——「護衛の彼はかく語りき」
「——彼女の護衛、宜しく頼んだよ」
懐かしくも愛らしい姿となって早ひと月が経とうとする我が主人は、今のサイズにまるで見合わない椅子に腰掛けて腕を組むとそう言って念を押した。見栄を張ってお子様椅子を使おうとしない為、こうして我々が立っていなければデスクに頭が隠されてしまっていただろう。
さて、我々が陛下の執務室で一堂に会するのは、あまりないことだ。俺と部下達はそれぞれ抱える任務こそ共通しているが、それを果たすべき相手は異なる。普段は魔法により姿を消している我々がオフィス以外でごく普通に姿を現し集まっている——まさに緊急事態と思うだろう。
(……まあ、確かに“緊急事態”ではあるんだが)
それでも今回の任務は我々からすれば必要順位の低いオマケ、降って湧いた残業のようなもの……としか言いようがない。
「彼女が寄越した勇者に何かあったら大変だからね」
そう、少女勇者が不審な呪術師に狙われた件で、我々は少女の護衛を言い渡された。
囮として使うつもりかと思いきや、少女には秘密裏に認識阻害の魔法をかけ、呪術師には決して見つからないようにせよなどと言い出すのだ。しかも城の中でも念の為に護衛をしろと言う。一体何をお考えなのか。
……いや。分かってはいる。他の者は理解していないかもしれないが、俺には分かる。そして、こうして察してしまった以上は呆れるほかなかった。
(これも付き合いの長さ故か……)
普段の陛下ならば客人と言えども安全性さえ確保できれば囮にでも何でも使っていたはずだが——万が一に今と同じ命を下したとして、せめてその任務は別の、もう少し手隙で、もう少し新米の、そんな人物に任せただろう。
しかし今は思考回路が感情に引っ張られやすい謎の幼児化中で、更に彼女が絡んでいる。
光の国の若き女王アイリ=グロウレディス。
そうだ。彼女が寄越した客人というただそれだけで、あの少女勇者は陛下の中で優先度が頗る高くなってしまっているのだ。
だから普段から四天王や陛下の護衛を務める我々に、その使命を後回しにしてまで客人を守れと仰せになっている。
(さて、どうしたものかね……)
無駄だろうが、一応、進言しておくか?
「陛下……」
咳払いの後に口を開けば、「どうせ司さんは他の子達に任せろって言うんでしょ」と先を越されてしまった。唇を尖らせたその表情は明らかに拗ねている。
「当然、言うともさ。そこまで心配ならば勇者くんには城に篭っていてもらえばいいだろうに」
城内だけならば、まあ、手の抜き方は我々も心得ているので幾分か負担が減る。面倒なのに変わりはないが、落とし所はこの辺りが良いだろう。
「せっかく異国の民が来てくれたんだよ! 僕の国をたくさん見て欲しいじゃないか」
「しかし陛下も何者かに呪われた以上、陛下や四天王の護衛を疎かにするのは有り得ない。むしろ他の要素も加味すれば、危険の度合いは比べるべくもないだろうよ」
「そうだけど、僕らは強いし」
「失礼、毎朝鏡は見ていないのかね?」
「僕は少なくともしばらく城に篭りきりになるし、安全でしょ。なら二六さんの手が空く。でも、僕からずっと目を離すのは君達も嫌だろう。だから四天王が城にいるときは、他のみんなと相談してその時一番手の空いている人物と交替しながら護衛して欲しいんだよ」
「先程も言ったが彼女に外出を控えさせれば良いだけでは? 流石に勇者くんも断りはしないだろう」
こちらの話を聞く気がない今の陛下を相手にするのは骨が折れた。
見目だけでなく中身までお子様だった頃と、今の彼はよく似ている。全く困ったものだ。
——かつての己はどうやって我儘王子を言い包めていたのだったか……。
「……というか、明らかに矛盾した発言はやめてくれたまえよ。陛下が城の中で安全ならば、彼女だって安全でなければおかしい。城の中でまで彼女に付いていろ、なんて無駄な行為と言わざるを得ないだろうさ。せめて結界管理室か、監視室に任せれば——」
「困っていたら助けてあげて欲しくて。この城にも慣れてないし」
「下心が透けて見えているんだが?」
「あ、アイリちゃんのことなんて考えてないよ!」
「なるほど、考えていたと」
「うっ」
「勇者くんは帰国後に必ずや彼の麗しの女王陛下に城での日々を報告するだろう……少しでも良い話を耳に入れさせて印象を良くしたい……」
「べ、別にそんな、」
「——陛下、普段の貴方ならば決して取らぬ愚策です。どうか御再考を」
——そう、普段ならば。
敬語はやめてくれと直々に頼まれているこの俺が、それでも口調を改めて意見すれば、大抵は考え直してくださるのだが。
「や——やだ!」
…………今は、身も心もお子様であるからなあ。むしろ成長し図太さと権力を手に入れたからか、当時よりも悪化している。
