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【02】


 ミシロさんが出掛けてからおよそ一時間。

 私が考えていたよりもずっと早く彼は屋敷へ舞い戻ってきた。


「ユイ。……陛下が君の話を聴きたいってさ」


 何故だか面白くなさそうな顔をしたミシロさんの転移魔法で数日ぶりに魔王城へやって来た私は、これまでの滞在中とは違った重々しい空気の流れる城内の様子に眼を見張った。


 軽やかに穏やかに廊下を行き交っていた侍女達の表情までもが緊張しており、兵が慌ただしく駆けていく様を何度も見かける。そしてミシロさんに手を引かれ辿り着いたのは謁見の間ではなく、部外者(ゲスト)立ち入り禁止であるはずの城二階にある会議室だった。


 見渡すような広い部屋の中央に、大きな円卓が設置されている。二十席ほどありそうだが、殆どが埋まっているらしい。円卓中央には謎の装置があり、虚空に四角く薄い光の板が幾つか浮かび上がっていた。

 あれは何の魔法なのか——光板には文字や外の風景などが映し出されており、その中の一つには光の国の王城も映っていた。……遠見の魔法の一種、だろうか。


 ノックも無しに堂々と扉を開けたミシロさんに——というよりは、私に、だろうか。席に着いている人々の視線が集中していた。刺すような緊張感に嫌な汗が流れる。


 見れば、参加者は誰もが漆黒の上衣をまとっているではないか。魔王城に於いては纏う黒が深いほど地位が高いと聞いている。つまりここにはおそらく幹部しかいないと考えていいだろう。



「…………やあ、ユイちゃん」


 透き通った少年の声が私を呼ぶ。

 いつか裏庭でマフィン片手に語らった時とはまるで違い、声だけで畏縮してしまうような存在感を放っていた。


「急に呼び立ててすまないねぇ。……さあ、こちらへ」


 示されたのは、彼の向かいの空席だろうか。その席はどう見ても一つだけ他の椅子と作りが違い、子供用に見えた。なんと、わざわざ用意してくれたらしい。

 ミシロさんの手が私の背を押すのと、私が一歩を踏み出したのはほぼ同時だった。


「はにゃっ」


「は? えっ、ノエ——」


 何がどう上手い具合に噛み合ったのか、足が縺れ顔から床に転んでしまい、毛足の短い絨毯が私の顔面を迎えた。背負った聖剣の鞘と刀身がぶつかりあう硬い音を耳にしながら、やけに熱く感じる鼻に思いを馳せた。


「ノ——ユイ!」


「…………」


「大丈夫かい? 鼻血が……」


 抱き起こしてもらった私は、新品であろう借り物の服にぼたぼたと血が垂れていく様を無言で見た。

 思わず押さえた右手を退かされ、ミシロさんが取り出した白いハンカチが代わりに血を吸い込んでいく。幸いにして、そこまで多量の出血ではなさそうだ。すぐに止まるだろう。


「これ使いな」


「……めんちゃいこ……」


 有り難くハンカチを借り、私は立ち上がった。右手は血が付着したままだが、左手はハンカチを押さえてしまっている。まあいいだろうかと右手で聖剣の柄に手を掛け、少し背負う位置を修正してから、今度こそしっかりと歩き出す。


「……大丈夫?」


「ええ。お恥ずかしいところをお見せしました」


 思わずといった風に話しかけてきた少年魔王へ、特に意識せず言葉を返し——私は首を捻った。


(今、普通に喋れた……?)


 気のせいだろうか。はたまた、偶然だろうか。


「そう……。それなら早速で悪いが君と情報を共有したい」


 聖剣を支えるベルトを外し、それを抱えながら「失礼します」と子供用の椅子によじ登った。

 私と同程度のサイズ感だろう魔王さまは、何故か大人用の椅子に座っているようだけど——お尻の下にクッションでも重ねているのか、向かい合って見た座高は私とそう変わらなかった。


 腕に抱いた聖剣の温もりを感じながら緊張を呑み下し、円卓に着く面々を一瞥した。

 相も変わらず注目を浴びているらしいのはさておき、どのような肩書きの人間が集められているのかは知らないが、少なくとも四天王は全員揃っていた。ミシロさんは葉さんの隣の空席へ腰掛けたようだ。


