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16.5




「ティーセットはこちらです」

「お菓子はこちらのテーブルでどうぞ」

「席は自由です」

「テーブルの無い場所には行かないでください!」


遠くで教師とメイドたちの元気な声が聞こえる。

ごった返す生徒たちの隙間を縫うようにレンはティーセットとお茶受けを手に取ると、手を伸ばしたまま固まったアリスに声をかけた。


「アリス約束は覚えてるな?」

「じ、自分のティーカップ以外には触らない……」

「守ってくれよ?」

「ひゃい」


念を押すレンに慌てて手を引っ込める。

だが未練がましくその視線は手元から離れない。縮こまり一歩後ろを歩く姿は、叱られた幼子のようで周りの視線を攫う。

ひと睨み。

一斉に散った視線に溜息を吐いて、レンは早足に目的の奥の席へと向かった。


「アリス」

「はい」

「触らない」

「い、椅子も引いてはいけませんの……?」

「ああ、俺がやる」

「ひぇ」

「……俺なんかより世話慣れしてるのに、どうしてそんなに緊張するんだ?」

「わたくしを世話しようなんて物好きはいませんわ」

「なるほど」


引かれた椅子にちょこんと腰を下ろすも、アリスは縮こまったままだ。それどころか小刻みに震えている。

これから起こることに対する緊張か恐怖か。

いいや、そうではない。

それは畏怖に近い感情からだった。

アリスは推しに世話をされるというあまりにも罪すぎる現状に慄いていた。

推しというのは敬うものだ。その生を尊び、同じ空気を吸えていることに毎日に感謝するものであって、世話をさせて良い存在ではない。例え全ての財を失おうとも、病で地に這い蹲ろうとも、死に際に思い出して微笑めるいわゆる神様みたいな存在が推しだ。決して、ええ、決して手を煩わせてよいものではない。

だというのに自分は甲斐甲斐しく世話をされている。震えるなという方が無理な話だ。

目の前で紅茶を蒸らすレンに、奥歯がガチガチと音を立てる。まずい、手まで震えてきた。


( 静まりなさい!静まるのよわたくしの右腕!まだ主人の命令に背いて震える年齢ではなくてよ! )


いくら念じても手の震えは静まるどころか、さらにバイブレーションを加速させる。震える手で紅茶を掴めば零すのは確実だが、レンの淹れてくれた紅茶を飲まないという選択肢はアリスの中には最初から存在しない。とはいえ零したら最後、アリスは脊髄反射でテーブルを舐める自信があった。

そうなれば社会的に死ぬ。

レンに引かれて心も死ぬ。

ゴクリと唾を飲み込んだ。

制服のスカートを力いっぱいに握りしめる。しわになるのなんて構っていられない。身体中の筋肉と言う筋肉と対話・和解し完璧にコントロールしなければこの時点でアリスに未来はない。


「……どうぞ、お嬢様」

「うぼあ……」

「本当に大丈夫か……?」

「むり、ほんとうにむり」


冗談交じりの言葉に変な声が上がる。

真っ青な顔が、一気に真っ赤になる。

かっこいい、ただひたすらにレンがかっこいい。背景に薔薇とキラキラのエフェクトが見え、周りの声がすべてBGMのように霞みがかっていく。本当に彼は同じ世界で生きる人間なのだろうか。実は天使でうっかり天界から落ちてしまったのではないか。


「そんなうっかりなところも大好きよ」

「うん? 俺もアリスのこと大好きだよ」

「えっ、あ、声にでて―――」

「あれ、アリス?アリス!?」


恥じらうことなく相手を口説くレンに、とうとうアリスは両手で顔を覆った。


(まじ無理、本当に無理、尊い……手慣れてやがりますけどそんなレンもかっこよすぎなので最高ですわね……その笑顔はおいくら万円)


今にも全財産をレンに振り込みそうな勢いで興奮しているアリスだが、はたから見れば涙目で照れているようにしか見えなかった。

美人はこういうとき得である。


「泣かない、泣かない」

「無理……」

「ほら、あーん」

「………あー」

「美味しい?」

「うっ、レンのが、美味しい」

「それは光栄だな」


サクサクと小動物のようにクッキーを頬張るアリスにレンは眉を下げる。咀嚼に集中することで気が紛れたようだが ( 突如発生したあーんイベントに思考回路がショートしたただけ )依然顔色は青い。クッキーの味が分かるだけマシかもしれないと思いなおし、口の端についたカスを拭ってやりレンもクッキーを口に含む。口の中の水分が一気に持っていかれ、思わず咽そうになった。確かにこれは自分で焼いた方が美味い。