「とにかくこれはもう決めたことだ、覆しはしない! 分かったらさっさと彼女の護衛について!」
と、揃って執務室を追い出されてしまったのであった。
暗澹たる気分で部下達の顔を見渡す。溜め息を吐く伊井田くん、こめかみを抑える茨木くん、呆れ笑いの坂本くん、しかめっ面の三谷くん。
「どうします……編集長」
部下達の中では一番に切り替えの早い男である伊井田くんは、さっと普段の無表情に戻ると俺へそう尋ねてくる。
「……まあ、こうなっては従うしかない。詳しい話はオフィスで詰めようじゃないか」
*
そんなこんなで始まった新たなる護衛任務だが、致し方ないので、普段誰の護衛も担当していない俺が勇者くんの護衛をすることになった。
代わりに俺がいつも一人でこなしている記者業務を全員に分担してもらう事となったが、これならば幹部達から長時間目を離す必要もなくなる。問題といえば、俺達の睡眠時間が減ることぐらいだ。
……平穏な時ならば、多少幹部から目を離したところで何の問題も無いのだが。しかし今は主君が誰かも分からぬ不逞の輩に謎の呪いを掛けられてしまった非常事態なのである。平時ならばしない四六時中の護衛をして不審人物に目を光らせている只中だというに、あれはないだろう、あれは。
無茶振りをかましてきた陛下はといえば、久々に護衛の目が無くなったと喜んでいるようだ。普段の彼ならば潜入魔法など簡単に見破るが、今の子供陛下にはそれができない。
「今は久々に一人だから……なんて言って激辛カレーに更にスパイス突っ込んでこっそり食ってましたね」と三谷くんが呆れたように話していた。
「おっ? ユイちゃんじゃーん」
「葉さん。こんにちは」
「今日は観光しねえの?」
「ええ、今日はお城で過ごそうかと思って。……ほら、外出時は護衛の方が付いてくださるんでしょう? 今しか出来ない用事は、私にはありませんから。あまりお手を煩わせるのは申し訳ないです」
同じ鍵を敢えて使う我々護衛同士以外に潜入魔法を見破れる幹部は、平時の陛下と若宮くんぐらいである。若宮くん——と、その背後で透過魔法を使い彼の護衛をしている伊井田くんの二人が、意味深な半笑いでこちらへ視線を送ってくる。俺は肩を竦めた。
勇者くんはその後、ふらふらと城内を歩き回った。客人に許された行動範囲のほとんどを網羅し、実に退屈そうだ。
しかしまあ、不思議と見ているぶんには退屈しない。
何故ならば行く先々で何かしらのトラブルが起きていた。
「——きゃっ」
「大丈夫ですか?」
例えば、畳んだタオルの山を抱え運んでいた侍女が躓き転びかける。すると、気怠げにすら見えていた彼女は意外にも身軽な動作で侍女を助けに行った。細腕で侍女の体を支え、しかし敢え無く落下していくタオルにはおそらく浮遊魔法を掛け宙へ留まらせこれも救出。
「も、申し訳ございません!」
「いいえ、お気になさらず。今ので足は挫きませんでしたか? ……大丈夫? 良かった」
彼女が特別待遇の客人であることはどれだけ下の位にいる従者にも徹底周知させているものだから、侍女は顔を青くしていたが、勇者くんは無表情を崩し柔らかく微笑み、何事もなかったように場を去った。
「あ〜〜〜……」
「……あの、大丈夫ですか?」
その次に、監視室の室長である柳田くんが一体何をしているのか廊下の壁に向かって項垂れているのを見れば、迷うこともなく話しかけてみたり。
「っ、あ、貴女は!」
「すみません、お邪魔してしまったでしょうか。……その、随分とお悩み中に見えたので」
「ああ〜申し訳ない。確かに少々悩んではいましたが、しかし勇者殿の手を煩わせるようなものじゃ——」
振り向いた柳田くんの黒い制服——右腕の部分に不自然な白い模様が入っていた。彼女もそれに気が付いたようだった。顎に手を当て、首を傾けている。
「袖、汚してしまったんですか?」
「うっ」。指摘されると、柳田くんは気まずそうに頭を掻いた。
「あはは……実はペンキを塗り替えたばかりの場所に肘をついてしまいまして。それもこの制服は下ろし立てだったものですから……。お恥ずかしいっス」
「なんと。……少し失礼しても?」
「え?」
すると勇者くんは小さな手の中に銀色の杖を召喚した。拳ほどもある薄紅の魔石が閉じ込められた冠飾りが先端にあしらわれ、そのてっぺんには黄色のリボンと、なんと少女趣味な杖か。人を選ぶデザインだが、人形のように整ったあの美少女勇者が持つには何の問題もなさそうだ。
彼女が丸く尖った杖の先で床をトンと一突きすると、制服の汚れ部分が光に包まれた。
