6 春のごちそうと、お姫様からの招待状 中編
「なんだかよく分かりませんが、私は台所に行きますね!」
アイナには関係ない話だと踏み、アイナはとっとと屋敷に足を向ける。
(さーて、ふきのとうの下処理からしようかな。何を作ろうかな~)
るんるん気分で、料理のことで頭をいっぱいにしたが、騎士が慌てて追いかけてきた。
「ちょっ、お待ち下さい! 魔物のお嬢さん!」
「ん?」
どうして招待状をアイナにも差し出すのだ、この騎士は。
「姫様がお嬢さんもお招きしたいと仰せで……」
アイナは騎士と招待状を見比べ、ひとまず招待状を受け取る。
「騎士さんはお急ぎですか?」
「いえ、魔物側の事情もおありでしょうから、数日はこちらに滞在できます。ご迷惑なら、一週間後にまた伺います」
「そうですか、良かった。では、まずはお料理をしましょう!」
「……へ?」
アイナが招待状を読まずにポケットに突っ込み、話は済んだと屋敷に入る。
魔法使いの笑い声が響いた。
「あははは、ああなっちゃうと無理よ。アイナちゃん、食べ物のことで頭がいっぱいだもの。よーし、ここは私もお手伝いを」
「魔法使いさんっ、門番をチェンジ! 私と代わってください。ゴーレム殿、見張りをお願いしますね。何かしそうなら止めてください」
神官が泡を食って駆けてきて、魔法使いの手から籠を奪い取る。
ゴーレムは心得たと頷いた。
「ちょっともう! ゴーレムまでなんなの、失礼しちゃう! 料理くらいできるわよっ」
「お前は台所には立ち入り禁止だ、魔法使い! 何回爆破しようとしたんだ、いい加減にしろ」
勇者まで加わり、魔法使いをゴーレムのほうへ追い払う。
「え、えーと、では、魔法使い殿。良ければ私の話し相手をお願いしてもよろしいですかな」
空気を読んだ騎士がそう問いかけ、魔法使いは機嫌を直す。
「良いわよ。ちょうどいいわ、ジール王国や周辺の情勢も教えていただけるかしら」
「ええ、もちろんです」
そして騎士と魔法使いはゴーレムの傍で話し始め、勇者と神官は台所に向かった。
籠の中身を見て、神官は嬉しそうに微笑んだ。
「大収穫ですね。なんておいしそうな菜の花でしょうか。神殿ではあまり豪勢な食事は出ませんから、野草は春の楽しみでしてね」
それから自分の持つ籠の中身を一通り見る。
「こちらは薬の材料ですね」
「調合して、行商人さんに売るんですよ」
「でしたら、私がお手伝いしましょう。薬の扱いは得意なんです。お料理のお手伝いもいたしますが、これから何を作られるんですか」
居候中にすっかりアイナの料理に惚れこんでいる神官は、今日は何を食べられるのかと目をキラキラさせている。
「ふきのとうと菜の花がありますから、お昼はパスタにしましょう。私はパスタを手打ちします」
「ふきのとうの下処理は俺がしよう」
勇者が背負い籠を下ろして名乗り出る。
ふきのとうは、汚れや外側の皮で悪くなっている箇所を取り除く作業が必要だ。これだけたくさんあるので、アイナだけだと手間がかかる。
「わぁ、ありがとうございます。神官さん、菜の花はこれくらい使うので、これと薬草類を洗って干してもらっていていいですか?」
「承りました」
それぞれ、水瓶の水をすくって、流し台で手を洗ってから作業に移る。
この屋敷には水道は無く、井戸も無い。アイナ達一家は魔法で水を出すので、必要無いのだ。
下水道も無いが、トイレはある。トイレは一階にあり、縦に深い穴の上に、丸い穴のあいた椅子が置いてあり、そちらに腰掛けてする形だ。穴の底ではスライムを飼っている。暗い場所を好み、石や土以外ならなんでも消化するので、魔物の国の美化委員だ。大人気の清掃業者でもある。
ただ、低レベルのスライムは意思の疎通ができない。だから高レベルのスライムが、それらを魔物の家に派遣して、ある程度レベルが上がったら回収して新たな子どもを置いていくのだ。そうすることで低レベルのスライムは餌を得られ、安全にレベルアップできて、魔物達は巣が綺麗になる。まさに共存共栄の関係だ。
ちなみにスライムは毒も分解して消化し、環境に影響を与えない。その為、毒スパイス料理の残飯も、トイレ穴に落とすことが多い。
「神官、魔法使いに水を出してもらいに行こう」
「ええ。桶に一杯は欲しいですね」
勇者と神官は外へ出て行った。
(魔法使いさんの唯一の仕事は、魔法で水を出すことなんですよねえ。水瓶や洗濯用に水を出すだけっていう)
