4 星空の下で楽しむ、ホットミルクセーキ
季節がめぐり、冬がやって来た。
魔物の国と人間の国の間の門周辺は、雪が積もり一面の銀世界になる。
「ゴーレムさん、おはようございます。今日は雪ですねえ」
門の前に座っている石の巨人――ゴーレムはこくりと頷いた。
粉雪が舞い散る空の下にいても、アイナは寒さを感じない。ドラゴン族は丈夫な鱗を持っているので、気温の変化はほとんど響かないのだ。
だが人型を取っている時は、オシャレを楽しむ感覚で、毛糸のポンポン飾りがついた毛織のポンチョと、ロングスカートに、ブーツという服装をしている。
「さ、雪を降ろしますよ。隙間に入ると大変ですものね!」
箒を手にして、アイナはゴーレムを見上げる。するとゴーレムは手を差し伸べた。その大きな手の平に乗り、肩へと上がる。
「わあ、森が銀色です。綺麗ですね」
見渡す限りの雪景色。アイナが声をかけると、ゴーレムは頷いた。その拍子に、頭の上に積もっていた雪がバタタッと音を立てて地面へと落ちる。
パパが作ったゴーレムは、アイナが生まれた時からの友達だ。
ゴーレムは岩山を材料にして、核を埋め込んである。物理攻撃にも魔法攻撃にも強いのだが、冬にはあまり強くない。岩にしみこんだ水が、朝がたの冷え込みで凍りつく。それを何度も繰り返すことで表面剥離を起こしてしまうせいだ。
だから繋ぎ目の部分に雪が入り込まないように、アイナはたびたび箒でかきだしてあげる。
――ボッ
声ともつかない短い鳴き声は、ごめんと短く詫びるもの。アイナは首を横に振る。
「面倒じゃないので、大丈夫ですよ。大事なお友達ですもの」
照れたのか、ゴーレムは横を見た。
「えへへー」
アイナもにこにこと笑い、せっせと箒で雪を払い落とす。
「アイナ」
一仕事を終えた頃、下から勇者に呼びかけられた。彼は裏地が毛皮になっているコートにマフラー、毛糸の帽子を被っている。足元も毛皮で裏打ちされた革のブーツだ。
「おはようございます、勇者さん」
勇者は三人の中で一番早起きなので、だいたい最初にあいさつする。アイナは箒を放り投げると、ゴーレムの肩から飛び下り、宙で三回転して、すとんと着地する。そして左手をすっと横へ差し出し、落ちてきた箒を受け止めた。
ふわりと裾を払って立ち上がると、アイナはにこりと勇者に微笑みかける。
「今日も早いですね」
「う、あ、うん」
何故か顔を赤くして、ぎくしゃくと頷く勇者。どこか慌てた様子で、話題を挙げる。
「俺はドラゴンってのは、眠りたがりだと思ってたな」
「それはグランドドラゴンさんだけです~。私はレッドドラゴンなのであんまり睡眠は必要ありません」
「そうなんだ」
「はい」
アイナは合槌を返した。
勇者はじっとアイナを見つめる。
何か言いたげな様子に首を傾げていると、勇者が後ろに隠していたものを差し出した。
銀色の花びらを持つ、白氷草だ。まるで氷のような透明な花弁を持ち、雪の中でしか咲かない。
「訓練がてら走ってきたら見つけたから……やる」
「お花ですね、ありがとうございます」
受け取る前に、勇者はすっと手を持ち上げた。アイナの左耳の上辺りに、花の茎をすっと差し入れる。
「……うん、似合うと思った」
にこりとキラキラしい笑みを浮かべ、勇者は頷く。そして満足げに、屋敷に戻っていった。
勇者がいなくなった後、唖然としていたアイナは遅れて顔を赤くする。
「ふおおおおお。なんたるイケメンぶりですか~っ」
頬に手を当てて、アイナは奇声を上げる。ゴーレムを見て、問いかける。
「今の見ました? ゴーレムさん! すごいですねえ、勇者って怖いですねえ。あんなイケメン行動をさらっとしてしまうなんて、流石は勇者ですね!」
――ボッ
「えっ、なんで笑ったんですか?」
なんだかからかうような視線を感じるが、アイナは首を傾げるばっかりだ。
「お姫様もそうでしたけど、キラキラしてますね。光りものは大好きなので、目にうるおいです~」
きゃあきゃあと黄色い声を上げるアイナを、ゴーレムは呆れを込めて見ていたが、アイナは気付かなかった。
