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【08】



「にゃん。あのね、この辺りで一番おっきい公園ってどこかにゃ?」


「にゃなん?」


「公園って分かるにゃ? 広くて、芝生がフカフカで、気持ちよくお昼寝できる楽しい場所にゃ」


「にゃぁ!」


 ピンと立った三角のお耳。宝石のような丸い瞳、ふわふわの体。自信なく歩く私の後をずっとついてくる小さな存在には随分前から気が付いていた。

 何度か角を曲がっても一定の距離を保ちついてくるものだから、遂に話しかけてみた。もちろん私に猫の言葉は分からないけれど、私としては、猫はきっと人間の言葉を理解していると信じている。昔一緒に暮らしていた黒猫のにゃーさんは絶対に私の話すことを理解していたからだ。


 問いかけに一つ鳴いた白猫は、軽やかな足取りで私を追い越していった。眺めていると、首だけでこちらを振り返る。


「!」


 ついてこいと、そう言われている気がした。

 日が昇り、人通りが増えてきた早朝の街には、ビルの合間を縫って涼やかな風が吹いている。見たことのない道ばかりだが、着実に城のシルエットは大きくなってきていた。これは本当に王立公園に案内してもらえるのでは——と期待に胸を膨らませて猫ちゃんの後を歩いた。


 猫を追いかける子供というのは、傍目からは微笑ましく見えるのかもしれない。すれ違う人々がにこやかに私たちを眺めてくるのを肌で感じながら、どのくらい歩いただろうか。




「……にゃにゃ?」


 やけに立派な家が建ち並んでいる住宅街に出た頃には、城はもう目と鼻の先だった。もしやここは貴族の邸宅が多くあるという一番街かもしれない。とすると、私の目的地のすぐそばだ。


(すごい、やっぱり猫ちゃんって賢い……)


 感心しきりの私を他所に、一定の速度を保ちながら歩き続けた猫ちゃんはやがてある場所で立ち止まった。

 そこは——


「おっきいお屋敷だにゃあ」


 この辺で一番に大きな邸宅の、門の前。

 光の国風の装飾がなされた黒く高い柵の向こうに見えるのは、これまた光の国風の造りの白いお屋敷。青い屋根がまさに、といった感じで、少し懐かしい気分にさせられた。記憶の中の七名家の各屋敷も、流石にここまで立派な家はひとつも無かった。一般家庭かどうかも疑わしい広い庭には薔薇園と芝生が広がっており、大きな噴水もあるようだ。


 猫ちゃんはというと、柵の隙間に体を潜らせてそのまま庭園へと姿を消してしまった。



「もしかして猫ちゃんにとってのおっきい公園ってこのお家のことなのかにゃ……」


 まあ、フカフカの芝生はあるし、広いし、あの説明からここを連想したとしても間違ってはいない……のかな……。

 首輪はしていなかったし、このお家の飼い猫という訳でもないと思うけれど……。


 どうするか判断に迷った一瞬。

 視界の端で小さな影が揺れた。別の猫だ。首輪はしていないけれど、その子もまた屋敷の中へ入って行く……。


「猫屋敷……?」


 猫を惹きつける何かがあるのだろうか。

 つい気になって、柵に近寄り中を覗いてしまう。よく見れば他にも見知らぬ猫ちゃん達が。何匹いるのだろう。集会場所なのだろうか。


 その子達が一斉に鳴き出したのを、目を丸くして眺めた。

 猫の声に応えるように、薔薇のアーチの奥から誰かが姿を現した。男だ。燻んだ金髪で、白いシャツとスラックスを着たスタイルのいい人。思わず喉が鳴る。少し距離はあるが、何枚も重ねた餌皿のようなものを片手に持っているその人のことを、私はよく知っていた。



「みっ、ミシロ、しゃん……?」



 そう——そうだ。間違えようがない。身体の内側から肯定するように鼓動が早くなる。もしかしてここは、ミシロさんの——


「——もし、そこのお嬢様」


「ひにゃあっ⁉︎」


 背後から知らぬ声が掛けられて、思わず私は悲鳴を上げた。


「驚かせてしまい申し訳ございません」


 振り返れば、黒い燕尾服を身に纏った男性が立っていた。腹の前で組んだ手には白い手袋を着用し、黒い髪は後ろへきちんと撫で付けて、一言で言うならば執事のような出で立ちの男。


