【02】
——予想よりも遥かにフランクな雰囲気で謁見が終了し、宿泊先のホテルを時任氏に教えた後は二人に連れられて通路を歩いていた。
先を行く葉さんと違い、第三席はわざわざ私と歩調を合わせて横に並んでくる。私の興味はそんな彼の衣服に注がれた。
魔法使いのローブは魔具などを収納できるよう袖や身頃の裏に隠しポケットが多く配され、基本的にゆったりとした作りになっていることが多いが、この人のローブは他の四天王のものと違い、デザインが少し民俗衣装寄りだ。恐らくは和の国の服文化の流れを継いだものだろう。その下に着ているのも見慣れない作りの服だった。前開きの上着のようなものを腰で紐によって留めているだけ。光の国では男性といえば足の形が見て取れるズボンスタイルが主流なので、足のシルエットを隠すそれは不自然に映った。……よく見たら、靴も変わっている。サンダルのような、でも違うような……。
「この服が気になります?」
横目でチラチラ観察しているのがバレてしまったらしく、ひょいと彼は首を傾げた。
「す、すみません」
「いいんすよ、気にしなくて。光の子には見慣れないよなあ。この国でだって、和服を好んで着る奴は少なくなりましたし」
視線を持ち上げると、人懐っこく目を細める第三席の姿があった。ぴょこぴょこと跳ねた赤茶色の髪、春の芽吹きのような若草の瞳。その色合いから、つい木々を連想した。
「俺は玖珂智尋。名字で呼ばれるのは好みじゃないから、ぜひ名前で呼んでくださいな」
軽い口調でそう言って、彼は人指し指で頰を掻いた。眉は下がり、何か気不味そうな顔とでも言うか。表情の意味は分からないが、私は特に尋ねることはせず頷いた。
「……智尋様、と呼ぶのでよろしいですか?」
「それじゃ硬いからトモさんでお願いしますわ。勇者殿のことはユイちゃんって呼んでいいっすか?」
「お好きにお呼びください」
こちらも何ともフランクだった。本人がそう呼べと言うのだから問題はないのだろうが、あまり出会ったことのないタイプの偉い人なので多少戸惑いがある。
「で、お二人の出会いは?」
トモさんが戸惑う私に追撃してきたものだから、予想外の切り口に面食らった。
「……はい?」
「葉さんに案内して貰ったんだろ?」
ずっと黙っている背中を思わずチラ見したが、「トモ、そういうのは後にしろ」と興味なさそうに一言答えただけだった。それはこれまで聞いたことのない硬い声で、少し機嫌が悪そうな印象を受ける。
四天王は序列順に——数字の若い順に偉いと聞く。葉さんは第一席、つまり自分より上の立場である筈の人物に窘められたわりに、それを聞いたトモさんは萎縮するでもなくけらけら笑った。
「真崎さんに撮られたのまだ怒ってるんすか?」
「別にー?」
「確かにああ煽られるのは珍しかったけれども、男と居ても何でか写真撮られる祐ちゃんを思えばいい方っしょ。女の子なんだし」
「別に気にしてないっつってんだろうが」
どうもトモさんもあの月刊ブラックとやらを読んだようだ。それ故の質問というわけか。
そんな話をしている内に目的地へ到着したらしい。通されたのは応接間のような部屋だった。正方形の広い空間は深い色味の調度品で整えられ、要所に置かれた花瓶の花々が部屋に彩りを添えている。部屋の中央にある皮張りのソファを勧められたので腰掛けると、思ったより体が沈んでいったので驚いた。柔らかいにも程がある。
「フード邪魔じゃないっすか? マナーではあるんだろうけども、ここはとやかく言う奴いないから取っても平気だぜ」
トモさんに促されるままにフードを取ると、葉さんの視線を感じた。
「思ったより驚かなかったな?」
さっきと違い、聞き慣れたトーンであることに少し安堵した。ニヤリと意地悪く片方の口角を上げた彼を睨んでやりたいところだが、今の立場を思えばそれもできない。しかし面白くない感情もあり、とりあえず目を逸らすだけに留めておいた。
「……その節はお世話になりました。今後は何とお呼びいたしましょう?」
「改めなくていいよ。別に最後のあれで呼んでくれてもいいし」
「流石にそれはちょっと……」
流石に四天王の一人を変態とはもう呼べない。しかも今の私は礼服を纏う身だ。
