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【02】



 鍵はかかっていないようだ。

 丸太の扉がゆっくりと開いていく。


 隙間から中を覗いてみると、明らかに室内灯ではないだろう別の光で満ちていた。眩しさに思わず目を窄める。


 ロッジは一部屋だけの作りになっているようだ。扉を開けてすぐ右手側にカウンターのようなものがあるだけで、大きな家具は存在しない。壁際に沿って木のベンチが設置されていたり、壁にポスターなどが展示されている様子から、休憩所のようにも見えた。


 そのひらけた中央の空間に、巨大な結晶が鎮座している事だけが異様だった。発光源はあれだ。紫電の輝き——あの結晶から、濃密な魔力が溢れ出しているのを肌で感じ取る。

 ただ、見た限り人の姿は無さそうだった。

 それに安堵とも落胆ともつかない息を落とし、小屋の中へ身体を滑り込ませた——ら。



 刹那、視界が暗転し、ついでに結界も弾け飛んだように思う。きらきらと、視界の端に可視化した魔力片が舞っていた。『ユイちゃん!』。どこかノイズがかかったような音声が届いて以降、通信も途切れてしまう。奇妙な浮遊感に身体を支配されるこの感覚を、私はよく知っていた。


 ——これは転移魔法だ。

 第三者の転移は普通のそれよりも遥かに高度な技術を要するものである。


(いや、それよりも——何処へ?)


 数瞬の浮遊感が消え失せると、視界が回復した。

 桃、黄、青、緑……ひび割れたステンドグラス越しに光が差し込む祭壇を見上げる。


「ここは——教会の中……?」


 木のベンチ、説教台……。

 台座にあるべき神の姿はなく、退廃的な雰囲気を醸していた。

 壊れているのか、蓋が斜めにはまったパイプオルガンが右手にある。


 瓦礫が擦り合うような音に振り返った。

 壊れた扉の前。黒衣に身を包んだ長い銀髪の青年が立っている。


 その姿は間違いなく、セイブル=クラウンフィールのものだった。しかし中身は別物の筈だ。セイブル——否。仙頭巡は、何も言わず、一定の距離を保ってこちらを見下ろしている。俯きがちで、その表情はよく見えない。


 『ユイちゃん、聴こえる⁉︎』。次の行動に悩んだ時だった。微かなノイズはあるものの、城からの通信が復活したのだ。小声で返事をしながら、視線は仙頭へと向け続けた。


『転移と同時に潜入魔法と結界を破られた。相手にはもうユイちゃんの姿が見えて——』


「え、あの? 声が——」


 急にノイズが酷くなったと思いきや、以降、また何も聞こえなくなってしまった。



「——ユイ、さん」


 ぽつ、と男が呟くように私を呼んだ。

 ごくり、と喉が鳴る。


「ユイさん」


 繰り返し繰り返される度、声ははっきりとした音量に変わっていく。

 「どうして」と彼は言った。


「駄目じゃないですか、こんな危ない所へ来てしまっては」


「…………?」


「いつもそうだ」


「…………」


 懐を弄り、シャツの下に隠していた“お守り”を引っ張り出す。手のひらに収まる小さな小さなコルク瓶。透明な液体が瓶の中でちゃぷんと揺れた。

 私は瓶を持ち上げて、目の前に透かした。


(——————)


 そこには、さっきまで見えていたのと何も変わらない姿があるだけだ。私が予想したような変化は何も起こらなかった。


 セイブルもまた“成り代わりの魔法”によって仙頭の傀儡へと変えられてしまったのではないかと、私はそう考えていたのだけれど——ならば、洗脳されている?

 私の知らない呪術?

 それとも一体……。


「何が出来るでもないのに危険を承知で何処へでも飛び込む。もう、貴女の勇者はいないのに。ここには誰一人、貴女を守ってくれる友達も居ませんよ」


「…………」


 私の行動を制するでもなく、その間にも独白のようなものは続けられた。


「友達なら、ここに二人居るみたいだよ」


「二人……?」


 つい言い返すと、男が反応した。


「せっくんがいる」


「……奇妙なことを言うのも相変わらずだ。もう分かっているのでしょう? 中身が別物であることは」


「本当に?」


 間髪入れずに聞き返すと、彼は眉を寄せた。


「君は私の友達、夢見る魔法使いのセイブル=クラウンフィール。そうだよね?」


 「夢は、叶えられなかったみたいだけど」。私からの言葉に、彼はふらりと足を踏み出し——姿が消えた。

 何らかの魔法だろう。咄嗟に私は後ろへ逃げ、そのまま説教台の裏へと回った。



「ふにゃっ⁉︎」


 ………………足場がない⁉︎

 なんと説教台の裏の床は抜け落ち、薄暗い地下へと続く石階段が露出していたのだ。


(隠し階段——)



 落ちる!



