は光の矢による相殺を止め、別の魔法を練り上げた。

 まずはそう、手初めに転移魔法を。


「セイブルっ⁉︎」


 ——やっぱりそうだ。仙頭はセイブルのことを()以上に見ている。私のそばに転移させられたセイブルに気が付き、仙頭は攻撃を止めて彼を取り戻す為に行動した。あちらも使ったのは転移魔法である。


 しかし私の魔法妨害によって、仙頭の望み通りにはならなかった。「返せ!」。妨害され、その場に留まらざるを得なかった仙頭が、諦め悪く再び杖を構える。私がまた妨害を繰り出すと、仙頭は舌打ちをし、その視線をセイブルだけに固定した。


「離しなさい、その子はこんなところで死なせる訳にはならない……‼︎」


「……。あなたは、意外とセイブルに入れ込んでいるんですね?」


「当たり前だ、彼ほど呪術に愛された者を私は見たことがない……‼︎ 彼こそ、彼だけが私の後継に相応しい! そして私は少なくともお前の飼い主(﹅﹅﹅)よりは良い環境を用意し、手塩にかけて育てて来た。お前のように、友と嘯き斬り捨てるような者に任せる訳には——」


「…………ああ。やっぱり、だから怒っているんですね」


 あの丁寧な口調が今や見る影もない。

 仙頭が私を睨む目には教会で出会した先刻よりも深い激情が宿っているようだった。


「大丈夫ですよ。確かに私は先程彼を斬りましたが、命には何の別条もありません。冷静に、よく見て下さい。そもそも服だって切れてないし、血も出ていないでしょう?」


「な、に……⁉︎」


「聖剣は破魔の(けん)であり、選定の(つるぎ)でもある。そしてグランシャインとは癒しの女神の権能を宿した神の石——真に結びを行い、全権能が目覚めた今の聖剣で直接断てるものは、女神が悪しきと判じたものだけ……」


 すやすやと眠るセイブルを見下ろす。その表情は穏やかで、そして——白いその首にはもう、彼を縛っているという首輪チョーカーは存在していなかった。


 それを確認してから、私は仙頭を一瞥した。

 黒いローブで分かりにくいが、先刻貫いた彼の肩からは血が流れているようだ。


「……でも、良かった。セラピア様はセイブルのことをお許しくださったみたいです」


「許した……?」


「ええ。だから、ほら。無傷どころか、彼を蝕む全てを浄化してくれました」


 「まさか——」と、仙頭はようやく私のした事に気が付いたようだった。


「これまであなたが彼を都合よく操る為に縛ってきた呪いや洗脳は、もう全て解けているはずです。……今から新たに呪おうとしても無駄ですよ。グランシャインが守るのは私だけじゃない」


 膝を折り、私はセイブルの頬をぺしぺしと軽く叩いた。やがて長い睫毛が不快げに震え、徐に蜂蜜色の瞳が開く。


「せっくん、せっくん。そろそろ起きて」


「……ん……ゆい、ちゃん……?」


 とろんと微睡んでいる切れ長の瞳は、何だか幼い頃の彼みたいだった。しかし今はそんな懐旧の念に浸っている場合ではない。

 びよんとその頬を強めに引っ張ると、「痛い⁉︎」と彼は飛び起きた。


「何してたんだっけ……」


 乱れた長い銀髪をかき混ぜながら、セイブルは眉を寄せた。寝ぼけているのだろうか。


「せっくん、仙頭を倒すの協力してね」


「あ、うん……って、え?」


「(私が聖剣で仙頭のプロテクトを解くから、君は——)」


 彼の耳に唇を寄せ、仙頭に聞こえないよう小声で作戦を伝えると、セイブルは驚いたように顔を上げた。



「でも今のボクは魔法が使えな——」


「使えるよ。チョーカーは壊したし、もう魔力も練れるでしょう?」


「……あれ? ホントだ。無くなってる……」


「あと、一応少しは残しておいたんだけど……魔力は足りる、よね……?」


「…………うん。少し寝て回復したし……これなら、ギリギリ足りると思う」


 首を触って確認している彼を尻目に立ち上がり、手を差し出す。セイブルはすぐに私の手を取ってくれた。



「セイブル……」


 低い声に呼ばれると、セイブルは一歩足を引いた。


「戻って来なさい」


「……」


「彼女と共に行ったところで、貴方に待つのは冷たい牢獄でしかないのですよ」


「…………」


「セイブル」


 語り掛ける声は諭すように柔らかく、優しい響きを持っていた。黙ってそれを聞くセイブルに不安が湧き、彼を見上げたが、そこには迷いの無い凛とした横顔があった。



「——嫌だ。ボクはお前の元には戻らない」



 深く息を吸い、彼はきっぱりと断言した。

 その瞬間、仙頭はまるで生気が抜けたような間抜け面を晒した。


「……何故、ですか。私と共に来れば、呪術師として胸を張って生きられるのに……?」


 「ボクは……」。眼鏡の奥の瞳が、秘めた光をたたえて揺れている。背をかすかに丸め、セイブルは何かを堪えるように拳を握りしめた。


「確かに呪術が好きだけど。でも仙頭、お前の使い方は好きじゃない……」


「使い方……?」


「ボクが呪術師である自分を肯定できるのは、この身体にクラウンフィールの血が流れているからだ。例え理解されずとも、どれだけ蔑まれようと、感謝なんかされなくても! クラウンフィールの術師は民を守る為に数え切れない数の魔物を屠って来た! 呪術の成り立ちが悪であろうとも——ボクは一族の行いが正しいものだったって信じてる。だから仙頭、お前みたいに呪術で人を苦しめる事しかしない呪術師なんか大っ嫌いだ!」