ここで、侍女がお茶菓子と飲み物を持ってきてくれた。葉さんとトモさんはアイスコーヒーなのに、私だけアイスティーだ。確かにコーヒーよりかは紅茶が好きではあるけれど、いつの間に葉さんはそんなことを伝えていたのだろう。
「で、正直なところどういう関係っすか?」
煌めく若草の瞳に見つめられ、私は目を逸らした。……こういう話は、ちょっと、苦手だった。
「……葉さんには王都まで案内していただきましたが、別に雑誌で書かれていたような恋人関係ではなく、単なる一時的な同行者です」
「へえ、ユイちゃんも読んだのか。悪いね、俺と居たせいで撮られちゃってさ」
「あなたと別れてからも視線を浴びるので、一体何事かと思いましたよ……」
おかげで出歩く際はフードを被りっぱなしだった。いや……まあ、いつものことではあるけれど。
「——さて、と」
コーヒーを一口飲み、葉さんはカップをソーサーへ戻した。
「知ってるかもしれないが、魔王と勇者の戦いが真剣勝負だったのは大昔の話だ。当時の……柑梛陛下は聖剣に酷くご執心だったが、初代勇者との度重なる戦いの果てにある答えを得た。——聖剣は勇者にこそ相応しい、と」
…………知らない話、だった。
葉さんが当然のように語るそれは恐らく公然の話ではないだろう。もしかすると我がマギアルッソ家には伝わっていたかもしれないが、私は魔導書以外をあまり読まないで生きてきたし、誰かから聞いた覚えもない。
「陛下は勇者との定期的な交流試合を望まれた。対価としてこの国から彼の国に攻め入る真似はしないと約束し、勇者もそれを受け入れた。——故の行事だ。数年に一度、天の星が最高潮に近付いた夏に祭りを行う。所謂“親善試合”みたいなもんだから、命のやり取りは禁止ね禁止」
「親善試合……」
「単独パーティで挑まれるのは初代以降初めての事ではあるが、勝った負けたで何かが変わるでもなし、気楽に楽しんでってくれればいいからさ」
祭り。聖王もそのような発言をしていたっけ。てっきり嫌がる私への言葉の綾かと思っていたのに、まさかこれは正真正銘のお祭りなのでは……。
……今からでも見栄えする派手な魔法も習得しておくべきだろうか?
「残りの準備は二週間もあれば整う筈だ」
「そんなに早く済むんですか?」
「元々、今夏に来る見込みで調整してたんすよ」
なるほど。天の星はおよそ七年周期でこの地に近付くし、当たり前の事を訊いてしまったかもしれない。考え無しな発言を密かに恥じる私を他所に、話はどんどん進んでいく。
「その間は城で好きに過ごしてもらっていいし、もし観光するなら必要に応じてガイドも手配する。ユイちゃんなら特別に俺がまた直々に案内しても——」
「葉さんはサボり過ぎて仕事溜まってるっしょ」
「サボってねえよ。元々あと一ヶ月は光の国にいる筈だったのよ?」
「陛下直々に帰国命令出た以上は従わにゃならんっつうに、女の子と徒歩でのんびり旅してたのは誰なんすかね。葉さんなら帰国も転移魔法で一瞬っしょ?」
「あ〜。ちょっと調子が悪くてな?」
訂正。話はあんまり進んでいなかった。
ちくちくと苦言を呈されても葉さんはどこ吹く風であり、トモさんは呆れ顔。
彼らは中々に気安い関係のようだ。私はといえば、少々気になる内容があったので葉さんを見つめた。
「国家間の長距離でも転移可能なんですか?」
転移魔法は便利なものだが、魔力の消費量は距離の長さに比例するから、長距離を一度に転移するのはだいぶ厳しい。だからこそ船があり、馬車や魔導車などがあるわけで。
純粋な疑問をぶつけられた本人はと言えば「見直した?」などとニヤつくだけだ。
「……見下げた覚えはあまりないです」
国一番の魔法使い——先日読んだ雑誌の煽り文を思い出し、親善試合への憂鬱が増した気分だった。この数日で色々な書物を探したけれど弱点についての記載は特に発見できなかったし、どうなることやら。
——その後。
「親善試合に関しては後で要点まとめた冊子を用意させるんで、詳細はそれで確認してくださいな」
話は本筋へと戻り、トモさんのその言葉で一通りの説明は終わった。疑問などを尋ねようかと思っていたが、冊子をもらえるならば問い質す必要もないかと開きかけていた口を閉ざし、アイスティーに手を伸ばした。赤いストローから吸い上げたそれはほのかに甘く、私好みの味である。
……それにしても一瞬で話が終了してしまったような気がするのだが、これ、この場に四天王が二人も必要だったのかな?