「ユイちゃんをここへ呼んだのは、ミシロさんから君が真犯人を知っていると聞かされたからだ。……そもそも、君の無事も今は保証できない。その観点からシフィルク所長には君の保護を任せていたつもりなんだけどねぇ。何故自由に出歩き、何故ミシロさんと一緒にいたのかについては、ここでは問わないでおこう」


 …………。

 所長、怒られちゃうのかな。もしまた会えたら謝っておこう……。


「君は何をどこまで把握している?」


 アインス一族が何者かに襲撃を受けたこと。

 同時期に聖王が倒れ今も眠り続けていること。

 その原因は呪いによるものだろうこと。


 隠し立てせず簡潔に話しながら、私は違和感を覚えていた。やはり先程のは気のせいではなく、呪いを受けてからにゃんにゃんと勝手に妙な喋り方に変換されていた私の言語能力が元に戻っているのだ。


「呪い、か。何の呪いかは?」


「ええ。“成り代わりの魔法”——違いますか?」


「……。どうしてそう考えた……いや。どうしてその呪いを知っているのかと、僕はそう尋ねるべきなんだろうねぇ……」


 発言するのは主に魔王さまだけで、他の人々は口を挟まず静聴している。


「それは禁忌の名だ」


 「君の国でもね」と低く重く告げられ、私は平静を保つので精一杯である。


「……それは知りませんでした」


 禁忌——主には、かつて戦乱の時代に編み出された数々の危険な魔法を対象として、現代で使用を禁じられたものを指す。それについて記された魔導書は回収され、誰かに使うことも、教えることも罪である。

 とはいえ呪術は光の国でもそれなりに禁忌指定されていたし、この場合はそう驚くことでもないのかもしれない。それでも私は動揺していた。


「何故かは……かつて私の叔父を殺した呪術師が、どういった魔法であるのか事細やかに教えてくれたので知っています」


「……何だって?」


「ロルフ=マギアルッソも同じ呪いを受けたんです」


 眼前で、魔王が目を見張った。


 成り代わりの魔法——それは恐ろしい呪いだ。

 呪術対象となる相手の血と髪を混ぜ込んだ土人形が、十日の時を経て本人へと成り代わる。今回の件で言えば、光の城でヒカルに守られている寝たきりのアイリこそがその土人形なのだ。

 それ故に癒しの異能でも目を覚まさなかったし、聖水にも映らなかった。十日かけて土人形に本人の魔力を送る必要があるので、おそらく本物のアイリは呪術師の目の届く場所に囚われている。


 ——そして。

 魔力の全てが土人形に注がれた時、アイリは死に、人形はまるで本物であるかのように動き出すことだろう。術者の傀儡として、まるで生きた人間のように話し振る舞うことだろう。そうなったらもうおしまいだ。


(アイリが倒れたのは一週間前——残り三日だ。それまでに本物のアイリを救い出さないといけない)




 さて、ここで話は少し変わるのだが——かつて、まだ幼かった頃の(ユイ)は、魔法を使って誰かに負けた試しがなかった。


 マギアルッソの跡取りとして幼い頃から様々な連中に狙われていたものだが、魔法を覚えてからはどんな悪い大人にも勝利を収めていた。といってもそれは相手が皆魔法使いではなかったからだ。剣と魔法では、一般的には魔法の方が優位を取れるとされている。魔法使いが呪文詠唱と魔法陣の描写を省略する技術さえ修めていれば、の話だけれど。


 そんな私が初めて相対した魔法使いがいる。

 魔法を以ってしても敵わなかった初めての敵。

 黒いローブの闇魔法使い。


 いつもピンチを助けてくれた私の叔父(勇者)をも下したというその相手を前にして、生まれて初めて死を覚悟した。


 ——殺されてしまうのが堪らなく恐ろしく、情けなく逃げたあの日を思い出す。

 何処へ逃げても、何処に隠れても無駄だったあの夜。


「私をこの姿にしたのは、確かに姿だけならばセイブル=クラウンフィールでしたが——改めて言葉を交わして理解しました。操っているのか、何をしたのかは不明ですが、彼の意識はやはり別人のものです」


 ——“相変わらず、隠れんぼが得意ですね”


