懐古する代名詞はこんなものでは無かったのだと回想するだけ無駄なものだという事に全ては気づいてはいるはずであったが結局はこの様である
道に沿う者は芸術家失格である。頭に不定の奇物を載せるあの人は言った。恐ろしい話ではあるのだが人は元からあるものに添いたがる。その先に白銀に光る鷺があろうともそれを喜んで飲み干していった。崖から落ちてもなおもそれに気がつかず
等と問うても意味は無し。道に沿うものにみちは無く、またその者に見えぬであろう。その代名詞たるや、正にその四文字であるが、このような言葉遊びも解らぬものには、ある意味戯れというものが解らぬのだろう。
レベルを落として問いますと、平仮名であることに意味は有りますし、言葉が繋がらないことにも、意味はあるのです。また、それらの意味には、全く価値はありませんし、意味もありません。これは遊技であり、それを求めるのは無粋です。
これは単なる身勝手です。
誰も彼も、勝手を通して生きてます。その、源泉が何であれ、それは勝手を通して生きてます。言わば、その勝手によってという、それこそがその程度で在るわけです。
肉塊を打ち上げて臓物の雨を降らせよう、大地に赤い花を咲かせよう。もう諦めましょう、誰もが最後には諦めます。どうせなら、ここで一発盛大に派手な事をして、そのまま満足に散ってしまいましょう。
何をしても最後には忘れられる。だからもう諦めよう、永遠で不変なものなんて無いのだから、諦めよう。
未知に躁者は芸術家失格である。頭に不定の既物を載せるあの人は言った。恐ろしい話ではあるのだが人は元からあるものに副いたがる。その先に箔銀に光る詐偽があろうともそれを喜んで飲み干していった。崖から落ちてもなおもそれに気がつかず、誰からも見えぬ場所に赤い花を咲かせるのである。
馬鹿馬鹿しい喜劇でした。これが遊技でしょう。