やはり、先程のあれは見間違いではなかったらしい。彼女は魔法陣と呪文詠唱、その両方を省略できるようだ。我々に比べ魔法が得意ではない光の民にしては、意外とやるらしい。少なくとも彼女のような年若い光魔法使いが省略技術を身に付けているというのは聞いたことがなかった。それどころか闇魔法使いの中でさえ、あの年頃に限定すれば数はかなり絞られてしまうだろう。陛下が考案された省略技術は便利だが、難易度については特に気遣われていないのだ。
さて、話を戻すが、光が消えた柳田くんの制服は先程までと見違えていた。不自然な汚れは全て消え、黒一色の幹部服に戻っている。
「あ、あれ? 綺麗になってる……」
「すみません、勝手なことをしました。でも、ペンキ汚れって中々落ちないでしょう?」
「今のは光魔法っスか? 汚れを消す魔法が……?」
「ええ。オリジナルですが……」
「おお、スゴイ! いやあ〜助かりました、ありがとうございます」
照れたのだろうか。ふにゃっと柔らかく眉を下げ破顔したその顔は、今日眺めていた中では一番愛らしく見えた。柳田くんの目にも魅力的に映ったのだろうか、彼は逃げるように去っていった勇者くんを、しばらくずっと見つめていた。
「——とまあ、こんな調子で行く先々で城の連中を助けて回っていてね。何というか、普通にいい子だったさ」
深夜、オフィスにて。
遅い夕食として用意した秘蔵のカップ麺を啜りながら、デスクワークをこなす部下達にはそんな話を聞かせた。皆、それなりに気にはなっているのだ。異色の勇者殿が。
「……意外と楽しんでます?」
「はっはっは。まあ、彼女を眺めるのは中々目の保養になったかもな」
「あ〜いいなぁ。可愛いっすよねあの子」
「三谷さんはああいうロリっぽい子が?」
「あん? 伊井田、そういうお前の方がタイプだったんじゃないの」
「何を根拠に」
「あの子って若宮と旅してた子なんだろ? 珍しく行きずりの相手を記事にしたいなんて言い出すから、てっきりオレは好みの子を若宮に食われた腹癒せかと……」
「……まさか。そんな訳ないでしょう」
好き勝手に話す部下達の声を聞きながら、なるほど……と先月号の記事を思い出した。
「そういえばそうか。あんな清楚に見えても若宮くんと連日しけ込んでた訳だ」
「伊井田くんそうなの?」
「……まあ。別に部屋を取ってる葉介くんが毎朝彼女の部屋から出てきてはいましたね」
「今回の勇者は本当に異色だなぁ、実にいいなあ、僕もお近付きになりたい」
「……茨木さんは何目的で近付きたいんです?」
「マギアルッソの一人娘といえば——ねえ? 知らない奴は、少なくともこのオフィスにはいないでしょう?」
カレー味のスープを飲んでいると、器の向こうで意地の悪い顔をした茨木くんと目が合った。器と割り箸を置き、足を組み替える。
「“誘拐事件”——か」
濁された部分を敢えて口に出せば、和気藹々としていたオフィスがしんと静まり返った。
「夜光戦争の始まりと共に姿を消した幼き当主。一時は死亡説まで流れていたが——十数年の時を経て、突然“青”に指名されたことによりその生存が確認され、国内外の様々な雑誌が彼女について取り上げた。唯一本人へのインタビューに成功した【週刊ナイツ】には、行方を眩ませていた期間について彼女はただ一言『私は誘拐されていた』と語った……」
「編集長、詳しいですね」
「一応、どんな人物を城に寝泊まりさせる事になったのか程度は調べておかなければね」
湯気で曇ってしまった眼鏡を外し、レンズを磨く。物事を調べるのは幾つになっても面白味があるが、今回の件はあまり楽しいと言えるような内容では無かった。
「誘拐されてた期間については何も語らなかったんです?」
「少なくとも雑誌から得られる情報は何もなかったな」
「噂では色々聞きますけどね。国では散々な扱いらしいのに、一体何を考えて聖王は親の仇の血が流れるあの少女を勇者に選んだのか……気になるなぁ、ああ本当に気になる……」
何が面白いのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべた茨木くんは少々性格が歪んでいる。同僚達に冷たい目で見られても逆に喜んでしまうような男なので、わざと空気を悪くして楽しんでいる可能性も否定はできない。叱れば喜んでしまうという、扱いが面倒な部下だ。
「……叔父のロルフ=マギアルッソが犯した罪は確かに重いですがね。外野としちゃ、姪であるだけの彼女にそれを背負わせるのは相応しくないと思いますよ。あの子だって、被害者じゃねえか」
三谷くんは、そういえばかつて勇者としてこの城へやってきたロルフ=マギアルッソと交流を持っていたはずだ。……だからこそ思う所があるのだろう。
吐き捨てられた言葉には彼の感情がそのまま乗っており、それはオフィス内の空気を神妙にさせた。