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【02】


 私が向かったのは町中だった。さっき通ってきた商店街だ。実はその中の一店舗に目を付けていたのである。


「ああ、まずは腹ごしらえってこと?」


 ハンバーガーショップに入り注文をすると、空気の人も横から自分の分を注文をするではないか。横目で見れば、彼の手には財布が握られていた。


「——私の分まで出してくださってありがとうございます」


 二階のテラス席に座り、私はとりあえず会計時に言えなかった礼を口にした。


「いいって別に。暇つぶしの礼みたいなもんだから」


「……あなたの名前を訊ねても?」


「俺の名前? ……そうだなあ、(よう)さんとでも呼んでくれ」


 葉さん。フルネームを名乗ることを避けるあたり、やはり金持ちなのだろう。


「でも良かったの? お偉いさんが来て、それから船でも貸してもらえる流れだったんじゃないの」


「船なんか要りませんよ。海に落ちたくないし、偉い人の相手は苦手なんです」


 ポテトを指でつまみ、私はグラスの中のサイダーを見た。その水面は澄んでおり、太陽の光を反射している。ポケットからまた地図を取り出し、テーブルの隅に広げた。先ほど受付に教えてもらったのはちょうど闇の国への航海ルートとして設定されている流れの穏やかな水流のあたりだ。港からも近い。

 手中に召喚した愛杖を足の間に挟んで肩にかけ、サイダーに“水鏡の魔法”を掛けると、小さな丸い水面が海を映し出した。本当は専用の魔具も持っているけれど、小さな二人掛けの丸テーブルの上は二人分のトレーで埋まっているので仕方がない。


「……まさかこっから遠隔魔法で?」


「へえ、もしや葉さんも魔法使いですか?」


「そんな遠距離での遠隔魔法となれば流石に攻撃の威力が落ちるんじゃないか?」


「その程度なら誤差の範囲です。……見つけた」


 サイダーの水面に、白い姿が映った。教えてもらった地点のすぐそばだ。広い海原の中にポツンと浮いている。比較対象が何もないのでどれだけ大きいのかはよく分からないが、見た目は黒い瘴気を纏った赤黒いイカそのものである。

 見つけたことに満足し、私はハンバーガーに手を伸ばした。


「そういやクラーケンは雷に弱いって聞くな」


「ならとりあえず試しに雷でも落としてみようかなあ」


 魔法を放つのもそこそこに大振りのハンバーガーにかぶりついた。ジューシーなトマトと厚切りのベーコン、そして歯触りの良いレタスが柔らかなパンに挟まれて、食べ応えがある。


「……これ美味しい! 葉さんも冷めないうちに早く食べたほうがいいですよ」


「それよか水鏡。ハンバーガーはいいから水鏡見ろって。ほら」


「なんですか?」


「あんまり効いてなさそう」


「なるほど、予想通りです。実は私は雷魔法が得意ではないんですよ」


「威張ってどうすんのよ……」


 葉さんに呆れた顔をされている。


「クラーケンはSS(ダブル)級、高ランクの魔物だから倒すならそれなりな威力の魔法が必要だ。弱点も突けないとなるとキツい相手だぞ。……ユイちゃん大丈夫? どうすんの?」


 呆れるどころか心配されているようである。出会って間もない他人に親身に(?)なられるというのは、何だか不思議な感覚だった。だってこの人は既に私がマギアルッソの人間だと知っている筈なのに態度が変わらないのだ。異国にはあまり噂話も回っていないという事なのだろうけど、やっぱり慣れない。もじもじしてしまう。


「ご、ご心配なく。……その。魔物退治は……苦手では、ないので……」


「なんでここで照れんのこの子……?」


 こほん。こほん。咳払いをしてみたりなんかして、私はハンバーガーを一旦トレーに置いた。握るは愛杖『流れ星の杖(トゥインクル・ロッド)』。

 この国は未だ魔法に深い理解が無い民ばかりだ。杖を持ち歩くだけでも目立つのに、そこに呪文詠唱や魔法陣の展開などをしようものなら目も当てられない。なるべくならば目立ちたくはない私はもちろんのこと、それを解決する術を身につけている。

 この街に転移する時にも使用した、呪文省略技術と、魔法陣の脳内展開だ。

 魔法とは天の扉より来たりて奇跡を起こすもの。呪文は奇跡の呼び声であり、扉たる魔法陣の用意は絶対不可欠だったが、今はそれすらも省く技術が編み出された。この術を創作したのは闇の国の現魔王だというから、本当に凄い方だ。

