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【06】



 甘酸っぱい木苺と柔らかな甘さのしっとりとした生地が重なり合う絶品のマフィン。口に残った後味を爽やかに盗んでいくアイスレモンティー。お茶の相手は魔王様。美しい裏庭で頂いているこのシチュエーションも含めて、単なる三時のおやつにしては贅沢すぎた。


「僕ねぇ、犬か猫なら、後者の方が好きなんだ」


「あ、奇遇ですね。私も猫ちゃん派です」


「あの気紛れさがいいよねぇ」


「ええ、とても」


「時折、こっそり城下へ降りるんだ。変装をして街を見て回るんだけど、その時に野良猫の集会場所へ足を運ぶのが最近の楽しみなんだよ」


 魔王様は気さくな方だった。いつ頃からか、私も緊張を解いて純粋に話を楽しむまでになっていた。


 「まあ、タイミングを考えればその時に呪われちゃったみたいなんだけどねぇ。あはは」なんて朗らかに続けられたときには、流石に自分も笑って良いものか悩んだけれど……。

 一国の主に犯人はどう近付いたのだろうとは思っていたが、まさかそんな経緯とは。


「最初は魔法で気配を消して、寛いでいるみんなを眺めてたんだ。その内に触れてみたくなってねぇ。初めのうちは逃げられてばかりだったけれど、近頃は少しなら撫でさせてくれる子も現れ出したんだ!」


 私の悩みには気付かず、少年魔王はご機嫌だ。


「光の国にも野良猫はいるのかな?」


「都はどうか分かりませんが、私の住んでいた森——田舎町には多かったですね。私は……おそらく、けっこう猫に好かれやすいようで。日向ぼっこなんかをしていると色んな子が寄ってきてくれるんですよ」


「いいなぁ。僕は君より長生きしてるのに、そんな体験は一度もないや」


「でも、子供の頃はそうでもなかったように思います。あの町の子達が人懐っこいのかも」


「僕も行ったら近くに来てくれるかな」


「かもしれませんね。……猫を飼ったりはなさらないのですか?」


「うーん。検討中。つい構いたくなって公務に差し支えないかが少し不安でねぇ……。そうだ、君は? 猫を飼ったことはある?」


「ええ、ありますよ」


「あるんだ! どんな子?」


「翠の瞳の黒猫でした。名前は“にゃーさん”」


「にゃーさんかあ。出会いはお店で?」


「いえ、彼は野良猫でした。……懐かしいです。ちょうど今頃の時期……私がお腹を空かせて倒れていたら、顔のそばに蝉や雀などの獲物をたくさん置いて行ってくれたのが出会いですね」


 流石に食べる勇気は出なかったが、そうしたら今度は町の人を連れてきてくれたのだったか。懐かしくて顔が綻んだ。


「うーん、何だか凄い出会いだねぇ。というか、何故マギアルッソの子が行き倒れて……」


「それは……ええと。……マギアルッソだからでしょうか」



「——そう。マギアルッソだから、か」



 声の響きが、変わった気がした。

 マフィンを手で割っていた私が顔を上げると、しかし相変わらず、やはり愛らしいお顔の美少年が微笑んでいるだけだ。違和感のようなものを感じつつも、我慢できずにマフィンを口に含む。美味しさのあまり、食べる手が止まらなかった。


「今はもう、“七名家”は無いんだっけ」


 マフィンに夢中になっていた私を、魔王の声が引き戻す。


「……ええ」


 頷き、私はレモンティーを減らした。



 ——七名家とは、八百年は前の独立戦争時に活躍した英雄達の血族を指す言葉だ。建国時より貴族として政などにも干渉してきた王の忠臣。一から七までの序列があり、上に行くほど王に近しく在る事を許された。


「夜光戦争にて、七家の内の三家が途絶えてしまいましたから」


 二十年前のこと。七名家は全て王の命により、各々が活躍できる手段で戦への貢献を命じられた。戦いには犠牲がつきものとはいえ、失ったものが余りにも多かった夜光戦争。犠牲の筆頭としてよく挙げられるのは、先代聖王とその妃、更には七名家の内から三家全て——もう七つの家ではなくなったので、今ではもう“七名家”という名称は過去のものとなっていた。


七番目(セブンス)“呪術者”クラウンフィール。五番目(フィフス)“聖司教”デルマータ。そして——」


一番目(ファースト)“勇者”マギアルッソ」


 こちらを真っ直ぐに見据えながら、魔王は私の言おうとした台詞を盗んでいった。

 深い海のような、ともすれば光の民が愛する女神様の青(ロイヤルブルー)にも似たその瞳を直視できず、私はグラスに視線を落とした。


「……今はどちらかというと“裏切り”のマギアルッソの方が知られているやもしれません」


「でも、君は聖剣を託されここにいる」


 少し困って、私は曖昧に笑った。


「私には……あの剣は、重過ぎます」


 かつて女神を救い、聖剣を授かり——主君と共に新たな国を興した勇者の一族。光魔法の祖にして魔剣の創始者でもある名家として、マギアルッソは代々聖王家への指南役も務めてきた。