 先日、セイブルの見目をしたあの男は確かに私にそう言った。


 けれどそれは可笑しいのだ。

 私とセイブルは似た者同士だった。体を動かすのが苦手で、いつも魔法のことばかり考えていた私達。彼と私が隠れんぼなどに興じるわけがない。限りある二人の時間はいつも魔法の話題に費やしていたと、自信を持って断言できる。


 よってあれは、死を恐れ逃走し、情けなく隠れ回ったあの夜のことを指しているのだと……すぐに理解した。



仙道せんどう(めぐる)——二十年は前、私はそう名乗る闇魔法使いと対峙し、敗北しました。……セイブルの中に入っているのはあの男で間違いないかと」


 その名を口にした瞬間、空気が変わった——と思う。

 元から空気は張り詰めていたものの、更にピンと、ギリギリまで弦を張られたかのような、そんな緊張感が膨れ上がったように私の脳は錯覚した。


「……周知の人物でしたか?」


 確か、凶悪な呪術犯罪事件を起こした主犯の一人だったと文献で読んだし、名が通っていてもおかしくは無かった。


 一瞥を投げかけると、ちょうど魔王陛下は腕を組み直したところだった。トントンと、指先で肘を叩いている。何事かを思案しているのか、すぐに返事は得られそうになかった。

 ふと思い出し、私はずっと鼻に当てたままだったハンカチを膝に置いた。もう血は垂れてこなかった。


「…………禁忌を扱っていた記録のある呪術師は皆、魔法管理局でマーキングしている。リストの中で唯一行方を眩ませていた第一級要監視者が同じ名だ。当初は僕を呪った犯人こそ彼でないかと捜索網を組ませていたけれど、一向に見つからず、そうしている間に君が新たな容疑者に同じ呪いをかけられ、緊急捜索対象からは一時的に外していたんだよ」


 なるほど。しかしまあ、見目がセイブルである以上は彼を優先的に捜索させるその判断で間違いはないだろう。そう。中身が分かったところで……とも言える。しかしこれが魔王城の面々が掴んでいなかった情報であろうことは確かなようだった。


(もう話せることは特にないんだけど、また研究所に押し込まれたりするのかな……)


 そもそも彼らには私を呼び立てる必要はない筈なのに、どうしてわざわざここに来させたのだろうか。

 別に、私は由利香さん達と一緒にいるとミシロさんは知っていたのだから、電話で確認させればよかっただけの話だろうに、何故?


(まあ、どうしても今回の件に関わりたい私としては有り難いんだけど……)


 魔法も使えぬ子供の私が関わったところで無駄に場所を取るだけだろうことは、理解しているけれど。


 しかし聖王さまが夢見の泉で癒しの女神(セラピア)さまより予言を授かったのも事実。

 女神は勇者に宝を授けよと告げたのだから、おそらく彼女の危機を救うにはそれらの物が必要なのだ。私は、彼女に託された至宝を手に、どうにか現場に居合わせなければならない。


 潜伏場所を掴めばきっと突入隊や救助隊が組まれるだろう。その際には遠隔魔法による様々なサポートもあるだろうから、無理やり現場に忍び込んでもおそらくバレる。見るに私は一応保護対象として見做されているらしいが、その場合見逃してもらえるだろうか?


(でも、どうにかするしかない)


 どうやって?

