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【05】



 翌日はよく晴れた。お出かけ日和としか言いようがない気候であるが、しかし出かける時には護衛を……と言われたのを思い出すと、どうにも外出を躊躇してしまう自分がいた。

 もしかすると向こうは私を囮にセイブルを誘き寄せるつもりでいるのかもしれない。私としても彼の思惑について気になるし、利用されるのも吝かではないのだが——全く敵わなかった昨日を思うと、今のまま再び対峙するのは正直嫌だった。

 だって。


「悔しい……」


 私の一番の得意魔法は結界術である。それをまさか窓硝子か飴細工かのようにパリパリと容易く破られるなんて、あんなの可笑しい!


(何か絡繰があるはず……)


 本当なら客室に篭っていたかったのだが、見慣れない侍女から「部屋の清掃をしたい」との申し出があり、予定を変更して仕方なく城内をふらついた。

 部外者である私に許された行動範囲は多くない。初日に佐知子さんから案内されたのは一階の食堂、休憩室、客室、中庭、兵士の修練場、裏庭といった一部のスペースのみだ。城で働く人々の邪魔はなるべくしたくないので、人の少なそうな場所を探し歩く。途中、食堂で昼食を挟んでから辿り着いたのは裏庭だった。


 木の葉の揺らめきが涼やかに迎えてくれた裏庭は、他の場所と雰囲気がまるで違った。

 中庭はタイルや芝生が道を作り、薔薇などの光の国でも馴染みのある花で彩られていたが、裏庭の造りは私にとって見慣れない風景だった。


 玉のような小石が敷き詰められ、踏みしめるたびに軽やかな音を立てる地面。薔薇の代わりとばかりに多く見かけるのは鮮やかで大きな緑の葉が生い茂る低木だ。それは小さな花がいくつも纏まっているように見える花をつけているが、木によって薄紫や薄青、白、ピンク、鮮やかな紫など様々な色で目に楽しい。

 他には色鮮やかな魚の住む大きな池があり、そこにかけられた木の橋を渡ると見上げるほどもある大樹が鎮座している。何の木なのかは分からないが、きっと長い年月をこの城とともに過ごしてきたのだろう。


 大樹のそばにはガゼボのような建物があり、私はそこで過ごすことにした。

 亜空間から大量の本を取り出し、木の卓に積み上げる。

 かつて働いていた古書堂は、店主の趣味で古今東西の魔導書が取り揃えられていた。店を畳む際に『俺だと思って大切にしてねェ〜』などと在庫の全てを押し付けられ……もとい譲ってもらったのだが、おかげで勉強が捗っているので彼の気まぐれには感謝している。


 一通り読破し、一応内容は頭に入っているけれど——改めて文字を追うことで何かを思い付くキッカケにならないかと期待して、私は次々とそれらに目を通していった。




「……………………」


 数時間経ち、ふと気付く。


「結界があんなに簡単に破られたのって、ただ単にせっくんが“結界に対する呪い”としてまた変な呪術を考え出しただけなのかも……」


 どうしてこんな簡単なことにすぐ思い至らなかったのだろう……。

 魔導書を読んだおかげとも思えず、何だか無駄な時間を過ごしてしまった気分に駆られたので、本は全て収納した。

 勝手にため息がこぼれ落ちる。


「やっぱり結晶を奪うしか……」


 呪術結晶はそのまま破壊してしまうと周囲に甚大な被害を齎すものだ。中に込められた呪いが撒き散らされるだけならまだマシで、大抵は周辺一帯の魔力(マナ)を汚染してしまう。汚染された魔力に長期間触れた生物は魔物に成り果て、そこは新たな生命の芽吹かない土地になるだろう。そうなると元に戻すのは大変で、聖職者が聖水を毎日振り撒いて浄化の魔法をかけ続けてと、かなりの労力が必要となる。