朝食の支度をして、食堂のテーブルに料理を並べる。
アイナは朝のこの時間が好きだ。
ひんやりと冷たい空気は澄んでいて、新しい日が始まったと実感できる。
冬の寒い日はスープが合う。
ちょうどドワーフの行商がやって来たばかりで、干し魚や干した貝、乾燥させた魚の粉末などが手に入った。アイナは海に行ったことがないが、これらの品々は大好きだ。
干した貝で出汁をとった、野菜や鳥肉を入れたスープ。そしてカリカリに焼いたパンを添える。スープに浸して食べるのがおつだ。
「おはよ~アイナちゃん。今日もおいしそうねえ」
「いつもすみません。昼は私が担当しますから」
あくびしながら食堂に入ってくる魔法使いの後ろから、神官が申し訳なさそうに言った。魔法使いは灰色のニットワンピースと細身のズボン、神官は白い神官服の上に毛織のショールをかけている。
「神官さんはお掃除をしてくださってるからいいですよ~。それより魔法使いさんの見張りをお願いします」
家を壊されたくないアイナは真面目に頼んだ。魔法使いは椅子に座り、気まずげに溜息をつく。
「何もしないでお世話になるのって、居心地悪いのよねえ。あ、そうだ。この辺の雪かきを魔法でしてあげよっか?」
「「やめてください」」
アイナと神官の声が重なる。
「だからお前は何もしなくていいって」
最後に入ってきた勇者は、帽子やマフラー、外套を脱いで、温かそうな紺色のセーターと灰色のズボン姿だ。運んできた薪を食堂の暖炉脇に積み、薪をくべて火の世話をする。
さすがは母子家庭育ち。勇者の細かい手助けは絶妙だ。彼は将来良いお婿さんになるだろうと、アイナは密かに思っている。
全員が食卓につくと、人間達はそれぞれの神に祈り、アイナは特に祈らず、食事を始める。
温かいスープが、きゅーっと体にしみこんで、アイナは美味しさに目を細めた。これだから人間の料理はたまらない。はふはふと熱々のスープを飲んでいると、勇者が思い出したように問う。
「そういえば、アイナの両親っていつ頃戻るんだ?」
「結婚記念で留守だったわよね」
魔法使いも興味を示し、アイナをちらっと見る。しかしすぐにスープのほうを向いた。おいしいと何度も言いながら、スープの具である野菜を木匙で口に運ぶ。
「分かりません。いつもならとっくに戻ってる頃なんですけどねえ」
「魔王に怒られないんですか?」
神官が食事の手を止め、心配そうにアイナを伺う。
「職務放棄は怒られますけど、私がいるので大丈夫ですよ。そのうち戻ってきますよ~」
「軽っ。寂しくないの?」
「ゴーレムさんがいますから」
魔法使いにそう返すと、アイナは首を横に振った。
「私が生まれた時からのお友達なんです」
「ゴーレムって、魔物にしてみれば使い魔じゃないの?」
「私にとっては、大事な大事なお友達です」
ふふっと微笑むと、勇者がぽつりと呟いた。
「うらやましい……」
「え?」
「いや、なんでもない」
アイナは首を傾げる。
「勇者さんもお友達ですよ! 魔法使いさんと神官さんも」
「あら、本当? うれしいわあ、アイナちゃん」
「不思議な縁ですが、平和な関係を築けてありがたく思いますよ」
魔法使いと神官は笑顔でそう返し、勇者も頷いた。
「ああ、魔物の友人、第一号だ。よろしく」
「なんですか? その手」
右手を差し出す勇者に、アイナは友好の握手について教えてもらった。
◆
雪がしんしんと降り積もる、静かな夜。
アイナはゴーレムの肩に座り、青い闇を見つめていた。
雪明かりで、夜にもかかわらず、ぼんやりと明るい。
「アイナ」
名前を呼ばれて、アイナは下を見た。いつの間に傍に来たのか、勇者がゴーレムの足元に立っている。彼は両手にマグカップを持ち、こちらを見上げていた。
「ホットミルクセーキを作ったんだ。一緒に飲もう」
それがどんな飲み物か分からなかったが、鋭いきゅう覚は甘いにおいをとらえた。
「いいですよ。ゴーレムさん、勇者さんを上に運んであげてください」
――ボッ
ゴーレムは返事をして、勇者を手の上にのせ、肩の傍へ持ってきた。アイナの隣に下りると、勇者はおおっと声を漏らす。
