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焦熱  作者: 天水しあ
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 吹く風が、ほのかに温んでいた。


 空にも、流れる雲にも、風に揺らぐ雑草にも、目に入る風景のあちこちに明るい春が兆している。国土を揺るがした戦乱は今や昔話だ。

 

 ここは、南方にある小さな村。

 春色に芽吹くゆるやかな丘を、速足に上る一人の青年の姿があった。


 彼の名は朱有という。

 隣村へ使いに行き、三日ぶりに帰ってきたのだ。


 やがて見慣れた屋根が見え隠れするようになり、彼は一層足を速めた。

 だが、ようやく見えてきた家の佇まいに異様なものを感じ、朱有は足を止める。


 陽が昇りきろうというこの頃合は、飯の支度に忙しい下女の声や門前を駆け回る弟の声で騒々しいはずなのに――何だ、この静けさは。

 そして歩を進めるほどに強くなるのは、香ばしい醤油の匂いではなく、思わず眉が寄ってしまう粘ついた、臭気。

 不可解に思いながら半ば駆け足で路を進み、大股で家の門をくぐった彼はたちまち凍りついた。


 あちこちに点在する大小のどす黒い染みに、見たこともない表情、姿勢の人形が転がっていたからだ。


 たちまち鼻孔に流れ込んでくる異臭に、とっさに両手で顔を覆う。

 そうしてそろそろと人形に近寄り、顔を寄せ、目を凝らし、衣を見――それが祖母であることを知った。

 傍らの赤い塊は、よくよく見れば生まれたばかりの従弟だった。


 母屋と離れだけでなく、内庭でも、家の裏手にも同様の光景が広がっていた。  

 父・継母・弟はもちろん、父の二番目の弟である叔父一家も下人も、一人残らず赤黒い粘液に塗れ、地に伏していた。そのいずれかからも、生気というものはまるで感じられなかった。


 朱有はぎこちなく辺りに首を巡らせ――叢に白く長い尾が見えた。

 縋るように歩を進めると、そこでは皆で残飯を与えかわいがっていた野良猫が、陽だまりに臓物を晒していた。


 春風が満開の桃の花片を散らし、血溜まりと屍体に降り積もっていく。

 立ち上った甘い香りを凌駕する濃厚な腐臭と血臭が鼻腔に満ちる。


 自分の声だと分からないような叫びとともに、先刻食べた粥が喉元に苦くこみ上げ、勢いよく口から飛び出してきた。


 胃が痙攣するまで何もかもを吐き出した朱有の視界は、たちまち暗く狭まる。


 ふらふらと数歩よろめいて、彼はその場で昏倒した。


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