【03】
「これはこれは、勇者殿じゃございませんか」
裏庭に移動してのんびりしていると、軽快な足取りでトモさんがやってきた。今日は漆黒のローブを羽織っておらず、あの民族衣装だけだった。
ちなみに、どうやらあれは着物という名らしい。
「よくここで日向ぼっこして一日を過ごしてるって噂は本当だったのか」
「お邪魔しても?」と戯けるように視線で向かいの席を示すから、私は特に悩むこともせず頷いた。暇なので、誰かと話ができるのなら望むところだった。
「休憩時間ですか?」
「いやいや、今日は休みっすよ。週末なんで。まあ、住み込みだからこうして城に居るわけだけども」
「なるほど……」
私は自慢じゃないが社会とはあまり関わらずに生きてきた身であるので、未だに日付の概念に薄く、今日が週末だとか祝日だとか言われても、ピンときた試しがない。
「色々問題はありますけれども——本命は遂に来週に迫りましたな。意気込みの方はどのように?」
「……精一杯頑張ります、としか」
「ふはは。実に嫌そうな顔をしてらっしゃる」
「……い、嫌、というわけでは……」
顔に出てしまっていたか、と私は気まずく目を逸らした。トモさんはからからと楽しげに笑っている。
「そういや、聖剣ってのは杖のような役割もできるもんなんすか?」
ふと思い付いたような何気ない語り口で、トモさんが疑問を投げてくる。
「魔法使いの勇者殿が来るのは初めてなんで、どんな絵面になるか想像もつかないですわ」
「聖剣は、初代勇者さまが剣士だったから剣の形をしているだけですよ」
実物を見せながら説明した方が分かりやすいだろうかと、私は亜空間制御魔法を用いて次元の狭間に収納していた聖剣を取り出した。聖なる銀の装飾がなされた白い鞘に収まった白銀の剣は、柄で煌めく瑠璃の魔石が特に美しい。
木のテーブルの上に置くと、トモさんは興味深げに身を乗り出した。
「おお! やっぱカッコいいですなあ」
キラキラと輝く若草色の瞳は、まるで少年のようである。その反応は何だか私を愉快な気持ちにさせた。
「聖剣は剣であって剣に非ず。持ち主が杖としての形を望めば、そのように変化してくれるんですよ」
「え、そうなんすか?」
「……おそらく」
「おそらく?」
「……たぶん」
「たぶん」
「試したことがないです」
「もう来週だけども」
「聖剣は使わず背負っておくスタイルじゃ駄目でしょうか」
「これは斬新な勇者が現れましたなあ……」
…………駄目かあ。
「こ、こほん。冗談です」
「ほほう?」
「そ、それより——」
私は何か別の話題を探した。このまま続けても行き着く先は私が恥を晒すだけのような気がしたからだ。早く動く雲を、ざわめく木の葉を、陽を浴びる紫陽花を眺め、最後にようやくトモさんへと視線を戻す。
「親善試合なのですが、一体どのような感じなんですかね……?」
実は、ずっと気になっていたのだ。説明を記した冊子を一通り読み込みはしたものの、私にはいまいちイメージが湧かなかった。
ルールとしては、互いに結界を構築する魔具を付け、それを先に壊した方の勝利とする——間違って死人が出ないようにする為の措置である、と記されていた。
結界を破るには耐久値をゼロにするか、構築時に設定された独自の鍵を看破するのがセオリーだ。と言っても後者の方法を取る人は少なくて、ひたすら攻撃を浴びせるのが一番楽である。おそらくは親善試合でも魔法を撃ち合い、どれだけ相手に被弾させられるかが肝となるのだろう。私としても分かりやすいし、それはいい。だけど……。
「試合の様子は全国に放映される——と記載がありましたが……あれは一体……」
そう。気になったのはそれである。
「そのまんまっすよ。一部始終がテレビで流れる」
「な、何故……」
恐れていたことをあっさりと肯定されてしまい、口元が引きつった。
「親善試合は我々にとっちゃ数年起きに訪れる一大娯楽なもんでして。屋台も出るし……そうそう、会場には客席もあるからチケットも販売してるんすよ。今回は魔法使いが一人で来た事で話題性抜群でして、過去最速で完売したとか。これは凄い事っすよ」
トモさんからの追加情報にはめまいがした。心なしか、久々に胃痛もする。
「というか、そもそも勇者が勝つ事ってあるんですか……?」
「ユイちゃんの叔父上殿は俺やハルちゃん——今は一時的に抜けてる第四席を下しましたな。祐司とも引き分けに持ち込んで……いやあ、あれは実に盛り上がった。陛下もそりゃもうご機嫌でしたわ。飲みの席なんかでは、未だにあの時の話を持ち出すくらいでして」
「叔父が……」
「……。ただまあ、陛下が敗れるところは見た事がないですな。葉さんも先代の頃には何度か負けてた気はするけども、今代になってからは……」
「……じゃあ……一勝もできない勇者はどれくらい……」
恐る恐る尋ねてみれば、快く答えてくれていたトモさんがここで初めて間を空けた。若草の瞳は言い淀むように逸らされて、何かを察してしまう私である。
「うううぅぅ……」