 普通に魔法を行使するよりも余計な魔力は必要になるものの、こんなに便利なものはない——見たこともない異国の王への感謝を胸に、私は水精霊へ呼び掛けた。示す地に、恵みの雨を降らせるようにと。


「……雨乞いの魔法?」


 呪文を省略しているというのに、小さな水面の中に立ち込めた雨雲だけで全てを察したらしいこの人も、もしかしてかなりの腕を持つ魔法使いかもしれない。


「なんで海の魔物に水属性、それも非攻撃魔法を——あ?」


 しかし私の意図までは読めないらしく、不思議そうにしていた彼が垂れ目を見開いた瞬間はちょっとだけ楽しかった。

 何故ならば水鏡の中で魔物が光に還ったからだ。

 魔物の消滅。それも浄化を行うには、特殊な訓練を積んだ魔法使いや聖職者、もしくは聖水が必要になるけれど——水魔法により生まれる水は、常ならばごく普通の水である。けれど私のそれは特殊で、聖水と同じ役割を果たすのだ。


「今のは何だ⁉」


 興奮したように詰め寄ってくるこの人は、たぶん、私と同じで魔法が大好きなのかも。楽しい気分のまま私は「内緒です」と杖を消した。


「ええ〜いいじゃん教えてよ。ちょっとだけ。ほんのちょっと教えてくれるだけでいいから。そしたら俺ってば天才だからすぐに原理当ててみせるからさぁ。ダメ?」


「すごい自信ですね……」


 私が答えずにポテトに手を伸ばすと、彼も納得が行かなそうな不満顔のままハンバーガーを手に取った。

 あらかた食べ終えた辺りで、私は私物である赤いケータイを取り出した。

 黙って往来を眺めていた葉さんの視線が興味を惹かれたようにこちらへ移るのを目にしつつ、地図の端に記された番号を打ち込んでいく。


「……ケータイ持ってんのになんでさっきはわざわざ借りたのよ?」


 声はまだ少しだけ不満そうで、それが何となく面白かった。


「嫌がらせです」


「……何だそれ?」


「さっき電話したお城の人。友人なのですが、いつも雑用ばっかり押し付けてくるんです。だから私は彼の番号を着信拒否して、彼の方もこっそりケータイを操作して私の番号を拒否設定してあるんですよ」


「お友達に何してんのお嬢ちゃん……」


「でないと、このクラーケン退治みたいに色々やらされちゃうんですもん。なるべくお城に行きたくないからやめてって言ってるのに、やめないから——あ、もしもし?」


 電話が繋がり、グラスに伸ばしかけていた手を止める。前の席には素性の知れない全く親しくない男性がいるわけで、私は視線の置き場に困って空を見上げた。

 副局長に電話を繋いでもらい、クラーケンの討伐を終えたことを告げた私へと返ってきたのは『本当に退治したのだろうな』という疑念の声だった。予想通りの返しではあるが、嫌にもなる。


「ええ、倒しましたよ。そちらにも当然魔物の計測機があるかと思います。ならば、反応の消滅は確認できたはずですが」


『確かに今し方クラーケンの反応は消えたが……マギアルッソの人間は嘘吐きだからな』


「——ははあ、なるほど。仰りたいことはよく分かりました。あなたはあろうことか聖王陛下の御判断を信じられないと?」


『……っ、どうしてそうなる? そのような事を言っているのではない!』


「ですが、聖王さまはこの私に依頼なさったのですよ」


 いや、本当は正式に依頼されてはいないけれど。結果的に押しつけられただけだけど。一人心の中で意味のない訂正を入れつつ、さらに口を動かす。


「つまり、私ならば問題は無いと判断されたという事です。ここで私があなたに嘘をつくこと、それは他ならぬ陛下への背信となりましょう。偽る道理がない」


『後ろめたいことがないのならば何故港に留まらなかった? 我々の前で倒せばこのような嫌疑を掛けられずに済んだのだぞ。そちらの行動にそもそも理がないのだから疑うのは当然だ』


「何とも可笑しな話です。計測機があるのだからあなた方を同行させる必要は皆無でしょう? 私はまだ若輩者ですから、戦い慣れぬ方々を守りながらクラーケンと対峙するのは危険と判断したまでです」


