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【04】


 動くか動かざるべきか答えが出ないまま時は流れ、早くも親善試合まで残すところ五日となってしまった。その間、佐知子さんから毎日スマホをお借りしていたのだが、何故なのか結局誰にも通じなかった。


 ——いや、まあ。それはいいとして。


 私は久々に外出する決意を固めた。

 しかし気掛かりなのは“護衛”の存在だ。誰に外出を伝えればいいのだろう。悩んだ末、結局は前回同様に一番話しかけやすい佐知子さんに相談した。


「件の件で囮になるおつもりなら止めるよう申し付けられております」


 話を聞き、佐知子さんは細い眉を寄せて申し訳なさそうに告げた。予想外の反応に、私は慌てて首を横に振る。


「違います! 私としても親善試合まで大人しくしていたいのは山々なのですが……実は、ちょっと、どうしても行かなければならない場所を思い出して……」


「行かなければならない場所、ですか?」


「ちょっと王立公園に……。お願いします。フードで顔を隠して出歩くので……」


「ふふ。自己犠牲の精神で出掛けるつもりでないならよいのですよ。……護衛のことならばご心配なく。既に手配済みですから」


「……そう、なんですか?」


 話を聞いた彼女は軽やかに微笑んだが、私はその言葉に首を傾げた。そういえば以前にも護衛について尋ねた時にはそう返されたような——でも、あの時も今も、いつの間に?


「ここだけの話、護衛のものは城の中でも一番に腕が立つと専らの評判なんですよ。魔法で姿は消しておりますから、景色の邪魔も致しません。安心して外出を楽しんでいらっしゃいませ」


 結局詳しくは教えてもらえないまま、何だか機嫌が良さそうな佐知子さんに送り出され、私は多少の居心地の悪さを感じながら正門を出た。

 城を振り返ると、いま通ってきたばかりの橋の向こうに立つ門番の兵士達が手を振っていた。周囲を見渡して他に誰も居ないのを確認し、私も控えめに手を振り返したが、視界に入る人といえば彼らぐらいで、もちろん護衛の姿は無い。


(でも、たぶん……いる、んだよね?)


 潜入魔法——様々な一級魔法を重ねがけしてその存在を他者から隠してしまおうというそれを、そう呼ぶ。その名の通り古くは潜入によるスパイ活動のために使われたというが……本当に何も分からない。何処にどんな人がいるのか、何人いるのか、さっぱりだ。


(ああ、でも……)


 微かに魔法の気配を感じる、ような?

 気のせいかもしれないと、そうすぐに可能性を否定してしまいたくなるようなそんな微々たるものだけれど。


「……よろしくお願いします」


 ぽつ、と呟いてみた。

 予想していたことではあるが返事はなく、私は前へ向き直った。亜空間からガイドブックを取り出し、付箋のあるページを開くと、地図を頼りに滑らかな道を進んだ。風向きには恵まれず向かい風だったが、これがまた程よい清涼感を伴っていて心地良い。


 真っ青な空の下、人通りの多い道を歩くこと少し。開発が進んだ街並みの中に、木々がより集まった空間があるのが遠目からでも分かる。地図によれば、あれが目的地であるようだ。王立森林公園は城の目と鼻の先に位置していた。



「う〜ん……」


 石の柱に挟まれた入口を通ってすぐ、私は公園内を見渡した。舗装された道以外は青々とした芝生が広がっている。ボール遊びや魔法の練習をする子供たち、犬の散歩をする人々など、思い思いの過ごし方をする利用者達の姿が散見され、実に和やかな光景だ。

 近くを行く人々の流れに押されるように道沿いに歩き出してからも、私は周囲の観察を続けた。ベンチが多く、エリアによっては噴水や遊具もあり、野外ステージなども常設されているようだ。色鮮やかな花々で彩られた花壇が美しい。アイスや軽食を扱う露店も散見され、公園内を一周するだけでもそこそこの時間がかかりそうだった。


 ——どうして引きこもり続けた私が急遽外出を決めたのか?


 途中で見つけた園内マップの前に立ち、私が睨むのは林道エリア。近くには円を三つ繋げたような変わった形の池がある。現在位置からの道程を指でなぞり、ひとつ頷いた。


 ——実は、あるものを失くしてしまった。


 失せ物探しに有効な魔法がある。探索魔法といって、対象の魔力を追うものだ。以前これでセイブルを探そうとして失敗したが、今回は上手くいった。



(といっても——こんなところ、行ったことない筈なんだけど……)


 木が多く、三つ連なる池のそば。

 今朝私が視たのはそんな風景だった。

 そして城内のお散歩中に偶々廊下ですれ違った葉さんに心当たりを聞いたところ、王立森林公園じゃないかと返されたのだ。

 背の高い杉の木が立ち並び、私の遥か上空で葉がざわめいている。このエリアは公園の奥の奥であり、さらに出入り口もない完全なる行き止まりだ。だからなのか、徐々に人が少なくなっていた。