 私が現場に居合わせるに足る大義名分を立てればいい。

 ……一つだけ思い付く案が無いでもない、けれど。



「ところで——先程から気になっていたんだけど」


「……は、い?」


 考え込んでいたから、反応が少しばかり遅れてしまった。顔を上げると、私より少し上にある瞳は、どうも一点を——私の抱えた聖剣を見つめているらしい。


「聖剣の魔石が輝いているのは、一体どういう理由から?」


「……………………え?」


 何を言われているのか理解し兼ねて、私は一瞬固まった。脳内で言われたばかりの台詞を反芻する。

 聖剣の魔石が輝いている。

 この方は今そう仰った。聖剣には華美な装飾が施されており、柄の部分には丸く大きな瑠璃の魔石が嵌め込まれている。


「そんなばかな……」


 抱きしめていた聖剣をくるりと裏返し、魔石を私の方へ向ける。確かに瑠璃の雫は静かに淡い光をたたえていた。


「——……」


 聖剣。誰もがそう呼ぶこの魔具は、本来ならば剣ではない。最初で最後の勇者が剣士だったから、彼女が望んだ通りにその姿を変えただけ。

 騎士の国の至宝として、剣から別の形に変える必要がなかった為にずっとこの姿を保ち続けている。


 聖剣——それは、仮の名前。


 この神器の正体こそ、眼前で輝く美しい石だ。

 独立戦争の際に魔力を持たぬ人間側についた女神さまが、死にゆく民のために流されたという尊い雫。

 それは何よりも美しく輝きながらその光を浴びた民を癒し、絶望に喘ぐ人々に希望を届けたという。


 そう、これこそは夜闇を照らす希望の明星——……



朝呼ぶ明け星(グランシャイン)



 その名を呼ぶと、まるで波紋のように一度光が強まった。

 ……熱だ。掴んだ鞘から確かな温もりを感じる。そういえば、先程からやけに腕の中が温かかったっけ。

 吸い込まれるように私はその光に手を伸ばしていた。



「——失礼致します!」


 血で汚れた指先がもう少しで魔石に触れるかという刹那、第三者の声と共に勢いよく扉が開け放たれ、私は驚きから手を引っ込めた。


「申し上げます! 王立公園内にて多数の一般市民が幼児化し倒れていると報告が!」


 兵が鬼気迫る声で告げたその内容に場がざわめく。


「鏡池を調査・警備していた部隊も全員が幼児化したとのことです! マグカルド隊長の判断で今は公園の全面封鎖を行なっております!」


「——鏡池か」


 「エルマー、向田くん、テツ」。厳かに呟いた魔王陛下が誰かの名を呼ぶと、すぐさま円卓についていた数名が会議室を後にする。座ったまま、何処かへ連絡を取る人も何人かいた。ミシロさんも誰かに電話をかけているようだ。


「民の救助は?」


「我々が確認した時には既に現場へ突入していた救急隊員も軒並み呪われ、被害者は全員公園内に取り残されています。詳細な数は把握できていませんが、普段の利用者数から考えれば数千人規模の被害かと……」


「封鎖はそのまま、決して何人たりとも通さないように」


「はっ!」


 兵が下がると、魔王は鋭く声を上げた。


「王城前広場を一時封鎖。城内の演習場を開放し、公園内の被害者全員を広場と演習場へ転移させ応急処置に当たる。異能力研究所及び魔法薬研究所へ協力要請を。転移は葉介、そして二番隊に任せる」


「はいよ」


「裕司は刻神(クロノス)の異能で出来る限り被害者の時を停め現状維持を」


「……承知しました」


 次々に指示が下され、会議室から人の姿が減っていく。


「ミシロさん、鏡池周辺に監視結界を頼めますか?」


「結界管理室と繋げばいいのかな?」


「ええ、それでお願いします」


 私を一瞥し、微笑みかけてから、ミシロさんは足早に去って行った。

 気が付けば会議室にはもう私と陛下、そして四天王のトモさんぐらいしか残っていなかった。

 陛下はぴょんと椅子から飛び降りると、何故か屈伸運動を始めるではないか。



「トモ、君には突入時に遠隔魔法によるサポートを頼みたい」


「……突入? 無差別で呪いを受ける魔の公園に一体誰を突入させるおつもりで?」


「僕に決まっているだろう?」


 思わず、私は魔王陛下を呆然と見つめてしまった。

 トモさんの深く長いため息が聞こえてくる。


「陛下。貴方には司令官としてここに残ってもらわんと困ります」


「僕は既に呪いを受けた身。今あの公園に足を踏み入れて無事でいられるとすれば、それは僕だ。他に呪われた兵は慰安休暇を取らせてしまったから、すぐには呼び戻せないだろうし……」


「いえ呼び戻しましょう。非常事態っすよ。兵の迎えは自分がやりますから」


「それじゃあ僕が行けないじゃないか」


「本音が出てますよ陛下」


 …………。

 やはりこの方にとって、私はあくまでも保護対象であるようだ。

 しかしこれは千載一遇のチャンスだった。



「——それなら私に行かせてください」


 椅子から降り、先程よりも眩い光を放つ聖剣を抱き直すと、私はこちらを見やるお二人に笑って見せた。



「ご覧の通り、グランシャインもやる気のようです」



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