「…………」


「…………」


 しかし腕を掴まれ、私の体は落ちるどころか宙に浮いた。左肩が痛い。私を宙吊りにしているセイブルと、至近距離から見つめ合ってしまった。


「え、えへへ」


 困り果て、へらっと笑ってみた。

 セイブルは無言、無表情である。


 こっそりと裏ポケットへ手を伸ばし、手のひらにちょうど収まる丸い玉を手に掴む。由利香さんに持たせられた魔道具だ。投げつければ電撃が発生し、相手を痺れさせることができるらしい。


「!」


 思い切って投げ付けたところ、避ける為なのか、セイブルは私の身体を投げ飛ばしたではないか。勢いよくベンチの上へ落ち、悶絶する。痛みに咳き込んだ。


「い、たぁ……ッ、んぐ、」


 いつの間に迫っていたのか、ベンチに足をかけたセイブルに首を掴まれ、また持ち上げられてしまう。苦しくて、まともに息が出来ない。


「貴女こそ……ッ、貴女こそ、夢を捨てた癖にどの口が……‼︎」


 思い切り歪んだその顔には様々な感情が入り混じっているように思えた。

 意外だった。

 ここに居るのは、いま私が相対しているのは、本当にセイブル本人だというのか。

 それだけの熱が彼に未だ残っているのなら、何故、と怒りが湧く。


「……な、ん、で……」


 どうにか絞り出した声は雑音のようであった。

 不思議と、徐々に首の拘束が緩んでいった。それどころかベンチの上に降ろされ、意外さが困惑を生む。私は数歩後退りして距離を取り、肺いっぱいに空気を取り込んだ。

 無理やりに呼吸を落ち着かせ、黙りこくっているセイブルを睨み上げる。


「どうして君が、誰かを呪ってるの」


 セイブルが私へ怒りを向けるというのなら。

 私だって、そうだ。


「逆になるって、そう約束したよ!」


 再びセイブルがこちらへ迫り、右手が私を狙って伸ばされる。私はその手首を掴み、ぎゅっと握り締めた。


「今の君は仙頭じゃない、セイブルだ! そうでしょ⁉︎ 操られてるのか、自分の意思かは知らないけど! せっくん、目を醒ま——」


「うるさい……‼︎ や、やめろ……その名で呼ぶな、さ、触るな、離れて、嫌だ、嫌だ、嫌だ、いやだ、いやだぁ……っ‼︎」


「……⁉︎ せ、せっくん……?」


 セイブルは頭を抱え、独り言にしては大き過ぎる声でブツブツと呟きながらベンチの上に蹲ってしまった。

 振り解かれた指先が行き場を失い、戸惑いに揺れる。その肩に手を掛けると「やめて……触らないで……」と力なく拒否され、さらに混乱した。



「……離れて。ボク(﹅﹅)から離れて……危ない、から……嫌だよ、ボク、ユイちゃん(﹅﹅﹅)……死んじゃ嫌だ……殺したくない……このままじゃ……」


 泣き濡れた蜂蜜色の瞳は、まるで幼かった頃の彼を見ているようだった。臆病で後ろ向きで、けれど心優しかったせっくん。


 ——あの時、図書館で一時だけ垣間見た姿と同じだ。

 大きくなっても、記憶の中の面影のまま。先ほどまでの様子と、まるで別人だ。

 何度か背をさすると、先ほどの言葉を無言で翻して私の胸へ抱きついてきた。


「……せっくん。私を殺したくないならこの呪いを解いて?」


「無理だよ、作らせてもらえなかったんだ。今のボクは、自由に魔法が使えない……異能だって……」


「仙頭のせい?」


「あいつがボクを殺したのに、ボクはあいつに生かされてる……」


 熱に浮かされているかのような語り口で、セイブルは気になることを口にする。


「……やっぱりそうだ……」


 私が何かを尋ねる前に、セイブルはぐりぐりと甘えるように頰をこすりつけてきた。


「キミに触れてると、あいつの声が聴こえなくなる……。自由に話せる……体も動く……」


 さっきまでの言動は彼の本意ではなく、第三者に——仙頭に作られたものだった、という事だろうか。

 それが私との触れ合いで解けたとなると、思い当たる可能性は一つしかなかった。


(グランシャイン……かな?)


