第十九話 ズットモ
背中から、少しずつ力が抜けていく感覚がする。目が霞んで、目の前の景色がグニャグニャと揺れる。
――ああ、私、死ぬんだな。どこか他人事のように、私はそう思った。
「陽子ちゃん! どこ!?」
不意に、遠くで私を呼ぶ声がした。あの声は――まどかだ。桃生達を全員片付けて、私を探しに来たんだ。
その声に応えようと、私は口を開く。途端、喉に大量の血が押し寄せ、言葉の代わりに私の口から出ていった。
けれど、その咳き込む音が逆に私の居場所を伝えたらしい。やがてまどかの足音は、迷いながらもこっちに向かってきた。
「! 陽子ちゃん!」
そう近くで声がして、足音が駆け足に変わる。そして柔らかな腕が私を仰向けに抱き起こし、地面ばかりを映していた視界が回転してまどかの顔が飛び込んできた。
「陽子ちゃん! しっかりして、陽子ちゃん!」
私を見下ろすまどかの顔が、泣きそうに歪む。……馬鹿ね。私はあんたを利用してたのに。
こんな壊れた私の為にそんな顔するなんて……最高に狂ったお人好しよ、あんたは。
「……何、そんな顔してんのよ。あんた」
「陽子ちゃん、すぐにこの島出よう! それで傷治して貰おう!」
「無駄よ。私はもう助からない。自分で解る」
私がそう言うと、ついにまどかはポロポロと泣き出してしまった。……綺麗だな。人の泣き顔って、こんなに綺麗なものだったんだ。
今から言う事は、まどかをもっと泣かせるかもしれない。それでも――言わなきゃいけないんだ。
「まどか、お願いがあるの。……あんたの手で、私にトドメを刺して」
「!!」
まどかの目が、驚愕に見開かれる。ああ、まどかでもこんな顔するんだって思ったら、何だか急に可笑しくなった。
「何……言ってるの……?」
「何言ってるの、はこっちの台詞よ。元々あんたは、この島にいる全員を殺しに来たんでしょ?」
「そう……だけどっ……やだ! 陽子ちゃん殺すのは絶対やだ!」
子供がいやいやをするように、まどかが首を横にブンブンと振る。そんなまどかの頬に、私はそっと手を伸ばした。
「お願い。聞いて。……私、あんたと出会えて幸せだったよ」
言いながら、また血を吐き出しそうになるのを何とかこらえる。これだけは……これだけはまどかに伝えなきゃならないんだ。
「私をいじめたあいつらを全員葬れたっていうのもあるけど……この三日間が、あんたと過ごした三日間が、一番自分らしく生きられた。そんな気がするんだ……ゴホッ、ゲホッ!」
「陽子ちゃん……お願い、もう喋らないで……本当に死んじゃう……」
我慢出来ずに結局咳き込んだ私を、まどかは辛そうに見つめている。そんなまどかが、今は心からいとおしかった。
「ハア、ハア……ねえまどか、あんたはただ無駄に死ぬのと、友達の役に立って死ぬんだったらどっちがいい?」
「それは……友達の役に立って死にたいよ……」
「私も同じ。最期は憎い奴との相討ちじゃなく、大好きな友達の役に立って死にたいの。だから、お願い。私を殺して」
そう言って、涙に歪むまどかの目を見つめる。束の間の沈黙。それを先に破ったのは、震える声のまどかだった。
「……私、本当に楽しかった。陽子ちゃんに出会えて」
頬に触れた掌を、涙が伝う。とても、とても温かな涙。
「私が教わってきたのは、一人での殺しばっかりだったから。誰かと一緒の目標を持って動くなんてなかったから……だからこの三日間、陽子ちゃんと一緒に行動して、一緒に皆を殺して、それが本当に楽しかった。嬉しかった。幸せ、だった」
そこまで言うと、まどかは笑った。唇を震わせ、涙を零しながら懸命に笑ってみせた。
「でも……もう出来ないんだね。陽子ちゃんと一緒にいられないんだね。私の手で陽子ちゃんを殺す事が、今私が陽子ちゃんにしてあげられるたった一つの事なんだね」
「うん。ごめんね、まどか」
「ねえ、私達、友達だよね? 陽子ちゃんが死んじゃっても、私達、ずっと友達だよね?」
すがるように、まどかが私を見る。そんなまどかに私は、優しく笑って答えた。
「うん、ズットモだよ」
「ズッ……トモ?」
「ずっと友達って意味」
不思議そうに首を傾げるまどかを、私は笑って見守る。こんな台詞、死に際じゃなければ絶対人に言わないな、とそんな事を考えたらまた可笑しくなった。
「……ズットモ。陽子ちゃん、私この言葉絶対忘れないよ。私と陽子ちゃんは、ズットモ……」
「うん、私達、何があってもズットモだよ?」
「陽子ちゃんの死体、私、とびきり綺麗にするから。誰よりも目立つ死体にしてみせるから」
「当然。中途半端はなしよ?」
私達は、互いに笑い合った。いつしか、私もまた泣いていた。
こんなに穏やかな気持ちで逝ける私は――世界で一番、幸せだと思った。
「……そろそろ、お別れだね。陽子ちゃんが苦しむ時間が短くなるように、私、一撃で決めるから」
「うん、お願い」
まどかの手が、地面に落ちていたサバイバルナイフを取る。そして、私の眉間へと狙いを定めた。
「さよなら……陽子ちゃん……っ!」
「さよなら、まどか」
そして。
ナイフが振り下ろされたと同時、私の意識は永遠の闇の中へと墜ちた。