「ま、まあまあ。よくある話なんで気にせずとも……。ユイちゃんなんて史上初の単独パーティーな訳ですし……」
聖王様もどうして私一人を指名したのだろう。いや、まあ、国で嫌われ者の私が他のメンバーと仲良くできたかは甚だ疑問であるし、マギアルッソと共闘すると聞いて頷くような候補もいなかったのかもしれないけれど……。
来る親善試合を想像して怯える私を気遣ってか、トモさんも口を閉ざす。私はそれに甘え、しばらく頭を抱えていた。
少しの間、自然の奏でる音だけがここにあった。
風に撫でられた枝葉のざわめきと、夏虫の声。
「——ユイちゃんは」
池で鯉が跳ね、ちゃぽん、と水が鳴ったのと、トモさんが控えめに私を呼んだのは、ほぼ同時だった。
「ユイちゃんは、どうして魔法使いに?」
「……え?」
それは世間話にはそぐわない調子で紡がれた。
「光の国じゃ、魔剣士はともかく魔法使いは珍しいんしょ? 確かに光魔法を考えついたのは初代勇者殿と聞くけれども、マギアルッソといえば剣の方が有名ですし……。そんな中でも杖を選んだのは何故なのかってのが、気になったんすよ」
…………。
………………。
魔法、かあ。
「うーん……私にとって、魔法は何よりもきらきらしていましたから。私が杖を選ぶのは、必然のようなものでした」
「……ふむ」
「でも——」と続け、ちょっと笑ってしまった。そんな私を見て、トモさんは微かに首を傾げてみせる。
「私は……ユイ=マギアルッソは、勇者に憧れていたんです」
——聖剣の鞘を撫でる。
「勇者と呼ばれた育ての親に」
かつて、この剣を託された一人の騎士がいた。私にとっては、たった一人の“父親”——込み上げる感情を隠したくて目を伏せる。
「我が国で、勇者とは“聖剣を持つ者”のみに与えられる称号ではありません」
憧れた。
憧れたんだ。
いつも守ってくれた大きな背中に。
「——それは、誰かを守れるひとを讃える名」
私だけじゃない。
あの子だけじゃない。
数え切れないほどの命を救ってきたあの人に、どれだけの人々が憧れていたのだろう。
「叔父のようになりたかったんです。仮に聖剣を持たずとも、私にとってのあの人は紛うことなき勇者であったはずです。——憧れに、早く追いつきたかった。剣か魔法か、その二択ならば私は魔法が得意でした。魔法だけが、得意でした。……他ならぬ叔父に反対されてでも、それが最たる近道と信じました」
「…………」
「だから——そう。私は青を目指していたんですよ。光の国で最高の魔法使いに与えられる青い衣……あれを着れば、叔父は嫌でも私の魔法を認めざるを得ないだろう、と」
幼少期の話とはいえ、あまりにも子供っぽい理屈で笑ってしまう。
「青は——断ったって話だったような……」
「ええ、そうですよ」
あくまでもこれは子供の頃の話だ。私が青に指名されたのは、大人になってからである。
「国では広く知られる話なのですが、実は私は長いこと消息不明だったのです」
軽い語り口を意識してそう話すと、トモさんは一瞬目を逸らした。すぐに何でもなさそうにこちらを見てきたけれど。その反応に今度は私が目を丸くする番だった。
「……自分も、噂程度には」
「なんと。そんなことまで異国に噂が流れているんですね……」
「確か……夜光戦争が始まってすぐとか」
「ええ。七つの時です」
ちょうど二十年前のことだ。
家の中から誰も居なくなって。
代わりにやって来るはずの人も現れず。
ただ、そう、来てはいけない筈の人がやってきたあの日——
「当時の私では到底敵わない相手でした」
……いや。あの時も、本当は逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。でも、何処へ逃げれば良いか分からなかった。誰が味方なのか、誰が敵であるのか、何もかもが分からなかった。
——だから、呪われてしまったのだ。
「今はどうかなあ……」
屋根の向こうに広がる空を見る。
真っ青な晴天を。
かつて、私が自由を得た日。
初めてこの目で見上げた青い色と、今日の空はよく似ていた。
「——そういえば、あの時の魔法使いが使っていたのは闇の陣でした。……せっかくこの国に来たのだから、探してみてもいいのかもしれませんね」
そして、大好きな青と良く似た色をした、聖剣の魔石へと視線を移す。
吸い込まれてしまいそうなほど深く、しかし澄んだ水のように透き通った青い色は、太陽光を反射してきらきらと煌めいていた。……その煌めきから、無意識に連想してしまったのかもしれない。脳裏に銀色のタグがチラついた。刻まれた名は私のよく知るもので、それを私へ見せつけてきた大きな手も、また蘇る。
(呪いを扱う闇魔法使い——)
あの男も、この国に居るのだろうか。
——ふと、ハッと我に返った。少し喋り過ぎてしまったかもしれない。
「……では、私はそろそろ失礼しますね」
聖剣を掴みそれを亜空間に収納すると、私は何かを言われる前にその場から足早に立ち去った




