【05】
アイリを魔王城前の広場へ転移させた後、私は廃教会の前に立ち、心を静かにただただ魔力を練り続けた。
あれから、それなりに時は過ぎた。
もうそろそろ仙頭たちもやってくるだろうという私の予感は的中した。
「これはこれは……」
「お待たせしてしまいましたね」と、壊れて開いたままの教会の扉の向こうから、二人の男が現れる。
黒衣を纏った呪術師が二人。片方は陽を浴びて美しく輝く銀髪の幼馴染。
もう一人は、光の下に立ってなお暗さを失わない漆黒の髪を長く伸ばした諸悪の根源。
仙頭は私の姿を斜に見て薄気味悪い笑みを浮かべたが、その隣に立つセイブルは無言、無表情である。
また操られてしまったのか……はたまた、私が彼の魔力を乱用しすぎた結果、立つだけでやっとの状態なだけなのかは分からない。
「……解せない。解せませんねぇ」
不思議なことに、仙頭は攻撃を仕掛けてくる様子を見せず、ただこちらを見つめていた。
「先程の魔法は音に聞くマギアルッソの秘術でしょう? 当主しか扱い得ないという契約魔法すら使い熟すならば——貴女は国を憎んでいなければならないのではありませんか」
これまで問答無用で殺意を向けてきた仙頭が、今になって対話の姿勢を見せているのが実に奇妙に思えた。答えずにいると、悠然とした態度で仙頭はさらに口を動かした。
「マギアルッソ最後の当主よ。まだ分かりませんか? “英雄”であった貴女の一族は、これまで尽くしてきた国によって滅ぼされた」
「……違う。私の家族を殺したのはあなたのはず」
「しかしそれを依頼したのは光の民だ。そのぐらい理解しているでしょう」
「…………」
理解は——している。
誰がこの男を雇ったのか、私はそれを随分前から知っていた。
かつての七名家に数えられた“二番目”。アインスの前当主こそがそうであったのだと、私に深く深く頭を下げた幼馴染の姿が脳裏に蘇った。
あれはアイリと再会してすぐのこと。
彼女の手で光の城へ連れられた私が、聖王の右腕であるヒジリ=アインスと再会するまでにそう時間は掛からなかった。
彼は言った。証拠は無い、何をしたのかも分からない。しかし己の父こそが真の大罪人である事を確信しているのだと、彼はそう話した。
彼の父、先代のアインス家当主は、終戦から程なく先代聖王様の死を受け自死してしまったという。「貴方を失うはずではなかった」と、先代聖王への言葉を残して。
何を察したのか彼の母も懺悔と共に後を追い、一人息子のヒジリくんがアインスの家を継ぐことになった。彼はその立場を活用し、両親の自死の理由を探ってきた。
核心に迫るような証拠は殆ど残されていなかったが、ひとつだけ、妙な箱を見つけたのだという。
箱には、血で汚れた包帯と金の髪の毛が入っていた。昨今の魔科学技術ならば、血や髪の毛があればその持ち主の姿を魔具に映し出すことができる。光の国には無い技術の為、密かに闇の国の調査機関に依頼した所、血と髪の持ち主はロルフ=マギアルッソと瓜二つの容姿である事が判明した。
血と髪と聞けば、魔法使いはまず呪術を想像する。
対象を一人に定めた呪いを作る際に必ず必要とされてきた触媒だからだ。呪術までいかずとも、古代魔法の中にもそれらを必要とする魔法はあるが、どれも良いものではない。
血と髪の使い道を調べる中で、ヒジリくんは父の死の理由を察してしまったという。
——私の叔父・ロルフ=マギアルッソは、己もその立場にありながら、“七名家”という存在を良く思っていなかった。
聖王に直接意見できるのは——聖王を神ではなく人として扱う事が赦されるのは、過去の英雄七家に連なる人間のみ。八百年何も変わらなかった王室とその周りを囲む名家の在り方に、叔父は疑問を持っていたのだ。
女神の慈愛は平等に降り注ぐもの。
聖王家の人々はその名代であると同時に、民と同様女神に慈しまれる“人”であることを忘れてはならないのだと。
聖王という存在の神格化を……恐らくは、友としての立場から憐んでいたのだと思う。