「——……」


「ねえ、覚えてる? 初めて会った時も同じことをボクに言ってたよね。……二十年前と同じだ。ボクの答えは今も昔も何一つ変わらない」


 「一族を殺したお前に協力するなんてクソ食らえだ」。鋭く啖呵を切ったセイブルはその手に髪と同じ色の杖を召喚した。


「あの時は敵わなかったけど、今なら——‼︎」


 彼を中心に展開されたのは珍しい魔法陣だった。

 光と闇を表す太陽と月のモチーフが均等に配され、中央に鎮座するのは呪を表す古代紋様。それは私にとって懐かしい、彼が異能で新たな呪術結晶を編み出す為の魔法陣だとすぐに分かった。


 長年共にいた仙頭も勿論それは理解しているだろう。苦々しく舌打ちした彼もまた、杖を構え陣を構築した。


「ユイちゃん、いつでもいけるよ!」


「分かった……!」


 グランシャインへと要請する。再びその姿を変え、魔払いの剣となるように。そして幾つかの魔法式を脳裏で同時に構築する。

 仙頭の懐へ飛び込み、結界を壊し、その身に宿した呪い封じの呪詛(﹅﹅)を断つために!


 踏み込みは迷い無く。

 目に映すのは対峙する敵。



(——パパ……)


 再現するのは、かつて憧れた勇者の奇蹟。


 聖なる刃に魔法を乗せ、私は仙頭を守る結界ごと——彼の呪詛を両断した。


 それと同時、セイブルの異能が発動する。

 仙頭は己を包む光に驚愕の表情を浮かべた。

 そして白い光が一際大きく輝いた次の瞬間。


 暗い風貌の中年男性はすっかり毒の抜けた幼い姿へと変貌した。



「こ、これは……」


 彼は自分の体を触り、サイズの合わなくなった衣類を眺め、信じられないものを見るように己を見下ろしている。


「……“対魔法使い用の呪い”だよ」


 杖をかき消し、セイブルは静かに前へ出た。その手には透明な結晶が握られていた。手のひら大で、楕円形で、荒削りな——見覚えのある形のそれ。


「まあ、まだ死なれちゃ困るから、無理やり作らされたのとは違って命を脅かす危険は無いけどね」


 そう付け足した彼はどこか安堵したように微笑んでいて、私も肩から力が抜けた。




「——魔法を愛して何が悪い」


 緩みかけた空気を再び引き締めたのは仙頭だ。

 随分と高くなった少年の声はしかし、見目に似合わぬ昏さを纏い、まるで人を呪うかのようだった。


「愛した魔法が呪いだっただけのことで、何故……何ゆえに迫害されねばならない? 魔法とは何よりも清廉で、何よりも尊く、何よりも自由な学問ではないのか……! 許さない。呪い魔法を認めぬ者を私は許さない。愛した魔法を守るために、私は。私はただそれだけの為に——」


 頭を抱え蹲った一人の魔法使いの悲鳴を、私達は無言で聞き届けた。

 あどけない姿の少年は涙ながらにこちらを睨み付けてくる。


「杖を握るならばお前達だってこの哀しみが分かるだろう……⁉︎ 愛する分野の魔法が迫害されたなら! 誰だって私のように守ろうとしたはずだ!」


「——分からないですよ」


 分からない、というよりは、分かりたくない。

 そのような思いから出た言葉だった。


「少なくともあなたの守り方には到底賛同できない」


「……‼︎ 恵まれているからそんな事が言えるんだ……」


「……確かに。私が好きな魔法は結界術ですから、それはそうかもしれません。……でも、あなたみたいに呪い魔法を愛した人を私は知っています」


 記憶の中よりずっと大きくなった背中を一瞥した。

 セイブル=クラウンフィール。

 呪術の申し子。異能を用いて犠牲無しに呪いを創造する天才呪術師。彼は今、一体どんな顔をして己を長年苦しめて来た男を見つめているのだろう。


 彼は徐に歩き出し、己の人生を歪めた男を見下ろす。

 自然と張り詰めた空気は、その背に負う何かを感じさせるものだった。


 「セイブル……」と、仙頭は救いを求めるかのように彼を見上げた。


「ボクは、仙頭……お前に同情はするけど。同意はできない。ボクだって呪術が好きだし、世間から認めて欲しい。だけど呪術魔法を他人を苦しめる為だけに使うなら、それは認められなくたって当然じゃないか」


 再びの拒絶だが、仙頭はもう先刻垣間見せたような失意を顔に出しはしなかった。


「魔法は人を助くための学問だろ。呪術の成り立ちは神の教えに反するもので、ただの悪だったとしても、その力をどう使うかってのは個人の自由の筈だ。世間から認められる清廉潔白な魔法だって、誰かを苦しめる為に使うなら悪になるじゃないか。それと同じだ。呪術で人を苦しめる魔法使いばかりだったから、呪いってだけで悪になっちゃったんだよ。……ねえ。呪術を暗殺や虐殺にしか使えないって可能性を狭めるような真似はもうやめてよ。魔法は自由な学問だよ。だからボクは、呪術も他の魔法と同じように誰かを救うものだって信じてるんだ」


「………………」


「……もっと、別の方法があった筈なのに……」



 「——綺麗事だ」と、静かな声。

 そうは言うが仙頭は妙に満足気な顔をしていた。穏やかに微笑んでいるのだ。


「私は誰かを呪う事をやめない。その為に生み出された魔法を、ありのまま使ってやることが私なりの愛でもある」


 そこまで言って、仙頭は苦笑した。



「……まあ、この姿ではもう、誰かを呪うこともままならないのですがね」



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