「高いなあ。綺麗な景色だ」
「えへへ、お気に入りなんです。勇者さん、こんなに遅い時間なのにどうしたんですか。眠れませんか?」
もう深夜だ。人間にとっては寝る時間。だが、ときどき眠れない日があるようで、勇者や神官は起きていることもある。魔法使いはどうかって? 彼女の大雑把さは精神面にも反映されているようで、夜はいつもぐっすり眠っているようだ。
勇者はほんのり苦笑を浮かべる。
「ああ。俺はこういう静かすぎる夜は、少し苦手なんだ。はい、熱いから気を付けて」
「ありがとうございます」
アイナは勇者からマグカップを受け取った。陶器の蓋がついていて、冷めにくいようになっている。蓋を開けると、甘い香りがふわっと広がった。
「なんですか、これ」
「ホットミルクセーキ」
勇者はもう一度名前を教えてから、アイナの隣に座る。
「牛乳と卵黄と砂糖で作るんだ。今回は、裏庭の山羊のミルクを代用してる」
「……おいしい」
こくり。一口飲んでみると、優しい甘さが口に広がった。
「本当は、疲れた時や風邪の時に飲むものなんだ。でも、俺は眠れない時にも飲むんだよ」
「ああ、それで。おいしいものを頂けたので、私はラッキーですけどね」
じっくり味わって、ホットミルクセーキを飲む。火を吹く性質のせいか、アイナは熱いものが好きだ。この飲み物は作られたばかりのようで、熱々な温度がちょうどいい。
そしてふうと息を吐くと、空気が白く染まった。
今は勇者が隣にいるので、呼吸が聞こえるが、確かに今日は静かな夜だ。
風はなく、雪が音を吸いこんでいる。空で瞬く星のささやきすら、聞こえてきそうだ。
アイナは静寂が嫌いではない。これも自然の一面だ。
「どうして静かなのが苦手なんですか?」
アイナの問いに、ちびちびとホットミルクセーキを飲みながら、勇者は声に苦味を混ぜる。
「静かだと、色々と余計なことを考えちまうんだ」
「余計なこと……。国のことが心配なんですか?」
アイナは勇者の横顔に問いかける。
「いや、あれはもうなるようにしかならない。ただ、俺は冬が嫌いなんだ。貧しい土地で育ったからな。長い冬を乗り越えられるのか、毎回不安で。特に雪の日は、腹を空かせて震えてた頃のことを思い出す」
「天空神の加護があるのに?」
「加護の能力があったって、小さい頃は何もできない。宝の持ち腐れだろ?」
「人間は保護の必要な期間が長いんでしたっけ。ドラゴンは一年です」
「成体になるまで百年かかるのに、赤ん坊の時期は一年ってこと?」
意外そうに、勇者がアイナを見る。アイナは頷いた。
「ええ。その時期は飛べないので、巣にいるか、親の頭の上に乗っていることが多いですよ。赤ちゃん連れのドラゴンを見つけたら、絶対に手出ししてはいけません。ええと、人間でいう……鍛冶師の馬鹿力?」
人間のことわざをひねりだしたが、どうやら間違えたらしい。勇者が笑った。
「違うよ。火事場の馬鹿力。火事の現場では、普段持ち上げられないようなものも持ち上げてしまうっていうことだよ」
「そう、それです。子どもの危機になると、親は限界以上の力を出します。それに警戒して気性も荒いので、危険にはしつこいですよ」
「どんな生き物だってそうだ。俺は、子ども連れには近付かないことにしてる」
そう答えると、勇者は遠くを見る目をした。
しばらく沈黙が落ちる。
「色々と考えてるんですか?」
「ああ、まあな。これまでに倒した相手とか、助けられなかったこととか、不甲斐なくて情けない自分とか。こういう夜は駄目だな」
アイナは勇者をじっと見つめる。
少し弱そうな面を見せているのは、アイナと友になったからだろうか。
(睫毛も金色なんですね。雪が積もってく。面白い)
白い粒が凍りついて――
アイナは勘違いに気付いた。
「って、雪が積もってるんじゃなくて、睫毛が凍ってるんじゃないですか! この地の冬は、人間にはこたえるでしょう? 家に戻ってください」
「ん? 飲み物の湯気が当たって、そこだけ凍りついただけだよ。全然平気」
