第八話 侵食する悪夢
それから私は、やる事があるというまどかを残して別荘まで戻った。何でも「芸術点があるのを忘れてた」との事らしい。
その芸術点とやらが何なのか気になったけど、聞かずにおいた。恐らくろくでもない事だとは思うけど。
辿り着いた別荘の前には、私が持ってきた鞄の中身が撒き散らされ、踏み荒らされていた。予想はしていた事とは言え、嫌な気分までなくなる訳じゃない。
でも考えようによっては、これは好都合だ。返り血に染まった服を、誰にも見られずに着替える事が出来るのだから。
私は地面から適当な服を上下一揃い拾い上げると、別荘から少し離れた木の陰で服を着替えた。外で着替えをする事に若干の抵抗はあったけど、我が儘は言っていられない。
服を着替え終わり、残りの荷物を回収し始める。けれどバッグだけは、どこを探しても見当たらなかった。
恐らくはまだ、別荘の中にあるのだろう。あいつらは親や教師にいじめを疑われない為に、私の持ち物を隠す事はしても壊す事だけはしなかったから。
とは言っても、あいつらが大人しく私を別荘の中に入れるかは疑問だ。私の分の部屋も夕食も、用意されていない可能性の方が高い。
一応お菓子も用意してきたけど、そっちは全部盗られてしまったようだった。こうなるともう、頑張って飢えに耐えるしかない。
まだ青柳達が戻って来ていない以上鍵は開いているだろうけど、ここでわざわざ中に入る気はなかった。私は荷物を総て拾い終えると、そのまま玄関の横に座り込んだ。
「……寒」
いつの間にか、風が出てきていた。私は縮こまり、なるべく風に当たらないよう努める。
真冬よりはマシとは言え、三月の夜はまだまだ冷える。一晩を外で過ごすには、厳しい気温だ。
上着を血で汚してしまった事を、少しだけ後悔する。せめて上着を脱いでから、殺し始めるべきだった。
……殺した。そう……殺したんだ。
自分の両手を、じっと見つめる。この手で人を――殺した。
恐怖や後悔は、相変わらずない。それどころか、終わってしまった時間が惜しいとすら感じる。
私は……人殺しを、楽しんでいた?
そう考えて、慌ててかぶりを振る。そんな事は断じてない……筈だ。
だって、そんなのはおかしい。まともな人間の考える事じゃない。
そうだ、私はまともだ。あれはただ、私を苦しめた奴らに復讐出来た事が嬉しかっただけだ。
――私は、私は、まどかやあのクラスメイト達とは違う!
膝を抱え直し、固く目を閉じる。これ以上考えても、ドツボに嵌まるだけだと思った。
眠ってしまおう。眠れるかは解らないけど、それがいい。
眠れば、きっと、全部忘れられる――。
私のその願いに反して、朝日が辺りを照らすまで、眠気が私に降りてくる事はなかった。
「アハハッ、アハハハハッ」
誰かが嗤っている。楽しそうに。狂ったように。
辺りは一面血の海だった。比喩ではない。本当に膝の高さまで満たされた血が、どこまでもどこまでも続いていた。
血の海に浮かぶのは、バラバラにされた死体。親や担任など知っている顔もいたし、全く知らない顔もいた。
見渡す限り死体、死体、死体。生きている人間はどこにもいない。
その事に不安を覚えながら、私は血の海を掻き分け歩く。生きている人間を懸命に探す。
「アハハハハッ、アハッ、アハハッ」
嗤い声は止まない。いつまでも、いつまでも響き続ける。知っている声の筈なのに、それが誰のものだったかどうしても思い出せない。
「アハッ、アハッ、アハハハハッ」
やがて目の前に、何かが乗った台のような物が見えてくる。その手前には肘の辺りまでの黒髪を垂らしっ放しにした誰かがいて、こちらに背を向けて何かをしている。
嗤い声は、どうやらその誰かが上げているようだった。私はそれを不気味に思いながらも、恐る恐る台へと近付いていった。
少しずつ、台の上にあるものが明らかになってくる。ソレを確認した私は――思わず、息を飲んだ。
「……!」
ソレは、一列に並べられた人間の心臓だった。それもただ並べられているだけじゃない。心臓には一つ残らず、無数の針が刺さっていた。
その異様な光景に動けないでいると、不意に誰かが笑うのを止めた。そして手に持っていた針だらけの心臓を無造作に放り投げると、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……え?」
それは――狂気の笑みを顔に張り付けた、私だった。
――バシャッ!
