【02】
この城には客人用の豪華な浴場があるらしいのだが、私はそこを利用したことがない。客室にも簡素なシャワールームが備え付けられているので、それで充分だった。
寝汗を流す為、今朝もシャワーで湯浴みを済ませると、私は服を着るのも億劫で、素肌のままベッドに背中を預けた。
「ノエル……どう思う……?」
セイブルらしき誰かと出会ってから、ずっと心は晴れないままだ。
これまで考えたくなくて目を逸らしていた色んなことが、今になって高い壁となって現れたかのようで落ち着かない。
誰かに相談したかった。候補として持ち上がった数人は誰もが光の国に居るが、しかし私のケータイはこの国では……。
…………。
——……借りればよいのでは?
ガラス細工のランプシェードを眺めて過ごす内、ピコンと閃いてしまった。
私はベッドサイドに置いていた呼び鈴を手に取った。何か用事があればこれを鳴らすよう、侍女の佐知子さんから言われている。彼女はいつも扉の前に控えている訳ではなさそうだから、おそらく遠く離れた場所にも音を届けるよう細工された魔具なのだろう。
しばらく待つと、規則正しい間隔で扉がノックされた。
「すみません、光の国にも通じる電話をお借りすることはできるでしょうか……⁉︎」
「ええ、ご用意させていただきますね」
いつ見かけても微笑みを絶やさない彼女はすぐさま頷いてくれたが、即座に踵を返すような事はなかった。
「ユイ様……」
「?」
その代わり、ちらり、と彼女の瞳は意味深にこちらを一瞥する。
「そのような格好では身体が冷えてしまいますよ」
「……あっ」。彼女が示すところを理解して、瞬間的に頬が熱を持った。
「それとも……」
慌てて胸元に腕をやって隠したが、何故か佐知子さんはこちらへ近付いてくるではないか。何を言おうというのだろう。
「そういう意図でしたら……ええ。私もそれなりに経験して参りました。きっとご満足させて差し上げられるかと存じますが……」
「にゃうっ……⁉︎」。スッと伸ばされた手が、私の頬を包み込むように撫ぜていった。びくりと肩を震わせ、また妙な声をあげてしまった私を、彼女の瞳は弧を描いて見下ろしてくる。
「如何なさいますか……?」
「〜〜っ?」
(さ、さ、さ……佐知子さんが……えっちだよ……⁉︎)
——どうしよう⁉︎
動揺のあまり何も言えず、ひっそりと笑む彼女を見返すことしかできない。いつも優しげに細まっていた瞳は相も変わらず慈愛を湛えているというに、上がった口角からは得も言えぬ色香が立ち昇っているようで、くらくらした。
(お、女の人に、迫られるなんて、そんな……)
いけないことの、はずなのに。
どうしてなのか胸はドキドキとうるさかった。
——今まで気にして見たことがなかったけれど、よくよく見れば彼女はとても綺麗だ。艶やかな黒髪も、穏やかな瞳も……似ていない筈なのに、少しだけ……遠い記憶の中のママを思い出した。彼女の醸す柔和な雰囲気のせいかもしれないし、そのメイド服のせいかもしれない。それに思い至った瞬間から、逆らう気を奪われてしまったのは何故だろう。
「失礼します」と、彼女は静かに隣へ掛けた。脚同士が密着して、シーツを握り閉めていた私の左手を包み込まれる。
(佐知子さん……良い香り……)
彼女が淑やかな花の香りを纏っていたなんて、今まで知らなかった。
「……ふふ。申し訳ありません。ユイ様の可愛いお口から言わせようなどと、少々意地が悪かったですね」
耳許でくすくすと笑う音がする。白い指が私の顎に触れた。つう、と輪郭をなぞり、髪を梳き——やがて指先は耳朶を甘やかすように擽った。
「あっ……だ、だめ……です、そんな……っ、耳は、弱くて……」
「あらあら、なんて愛らしい……。お耳がよろしいのですね……?」
耳に掛かる熱い吐息はまるで毒のようだ。
みるみるうちに身体から力が抜けてしまうと、佐知子さんに腰を抱かれた。彼女を視界に入れるのが気恥ずかしく、思わず顔を逸らしてしまう。すると、当然ではあるが今までとは違う景色が視界に入ってくる。例えばそう、閉められた扉の前に誰かが屈んでこちらを見ている姿も——え?