「そうなんですか?」
「スキルを持ってるからな。冷属性攻撃半減。寒冷地フィールドでの冷気遮断」
熱帯地フィールドでの熱気遮断も持ってるそうだ。さすがは天空神に愛された青年。規格外である。
「え? でも、朝の稽古では寒そうにしてましたけど」
「ああ、稽古だからな。いつもスキルに頼るわけにはいかないから、寒さにも体を慣らすんだ」
「へえ。鍛えることにはストイックなんですね。やっぱり彼女さんとかいらっしゃるんですか?」
「……え?」
勇者の表情が強張った。
どうしてそんな不愉快そうな顔をするのかと、アイナは少し考える。
「別に、弱味を探しているわけでは……」
「あ、いや、意外だっただけだ。なんでそんなことを訊くんだ?」
「人間は愛のために強くなる生き物でしょう? そんなふうに鍛えて、勇者として戦うのは、守りたい誰かのためでは?」
「あいにくと、故郷の母親くらいだな」
自嘲めいた笑いをうっすらと口元に浮かべ、勇者はそれを誤魔化すようにマグカップを傾けた。
「人間はまとまった単位で暮らすんでしょう? 群れではなく?」
「それを言うなら、村かな。あんまり良い思い出はない。俺が産まれてすぐに、父親が事故で死んで。母子家庭だから、村では弱い立場だったんだ。村長が威張ってる嫌な奴でさ、俺が体力があるもんだから、結構こきつかわれたりして。ま、母さんに矛先が向くよりマシだったけど。十三の時に勇者を探しに来た神官と会うまで、そんな調子だったんだ」
「えっ、そんなにお知らせが遅かったんですか?」
「天空神が言うには、厳しい土地で咲く花は美しい……らしい」
勇者が感慨もなく口にしたことに、アイナはげんなりする。
「うわ、うざ……ムカ……イラッとしますね」
「はははっ。全然隠せてないぞ!」
「魔王様が天空神をお嫌いな理由が、なんとなく分かりました。サバサバ姉御肌なんですよ、うちの陛下」
「ああ、そういう人は好きじゃないだろうな。声しか聞いたことはないが、なよなよした雰囲気がある」
――ああ、間違いなく嫌いなタイプです。
アイナも好きじゃない。
「女神?」
「男神だよ」
「……美しいものこそが正しい、でしたっけ?」
「まあ、お前の言いたいことはなんとなく分かるよ」
勇者は言葉をにごした。
ナルシストで面倒くさい雰囲気の神っぽいなと、アイナはなよなよした吟遊詩人を思い浮かべてみる。想像していると、勇者がふっと笑った。
「はは、やっぱりアイナは良いな」
「……え?」
意識を引き戻し、勇者の顔へ視線を向ける。アイナは何故かドキッとした。勇者がやわらかい表情をしていて、アイナを温かく眺めている。
「俺、アイナが好きだよ」
まるで今日は良い天気ですね、という調子で、勇者はさらりと告白した。アイナはパチパチと瞬きをする。
アイナは魔物だ。友達として、だろう。たぶん。
「どれくらいかっていうと、名前を教えて、アイナに呪い殺されるなら、それでも後悔しないくらい」
「……そ、れは、かなり本気みたいですね」
少しぎこちない返事をして、アイナは瞬きを繰り返す。
「どうして?」
「理由がないと駄目か?」
「レッドドラゴンのモテ度は、能力ですから」
アイナは僅かに目を伏せる。
(困ったなあ。人間から求愛されるとは思わないから、どうしていいか分からない)
魔物は強者に惹かれる生き物だ。勇者は魔物のアイナから見ても、かなり魅力的である。
「俺ってそちらの常識では、有望株?」
「ええ、まあ、そうですね」
「アイナにはすでに相手が?」
「いたら親と暮らしていませんよ」
「そっか」
何やら納得したらしい。勇者はゴーレムの肩に、すっと立ち上がった。
「今日のところは、意思表明だけにしておくよ。俺、レッドドラゴンの流儀を知らないからな。勉強してから出直してくる」
「……はあ」
どうやらこちらへの礼儀を示したいらしい。こんなところまで勇者だとは恐れ入る。
勇者はアイナが飲み終えたマグカップも受け取ると、爽やかにあいさつする。
「それじゃあ、おやすみ。今日は雑談に付き合ってくれてありがとな」