 正直なところ、私の言語能力が元に戻ったのは聖剣の力ではないかと疑っていた。グランシャインは意志ある魔法だ。完全ではないけれど、彼女は私にも女神の権能の一部を加護として与えてくれているのだ。


 おそらくきちんと結びの儀を行うことができれば——とは、思うけれど。聖王無くしてそれは不可能である。勇者として真にグランシャインと結ぶには、聖王と勇者、二人の祝詞が必要になるからだ。

 しかしまさか、聖剣の加護がセイブルにも効果を現すなんて……。


「せっくん、このまま抱きついてていいよ。抱きつきながら解呪結晶を作って。私に触ってれば君は自由なんだよね?」


「む、無理だよ」


「どうして?」


「言動は自由になったけど、魔力は自由に使えないんだ……許可が無いと……」


「それは呪い?」


「幾つか呪いも掛けられてはいるけど……魔力の支配権を握ってるのは首輪(チョーカー)だ……」


「……なるほど。じゃあやっぱり抱きついたままは無しで、手を繋ごう?」


 聖剣の加護が及ばない何らかの魔具という事なら、素手で壊すことは出来ないだろう。

 私は早々に諦め、この場から離れる決断をした。


 幸いなことにセイブルは素直で、私の提案通りにしてくれた。手を繋いでベンチから降りた私達は、一度顔を見合わせた。


「せっくん、アイリや仙頭が何処にいるか分かる?」


「…………」


「お願い、教えて。……せっくん」


「……その、階段の下。地下牢になってるんだ。アイリさんも仙頭もそこにいるはずだよ」


「アイリも——分かった。行こう」


「えっ、ゆ、ユイちゃん逃げるんじゃないの」


 「なんで?」。歩き出そうとした私とは裏腹に、セイブルは動かなかった。


「ユイちゃんを逃すのなら協力するけど、仙頭の前になんか行かせられないよ。危険だ」


「危ないことなんて分かってるよ」


 「ここで逃げたら意味がないの!」。ぐぐぐっと手を引っ張ってみても、体格差のせいか彼はビクともしない。



「どうして……だってユイちゃんは、青を断ったんだろ⁉︎ それに今のマギアルッソの扱いだって話に聞いてるよ、キミが故郷でどれだけ虐げられてるか……‼︎ そんなキミを救わない聖王の為に命を危険に晒す必要なんて——」


「確かに私はロイヤルブルーになるっていう夢を捨てたよ」


 そう、私はいつか聖王様を守る杖に——立派な魔法使いになりたかった。


「でも、それはきっと君が想像するような理由からじゃない。私は叔父(パパ)みたいな人になりたかっただけなんだ。誰かを守れる人に。魔法しか取り柄のない自分には青になるのが一番近い理想だと信じてただけで、あの色に拘ってた訳じゃない。あの頃の私は、ただの手段の一つとして青いローブが欲しかっただけ」


「……………………」


「それにね、故郷での扱いなんてどうでもいいよ。私は誰にも救いを求めてないし、そもそも何か誤解もありそう。……あのね、せっくん。私がここに来たのはマギアルッソの人間だからでも、アイリが聖王だからでも何でもなくて、あの子が私の友達だからだよ」



 それもたぶん、(ユイ)にとって生まれて初めてできたお友達。


 魔法以外がまるで駄目な(ユイ)を笑わず、いつも信じてくれた優しいアイリ。


 何もかも変わり果てた今の私を変わらずに友と呼んでくれた、大好きなあの子。



「青いローブなんか必要ないし、立場だって関係ない。私はここに友達を助けにきただけなんだ」


 素直な本音をぶちまけると、セイブルは「でも、助けるって、どうやって」と平坦な声で返してきた。


「今のユイちゃんは魔法が使えないんだよ。ボクだってそうだ。助けも見込めない。例え誰かがここにユイちゃんを助けに来ようとも、足を踏み入れた瞬間に呪われる。……よく出来てるだろ、この呪い。魔法だけでなく武力すら封じる。魔法も無しに……そんな華奢な身体で、大の大人に——魔法使いに、敵うわけがないんだ」


「それでも、助けるよ」


「どうやって?」


「可能性は残ってる」


 ここで彼の手を離して一人で行くことはできない。そうしたらまたセイブルは自分の意思とは関係なく私を痛めつける為行動しなければならなくなるだろうし、どうにか彼を頷かせなければ……。


「ダメだよ。ダメだ。ボクはユイちゃんが死なずに済むなら、それで——」


 状況に似合わぬ言い合いを続けていると、不意にセイブルが口を閉ざした。不審に思い見上げると、その顔は鋭く正面を見据えていた。

 釣られて私も正面——説教台の辺りへ視線を投げる。そこには先刻まで居なかったはずの男がいた。


 黒く、暗い出で立ちとでも言えばいいのか。

 長く伸ばした黒髪と痩せこけた頰、白い肌。不健康な見目から醸される雰囲気は気味が悪く、直感的に悟った。この男が仙頭だ、と。



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