ものすごい宝の持ち腐れ感がするが、これでも譲歩したのだ。最初は魔法の勢いが強すぎて、水瓶を壊された。
「では、パスタ作りを始めましょうか」
アイナは鼻歌まじりに、台へと材料を集めていく。
小麦粉、菜種油、卵、塩だ。それぞれ計量してボウルに放り込み、木べらで混ぜてからこねていく。まとまりが悪ければ水を足してこね、木製のまな板に打ち粉をし、耳たぶのやわらかさで止める。
それを五つに分けた塊をよく絞った濡れ布巾で包んで、十五分くらい置いておく。
「アイナさん、菜の花を洗いましたよ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。では私は薬草のほうをしていますので、手伝いが必要なら呼んでください」
「あとは大丈夫ですので、お暇なら魔法使いさんの見張りを」
手伝いより何より、魔法使いの見張りが一番大事だ。
「任せてください。では」
神官は力強く頷き、また外に出て行った。
アイナは菜の花をざるに置いたまま、地下の食料保管庫に燻製のベーコンと鷹の爪を取りに行く。
ドワーフの行商人は、保存食やもちの良いものしか売りに来ない。豚肉のベーコンはアイナのお気に入りだ。
ドワーフは魔法を使える者が多いので、前払いをして注文すれば、氷漬けにした魚や果物を運んでくれることもある。ただ、氷がかさばって他の荷を置くスペースが減るのが難点だった。
アイナはすぐに台所に戻ると、ベーコンを細かく切った。続いて、菜の花も切る。花と茎、葉に分けて置く。
「アイナ、すぐに全部は使わないだろうから、とりあえず半分だけ持ってきた」
程よいタイミングで勇者が顔を出し、汚れを取り除いて綺麗に洗ったふきのとうが入った籠を差し出す。
「わぁ、ありがとうございます、勇者さん!」
なんて気がきいた対応!
アイナは思わずピョンと跳ね、にっこり笑って籠を受け取る。
勇者は眩しげに目を細めた。
「喜んでくれると、手伝いがいがあるよ」
「まずはあく抜きしなきゃいけないんで、塩ゆでしちゃいますね~」
アイナはすぐに鍋に魔法で水を入れ、カマドの上に置いて湯を沸かす。塩を入れてゆでた後、魔法で出した氷を浮かべた水にさらす。苦味を少なくしたいなら、水にさらす時間を長めにとったほうがいい。
まな板の上のものを皿に移動して、まな板を洗って水けをぬぐうと、手打ちパスタを伸ばして細く切っていく。
「なあ、アイナ」
「ほわっ」
び、びっくりした。勇者がまだ傍にいるとは思わなかった。
アイナが左を見ると、勇者は不思議そうな顔をしていた。
「アイナは人間の料理が好きなのに、人間の国に来ようと思ったことはないのか?」
「えっ。そんなこと考えたこともないです、私の役目は門番ですから。それに、人型をとっても、この通り、角と翼はありますからね」
でもそうか、人間の国に行けば、好きなだけ食べられるのか。それは心惹かれるものがある。
勇者は顎に手を当て、考えこむ仕草をする。
「どうかしたんですか?」
「姫様がアイナに招待状を届けさせたのは、アイナを魔物の国の親善大使にしたいんじゃないかと思ってな」
「親善大使……?」
「詳しいことはあの騎士に聞かないと分からないが、姫様は魔物の国との和平を実現すると話してただろ」
勇者の説明を聞いていて、アイナはなるほどと頷いた。
「私が友として現われることで、国内外に、魔物との友好関係をアピールできるってわけですね。そして父王との違いを、世間に見せつける! わぁ、お姫様ってば策士ですね~」
いったいこの短期間でどうやったのか。考えていた以上に、あの姫君は敏腕なのだろう。
すると、突然、勇者がその場に片膝を着いて頭を下げた。
「姫の不作法、人間の代表としてお詫びする」
「ええっ、なんですか。どうしたんですか、いったい」
アイナは唖然とし、困った末に勇者の目の前にしゃがみこんだ。膝をついて頭を下げるという行為は、魔物の国でも礼儀を示すものだ。上から攻撃されるかもしれない危険な姿勢をとることで、従順を示す。
強者は弱者には絶対にそんな姿勢はとらない。
「友と言いながら利用するような真似、アイナにとっては不愉快だろう」
「騎士さんの話を聞いてみないと分かりませんし、何にせよ、魔王陛下の許可が無ければ私にはどうこうできないことです。そもそも、勇者さん達は中立でしょう。自国の王と、我が国との板挟みになっている勇者さんに謝ってもらおうなどと思いません」
ほーら、立って立って。え? なんで立たないの?