「あ、はい。おやすみなさい」
アイナがあいさつを返すと、勇者はにこりと笑い、ゴーレムの肩から飛び下りる。風の魔法を使ったのか、ふわりと音も無く着地すると、早足に去っていった。
アイナはしばらくぽかんとしていて、勇者の部屋に灯っていた明かりが消えると、ほっとした。
「ええと、なんでこうなったんですかね?」
アイナを好きになったことに、理由がないらしい。
つまりそのままが好きだということだ。それって、なんという殺し文句。
「な、なんか、暑いですねえ、ゴーレムさん」
――ボッ
手でパタパタと顔を仰ぐアイナに、ゴーレムは呆れの混じった返事をした。
◆
その夜はずっと落ち着かなかった。
お土産にもらった水晶のペンダントは気に入って、よく首に提げている。それを見ながら、変わった人間もいるものだなと考え事をしていた。
アイナはおいしいものが好きだ。
食事のことに情熱を捧げているので、恋だの愛だのと考えたことがない。
「好きってなんなんでしょうねえ、ゴーレムさん」
――ボッ
「私もゴーレムさんが好きですよ。でもパパとママの間の好きですよ~。私にはよく分かりません」
そうなの? と言いたげに、ゴーレムが僅かにこちらを見る。
他のレッドドラゴンともほとんど関わらないので、知り合いはいない。そもそもレッドドラゴンは親子間しか一緒にいない、いわゆる核家族だ。
結婚したら、親の元を巣立ち、距離を取る。伴侶に重きを置き、同族でも邪魔されるのを嫌う孤高のドラゴンだ。
――ボッ?
「うーん、そうですねえ。レッドドラゴン流の求愛をされてから、考えましょうか」
――ボボッ
それが良いよと、ゴーレムが言う。
さすが、生まれた時からの付き合いあるゴーレム。良き相談相手だ。
「嫁ぐ時は、パパに頼んで、ゴーレムさんを譲り受けますね。ずっと一緒ですよ、ゴーレムさん!」
――ボッ
アイナとゴーレムの間に、ほんわかした空気が漂う。
そして朝になり、アイナは遠くに人間の軍団を見つけた。
軍団は、およそ千人。
アイナは槍を手にして、軍団の前に立った。
「止まりなさい! この門より先は、魔物の国です。これ以上の進撃は、我が国への敵対行動とみなしますよ」
まずは警告する。
二人乗りの軍用馬車がほとんどの中、豪華な四輪馬車から男が下りてきた。
禿げた頭に金の冠を載せ、黒い地に金糸できらびやかな刺繍をほどこしたガウンを着ている。そして、肩には毛皮のマントをかけていた。でっぷりした狸腹で、歩くのが大変そうだ。
「そこをどけ、小娘! 我らの行軍を邪魔すると、痛い目にあうぞ!」
まるで山賊まがいな恫喝をする男を眺め、アイナは納得した。
(あれが王様ですか。魔法使いさんの言う通りの姿ですね。偉そうで嫌いです)
心の中で呟いて、アイナは気にせず返す。
「私の名はアイナ! 門番を務める者です。誰であろうが、侵入は許さない! 即刻、退くのであれば、見逃しましょう。疾く、お帰りなさい!」
警告二回目。
これで聞かなければ、応戦する。
王は王杓を振った。
「邪魔だ、排除せよ!」
その瞬間、高圧的な魔法エネルギーが収縮し、光の線となってほとばしった。
アイナの脇を通り抜けたそれは、門の前に立ちふさがるゴーレムの中心部を貫いた。
――ボッ
ゴーレムは短く声を漏らし、次の瞬間、ただの石へと戻った。
「……えっ」
アイナは信じられない思いで、ゴーレムを見つめる。石の山と化した、ゴーレムだったものを。
「ゴー……レム……さん? ゴーレムさん!」
アイナは駆けだした。ほとんど一足飛びで石の山へ飛び付く。
あんな魔法の一撃では、ゴーレムはビクともしない。彼らにとっては運が良く、命となる核を貫いたのだろう。
「がーっはっはっは! 見事じゃ! 魔法部隊よ、帰ったら褒美を遣わそう。次はあの門をぶち壊してやれ!」
王の高笑いとともに、兵士達の喝采が上がる。
アイナはゆらりと門の前に立った。
風も無いのに、長い銀の髪はたなびき、赤い目は不気味に輝く。
「貴様ら……我が友を破壊せし罪は重い。火あぶりにしてくれる!」
