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焦熱  作者: 天水しあ
3/16

 人は、かくまでに惨いのだなと思うと、口元にはなぜか笑みが浮かんだ。朱有は踵を返し、来た道を戻る。丘をゆるゆると下ると、田植えを終えたばかりの水田が、みずみずしく光っていた。

 煌く水面に青々とした苗が揺れるのを見るたび心が軽やかになるのが常であったのに、もはや別世界だ。

 今の彼は、もう生きてはいけない――ただそれだけを考えていた。


 あの罪人は言った。「家の女主人に息子殺しを頼まれた」と。


 何故? 継母には気を使って生活していたし、弟もかわいがってきた。決して我侭も言わなかった。だのに、どうして。


 そして――誰が僕を殺そうとしたんだろう。


 継母一人で考えたことなのか? 

 でも今回の使いの話は随分と唐突で、僕でなくてもよかったのに、父さんは「どうしてもお前が行け」と言った。


 まさか父さんも僕が邪魔だったのか? 弟かわいさの余り。

 おばあさまも弟を猫かわいがりしてた。

 叔父さんもだ。そして何より――僕がいなかったらあの家は叔父さんたちのものになるじゃないか。


 まさか、あの家の全員が僕を――。


 村を出た朱有は、行路神の祀られた小さな祠に行きつく。そこで路は二股に分かれるが、彼の足は自然、家族が瞑る墓地とは反対の方角――山へと向かっていた。


 山には都に通じている古道があった。

 かつては主要な道であったが、便利な水路や街道が発達した今、狭く険しい山道を利用するのは人目を憚る必要のある犯罪者くらいだろう。それでも村人たちは山菜やら木の実やらを取りに山に入ってたが、今はその姿すらない。

 というのも、ここ二年ほど山中で虎を見た者が続出したためだ。すっかり荒れ果てた道を見て、朱有にある考えが浮かんだ。


 そうだ、虎に食ってもらおう。

 この肉を引きちぎってもらい、血を啜ってもらい、骨を砕いてもらおう。そうして山の一部になろう。


 もう人間は――つくづく嫌だ。


 決めたとたん、彼の足は早くなった。

 しかし滅多に人が通らない道のため生い茂る草が足に絡みつき、思うように進まない。そのうえ道は、山に入ると傾斜がきつくなり、足はどんどん重くなっていく。 

 さらには見事な晴天が、陰ってきたと思う間もなく黒雲が空を覆い尽くし、雷が轟きだすと、にわかに激しい雨が降りつけてきた。たちまち彼の体は水を吸って重くなり、草を激しく薙ぐ風と絶え間ない豪雨は視界を遮る。


 そこに目も眩むような閃光、追うように轟音。


 これはまずい、朱有は思った。

 雷が近づいている。雨風もいっそう激しくなってきた。このまま歩き続けるのは危険だ。不思議なことに、虎に身を捧げようと考えていながら、朱有は今の状況を危ぶんでいた。


 突如、辺り一面が光った。

 背丈ほどに伸びた叢の向こうに、カッと屋根が照らし出された。間髪いれず、地を震わせる雷音。朱有は迷わず叢に飛び込んだ。

 塗れた草をかきわけ進んだ先には、閉まりきらない扉がバタバタと揺れる廃屋。扉に続く階は所々段面の木が抜け落ちていたが、それを慎重に三段ほど登り、扉をあけると、開かれた空間がそこにはあった。

 朱有はほうっと一つ大きな息をつき、水がしたたる上衣を脱ぐと、そのまま入り口で膝をついた。乾いた木から温もりが伝わる。

 ぽたりぽたりと滴る水音を耳元に感じながら、彼はいつしか目を閉じていた。


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