「た、“立ち入り禁止”……?」


 さっき見たマップでいけば、池は林道から少し外れている。【鏡池】という立て看板を見つけたはいいが、予想外な事に、看板が示す道は封鎖されていた。


「立ち入り禁止……」


 理由は分からないが、何度見ても道の両端にポールが立ち、鎖を何重かに巡らせ封鎖してある。


「立ち入り……禁止……」


 何度見ても——


「う……うう……」


 私はうなだれた。

 今も何処かに護衛の人がいる筈で、つまり、こっそり侵入するわけにもいかない。



「——そもそも立ち入り禁止の場所に私の物が落ちてる訳がないのでは?」


 そして唐突に閃いてしまった。


「探索魔法失敗してたのかも!」


 「そもそも来たことないもんね」。うんうん。きっとそうだ。杖を召喚し、亜空間から水晶玉を取り出した。もう一度探索魔法を試してみよう。


 ——魔法の行使に必要となるのは才能・魔力・知識・呪文である。

 魔力を用い魔法陣を描き、呪文を唱えて奇跡を起こす——それが魔法。


 しかし、だ。一々呪文を唱えるなんて面倒にも程がある。初級魔法などの簡単な式で成り立つ魔法なら呪文も短いけれど、難度が上がればそうもいかなくなる。何分何十分と続く呪文を述べるのは大変な労力だ。それを解決した偉大な魔法使いこそ、あの天真爛漫な美少年魔王である。まあ、あの姿を見ていると、どうにも実感が湧かないけれど……。


 呪文の省略技術について簡単に説明すると、自分が使いたい魔法式の他に詠唱無視式(アリアスルー)と呼ばれる公式を同時に脳内で組み立てることで呪文を唱える手間を省いてしまうというものだ。多少余計に魔力を消費してしまうとはいえ、あの手軽さの前では些細な問題である。


 ちなみに、こっそり魔法を使いたい時にはこれに追加して魔法陣用の省略式も存在するが、こちらはかなり難度が高く、詠唱無視式の比ではないほど余分な魔力コストが掛かってしまったりする。

 私は一度コツを掴んでからというものずっと詠唱無視式のお世話になっている。余裕があり、さらに人目が気になるときには魔法陣省略式も使用するが——今は、見た限り近くに人はいない。省くのは詠唱のみでいいだろう。


 私はその場に座り込み、地面に置いた水晶玉に魔法をかけた。太陽と水のモチーフが多く配置された光の陣が私を中心に展開される。魔法陣が放つ魔力光は他人にとっては眩しいが、術者当人はさほど気にならない。

 魔法陣が雪のように溶けゆくと、水晶玉の中に何処かの景色が広がっていく。



「……三つ連なった池……」


 ——今朝と同じ光景を見て、私は深く嘆息した。


「……鳥が拾って落としちゃったのかなあ」


 探し物の姿は水晶玉では確認できない。メインで映し出されているのはこの特徴的な池のみだ。私の所見では、おそらく池の中に探し物があると踏んでいるのだけれど……。


(……流石に諦めるわけにはいかないしなぁ。お城の誰かにお願い……でもそうすると何を失くしたか説明しなきゃならないのでは……。忍び込む訳にも……いや、というか、そもそも一体いつから失くなってたんだろう……?)


 水晶玉を亜空間に収納しつつ、ぐるぐると悩む。背後からガサガサと葉が揺れる音がやけに大きく聞こえたのはその時だった。


(魔力の気配——?)


「っ」


 それは、咄嗟の判断だった。

 念の為、と言ってもいい。

 私は亜空間から一振りの剣を取り出した。悪しきを祓う退魔の聖剣。白銀の剣身は身体を蝕む如何なる病魔も斬り伏せ、弾くという——


「あああっ⁉︎」


 ——鞘から剣を抜こうとしたら勢い余ってすっぽ抜けた⁉︎


「そんなばかな! あっ待ってグラン——」


 数メートル先、カラン、と道の真ん中に落ちてしまった聖なる剣。私は慌てて立ち上がりかけたが、遅かった。

 ドクン、と心臓を掴まれたかのような奇妙な躍動。刹那の息苦しさ。思わず伸ばした己の指先が、どんどん縮む様を見た。体が熱く、そして力が抜けていく。


「おやおや、妙なところで会いますね」


 地面に伏してしまった私の頭上から、聞き覚えのある男の声が降ってくる。


「せ、い……ぶる……?」


「しかし丁度良かった。貴女を捜していたんですよ。一体何処に隠れていたんだか。……全く、あの子のやんちゃにも困ったものです。私の命に背いてまで貴女を逃してしまったから、こんな手間が……」


 声だけが聴こえる。その声音からは、前回会った時に向けられたような殺意は不思議と感じなかった。

 身体は弛緩し、目も開けていられないので視界は暗い。


相変わらず(﹅﹅﹅﹅﹅)、隠れんぼが得意ですね」


(——‼︎)


 声は饒舌だった。


「ずっと考えていたんです。前回は案の定効きませんでしたからね……。あれから、貴女の為に何度も何度も改良したのですよ。まあ、決め手はやはりあの子の意識を半覚醒状態にした事かもしれませんが……」


 「嗚呼、ようやく……」。熱の篭った声が、徐々に遠ざかっていくかのよう。


「グロウレディス、マギアルッソ、アインス……私の障害となり得るこの三家の異能だけが気掛かりでしたが、これでようやく全ての不安が消える」


 何とも不穏な発言である。今すぐにでも逃げなければと思うのに、指の一本すら動かせない。ならば魔法を——と何度か試したが、何故か魔法は発動しなかった。徐々に思考も解けていって、気が遠のいていくような感覚もある。



(これは、まずい……)


 ——どうしよう?

 心の中にいるはずのもう一人の私(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)に問いかける。

 返事は、なかったけれど。

 その代わり、護衛の存在を思い出した。


(そういえば……特に……助けてもらってないような……?)


 疑問が過ぎったのとほぼ同時。不思議と懐かしい匂いがふっと香り、私は誰かに抱きかかえられた——ような。煙草だろうか。その匂いは妙に落ち着いて、ギリギリ握りしめていた意識を手放すには充分な安堵を私に与えたのだった。



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