全身を襲う、冷たい感触に目が覚める。まだ覚めきらない頭は一体何が起こったのかと俄かに混乱する。
「起きて、朝だよ。黒井さん」
そこに降ってきた聞きたくもない声。急激にクリアになった意識に、私はばっと目を開ける。
視界に映るのは、私を取り囲むクラスメイト達。そして私の正面に立つ、バケツを持った赤澤。
「おはよう、黒井さん」
「……おはよう」
「何だか服が汚れてたから、洗ってあげたよ。どう? 綺麗になったでしょ?」
言われて、ずぶ濡れの服と前髪から滴る雫に気付く。どうやら私はあのバケツに入っていた水を、頭からかけられたらしい。
赤澤の顔を見れば、相変わらず天使のように微笑んでいた。中身は悪魔が可愛く見えるレベルの狂人だけど。
「黒井さん、一つ聞きたい事があるんだけど」
「……何」
「智世ちゃん達、どこかで見なかった?」
どきり。私の心臓が、無意識に跳ね上がった。
「黒井さんゆうべはずっと外だったでしょ? 知らない?」
動悸が早まるのを感じながら、ゆっくりと首を横に振る。……大丈夫。私が何かしたなんて証拠はない。大体こいつらはまどかの存在すら知らない。
赤澤が、暫く私の顔をじっと見つめる。私の中で緊張感が高まる中、やがて赤澤は皆の方を振り返って言った。
「黒井さん、やっぱり知らないって」
「そっかー。ならやっぱり皆で海岸に行ってみようよ」
どうやら皆は、私の言葉に疑いを持つ事はなかったようだ。その事に、少しだけホッとする。
今後の指示は、別れる前にまどかにしておいた。後はまどかがその通りにしてくれる事を祈るだけだ。
「ほら、黒井さんも立って!」
と、突然赤澤に腕を掴まれ、無理矢理立たせられる。その容赦のない力に、折角治まっていた昨日の傷の痛みがまたぶり返してきた。
「な、何?」
「黒井さんも一緒に探しに行こう。智世ちゃん達の事、心配でしょ?」
その言葉に周りを見れば、皆がニコニコ顔で私を見つめている。解っていた事だけど、私に拒否権はないようだ。
「……うん」
「じゃあ行こう。皆ー、はぐれないでねー!」
そう言って私の腕を強引に引っ張り出す赤澤に、私はただされるがままになるしかなかった。
相変わらず皆に何度も蹴られ転ばされながら、私と皆はやっと海岸まで辿り着いた。海岸は昨日の殺戮などなかったかのように、どこまでも穏やかだ。
「おーい、智世ちゃーん」
「皆、どこー? 迎えに来たよー」
クラスメイト達が散り散りになり、一斉に声を上げ始める。私はと言えば、散々転ばされてフラフラになったところを砂浜に転がされて、開いた傷の痛みに呻いていた。
全身が痛む。けれど心は、昏い悦びに満ちている。
――さあ、見つけるといい。それがお前らの、地獄の始まりだ。
「キャアアアアアアアアアッ!?」
その時波音を打ち消すような、大きな悲鳴が海岸中に響き渡った。どうやら誰かが、アレを見つけたらしい。
力を振り絞り、何とか立ち上がる。今後の為には、私も目撃者の一人になっておかないといけなかった。
「何、何!?」
「一体どうしたの!?」
「嫌っ、嫌あああああっ!!」
案の定、クラスメイト達はパニックになっているようだ。その様子を見るのを楽しみに、私が悲鳴のした方に向かうと。
「……何これ?」
思わず口から出たのは、そんな言葉だった。
目の前には、何かを見て恐慌状態になっているクラスメイト達。中には腰が抜けたのか、へたり込んでいる奴もいる。
その視線の先には、森があった。その海岸に面した五本の木に、何かが縄で括りつけられている。
ここまではいい。私の指示通りだ。けれど。
ソレは一見すれば、何なのか判別がつかなかった。恐らくは人なのだとは思うけど、私達の知るそれとは大きくかけ離れていた。
ソレは、首と四肢が総て同じパーツで構成されていた。手ならば頭と足も全部手、足なら頭と手も全部足、首なら手と足も全部首――。
私の前に現れたソレは、まるで不出来で悪趣味なコラージュのようだった。
『芸術点』
まどかがそう言っていた事を思い出す。あれは如何に、死体を冒涜的に飾れるかという事だったんだ。
「何これ、何これ、嫌ああああああああっ!!」
「どうして……どうして……」
海岸が阿鼻叫喚の声に埋め尽くされる中、私はまどかが作り上げたオブジェからずっと目が離せなかった。