第十七話 理想郷
木々の隙間を縫い、赤澤目指して駆ける。赤澤の方が足は速いけど、この入り組んだ森を進むのだ。直線での速さなんて大したハンデにならないと踏んだ。
その予想通り、やがて赤澤の背中が見えてくる。赤澤は何度も後ろを振り返り、置いてきた桃生達の事を気にしているようだった。
「赤澤アアアアア!!」
先を行く赤澤に向かって、私は吼える。すると赤澤は立ち止まり、体ごと私を振り返った。
「……黒井さん」
「追い詰めたぞ……赤澤アアア」
サバイバルナイフを手に、私は赤澤ににじり寄る。そんな私に赤澤は、実に静かに、告げた。
「――私も、昔生贄だった」
その一言に、思わず足が止まる。こいつは、何を言っている?
「生贄制度は、元々私の転校前の学校で行われてたの。そこでは、私が生贄だった」
赤澤の目が、じっと私を見る。そこに宿る感情を、私は読み取る事が出来なかった。
「……だから、このクラスに生贄制度を持ち込んだのか。その時の鬱憤を晴らす為に」
「違う! そうじゃない……どうして解ってくれないの……」
私が指摘すると、赤澤は悲しげに顔を歪めて首を横に振った。だったら何故、忌まわしい筈の生贄制度を導入するなんて真似をしたというのか。
生贄になった人間の辛さ、惨めさを知っていて、何故――。
「……確かに、最初は辛かった」
顔を俯かせ、赤澤が呟く。同時に、また赤澤の感情が読み取れなくなる。
「苦しかった。何で私だけがって、何度も何度もそう思った。死のうかって考えた事もあった。……でも」
そこまで言って、また赤澤が顔を上げる。浮かぶのは、いつもの天使のような笑顔。
「気付いたの。私をいじめる事で、皆が笑顔になれる。楽しい気持ちになれる。それはとても、凄い事なんだって。私が皆を笑顔にしてるんだって」
笑顔のまま、朗々と赤澤は語る。そこで私はやっと気が付いた。
私は赤澤は、笑顔で人を踏みにじれる狂人だと思っていた。それはある意味正解で、ある意味では間違っていた。
赤澤は――生贄制度を正当化しなければ自分を保てないところまで壊れて、狂ってしまっていたのだ。
「黒井さんが生贄になった時は、嬉しかったなあ。私の本当の理解者が、やっと出来るって思ったから。生贄という立場の素晴らしさを、分かち合える相手が出来るって」
両手を広げ、うっとりと恍惚の表情で赤澤が告げる。……そんな理由で、私は、いや、私達のクラスは奪われたのか。
最高のクラスでなくたっていい、誰もが当たり前に過ごす筈だった――当たり前の青春を!
「ねえ、黒井さん。ううん、陽子ちゃん。今からでもこっち側に来ない? 私達きっと、最高の友達になれると思うの」
「……気安く名前呼んでんじゃねえよ」
怒りの燃えたぎる心のままに、私は言った。赤澤の顔から、スッと笑みが消える。
「黙って聞いてりゃふざけた事抜かしやがって。生贄が素晴らしいだと? そんなに素晴らしけりゃお前一人で勝手にやってりゃ良かっただろうが」
固く握り締めた手が、ブルブルと震える。赤澤は無表情で、黙って私の言葉を待っている。
「お前の勝手な理想に、皆を巻き込みやがって。お前さえ現れなきゃ、私はずっと穏やかに暮らせてたんだ」
憎しみを込めて、赤澤を睨み付ける。そして、私は、ハッキリと決別の言葉を叩き付けた。
「お前だけは許せない! お前は必ず、今ここで私が殺す!」
「……そう」
感情の籠らない声で、ポツリ、赤澤が呟く。これが赤澤香苗という人間の本当の姿なのだろうと、私は思った。
「どうしても解ってくれないんだね、陽子ちゃん。残念だよ。なら私も、私の理想郷を壊したあなたを放って置く訳にはいかない」
「なにが理想郷だよ、この狂人が。人のクラスをオモチャにしてくれた罪、死んで償いやがれっ!」
互いに武器を構え、睨み合う。――そして。
「……っうわあああああああああっ!!」
私のその叫びと共に、私達は、ほぼ同時に動き出した。