「当屋敷に何か御用でしょうか?」


 見た目の通り、きっとこのお屋敷に仕える執事なのだろう。


「貴女のような幼い方まで疑いたくはないのですが、結びも行なっていない魔具を背負っているというのは……些か、目立ちますもので」


「め、めんちゃいこ……。えっと、その、ゆっちゃ……私は怪しいものでは……」


 どうも長居をし過ぎてしまったらしい。確かにこれほどのお屋敷ともなれば警戒の目は厳しいだろうに、考えが及ばなかった。


「猫ちゃん達が中に入って行ったから気になって……」


「……ああ、成る程」


 幼い今の見目と言い訳が上手いこと噛み合ったのか、執事は納得したように頷いた。


「旦那様はこの辺りの地域猫に御食事をあげるのが日課なのです」


「ごはん?」


「ええ。人に慣れてきた猫は保護し、譲渡する活動も行なっているのですよ」


「にゃるほど……」


「気になる猫を追いかけて来たのなら、特徴を伝えて下されば保護しておきますよ。とはいえ、親御様の許可は得て頂かなければなりませんが」


「ええっと……」


 どう答えるか。猫を飼いたいとアピールすれば、保護するためにこの執事は席を外すだろうか。


(その隙に逃げ出せる……?)


 ……いや、そもそも。

 逃げ出す必要が、あるのだろうか。

 今の私は魔法が使えず、グランシャインしか持たない身。更に土地勘のない異国の地で、知人といえばそう、それこそミシロさんぐらい——



 ——“次は勝てよ”


 …………。

 ………………。



「あ、のっ」


「ええ」


「ゆっちゃん、ユイっていいましゅ!」


「はい、ユイお嬢様ですね」


「でも昔はノエルって名前でした!」


「…………」


「光の国で、ミシロしゃんと、ユリしゃん、マツしゃんにお世話ににゃって——にゃっ⁉︎」


 勢い任せに口を開くと、顔色を変えた執事が目前で跪いた。力強く、まるで逃がさないとばかりに肩を掴まれる。


「——貴女が、ノエルお嬢様……なのですか?」


 「いや、しかし……」と戸惑うように視線を揺らす。


「緑髪赤目……確かに特徴に重なる部分はありますが、しかし写真よりも随分と幼い……」


「ゆっちゃん、本当は大人です。でも呪われちゃって、子供になって……。ここに来たのはたまたまなのにゃ。王立公園に行きたかったけど道が分からなくて、猫ちゃんに聞いたらここまで案内されて……。そしたら、お庭にミシロしゃんが見えたから……」


「……私では判断出来かねます。門の前で少々お待ち頂けますか?」


 頷くと、手を引かれて正門の前で待たされた。大きな門だ。ちなみに執事は、すぐ横にある従者用であろう小さな扉の向こうへ姿を消した。私はというと正門の柱に腕をついて項垂れて待つしかない。


「どうしようどうしようどうしよう……」


 頭の中が、その五文字で埋め尽くされた。


(何回も逃げちゃったのに……協力を仰ぐ以前にそもそも怒ってるはず……なんて言えば……謝るしか……でもどう言えば……?)


 どうしよう。


「ゆっちゃんとノエルの本当の(﹅﹅﹅)関係についても説明すべき……? でも説明難しいし……そんな暇なんて今はにゃい……」


 答えを出せないまま悶々としていると、先程執事が閉めていった従者用の扉が勢いよく開け放たれた。



「ノエル——‼︎」



 飛び出してきたのは、


「みっ、しろ、しゃ……」


 その人は、やけに綺麗なフォームでこちらへ走ってくる。私は特に反応もできないまま、気が付けば白い腕に抱きしめられていた。走ってきた勢いのまま抱き上げられ、少し苦しい。そして地に足がつかない感覚はひと匙の恐怖感を私に与えた。


「ノエル、ノエルなのかい⁉︎ 本当に⁉︎」


「あ、あう……」


「会いたかったよ、ずっと心配してたんだ……‼︎」


「……にゃぅ〜……」


「どうしてこんな可愛い姿になっちゃったんだい? 困りごと? それでぼくを頼ってここへ? いいよ、何でも相談してごらんよ!」


 すりすり、ぐにぐに。ほっぺたに頬ずりをされて、まともに喋れない私である。その割にミシロさんは普通にお喋りしているけれど……。

 ひとしきりされるがままでいると、やがて冷静さを取り戻したのか私はそっと地面におろしてもらえた。


 屈んで私と目線を合わせてくる茜色の瞳をジッと見つめる。

 そこには、私がかつて想像したような怒りや嫌悪感など何処にもなく、ただ記憶の中と同じように優しい光があるだけだった。


挿絵(By みてみん)