その姿が揺らぎ、レッドドラゴンの巨体へと姿を変える。
さしもの兵士達も笑っていられなくなった。
王が叫ぶ。
「やれ! 殺せ!」
「お待ちを。あの魔法には準備がっ」
「急げ! 騎士よ前へ!」
王の命令を受け、重騎兵が前に出る。
ドラゴン体となったアイナは大きく息を吸い、高熱の炎とともにブレスを吐きだした。
軍団を燃やし尽くし、灰にするほどの一撃だったが、何者かが剣を振るい、その風でかき消されてしまった。
アイナはうめくように、その男をにらむ。
「……勇者っ」
「待て、アイナ」
剣をこちらへ向け、勇者は冷たい青の眼差しを寄越す。
その裏切りに、アイナの心はズキリと痛んだ。
「邪魔をするな! そこをどけ!」
「ふははは。いいぞっ、勇者。そのままその魔物を殺すのだ!」
後方で王が笑っている。彼らに有利と見て、気が大きくなっているようだ。
(あんなゴミ虫、踏み潰してやる!)
アイナがまさに飛び出そうとした時、勇者が左手の平を向けて、制した。無言でこくりと頷く。
(……何か様子がおかしい)
まるで、時間稼ぎをしているような?
「はーい、皆、動かないでねー」
「こちらには王がいます」
王の背後で、魔法使いと神官の声が上がった。二人とも、武器を王へと向けている。兵士達がざわめく。
「なっ、貴様ら! 王に刃を向けるとは、大逆の罪だぞ!」
「すぐに陛下から離れよ!」
王に続き、臣下が怒鳴りつける。
勇者はフッと笑い、くるりと軍団を向いて、そちらに剣先を向けた。
「なーにが、刃を向けるな、だよ。お前らが先に、俺らの家族に手を出そうとしたんだろ?」
口調は気さくだが、声は冷たい。
「なっ、勇者! 貴様、我を裏切ったか!」
「だーかーら」
勇者が語気を強めて言う。
「先に裏切ったのは、そっちだ」
なぜか、こちらに向けられたわけでもないのに、アイナの背筋がゾクリと震えた。
(な、な、なんででしょうかっ。首筋に剣を押しつけられたような、死刑宣告でも受けたみたいな、そんな感じがしますっ)
ゴーレムを倒された怒りから、冷静になるには充分だ。
剣を向け、ただ立っているだけの金髪の青年から、異様な覇気が感じられる。アイナはじりっと後ろに下がった。
この男は確かに、勇者だ。
彼が本気になれば、アイナなど雑草のように踏まれるだけ。
最初から手加減してくれていたのだと知り、戦慄が走る。
「帰れよ、そして二度と来るな。俺は中立として、ここにいる。出し抜けると思うなよ?」
最後に、勇者は王に殺気をぶつけた。
王は白目をむき、口から泡を吹いて倒れる。それを臣下が慌てて助け、馬車に運び入れた。
「さっさと行かないと、竜巻で吹っ飛ばすわよ?」
なかなか動かない軍団に焦れ、魔法使いが杖を掲げる。その先に巨大な風の渦が巻き起こり、彼らは顔色を変えて走り出す。
「陛下がお倒れになった。撤退だ!」
「王都へ戻るぞ!」
そして、軍団は慌てて駆け去った。
魔法使いは風の渦を消し、神官は肩を落とす。勇者も自然体を取り戻した。
「勇者様、無血で追い払うとは、お見事でした。ですが、アイナさんまで怯えてますよ?」
「あ。わりい、アイナ!」
勇者がこちらへ駆けてくる。アイナはじりっと下がった。
「あの……アイナ。俺はアイナには何もしないから」
「わ、私なんて、勇者さんに比べたら雑草です。ぺんぺん草ですぅー」
「いやだって俺はほら、人類最強なんで」
「世界最強の間違いじゃないですか?」
我らが魔王陛下と五分五分の強さではないだろうか。死闘を演じたら、どちらが勝つのだろう。アイナにも分からない。
魔法使いが励ましを込めて勇者の肩を叩き、アイナの前に歩いてくる。
「アイナちゃんのドラゴン姿ってこんな感じなのね。鱗が真紅で綺麗! でもなんで人型だと銀髪なの?」
「皮膚が赤いんであって、鱗は透明なんですよぅ」
なんとか気持ちを落ち着け、人型を取り直す。だが、恐怖で腰が抜け、ふらついた。
「あっ」
「おい、大丈夫か」
勇者に腕を支えられ、アイナは目を丸くする。
(えっ、動きが見えませんでしたけど!)
