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草花を掻きわけ森の奥へ。
歩いて歩いて、休みなく歩いたせいか息が随分と上がっていたが、それでもアリスは足を止めなかった。
日が傾いてきたせいか、木々で覆われ薄暗い森はさらにその色を濃くしていく。外側と違い赤や黄色に彩られた内側は差し込む光だけでも辺りを照らしてくれていたのだが、時間と共に透けた葉の隙間から降り注ぐ日光は弱弱しくなっていく。夏と違い秋は日が沈むのが早い。すっかり失念していたアリスは、次第に悪くなる視界に焦っていた。
(まずい、夜が近いわ)
夜になれば視界が悪くて進めなくなる。
舗装されていない獣道は足場が悪くて昼以上に体力が削られるだろう。そうなれば今日中に着けなくなる。アリスは己の体力の無さを歯がゆく思い太腿を叩く。
早く早く早く早く早く、気持ちばかりが急いてしまう。そのせいで足がもつれ何度転んだか分からない。レンに家まで案内されるときはあんなに軽やかに進めるのに、今ではまるで阻まれているかのように上手く進めない。
(やっぱり怒ってるのかしら.....)
一向に辿り着けない不安と焦燥から気持ちはどんどんと暗くなっていく。
( どうして魔法を解除してくれませんの? )
アリスが森に入ったことをレンはとっくに気づいているはずだが、迷子の魔法は一向に解除される気配がない。その事実がさらにアリスの不安を掻き立てていく。愛馬が心配そうにこちらを振り返っていたが、もしやこうなることを予期していたのだろうか。であれば実に感がいい。
( 瞳が潤んでいたのは話を聴かない主人を哀れんで....? なにそれ、わたくし超恥ずかしいやつ )
”どこか責めるように思え”たのは魔法が解除されないことを訴えようとしていたからで、
“頬に鼻先をぶつけられ”たのはいい加減に馬の言葉を理解しろと苛立っていたから。そう思えば思えなくも無い。いや、だんだんそんな風に思えてきてアリスは頭を抱えた。
( わたくしにとってはまた会おうっていう決意の現れでしたけど、あの子にとっては今世での別れでしたのね。え、わたくしこのまま森で遭難すると思われてますの? 確かに地図は読めませんけど、通い慣れた森で迷子だなんて心外ですわ )
なんども振り返っていたのは、無知な子どもを森に置いてくる心境だったのかもしれない。愛馬にとんでもない罪悪感を植え付けてしまったと後悔してももう遅い。
アリスは深くため息をついた。
( もしかしたら全部こんな風に勘違いしていたのかもしれませんわね.....レンとも最初から友達などではなかったのかも )
そっと目を閉じる。
思えばレンのため、レンのためと強請られたわけでもないのに奔走している人生だった。完全なる趣味だったから苦痛に感じるどころかむしろ幸福だったアリスと違って、付きまとわれていたレンは迷惑していたに違いない。行き過ぎた好意はただのお節介だ。
(悟られないように一生懸命に構ってくれていたのに、勝手に勘違いして付きまとって……最低ね)
今回の喧嘩はただの偶然で、溜まりに溜まった鬱憤がたまたま今回のタイミングで噴出しただけ。遅かれ早かれレンはアリスの元から去ったのだろう。
だってみんなそうだった。婚約者も友達も家族も、みんなみんなアリスから離れていった。理由も言わずに、いつの間にか。
(お前なんかいらない、ってレンに言われなかっただけ幸運だったのよ)
勝手に怒って、勝手に悲しくなって、勝手に謝りに来る。なんて独りよがりで身勝手なのだろうか。
改めて自分の立場を理解したアリスは思う。
謝罪だってレンは望んでいない。
ようやく面倒な女から解放されてせいせいしている。優しい彼はおくびにも出さないが、きっとエマのように天真爛漫で素直な可愛らしい女の子の方が良かったのだろう。だってみんなそう言っていた。そうアリスを罵った。
まるで心情を映すように日が落ち、森が完全に闇に飲まれていく。月明かりがゆっくりと彼女を照らし、影が足元に伸びていく。
「………………帰りましょう」
帰って学園中の生徒を呪殺する準備をしよう。魔法は使えないから、魔法屋で材料を揃えてそれで....
でもどこへ? どうやって?
気持ちのまま勢いでここまで来てしまったから、帰る手段など考えてはいなかった。そもそも、帰る家なんて最初から無いようなものだ。
ガクリと足の力が抜けて地面にへたり込んでしまうと、そこからはもうダメだった。
力が入らない。立つことさえできなかった。
(困りました。これからどうしましょう)
歩いて帰れば家には辿り着けるだろうが、その前にこの森を抜けなければならない。夜の森には狼もいる、餌になってレンの家の庭を汚すのは憚られた。かといってこの森を抜けるだけの体力はいまのアリスにはない。足も言うことをきかない。木に登ってやり過ごすか、いや、でも落ちたら死ぬ。
「死ぬ、そっか、わたくしはまた死んでしまうのね」
ぽつりと呟くとそれはじわじわと身体を蝕んだ。
死ぬ、死ぬのだ。もう一度。なにも変えられないままで、あの日と同じように。
「死んじゃう、死んだら、レンに会えませんわ」
鉄格子の向こう側でなんども懺悔した記憶がよみがえる。薄暗い牢屋の奥で膝を抱えていた時も、憂さ晴らしに殴られた時もずっとあの時の事を後悔していた。謝って謝り続けて、決して本人には届かないのだと悲しくなって泣いた。11月11日のあの時間に戻れたらと。とっくの昔にいないと確信した神にまで縋ってまで、ただ会いたいと願った。
またあんな風に後悔しながら死ぬのか?
せっかく手に入れた機会を不意にして?
胸の奥でなにかがぐつぐつと煮えて溢れだすような感覚がアリスを襲う。
それだけは、どうしても出来なかった。
もう後悔したくない、例え彼に嫌われていたとしても。
「謝りたい、どうしても、迷惑になってもレンに」
涙を拭って立ち上がる。
一度力の抜けた足はアリスのいうことを従順には利いてくれなかったが、ズルズルと無理矢理に引きずって歩き出す。手で再び木々を掻きわけ森の奥へ、レンの元へ。その瞳にはもう迷いは無かった。
アリス「魔法で目的地にたどり着けなかっただけで、わたくしは迷子になったわけではありませんわ!」
読んでいただき感謝です!
修正が早ければ明日また投稿します!
だめでも明後日には!