七名家が七名家である限り何も変わらないだろうと、叔父は私が生まれるよりもずっと前から七名家の廃絶に向けて水面下で動いていた。
今の在り方を良しとするアインスとは相容れず、元々いがみ合う関係だった二家はさらに熾烈な衝突をするようになっていった。
聖王陛下の忠実な騎士であり、親友でもあった剣聖の突然の裏切り。動かぬ証拠があるとはいえ、動機については一切不明で、生前の叔父をよく知る人物達は“何故”と首を傾げていた凶行。
ヒジリくんもまた、剣聖がなぜ聖王陛下を手に掛けたのか、ずっと疑問に思っていたらしい。
——“父が剣聖に何かしたんだ。絶対にそうだ。それで、そのせいであんなことに”
父に代わり自分が罰を受けるべきだと、アイリに打ち明けたこともあるという。
王殺しの罪は何よりも重い。命を差し出そうとしたヒジリくんを、しかしアイリは許さなかった。
償いの形を別に求めた。いずれ来る“何か”の前に、これ以上誰も失う訳にはならないからと。己のそばで今まで通り仕える事を、アイリはヒジリくんに命じたのだ。
——それでも、と。
ヒジリくんは私に頭を下げ続けた。
私が彼に償いを求めるならば、俺は——と。
(でも、私は……)
「——仙頭巡。ひとつだけ。あなたにずっと聞きたい事がありました」
「おや、何でしょうか」
私の叔父、ロルフ=マギアルッソは夜光戦争の裏切り者として名が通っている。
勇敢な戦士であり、誰よりも先代聖王さまに忠実な騎士だった叔父が、戦いの最中突如として姿を眩ませ——次に戻ってきた時にはもう夜の国へと寝返っており、光の兵達へと斬りかかったというのだ。
それは成り代わりの魔法により操られた傀儡だったと、私はかつてこの男から直々に聞かされた。これが真相だ。
ヒジリくんが見つけた叔父の血と髪は、傀儡を作るのに必要となった際の残りだろう。彼からの謝罪を聞き、ようやく私はあの事件の全容を理解するに至った。
けれど、それでもずっとひとつだけ、純粋な疑問が胸を燻り続けた。
「——剣聖に何をした?」
魔を祓うグランシャインを手にした私の叔父は紛れもない勇者であり、このような男になど、万が一にも負けるはずがないのだと。
私の問いを聞き、仙頭は笑みを深めた。
「言いませんでしたか? 成り代わりの傀儡としたと」
「剣聖が……パパが、呪いになんか負けるはずがない!」
「……ハハ。これはこれは、何という……」
仙頭は声を上げて笑ったが、その目は一切笑っていなかった。両手を広げ、芝居がかった様子で呪術師は言う。
「——確かに。あの男は悉く私の呪いを斬り伏せましたよ。しかしそれは聖剣の力あってこそ。聖剣を手放せば、加護もない人間に呪いを弾くことなどできますまい?」
「聖剣を手放す……?」
「あり得ない、とでも言いたげですねえ。しかし棄てたんですよ、あの男は。誇りであるはずのその神器を。……ただ愛娘を殺されたくないがあまりに、ね」
仙頭の片腕が、スッと前に差し出される。
伸ばされた人差し指は、ある一点を示していた。風にはためくローブの袖口とは対照的に、その指先がブレることはない。
「私が作った偽りの人形——そう、貴女だ。息もせぬ貴女の人形を偽りであると見抜けなかった時点であの男の敗北は決まっていた。英雄といえど人の子、剣聖といえど人の親……いくら剣の腕で勝ろうが、非情に徹する精神の強さが、あの男には決定的に足りなかったのでしょう」
「…………、パパ……」
………………………………。
何を言い返せばいいか、咄嗟に分からなかった。
何か言ってやりたいのに、何も言えなくて、私の口からは意味もない二文字がこぼれ落ちる。
「成り代わりの魔法はすぐには完成しません。なので彼にはまず、貴女に掛けたものと同じ呪いを掛けたのですよ。哀れなるかな、戦いの最中、己という存在すべてを失った彼は敵国の嘘を容易く信じ込みました。白き鎧の者は敵国からの侵略者である、と」
「……忘却魔法……」
それは、禁忌の一つ。
記憶を封じる呪いの中でも一番厄介とされるもので、他は一部だけを封じるのに対し、その呪いは全てを消してしまう。かつてこの男から、そう教えられたのを思い出した。