菫色と目が合って、私の身体は固まった。
「——あ、バレた? まあ俺のことは空気だとでも思って、そのまま続けてよ」
「ひにゃあああぁあっ⁉︎」
いつからいたのか、にやついた顔の葉さんが室内に入り込んでいたのである。思わず佐知子さんに抱きついてしまうと、彼女はサッとシーツでこの体を隠してくれた。
「葉様……。あまり女同士の秘密を覗くものではありませんよ」
「他人の情事には興味無かったんだが、美女と美少女のそれは悪くないな。目に優しいわ」
「あらあら。ふふ。なら、秋恵に頼んで見せてもらえばよいのでは?」
「…………あ〜。さっちゃん怒ってる? いいとこ邪魔して悪かったって。流石の俺も朝からヤッてるとは思わなかったからさあ……」
「謝罪には到底聞こえませんが……」
侍女と四天王。普通に考えれば立場の差は一目瞭然だが、不思議なことに佐知子さんは強かった。冷ややかに己を見る彼女へ、葉さんはタジタジである。
「ユイ様にご用でしたか?」
「用って程でもないな。部屋の前を通り掛かったから顔を見て行こうと思ったのよ。返事はなかったが鍵が開いてたから……」
「なら職務へお戻りください」
そう言って葉さんを部屋から締め出してしまうと、佐知子さんは頬に手を当てて小さく息を吐いた。その姿は何となく子供っぽく、可愛らしく映る。
「もう。殿方は空気が読めなくていけませんね。やはり細やかに気遣い合える女性同士の方が、余程……」
シーツですっぽり体を覆ったまま、私はようやく勇気を出した。
「あ、あのっ、ごめんなさい! 実はただ服を着忘れてしまっていただけなんです!」
女性同士のいけないことは、私の知る男女のそれとはまるで様相が違う気配を察知した。何だか怖くもなさそうだし、痛いこともされなさそうで、まあ少し興味は出たけれど——いや。いやいやいや。私は何を考えているのだろう。今は勇者として滞在しているのだから、きちんとしなければ!
私は頭の芯に残る熱を振り払うようにかぶりを振り、佐知子さんをジッと見据えた。彼女は我が告白を聞いてもさして意外そうにするでもなく、悠然としている。
「けれど、悪くはなかったでしょう?」
「そっ……それは……」
「……ねえ?」
「〜〜は、はい……っ」
笑顔で、まるで見透かしたように返されると、私もタジタジになってしまった。
「ふふふ。ひと目見た時から思っておりましたが、本当に愛らしい……」
囁くように彼女は私の羞恥を煽ってくる。これがわざとなのか、素の発言なのかは分からない。お顔を見ているのも恥ずかしく、俯いてしまった。
「今日のところはこれで。ユイ様、佐知子が忘れられなかったらいつでも申し付けくださいましね。次は、きちんと鍵をかけ忘れないようにしますから……」
「……う」
「ところで、お召替えの手伝いは必要ですか?」
「だ、い、じょうぶ……です……」
「では私は電話の用意をして参りますね」
佐知子さんも部屋から去ってしまうと、私はへなへなとベッドに倒れ込んだ。
「うああ……どきどきしたぁ……っ」
知らずのうちに詰めていた息を吐き、私は暫くベッドの上でのたうち回ったのだった。
*
今度はきちんと服を着込み、羞恥を押し殺しながら佐知子さんと再び顔を合わせた。
彼女が貸してくれたのは、私が持つケータイの次世代型——スマホ、というものである。薄っぺらなそれで通話する方法を私へ教えると、彼女は一度退室した。部屋の外で待機してくれるようなので、用が済み次第返す事になっている。
まず手始めに掛けたのは、打ち慣れた番号。相手は私の幼馴染みであり、聖王の執事であるヒジリ=アインスだった。彼に相談するか、はたまた聖王へ繋いでもらうかはまだ決めていないが——少なくともこの二人の耳に入れておくべきだろうと私は判断している。
彼らにも、関わりがあることだろうと思うから。
「……?」
だが、いつもならばすぐに出てくれるのに、今回は中々応答してくれなかった。
仕事が忙しいのだろうか。まあ、そういう日もあるだろうけれど——タイミングが悪い。
数分置いてもう一度掛けてみたが繋がらず、仕方なく別の友人へ電話をかけた……が、またしても応答はない。彼女もまた聖王に仕える騎士であるから、揃って忙しい日なのだろうか?
もしや異国に繋がると見せかけて繋がらないやつなのでは……などと疑い、試しに城とは関係のない友人にも電話を掛けてみたが、そちらは普通に通じたので、今日のところは諦めることにした。
明日また借りてみよう。