アイナは困って、勇者の金色頭を見つめる。
――あ、つむじ見っけ。
のんきに考えていると、勇者が悲しげに切り出す。
「アイナが人間のことを嫌いになって」
「はい」
「俺のことも嫌いになったら嫌だ」
「はぁ……」
ぱちくりと瞬きをして、アイナは首を傾げる。
「ええーと、つまり、私に嫌われたくなくて謝ってるんですか?」
「……情けない話だが」
恥ずかしいのか、勇者の耳がじわっと赤くなった。
「うーん。そうですねえ。ふきのとうです」
「は?」
勇者が顔を上げた。けげんそうに眉をひそめている。アイナはふきのとうを二つ手に取って、勇者の前に見せる。
「こっちのふきのとうともう一つでは、こちらがおいしかった。だからってもう一つを嫌いになったりしませんよ。だってこれともう一つは、違うものなんですから」
「ええと?」
どうやら意味が伝わりにくかったようだ。アイナは違う例えを口にする。
「じゃあ、例えをお花にしましょう。赤い花が嫌いだったとします。だからって、お花全てを嫌いになることはありませんよね。白い花は好きかもしれない。――お姫様と勇者さんは違う個体なんですから、お姫様を嫌いになったからって、勇者さんを嫌いになることはない。そういうことです」
勇者は納得という顔をして頷いた。
「そうか、そういう意味なら理解できる」
「人間がたくさんやって来て、私の家族を殺して、私も大きな怪我をして、魔物の国を滅茶苦茶にしたんだったら、きっと嫌うでしょうけど。現実は違うでしょう?」
そもそも魔物の国に入っただけで、人間の大部分は死ぬだろう。
「ああ。俺はアイナと会ったお陰で、魔物への認識を改めた。この機会に感謝する」
「そういう勇者さんを嫌うのは、私には難しいですよ」
手を洗ってから、アイナは勇者の腕を引いて立たせる。立ち上がった瞬間、勇者がアイナの腰を抱き寄せた。
「ありがとう、アイナ」
「ひゃっ」
アイナは慌てて飛びのく。
「ちょっと、勇者さん。そういうことは、レッドドラゴン流に求愛してからにしてください。了解もしてないのに、マナー違反ですよ!」
「レッドドラゴン流って?」
「え? オスは巣作りしてからメスに見せて、メスが巣を気に入ったらオーケーなんですよ」
「……巣作り。えーと、すまないがアイナ、今度、親父さんと話をさせてくれないか」
勇者はこの世の謎を見たような顔をした後、そう頼んだ。
確かにオス同士のほうが話しやすいこともあるだろう。
「いいですよ。それより、お昼ご飯が先です」
「ああ、うん」
なんとも言えない顔をして、勇者は頭をかきながら台所を出て行った。
勇者の気配が遠のくと、アイナは顔を赤くしてその場にしゃがみこんだ。
「ひゃあああ、なんたるイケメンぶりですかっ。なんだか良いにおいがしました。勇者さんって不思議です」
前はこんなにおいはしなかったのになあと首をひねる。
しかし考えてみても、原因が思い浮かばない。
アイナは答えを出すのをあきらめ、気を取り直して料理を再開することにした。