幕間 赤澤香苗という少女
※赤澤視点です。
島の東側を一日かけて回ったけど、智世ちゃんも、殺人鬼もそこにはいなかった。気が付けば日は沈みかけ、空は茜色に染まりかけている。
「……そろそろ戻ろう、香苗。日が暮れたら、あたし達まで別荘に帰れなくなる」
殆ど休んでないからだろう、隠し切れない疲れを顔に張り付けて、隣の菫ちゃんが言う。確かにこのまま夜になれば帰り道が解らなくなって、私達まで二次遭難――なんて事も有り得る。
「……うん。皆、別荘に戻ろう」
私の言葉に、その場にいた全員が頷いた。そして私達は、来た道を逆戻りし始める。
皆の顔に広がるのは、疲れと、失望と――安堵。自分達までもが、殺人鬼の犠牲にならなかった事に対する。
そんな皆を責めはしない。けど私は、私達の前にこそ殺人鬼が現れて欲しかった。
そうすればその分、他の皆は無事だったんだと思う事が出来るから。殺人鬼が一人なのか、複数いるのかは解らないけど。
けどそんな私の願いも虚しく、殺人鬼は私達の前には現れなかった。……とても、嫌な予感がする。
「他の皆は無事かな……」
そんな私の気持ちを代弁するように、菫ちゃんが呟いた。その一言に、皆の顔に不安の色が一気に広がる。
もしも生き残りが、もう私達だけだったとしたら……。そんな事は、考えたくもなかった。
「……大丈夫だよ。きっと」
確証なんてないけど、私はそう言うしかなかった。クラス委員長として、皆を不安にさせる訳にはいかなかった。
それからは、誰も何も言わなかった。多分私の言葉を、鵜呑みにした訳じゃないと思う。
言葉にすればするだけ、不安が現実になってしまう気がして。だから何か言いたくても、言葉に出来ない。
その気持ちはよく解る。だって――私がそうだから。
私自身、皆が無事かどうかが不安で不安で仕方ない。だからこそ――敢えて言葉にしたくはないのだ。
ちらりと、隣の菫ちゃんを見る。顔色が悪いのは、きっと疲れのせいだけじゃないだろう。
――桃生菫ちゃん。今の学校に転校してきてから一番最初に仲良くなった、私の親友。
菫ちゃんは見た目は派手だけど、その実とても繊細な子だ。初めて生贄の黒井さんをいじめた日、本当は陰でこっそり震えて黒井さんに謝りながら泣いていた事も知っている。
友達になるべく上下はつけたくはないけど、それでも菫ちゃんの事はやっぱり特別だと思ってしまう。例え自分の身を犠牲にしてでも、菫ちゃんの事だけは何とか守りたいと思う。
そして、黒井さん。黒井さんも、私にとっては特別だ。もしかしたら、親友の菫ちゃん以上に。
黒井さんは気付いてくれただろうか。あの場所に黒井さんを配置した、本当の意味に。
もし黒井さんが生き残ってくれていたら、その時はきっと――。
「別荘まであと少しだよ。皆、踏ん張ろう」
少しずつ辺りが薄暗くなっていく中、私はそう口にして皆を励ました。
結局別荘まで帰り着いたのは、宵闇が辺りを支配した頃だった。別荘を目にしてすぐ、私達は異常に気付く。
――灯りが、点いていない。もう灯りなしじゃ、行動するには厳しい暗さなのに。
更に別荘へと近付くと、どうやら玄関の扉が開けっ放しになっているらしい事も解った。私達の間に、一気に緊張が走る。
「……皆、いつでも逃げられる準備をしておいて」
皆に呼び掛け、私は先頭に立つ。肉切り包丁を持った手に、汗が溜まっていくのが解った。
何か鋭いもので壊されたらしい跡がある玄関を潜ると、途端、濃密な酷い臭いが漂ってきた。それは今朝、無惨な五つの死体から微かに漂っていたものに酷くよく似ていた。
脳裏によぎる、最悪の結末。それでも私達は、臭いの正体を確かめなくてはならなかった。
靴は脱がずに、そのまま中に上がる。こんな状態なのに電気は生きているらしく、震える指で探り当てたスイッチは入れた瞬間、パッと照明を起動させて静まり返った別荘内を照らし出した。
「ひっ!」
途端、背後の菫ちゃんがひきつった悲鳴を上げる。振り返ると、菫ちゃんはリビングキッチンの方を見て固まっていた。
恐る恐る、その視線の先を追う。そこには――血塗れになって力なく投げ出された、誰かの足があった。
「……香苗……」
他の皆も足の存在に気付いたらしく、泣き出した子までいる。私は覚悟を決めると、リビングキッチンの方へと一歩を踏み出した。
「……様子を確かめてくる。皆はここにいて」
肉切り包丁を持つ手に力を込めて、リビングキッチンの入口へと近付く。皆は私に言われたからかそれとも恐ろしくて動けないのか、玄関から動く事はなかった。
ギシギシと、自分の立てる足音がやけに響く気がした。一分が何時間にも思える感覚の中、遂に私はリビングキッチンへと辿り着き――照らし出された光景に言葉を失った。
それはまるで、壊れた操り人形のようだった。
そこにあったのは、全部で六つの死体。その手足は全部、本来有り得ない方向にねじ曲がっている。
そして、それらの死体には全部――頭がなかった。その代わりと言うように、床に撒き散らされた乾き始めた血の上にはピンクのような白いような何かが所狭しと散乱している。
「う……ぇ……うぇえええっ」
その光景と、むせ返るような死臭に、遂に私は吐いた。朝死体を見つけた時は現実味の薄さから耐えられていたけど、もう限界だった。
出発前に簡単な朝食を済ませたきりの胃は、少し吐いただけですぐ空っぽになった。それでも私は、出すものが胃液だけになっても、盛大に吐き続けた。
――どうして。どうしてこんな事になったの。
だって昨日まで皆で楽しく笑って、それで――。
気が付くと、胃液と一緒に涙が零れていた。けれどこれは、悲しみでも恐怖でもない。
怒りだ。ただ普通に暮らしていただけの皆の命を、理不尽に奪った者への怒り。
――絶対、許せない。
止まらない胃液に喉がヒリヒリと焼けるのを感じながら、私はそう強く決意していた。