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レンは魔法使いだ。
世にも珍しい妖精付きの魔法使い。
黒い髪に赤い瞳がまるで悪魔のようだと忌み嫌われて育ったのに、それでも人に尽くす優しすぎる魔法使い様だ。
請われれば傷を治し、幼子が風邪を引いたと聞けば薬を届けにいく。
そんな彼は他人をジャガイモ程度にしか認識せず、やられたら3倍返しがモットーな性悪アリスでなくとも聖母に見えるに違いない。見えない輩は眼球が腐っているから、今すぐに取り替えて欲しい。いや、取り替えてやる。瞳を差し出せ。
「レイナンド様!どうか薬をお恵みください!」
「祖母が倒れたのです!診療を」
「足が、昨日から足が腫れて眠れんのです!」
「レイナンド様」
「レイナンド様!」
「.............、」
成長しレンが優秀な魔法使いだと分かると、村人は手のひらを返して媚びへつらった。その裏で便利な道具扱いしていることを知ったアリスは、夜中の内にレンを森の奥にある別宅へと匿った。
4歳の頃の話だ。
レンはアリスの我儘で今でもそこに住んでいる。
また村人たちがレンを搾取しないように、森に迷子の魔法をかけた。これでレンが解除しなければ、外からはなかなか入ってこれない。
「はぁ、はぁ」
手が凍りそうに冷たく痛い。寒さで息が上がり、吐き出された真っ白な息が後ろに流れる様はまるで蒸気機関車のようだ。動きやすさを重視した薄手の服は、容易に風を通し全身を氷へと変えていった。
寒い、寒い、凍えそうなほどに。
本格的な冬が迫った今の季節に防寒具なしで馬に乗るのは自殺行為だが、早く目的地に着くためには仕方がなかった。
「はぁ、さむっ」
王都を抜けて、城下の人々を蹴散らす。
駆けて駆けて駆けて。城下を抜けて、田畑を抜けて、彼の住む森へと駆けて行く。
寒い、痛い、でもそれ以上に早く会いたくてアリスは馬を走らせた。頭にあるのは寒さでは無い。己の力を過信し準備を怠った自分への怒りだ。
( 情報不足、完全なる情報不足よ!あの程度のプレゼンで魚料理の魅力が伝わるわけがないのに、行けると踏んだわたくし怠惰過ぎません!?あー、あー、どうせ戻るなら喧嘩の前に戻ってリサーチからやり直したかったですわ...... )
体調管理ばかりに目が行き、感情にまで配慮出来なかった過去の落ち度にアリスは奥歯を噛みしめる。やり直せるものならやり直したいが、過去に戻れた理由も分からないアリスにはどうする事も出来ない。ならば、今できることをやるしかない。
大きく息を吸った。冷たい空気で満たされた肺から、一気にそれを吐き出す。
「次は絶対に怠けませんわ!!」
アリスは叫んだ。誰もいないのを良いことに大声で。徹夜する覚悟でリサーチして見せると。
ぐんぐんとスピードを上げる愛馬の上で決意を声高々に叫んだ。
**************
目的の場所にはすぐについた。
そこはもうすぐ冬になるというのに、未だ生き生きとした葉がうっそうと茂っている。まるで侵入者を拒むようだとアリスは思った。
馬もそれを感じ取ったのだろう。駆けていた足は近づくごとに自然と緩まり、やがて足を止めてしまう。耳を後ろに伏せ、まるでこの先に入ることを嫌がるように動かない。
(この子なら大丈夫かと思ったけど、やっぱり動物はこの手の気配に敏感なのね)
アリスはひらりと地面に降りると、慣れた様子で首の辺りを撫でてやった。
この森には村の人間が出入りできないように、迷子の魔法がかけられている。賢いアリスの愛馬はそれを敏感に感じ取ったのだ。
よしよしとと撫でてやると次第に落ち着きを取り戻す。だがどこかそわそわとしていた。悪い魔法ではないのだが、方向感覚を狂わせる魔法なので人間よりもずっと居心地が悪いのだろう。一刻も早くここから離れたいだろうに、それでも主人の側を離れない愛馬にアリスは微笑む。
「ここまで運んできてくれてありがとう。我慢しないで、この場を離れなさい」
だが愛馬は動かなかった。
黒真珠の瞳がジッとアリスを見つめていた。心なしか潤んでいるように思えるそれは、どこかアリスを責めているように思える。
まるでこれから主人が死ぬことを予見しているかのようだ。
「........大丈夫よ、まだ死なないわ」
彼女の頬に手を当て目を合わせる。
そうまだ死なない。死ぬまでにはまだ時間がある。だが前回はさまざまなことに追われて、この子には今日まで会ってはいなかったことを思いだす。
まさか怒りの正体はそれだろうか....。
時間を遡ったのはアリスだけのはずなのに、この子はなぜか知っているように思えた。
「時間がなかったとは言え、挨拶もなしに死ぬなんて主人失格ね。ごめんなさい、でも本当に余裕がなかったのよ」
「...........」
「言い訳ね。きっと行こうと思えば行けたし、お別れぐらい言えたはずよね」
まるで肯定するように小さく鳴いた。
不機嫌そうな声に思わず笑った。
「いまさらかもしれないけど、今までありがとう。そしてさようなら。わたくしの大好きなお友達」
「………」
「このまま行けば、わたくしは近いうちに死ぬわ。だから万が一のために先に言っておくわね。またなにも言わないで死なれるのは嫌でしょう?」
頬に鼻先をぶつけられて痛い。
まるで抗議されているようだが、瞳は相変わらず綺麗で優しいままだった。
「ありがとう、最後までわたくしに付き合ってくれて。あなたは身体だけじゃない心までもが綺麗で気高い、きっとあなた以上に素敵な女性にはもう出会えないでしょうね」
深く深呼吸をしてから手を離す。愛馬は目を細め、アリスの頬に頭を摺り寄せる。
「さようなら、どうかこの先もあなたが幸せであることを祈ってますわ」
アリスの声に答えるように一声上げる。しばらくして名残惜しそうに離れるも、なんども後ろを振り返りながら元来た道を歩いて行った。愛馬の白い毛並みが見えなくなるまでその後ろ姿を見送る。どうか彼女を心から愛してくれる人と出会えますように、そう願いを込めて。
「~~~~っ、よし!」
己の両頬を張って気合いを入れ直す。パンッと乾いた音がして痛みがジワリと頬に広がった。思ったよりも痛かったが、涙は引っ込んだ。これで大丈夫だと己を律し、アリスは木々を掻きわけるようにして森の奥へと進んでいった。