「すごい、パサパサ」

「お茶、凄い飲んでしまいそう」

「理事長の試練ってこれなんじゃないか?」

「いかに咽ないで楽しくお茶会するか……?」

「言葉にするとすごい馬鹿らしいが、ためにはなるな」

「首の、顎の下の辺り押すと唾液が出るって聞いたことありますわよ」

「相手にばれないように唾液腺を刺激するのか、難しいな」

「…………」

「どうした?」

「唾液が……でません……」

「先に紅茶で潤しな」

「うん」


紅茶に口を付けると少し落ち着いたのか、アリスがほっと息を吐き出した。多少気が紛れたのか震えが弱まる。いまいちなクッキーを提供してくれた理事長に物申したいが、今回ばかりはグッジョブだと内心で親指を立てた。


「美味しい?」

「すごく、おいしいです」

「そう」


あなたの笑顔さえあれば泥水でも美味しくいただけます。アリスは内心で静かに合掌した。その時だった。

会話の遮るように絹を裂くような悲鳴が上がる。


「きゃぁああああああああ!!」

「エマ!」

「エマ様!?」

「やだ、口から血が……!」

「誰かお医者様を!」

「エマ様しっかりなさって!」


取り巻きたちの悲痛な声が聞こえる。近くのテーブルに着いていた生徒たちもなんだなんだと顔を見合わせている。


「………始まったか。アリス、違いはあるか?」

「前よりも少し早いくらいで、他は特に変わりありませんわ」

「そうか、なら大丈夫だな」

「なにをするつもりですの.......?」

「大したことじゃない」

「シャロンワーズ!!」


鋭く名を呼ばれビクリと肩が跳ねる。

シャロンワーズ――アリスを怒鳴るように呼びつけたのは金髪の男性だ。端麗な容姿は怒りで歪み、空に例えられる碧眼は憎しみに彩られていた。エマの血だろうか。制服の胸元には赤いシミが出来ていた。前回同様に介抱もしないで一直線にこちらに向かってきたらしい彼は、残念なことにアリスの婚約者でありこの国の第一王子だ。


「いったい何を考えている!これは嫌がらせで済むような話じゃない、エマを殺すつもりか?!」

「ルウェリン、それ以上近づくな」

「聴いているのかシャロンワーズ!」

「……そう怒鳴らずとも聞こえておりますわ」

「..........随分と冷静だな、今回も大事にならないと高をくくっているのか? なら安心するといい、例えエマが庇おうとも今回ばかりは許す気はない!今までの罪を明らかにし、必ずお前を牢にぶち込んでやる!」

「今回は? いったいなんのお話でしょう?」

「この期に及んでまだとぼける気か!」

「とぼけるもなにも、わたしくは罪など犯した覚えはございません」

「この……っ!」


拳を振り上げたキースに思わず身を硬くした。手を上げられるというのはいつになっても慣れない。庇うように手を頭の前に出し、衝撃に備えて目を瞑る。





バシャ





水音。

続いてレンの低く唸るような声がしたが拳は一向に振っては来なかった。恐る恐る目を開けると、目の前には唖然とした顔で濡れるキースがいた。レンの手には空のカップが握られている。どうやら紅茶をキースの顔面に浴びせたらしい。

サッと血の気が引いた。

王子に紅茶を浴びせるのは大したことですわ!!アリスは内心で叫んだ。


「俺は忠告したぞ」

「なんの、真似だ」

「お前こそなんのつもりだ。無抵抗の婚約者に手を上げるような姿を、これから束ねる貴族たちに見せるつもりか?王族の品位を落とすような真似は止せ」

「無抵抗?はっ!エマに毒を盛っておいて無抵抗もなにもないだろう!それに()()()()()()()()()()()()()()()!ただの人殺しだ」

「.........................え、」


その言葉にアリスが勢いよく顔をあげる。

レンが手を出してしまったどうしよう、処刑までのカウントダウンが始まるのでは?と内心で起こっていた大パニックが一瞬で凪ぐ。

頭にあるのは、キースの言葉のみ。


「なんと?」

「あ”?」

「いま、なんと?」

「アリス?」

「いま、なんと、おっしゃいました?」


怯えた様子から一転、アリスはぐいぐいと距離を詰める。その妙な迫力にキースはたじろぎ、瞳から逃れるように上体を逸らした。


「....エマに、毒を盛ったとそう」

「いえ、もっと後です」

「あ?」

「それに、の後です」

「それに....?」

「それにこいつは、の後です」

「婚約者でもなんでもない」

「大きな声で」

「婚約者でもなんでもない」

「い い ま し た ね ?」


周りが一気に騒がしくなる。

あの噂は本当だったのかと声がして、エマの件で向けられていた侮蔑の視線が同情と困惑に変わる。

正式な破棄ではないものの、公然で王子自らが婚姻関係を否定した時点で婚約破棄は決まったも同然だ。それだけ王子という肩書は重く、発言には責任が伴う。つまり、もう取り返しがつかないということだ。