ドラゴンの動体視力でもとらえられない動きってどういうこと。
ますますプルプル震えるアイナを不憫そうにして、魔法使いが勇者を引き離す。
「駄目じゃん、勇者ってば。アイナちゃんが怖がってるでしょ」
「俺を嫌いになったのか? それとも憎い?」
「え、な、何で?」
どうしてそんなことを質問されるのか、アイナには謎だ。
「止めに入るのが間に合わなくて、ゴーレムが……」
「あ! ゴーレムさん!」
そうだった。勇者にビビっている場合ではなかった。
アイナは魔法使いの手を振りきり、急いで石の山へ向かう。
「ゴーレムさん、ゴーレムさんっ。ああ、核が壊れたんでしょうか。ひどいです、ずっと一緒にいようって約束したばっかりじゃないですかぁーっ」
アイナは石へと突っ伏して、わんわん泣きだした。
「うう……っ、異種間の友情、尊いです。ぐすぐす」
「何言ってんのよ、神官ってば。核が無事なら、再生できるんだけどね。こうなっちゃうと……」
魔法使いの言葉に、アイナは絶望する。
もう二度とゴーレムに会えないなんて悲しい。
泣いているうちにドラゴン体になって、石の山に尻尾を巻き付けて、まだ泣き続けていると、バサッと風を切る音がした。
「こらーっ、お前達、俺の可愛い娘を泣かせるとはどういう了見だっ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、山のように大きなレッドドラゴンが、怒りで体を真っ赤にしながら飛んでくるところだった。
「わぁぁぁん、パパー! ゴーレムさんが死んじゃったー!」
今まさに勇者達を攻撃しようとしていたパパは、アイナに飛びつかれてつんのめり、けげんそうに周りを見回した。
「はあ、なるほど。こやつらの敵である人間が、魔法でゴーレムをこうした、と……。ふむ」
グズグズと泣いていて要領を得ないアイナに代わり、勇者が説明してくれた。
するとパパは岩山を漁り、核石を取り出す。
「む? 特に傷ついてはいないな。アイナ、ただの魔力切れだ」
「ふへ?」
アイナはぽかんとパパを見つめる。
「お前が生まれた時に作ったゴーレムだからな、百年か。ゴーレムは、作成者が練り込んだ魔力を動力源にして動くんだ。たまたま攻撃を受けた時に、魔力切れを起こしたのだろう」
「そ、そうなの?」
「でなければ、人間の電磁砲程度は防御できる。作り方を教えてあげるから、次はお前が組み立ててやりなさい。このゴーレムが好きなんだろう?」
「うん、そうする! 教えて、パパ!」
精神的に落ち着いたら、簡単に人型になれた。
同じく人型――四十代くらいの銀髪と赤目の美丈夫へと変わったパパへと、アイナは勢いよく抱きつく。パパはアイナの背中を叩いてなだめた。
「はは、成体になっても甘えん坊だな。そうだ、お前に素晴らしいプレゼントがあるんだよ」
そう言いながら、パパは上空を振り返る。
優美なレッドドラゴンが一体、卵を抱えて飛んでくるところだった。ママだ。
「わぁ、大きな卵。料理しがいがあるよ。ありがとう、パパ!」
アイナは喜んで、その場でピョンピョンと跳ねる。
パパは慌てて首を横に振る。
「違うぞ! あれは食べ物ではない! お前の弟だ!」
「お、弟ー!?」
アイナは驚いて、空を見上げて叫ぶ。
なかなか帰ってこないと思ったら、子どもが出来ていたらしい。