 よって、呪術結晶は壊す前にそれ自体を清めなければならない。


 一番簡単なのは聖王の加護に頼ることだが、まあそんなのはまず無理なので、聖水に浸すのが一般的な対処法だ。

 聖水ならば私の水魔法で幾らでも作り出せるが、しかしまずは奪えなければ意味がない。


「転移魔法を設定して——でも葉さんが呪術の結界を張ってるって言ってたっけ……。じゃあセイブルに魔法を仕掛けること自体がまずいのでは……?」


 呪術を掛ける際には保険として別の呪いを重ね掛けするものだと昨日読んだ。

 第三者が解こうとした場合に発動し、例えば命を奪ったり、第三者にも同じ呪いをかけたり、色々と工夫を凝らすのが当然のようだ。

 昨日のセイブルが攻撃してこいと煽ってきたのも、何か罠を仕掛けていたからだったのかもしれない。


「そもそも、私に呪いが効けば怖いものはないとか言ってたけどあれは何……? 確かに女神様の加護がある私に効くなら誰にでも効くだろうけど、加護が絶対じゃないこともよく知ってるはずだし、セイブルなんて特にその例外中の例外(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)の筈なのに……。セイブルはあの子(﹅﹅﹅)の友達だし……悪いことしないなら、私は特に邪魔しないのに……」


 疑問ばかりが募って、ため息しか出ない。


「……。悪いこと……してるのかなあ……」



 ——“あのね、今から話すことをよく聞いてほしい”



 脳裏に蘇るのは、昨日一瞬だけ垣間見えたかつての面影。


「あの時、何を言おうとしたんだろう……」


 …………。

 ……………………。


 頬杖をつき、私は思考を放棄した。

 このまま、美しい庭をただ眺めよう。

 今日はもう何もせず、ただ座っていよう。

 通り抜ける風は爽やかで、鳥の囀りが耳を癒す。

 夏の高く青い空は、どこかきらきらと輝いているようだ。

 ささくれだった心が解けていくのを感じた。



 ——うとうと微睡みながら暇を堪能していた私に声が掛かったのは、おそらく数時間が経過した頃。


「……ユイちゃん、ユイちゃん」


 半ば眠りの中にあった私であるが、聞き覚えのあるその声にはすぐに身体が反応した。


「ひゃっ、ひゃい⁉︎」


 やや高く、よく通る少年の声——それは魔王様の声だった。びくりと肩を揺らして顔を上げた私は、慌てて口元を拭った。よだれが垂れている気がしたからだ。


「ごめん、驚かせちゃったね」


 視界がぼやけていたので、ついでに目もこすった。するといつの間にかテーブルの向かいに美少年の姿がある。思った通り、魔王様その人だ。しかも周囲には誰もおらず、一人でここへ来たらしい。


「すっ、すみまひぇ、すみにゃへん」


 焦りのせいか、はたまた寝惚けているせいか。呂律が上手く回らない。異国の王を前にして何たる失態醜態だろうと益々余裕を失っていく私とは裏腹に、魔王は朗らかな笑みを覗かせた。


「大丈夫、落ち着いて。深呼吸してみようね」


「……すー……はー……」


 言われるがまま何度も深く息を吸っては吐いてを繰り返すと、少し鼓動も落ち着いてきたように思う。


「落ち着いた?」


「……はい」


 冷静さを取り戻すと、先程取り乱していた自分が蘇って気恥ずかしさから軽く俯いた。


「お恥ずかしい所をお見せしてしまって申し訳ないです……」


「僕は気にしないよ。君も気にしないで」


 「ところで」と、何処か茶目っ気のある上目遣いで少年魔王は続けた。


「良かったら一緒にお茶をしよう? 僕ねぇ、今は休憩時間なんだ! ほら、これ、料理長(シェフ)がおやつを持たせてくれてね。木苺のマフィン。一人で食べるのは退屈だから、君と一緒に食べたいと思って探してたんだ。お茶もほら、ちゃんと二人分貰ってきたから」


 それは外見相応とも言える、実に無邪気な誘いだった。愛らしいお顔に浮かんだ笑顔はやけに眩しく見えて、直視できない。それに、言動が昨日までより幼く思えるのは何故だろう。休憩時間だから? これが素なの?


(か、かわいい……)


 自分よりずっと永い時を生きている闇の民の長を相手に何とも失礼な感想を抱いてしまった自覚はある。


 言葉を失った私へ、魔王様はシュンとした様子で目を伏せ「……だめ?」とトドメの一言を放つ。私はぶんぶん首を横に振った。


「私でよければ、喜んで」



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