「ユイちゃんにひとつお願いがあるんだけど」
何か話を振るべきかと悩んでいると、葉さんに先を越された。
「光の国へ戻ったとき、陛下のあの姿について他言しないでほしい」
「はあ、それは構いませんが……何故ああなのか訊ねても?」
頷いたはいいが——あの美少年を思い出し、私はついつい余計な問いを付け足してしまった。一瞬視線を交わし合ったお二人は、しかし「この国でも他言無用で頼むよ」と意外なことに私の好奇心を拒みはしなかった。
「呪いの一種らしいんだが、今まで誰も見たことがないタイプでねえ。解呪法がまるで分からないのよ。まったく困ったもんだ」
「へえ、新種の呪いとはまた珍しいですね」
呪術魔法は失われつつある分野である。
古の世では呪いが随分と活躍したようだったが、解呪法と共に今の世に伝わったため、魔法を使えない者にぐらいしか効果がない。とはいえそういった人々を狙う無差別な呪殺が世に横行したこともあり、昨今は衣類に呪い返しの効果を付与するのが一般的となり、呪いは影を潜めた。
ならば新たな呪いを創り出せば——と考える者も多いだろうが、呪術魔法とは他の分野と違い創作が非常に困難を極めるのだという。
新たな呪いを作るには、様々な犠牲が必要となる。
犠牲は特に人血や生き物の体、多くの死の概念といったものが主流で、法が整備された今の世ではその犠牲を用意する前に魔法警察等に邪魔をされるし、上手く目を掻い潜っても犠牲を呪いまで昇華させることができないと聞く。
異能の力により犠牲無しに呪いを創造する呪術師に心当たりはあるけれど、そんな奇跡のような芸当を熟す人物はそう多くないはずだ。
「子供になる呪いですか……」
「しかも、あれ見たっしょ? 考え方まで幼くなるらしいんだわ。だから振る舞いやらがまるで子供。記憶も知識もそのままなのにどうしてなんだか……誤解しないでほしいんだけども、陛下は普段ならもう少し落ち着いてるんすよ。あんな悪戯とかもしないし」
「心配なさらずとも大丈夫ですよ。とても素敵なお方だと、聖王からよくお話を伺っておりましたので」
トモさんが溜め息をついてアイスコーヒーに手を伸ばす傍ら、私は少し笑って見せた。するとトモさんはちょっと若草の目を見開いてこちらを見る。
「女王様とも話せるって、光の国ではどういう立場なんすか? 失礼だけども確かマギアルッソ家は——」
「トモ」と、葉さんが鋭く彼を遮った。一瞬部屋に沈黙が過ぎり、空気が張り詰める。「申し訳ない」と、トモさんはすぐに私へ向けて頭を下げた。
偉い人に頭を下げられるなんて、と私は首を横に振る。
「気にしておりませんので、頭をお上げください」
これは本心であるが、その通りに伝わりはしないだろう。私はへらりと笑って話を再開することにした。
「それでですね、ええと……聖王は、そういった身分の差だとか、風評だとかは、あまり気にされない方なんです。幼い頃は同じ師に教わっていましたので、感覚的には“幼馴染み”のようなものなのでしょうね。それで大人になった今でも付き合いが少々」
「幼馴染み……? ああ、もしや女王陛下と同じタイプで?」
私の見た目のことを言っているのだろう。せっかく葉さんに秘密にしていたのに、ついつい失言をしてしまったようだ。ここまで来てはと、私は諦めて頷く。
「……ええ。彼女とは同い年ですから」
「ははあ、それで君を選んだわけですな。どうして魔法使いをと思ってたけども、疑問が解消しましたわ」
何やら今の会話で期待値を上げてしまったような気がして「あまり期待はしないでくださいね……」と一応断っておいたけれど、「またまたご謙遜を」などと笑って流されてしまった。
「そういやユイちゃんの方は光の国で何の仕事してるの? 城の関係者ではないんだよな」
「……田舎で書店員をしていましたよ」
「へえ、過去形なのは突っ込み待ちってことでいいんだよな?」
「いえ、そういうつもりでは……」
緊張しているせいだろうか。先程から失言ばかりだ。苦笑で誤魔化しつつも、こうなってはと口を開く。
「少し前に店がなくなってしまったので、お恥ずかしながら今は無職なんです」
と言っても、店があったのはもう数年は前の話なのだが。そこまで詳細に身の上を語る必要は感じないので、適当にぼかしておく。
「この話も、私のような若輩者では荷が勝ちすぎると思い初めは辞退したのですが……まあ、色々あってこうして旅立つことに相成りまして。私は依然未熟な魔法使いですので、当日はどうぞお手柔らかにお願いします」
頭を下げたとき、ノックが響いた。現れたのは四天王第二席・時任氏である。
「説明は終わったかい? 陛下が是非ユイさんと昼食を共にしたいようでね」
心臓が嫌な音を立てた。
……闇の国のお偉方がこんなにフランクだなんて聞いてない。アポもなしで突然やってくる迷惑な勇者の扱いなんて、もっとこう、ぞんざいでいいのに。
——そんな事が言えるわけもなく、私はただ流れに身を任せた。