 胸の中で、誰のものかも曖昧な色んな感情が暴れている。


(ミシロさんだ。ミシロさんが、目の前に……)


 私はほろほろと涙が溢れて止まらなくなってしまった。



「——何度も逃げてごめんにゃさい〜」



 この身体が一番最初にもらった名前は、ユイ。


 だけどユイは、別の人間として生きていた時がある。

 呪いによって記憶を封じられ、ノエルという名を与えられ、監禁されていた頃がある。

 封じられたはずの記憶はしかしやがて“ユイ”の人格として覚醒し、所謂二重人格のような状態になってしまった。


 私達は身体を共有する友人として打ち解けた。

 都合のいいことだけを教えられていたノエルは、自分が酷いことをされていることすら分かっていなかったが、そんなノエルの認識をユイは少しずつ正していって——監禁生活七年目のある日、あの怖い地下室からついに逃げ出したのだ。


 だけど私達には行く宛がなかった。

 家に帰っても家族はもう誰もいないことをユイは理解していたし、そもそも身体は傷だらけで、歩くことすらままならなかった。

 雪に埋もれ、意識が遠のいて……。

 私達はここで終わりなのだろう、と運命を受け入れた時。


 ——月明かりを背負ったミシロさんが、私達を見つけてくれた。


 彼は、家族であり仕事上の部下でもある由利香さんと松治さんを連れて、光の国へ長期出張へやってきていた。そして自分達の仮宿へ、ノエルを住まわせてくれたのだ。それだけじゃない。ひとりぼっちのノエルのことを、彼らは“家族”として迎えてくれた。

 その頃から、私とノエルは以前のように会話ができなくなってしまったのだけれど——


 この身体の主人格が再び入れ替わったのは二十歳の夏。ミシロさん達が出張を終え闇の国へ帰国する事になったとき。

 “ユイ”としての私は、まだ光の国でやりたいことがあったのだ。

 それを強く願ってしまった。

 すると、数年ぶりにノエルと会話が成立した。


 ——“ずっと体を使っちゃっててごめんね”


 ——“次は、君が幸せになる番だよ”



 その言葉を最期に、私は主人格として表へ出た。

 その時にはもうノエルの声は聞こえなくなっていた。それは本当に唐突な出来事で——ノエルは何も説明しないまま私に身体を譲ったから、そう、私達の事情など何も知らぬ三人は、私をノエルと認識して話しかけてくるのだ。


 ——“いつか君をぼくらの故郷に連れて帰りたいと思ってたんだ”


 ——“さあ、一緒に帰ろう”


 嬉しそうに笑うその人達に、上手く説明できる気がしなかった。

 これからも幸せな生活が続くと信じている彼らに、私はノエルではないのだと、この国に残りたいと告げるのは、恐ろしくて仕方がなかった。

 ついぞ勇気を出せぬまま、情けなくも逃げ出して——今に至る、というわけだ。




(本当なら、ノエルに身体をあげて、“会いに行っておいでって”言ってあげたかったのに)


 だけどいくら呼びかけてもノエルは返事をしてくれなかった。再び入れ替わる方法も、私には分からなかった。

 本当なら。本当ならば。ユイとしてこの人達に会うべきではないと考えていた。もしも会うならば、私がノエルではないことをきちんと説明しなければならないだろうとも。


 ——しかし。残念ながらそんな時間を今の私は持ち合わせていないのだ。それに、先刻の様子を見た限り、このまま私のことを“ノエル本人”と誤解しておいてもらえば協力を取り付けられるかもしれない。

 そんな狡い考えが生まれ、それを正す声もなく。


「ああノエル、ぼくは君が帰ってきてくれただけでいいんだ。怒ってないから、泣かないでおくれよ」


 私にそう言ってくれた彼の方が泣きそうな顔をしていた。抱き寄せて、頭を撫でてくれる。……大きくて、優しい手。それにひどく安堵して、ますます泣けた。

 ノエルにとって……ううん。私にとっても、この人はとてもとても大切な人。


「あのね、あのね……っ」


 だけどこれから、私は大切な人へ嘘をつく。


「私——ノエルね、友達を助けに行きたいの……‼︎」


 震える手のひらを、強く握りしめることでやり過ごす。罪悪感から引っ込んでしまいそうになる声も、腹に力を入れて無理やり絞り出す。


「でも今は魔法も使えなくてっ、今の私にできること、本当に全然なくて……それでもあの子を絶対に助けたい!」


 「お願い、協力、してください……‼︎」と、どうにかこうにか言い切れば。


「もちろん。助けるよ」


 私を抱きしめながら、彼は何も聞かぬままに頷いた。



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