「しかし、やはり奇妙と言わざるを得ない」
仙頭巡は繰り返す。
「貴女だけは依頼人が違いました。『天使が生まれ変わる家を間違えた』などと——実に愉快な御仁が私の魔法を頼ったのです。変わり者からの依頼だからこそ……マギアルッソの人間だからこそ。普段やらないほど念入りに貴女の記憶を消した筈!」
そう、私はこの男の言う通り、かつて忘却魔法によって記憶を消された。
女神様の加護がある私に、クラウンフィールの人間でもない呪術師が呪いを掛ける——通常考えられない事態だった。あれが何故成功したのか、未だに答えは出ない。
私が死にかけていたから加護も薄まっていたのか、実は加護も万能ではなく何度も繰り返されればじわじわと侵蝕されてしまうものなのか。幾つか可能性は思い付いたが、どれも試しようがない話である。
仙頭は胸の前でグッと拳を握り締めた。
「それがどうして記憶を取り戻し、仇敵である私の前にそれほど穏やかな表情で立っていられるのか……? 人生を台無しにした私を今すぐ殺してやりたいという、その強い思いが一切見えない……‼︎」
「…………………………」
「何故呪いが解けている……。一級禁忌であるあの呪いが解けるはずがない……。生きていたとしても別の人間としての生でなければ可笑しいではないか……。あの御仁は貴女の可憐な容姿に懸想した——天使を穢し羽根を捥ぎ、都合の良い人形として鳥籠へと閉じ込める……それが依頼人の望みだった……私は完璧にそれを熟した筈……」
ぶつぶつブツブツと、再び独り言のようなものが始まってしまったらしい。
「そう、その筈だ……ユイ=マギアルッソなどと、その名を名乗っていい筈がないのだ、私が殺してあげたのに……。そう、そう、そう! 確かあの絵の題は……そう! 『天使ノエル』——貴女はノエルでなければ可笑しいのですよ……‼︎」
ノエル。
それは、もう一つの私の名前。
大切な大切な、あの子の名前。
「——確かに。記憶を消され、ノエルとして監禁されていたのは紛れも無い事実です」
私は、青い空を仰いだ。
「ずっと閉じ込められた歳月は、与えられ続けた苦しみは、確かに恨むに十分なものだったかもしれないけれど……」
言葉を紡ぎながら、グランシャインを片手に強く握りしめる。
「だけど“私”は、誰のことも恨まないと決めました」
私はこちらを睨み付ける仙頭を真っ直ぐに見据えた。
「外へ出て、優しい人達に拾われて。普通の、普遍的な幸せを目の当たりにしても。今までの暮らしが幸せではなかったと気付いても。……愛されていなかったと、知っても。ノエルはノエルとして過ごした日々を恨みません。なら、すべてを知った私は、ユイ=マギアルッソは、あの日確かに存在していた自分の意志を尊重する……それだけのこと」
そう。そうだ。
私は確かに、決めたのだ。
青く気高い彼女が、私にその在り方を示してくれた。
私という存在を赦してくれた彼女のように、私もまた誰をも恨まないと、そう決めた。
「——だから。私が恨み以外の感情を抱いてあなたの前に立つ事は何も奇妙じゃないし、不思議じゃない」
胸の内は平静で、私の中の彼女にも異論は無さそうだった。この心の静けさとは裏腹に、眼前の仙頭は目を剥いて唇を戦慄かせている。
「恨んでいない……? それを奇妙と言わず何とする⁉︎ 私はッ、恨み辛みを生むのが私の仕事だと言うに⁉︎」
「……恨んでほしいんですか」
「当然でしょう……‼︎ 恨まなければ、憎まなければ! 呪術など生まれない! このままでは私が愛するものが世界から消えてしまう! なればこそ私は呪術を生み出す土壌を作らなければならなかった!」
慟哭のような叫びと共に仙頭の杖から黒い光が飛び出した。それは何重もの線となり、空中でジグザグの軌道を描きながら私の元へと進んでくるが、結界を張りそれを防いだ。
その後も仙頭は似たような攻撃を幾度となく繰り返したが、どれも自棄になっているとしか思えないような精度ばかりで、結界にヒビを入れることすら叶わない。
(これが……グランシャインの力?)