『減らず口を……ッ』


「……しかし、まあ、会わずに去ったのは些か非礼が過ぎましたね。それについては詫びます。会えばこのように口論になるかと思い、つい立ち去ってしまいました」


 今まで間髪入れずに返されていた声が、ここで止まった。その隙に急いで口を動かす。


「話を戻しますが——城へどう報告するもご自由に。私は確かにクラーケンを退治しましたが、別に手柄は不要ですので。……度々こうした用を言い渡されるのには困っていましたので、悪評を立てて頂けるのはむしろ有難いことです。ぜひ役に立たなかったとお伝えください。では」


 ケータイを収納すると、グラスを手に取って口いっぱいにサイダーを吸い上げた。しゅわしゅわと弾ける爽やかな甘さがたまらない。



「……ギスギスしてんな〜」


 ぽつ、と冷めた声。

 長い足を組み、腕も組み……声から予測できる通りの冷め切った表情をした葉さんがこちらを眺めていた。


「すみません。席を外せば良かったですね」


「いや、それはいいんだけどさ。……闇の国にも噂は届いてるけど、お嬢ちゃんこの国じゃ生き辛そうね」


「………………もしかして葉さんって闇の国の方ですか?」


「そうそう」


 闇の国の民だとは気が付かなかった。彼の国に住む人々は光の民とぱっと見の身体的特徴は変わらないというのに、百年もしないで死ぬ我々とは違い遥かに寿命が永い。老いも遅く、いつまでも若々しさを保つという。


「世界樹がどうとか言っていたので、花の民かとばかり……」


「俺、旅行が好きなのよ」


 なるほど、だから魔法に詳しそうな様子だったのか。花の民の扱う魔法は特殊なもので、我々の使うそれとは全く別の理のもとに成り立つと聞いていたから、先刻すぐに私の意図を理解して見せた彼が少し不思議だったのだ。


「……え。じゃあもしかして……す、すごく歳上の方だったり……?」


「やっぱ光の子って真っ先にそれ気にするのなー。……幾つに見える?」


「……二十の半ばあたりですね」


 恐る恐る口にすれば、彼は笑った。


「闇の民は十代頃までは成長速度が人間と同じだから少しややこしいんだが、それ以降の見目の変化を人間と較べると、人間でいう一歳分の成長は俺たちの場合十年から三十年ほどかかる。この差は個人が生まれ持った魔力の器の大きさに比例するっておまけつき。だから俺達の年齢を外見から推し量るのは難しいな。ちなみに俺は二百年ぐらい生きてる」


 気が遠くなるような話である。この人から見た私は確かに「お嬢ちゃん」なのであろう。


「あー、じゃあ、闇の国に行くというのは葉さんの場合は帰国のためですか」


「そうそう。バカンスのつもりでもっと長く居る予定だったんだけどさー、上司が病気になったとかで早く帰ってこいって言われてんのよ。ユイちゃんの仕事が早くて助かったわ」


「私も急いでそちらの国へ渡りたかったので」


「旅行?」


「ええ、王都まで」


「俺の職場も王都にあるのよ。船も一緒みたいだし、良ければ向こうでも案内しようか」


「……案内、ですか……?」


 確かに、この町についてから彼は頼んでもいないのに道案内のような事をしてくれた。でも、よく考えれば彼に特にメリットはない筈だ。


(道案内が好き……とか?)


 そんなことあるのかな……。


「ははは。すげえ怪しまれてるのが伝わってくる。こう見えてそんなに怪しくないのよ?」


「…………」


 地理に詳しい現地の人間に案内してもらえるというのは魅力的だが、フルネームを名乗ることを避けるような人物が怪しくない訳がない。とはいえ、何を警戒しているかと問われれば返答に困ると言えるだろう。重要な荷物はほとんど亜空間制御の魔法で亜空間へ収納しているから、盗まれて困るようなものはほぼ持ち歩いていない。

 しばし悩み、悪戯にサイダーを消費する。

 彼は特に答えを急かすこともせずに頬杖をついてこちらを見ていた。



「私の名前……そういえばまだちゃんと名乗っていませんでしたね。ユイ=マギアルッソです。……ユイと、名前でお呼びください」


「おっ? このタイミングで名乗るってことは……」


「……はい。面白そうだし、お願いします」


 妙に気恥ずかしく思え、私は目を逸らしながら軽く頭を下げたのだった。



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