 “青”同様、今は空いたままの“剣聖”の席。聖なる剣を預けるに足る実力者と王が認めた者のみが座れるその席は、かつて私の叔父が守っていた。聖王の騎士()として、国に降りかかる様々な困難を斬り伏せてきた私の憧れ。


 しかし今、叔父は国賊だ。


 夜光戦争にて、先代聖王ソラ様の命を奪った大罪人——それこそ我が叔父ロルフ=マギアルッソであったのだと、様々な証拠が示していた。



「……僕は数年おきに訪れる勇者との戦いをとても楽しみにしているんだ。……よく覚えているよ。君の叔父上との一戦も」


「…………」


「世辞でも何でもなく、今まで訪れた中で彼ほど“勇者”の肩書きが似合う男はいなかった」


 顔を上げると、目前の少年の青い瞳は何処か遠くを見つめているようだった。


「僕が戦った彼は、紛う事なく勇者であり、騎士だったよ。……噂については当然耳にしているが、胸の内を明かせば、僕としては懐疑的だ」


「…………。私は、」


 膝の上に置いていた手を握りしめた。

 鼓動は熱く、胸が震える。


「私は……今でも、信じているんです」


 国では殆ど聞くことのなかった叔父への評価を、こんなところで聞かされるとは思ってもみなかった。


 だからきっと、私は……私()は、嬉しくなってしまったのだ。


「あの人は最期まで、聖剣に恥じぬ騎士であったと」


「……そっか。僕達、意外と気が合うのかも知れないねぇ」


 穏やかな風を浴びながら、心は軽かった。

 そういえば、この心を口に出したことは今までなかったかもしれないと気が付いた。

 先程は直視するのを恐れた青い瞳も、不思議と今なら受け止められる。



「正直……意外でした。魔王陛下から、そのようなお言葉を頂けるなんて」


「僕は強い人が好きだし、己の目には自信がある。……だけど、こう考えているのはきっと僕だけじゃないだろう? 聖王陛下もそう考えているんじゃないかな」


「……それは……何故、そう思われたのですか?」


「マギアルッソを疑わしきと断じるならば、君のことを決して勇者には選ばなかっただろう。聖剣は悪しきを挫く女神の光。形だけの勇者だとしても、預ける相手は相応しい者を探す筈だ」


「…………」


「何より、ユイちゃんが彼女について話す顔は優しかった。今でも良い関係を築けているなら、お互い心に痼りはない筈と思ったんだよ。……叔父と姪。繋がりは肉親より離れていても、血族であることに変わりはないからね」


 空を見た。

 屋根の向こうには、濃い青が広がっている。


「——そう、ですね」


 夏の空は、私に彼女の姿を思わせる。


「アイリさまは、叔父も、私のことも、そしてお父様のことも……何一つ、疑ってなどいません。だから私を今でも友と呼んで下さいますし、こうして聖剣をも託して下さった」


 普通に考えれば、彼女にとって叔父は大切な父を殺した仇である。

 普通に考えれば、彼女にとって私はその憎むべき相手と同じ血の流れる相手である。


 ただ血が繋がっているだけで本人に何も落ち度がないとしても、顔を見れば辛い記憶が蘇るだろう。心穏やかでいられる保証はない。だから普通ならなるべく離れようとするはずだ。


 でも、彼女はそうしなかった。

 ……それを許してくれなかった。


「私は……それが少し、悲しいです」


「……悲しい?」


「王殺しの大罪について世間が決めた犯人は叔父であり、同じ血が流れる私にもまたその償いを求めました。……そう。彼女が父上の死について責めることのできる相手がいるとするなら、償いを求められる相手がいるならばきっと、今はもう私しかいないのに——彼女はそれをしない道を選んだのです。一度も責めず、償いなど求めずに。互いに育ての親を失った者同士、悲しみを分かち合う道を歩みたいと。かつてのように、ただの友でありたいと」


「…………」


「彼女は昔からそうでした。優しくて、芯が強くて……とても、きれいで」


 それが正しいと信じれば、彼女は辛い道を行くのに躊躇いがない。楽な道を行っても、きっと誰も責めないのに。私に責任を押し付けて得られる心の余裕よりも、私と痛みを共有して得るだろう苦しみの方が大切なのだと——



「だから私は、少しだけ……悲しくなるんです」


 夏の風が、静かに大樹の葉を揺らした。



 *



「ノエル」


 呟くのは、忘れた日など一度もない、私にとって大切な彼女の名前。


「……もう少しだけ、待っててね」


 胸のざわめきを押さえつけるように、私は月明かりの空を見上げていた。



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