それとも——……
改めて見据えた眼前の男は、記憶の中の姿とは見違えて見えた。
かつて、幼い自分が敵わなかった強大で恐ろしい闇魔法使い。
その筈なのに。
「あなたは結局、何がしたかったんですか?」
思わず尋ねていた。理不尽な苛立ちがそこにはあった。
じろりと私を睨む瞳はしかし、泣き出してしまいそうだった。
「決まっている……私はただ! 愛する魔法の脅威となる者を消さんとしただけだ……‼︎」
「呪術をも癒す聖王さまと、魔法が一切効かないアインス一族——彼らを狙うのはまだ理解出来ますが、何故私まで?」
「我が呪いを解いて見せた小娘を脅威と言わず何とする! その若さで何故——何度も考えたさ! その血がそうさせるのか⁉︎ 女神を救ったという、その勇者の血が……‼︎」
…………。
カツン。杖で石畳をひと突きすると、乾いた音が場に響いた。
一瞬。暗転する視界。私の体はきっと彼らの視界から掻き消えて——次の瞬間にはセイブルの眼前に転移していた。
「——‼︎ セイブルッ、やりなさい!」
銀の髪が揺れ、彼は手に握っていた血塗れのナイフを構えようとしたが、私が彼の懐に入る方が早い。
私はグランシャインにある事を要請した。
手中の聖杖が眩く輝いているのを視界に収めながら、光に照らされ苦しげに眉を寄せる友人の顔をただ一点に見つめた。眼鏡の奥の瞳は焦点が合っておらず、何処か虚空を見据えているかのよう。私の存在にも気が付いていないように見えた。
「せっくん、ごめんね」
脳裏に蘇るのはいつも助けてくれた大きな背中。
かつて憧れ、追いかけようとした騎士の姿。
短い間だが、この体は間違いなく己の意志で剣を握っていた時がある。
師となってくれた剣聖が、幼い私に教えてくれた剣の型。きっと、不格好なものになってしまっただろうけれど。私は過去に受けた教えの通り足を踏み込み、手に構えた聖剣をセイブルの身体へと振り下ろした——
「なっ……⁉︎」
杖から剣へと姿を戻したグランシャインの切っ先が、迷いなくセイブルを貫く。
仙頭が驚愕の声を上げたのが耳に届いた。
体から剣を引き抜くと、彼は悲鳴ひとつ上げずにこちらへ向けて倒れてくる。
大きな体を全身でどうにか受け止め、彼を石畳の上に寝かせてやると、仙頭は大きな隙を見せている私へ攻撃を仕掛けるでもなく、真っ直ぐセイブルへと駆け寄った。
思わず一歩引いて、つい成り行きを眺めてしまう。
「っ、セイブル、無事ですか⁉︎」
セイブルの側に屈んだ仙頭は、どう見ても——心配、している。
私にはそれが意外で仕方なかった。
セイブルが気を失い反応を示さないのを確認すると、仙頭はキツくこちらを睨み付け、黒い枝の杖を構えた。それを見て私もグランシャインを杖の形に戻し、自分の周囲に結界を構築する。
不可視の守りは私へ向けて放たれた魔弾を悉く弾いたが、その効果は永遠のものではない。耐久値を超えて攻撃されれば敢なく壊れてしまうものだ。
壊される間際に新たな結界を構築し、また——そんな攻防を何度か繰り返すと、相手が攻め方を変えた。
「疾く示せ、疾く現れよ、烙印の仔よ!」
仙頭の足元を中心にして、教会をも包み込むほど巨大な魔法陣が出現する。月と闇、そして見たことのないモチーフ。知識にない紋様。覚えのない呪文。
(……これは、古代魔法の一種……?)
青く晴れていた空を、突如として現れた不穏な雲が渦巻くように隠してしまう。昼間だというに薄暗くなった世界で、私は杖を構えた。
結界を張り直し、ダメ元で仙頭へと魔法の妨害を仕掛けたが、やはり理解しきれていない魔法式を乱すことは叶わなかった。
「愚者へ鉄槌を、光輝に罪罰を! 正義聖人なにするものぞ! 我らが信仰は今ここに試される!」
「っ、これは……?」
詠唱が完了してしまった——その刹那、魔法陣から視界を覆い尽くすほどの黒いもやが出現した。
雪のように、虫のように、それはふわふわと場に漂い広がっていく。
もやは私の体に纏わり付いて離れなくなった。明らかに結界をすり抜けているのは、私が想定し設定した類の攻撃ではないからなのか。
これが一体何をするものかは分からない。
感知できた異常は無く、体も普通に動かせるようだ。強いて言えば視界が奪われてしまった。だが、それだけの効果を得るためにあんな大規模な魔法陣を展開するとは思えなかった。きっと何か良くないものだろう。
なのにこうして無事なのは……グランシャインが守ってくれているから、かもしれない。
闇を払うには光だろうと、私は光の精霊へ協力を求めた。
そして謎の闇の相殺に成功した時、場には私しか居なくなっていた。
逃げられたようだが、今すべき事に迷いはない。亜空間から魔水晶を取り出し、魔力で宙に浮かべると、私は自分の——セイブルの魔力を探った。
私達の魔力の器は既に交わっているので、探索魔法で簡単に追えるはずだ。
水晶玉の中に現れた光景に、私は首を傾げた。
「む。むむ……?」
映し出されたのは木の破片。残骸、と言うべきか。
そう、木造の管理小屋は見るも無残に破壊されていた。というのも、原因は一目で分かった。小屋の中に隠されていたあの呪術結晶のせいだ。だが、一点妙なことがある。
「大きすぎる……ような……?」
そう、巨大化しているのだ。小屋の体積を結晶がゆうに追い越してしまったが為に、壁や屋根が内側から壊されてしまったのだろう。
訳が分からないながら、そのそばに仙頭達の姿も確認できたので、私も転移魔法を使い、場へ急いだ。