だというのに破棄された側は泣きも怒りもしない。

それどころかギュルンと勢いよく振り返り、近場にいた生徒たちの肩を掴んで確認を取り始めていた。

周囲は混沌に包まれていく。


「聴きまして?」

「え、はい」

「あなたも聴きまして?」

「はい」

「幻聴じゃーー?」

「無いです」

「なんだ、幻聴だとでも思ったのか?ならもう一度はっきりと言ってやる!アリス・フランソワ・ド・シャロンワーズ、お前は俺の婚約者ではない!」

「婚約者ではないと聴こえまして?」

「………はい、そう聴こえましたけど」

「ですわよね」


ね?ね?と確認するアリスに、周囲の生徒たちは困惑しながらもコクコクと頷いて肯定を示す。アリスはひくつく口元を押さえ、慌てて下を向いた。

それをどう勘違いしたのかキースが勝ち誇った笑みを向けたが、アリスは突如訪れた幸運を噛みしめるのに忙しくて気が付きもしなかった。困惑する生徒を他所に腰のあたりで右手の拳を握り後ろに引く。いわゆるガッツポーズを決めた。


「………や」

「婚約者ではないと言われるのがそんなにショックか? だろうな、俺の隣を守ろうと毎日必死に媚びを売りエマまで殺そうとしたのだからな!」

「………やりましたわ」

「ふん、今さら後悔したところでもう遅い。まあ泣いて縋るというのであれば」

「やりましたわ!!!」

「………はっ、」


アリスは叫んだ。

両の拳を高く空にかざして、腹の底から喜びを吐き出した。人目も気にせずレンに駆け寄るとその手を取る。嬉しいのだと全身で表現するようにぴょんぴょんと跳ねまわり、落ち着くように促されても無理よ!と緩んだ笑顔で首を振った。

唖然とするキースや生徒たちを置いてけぼりにして、アリスは今まで彼らが見たこともないような花の笑顔を振り撒く。


「レン、レン、今日は祝杯ですわ!」

「落ち着け、まだ未成年だろう?」

「落ち着いてなどいられませんわ!カモがネギ背負って自ら鍋に入りましたのよ!?いま喜ばずにいつ喜んだらいいんですの!」

「シャロンワーズ様……?」

「なんですの!」

「え、婚約破棄ですよ?悲しくは……」

「ありませんわ!!」

「あ、はい」


我に返った生徒の一人が状況を飲み込もうとアリスに声を掛けるも、満面の笑みで強く断言されては黙るしかなかった。

これはいったいどういうことだと視線が交錯する。

アリスはキースを愛していたから、エマに嫌がらせをしていたのではなかったのか。噂とは真逆の現実に生徒たちは戸惑った。

遠くで授業の終わりを告げる鐘が鳴る。


「ほら、チャイムも鳴りましたし帰りましょう!」

「毒殺未遂の件は解決してないんだが」

「そもそも、わたくしやってませんもの」

「いや、そうなんだけど.....わかった!わかったから引っ張るな」


戸惑った声を出しているが、その顔は満更でもなさそうに見える。手を引かれるままに移動を始めるたふたりに、キースの戸惑ったような怒声が響いた。


「ま、待て!」

「...........まだなにか?」

「そうやって煙に撒こうとしても無駄だ!俺は騙されないからな!」

「わたくしなにか騙しまして?」

「強がるのは止して、エマに毒を盛ったのは自分だと白状しろ!泣いて許を請え!そうすれば先ほどの偽言は無かったことに」

「嘘ではありませんわ」

「いいや!お前が俺に見放されて喜ぶなんてことはありえない!あれはただの見栄だ!」

「残念ながら小躍りしそうな心持ちです」


アリスはきっぱりと否定する。

コロコロと笑って上機嫌な様子を絶やさず、それがさらにキースの苛立ちを煽った。


「わたくしがあなたを愛していないように、キース様もわたくしを愛してはいないでしょう? 」

「確かに俺はエマを愛しているが、お前は違うだろう!俺がいなければ家にすら居場所のないお前が、婚約破棄を了承するわけが」


そこで言葉が途切れる。

アリスがいそいそと制服のスカートの裾を掴み恭しく頭を垂れたからだ。惚けるような甘い笑顔で、薄い桃色の唇を開く。


「アリス・フランソワ・ド・シャロンワーズ、謹んでその申し出を受けさせて頂きます」


綺麗に一礼する姿に瞬きすら忘れ、生徒たちは息を飲んだ。噂の高慢ちきで意地悪なご令嬢ではない、そこにいたのは妖精のように麗しいひとりの少女だった。


「これで、お分かりいただけたけましたよね」

「アリス」

「はい!それではみなさま御機嫌よう。キース様、どうか、ああ、どうかエマ様とお幸せに」


今度はレンに腕を引かれてアリスが歩き出す。

仲睦まじげに温室から出て行く姿を、キース含めた生徒たちは唖然と眺めていることしか出来なかった。






ちゃんとした断罪式は次回になります!

今日は長いのでここまでです!

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