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ふもとの村で貸し馬を引き取って解き放ってから――貸し馬は、近場の貸し馬屋まで自分で戻る――ドラゴン体になったアイナの背に乗って、あっという間に王都へ戻ってきた。
同盟のお祝いパーティーは一週間後なので、カリンはさっそく準備するため、貸し倉庫に向かった。
勇者一行として、王宮でパーティーに出ることがたびたびあるので、カリンは王都で倉庫を借りて、そこに衣装やアクセサリーを保管している。行商人が利用することもあって、警備員付のちょっといい値段のするところだ。
衣装箱にドレス一式を入れて準備を整えた頃、ライアンが神殿から戻ってきた。
「カリンさん、私の用意は終わりましたよ」
「いいわよねえ、神官ってトランク一つで済むから」
「私が男だからっていうのもありますけどね。女性に比べれば、準備は少なくて済みます」
神官にも盛装があるが、一般人よりもシンプルだ。女性神官は時に華やかなドレスを着るが、基本的に普段の神官服の質が上がっただけのものが多い。
ライアンが乗ってきた馬車に荷物を詰め込んで、カリン達は王宮に向かう。エドワードとアイナは先に行っている。
到着すると、待ち構えていた男性使用人に荷物運びを任せ、女官の案内で客室に向かう。
「ちょっと待って、ライアンの部屋は?」
「リリーアンナ陛下より、二人部屋でとおおせつかっております」
「はい?」
カリンはあ然とした。
貴族は順序にうるさいものだ。いくら婚約者だからって、結婚前に同室にするのはありえないはずだ。
女官も困った様子で眉尻を下げる。
「それが、先においでになったアイナ様が、魔物の国のお客様について聞いた途端、そうなさるように強くすすめられたようなのです。くわしくはアイナ様にお聞きくださいませ」
荷物を運び入れて配置してしまうと、女官はお辞儀をして客室を出ていった。
「カリンさん、中で二部屋に分かれているようですよ」
「そうみたいだけど、どういうこと?」
夫婦のように一部屋を使えということではないみたいだが……と、落ち着いた緑色の豪華な客室の入り口で、カリンはほうけて立っている。
「アイナさんのことですから、何かお考えがあるのでは? 婚前旅行と思って、のんびりしましょう」
「意外ね。ライってこういうことにはうるさいでしょ」
「ジルトさんに婚約の許可をいただいたので、もう気になりませんよ。とりあえずお茶でもしましょう」
「手伝うわ」
「いえ、座っていてください。ホームですよ!」
「犬扱いしないでよ!」
カリンとライアンの口喧嘩は、騒ぎを聞いた女官がお茶を持ってやって来たことで終息した。
「王宮のお茶はおいしいわねえ」
「私にはお菓子はちょっと甘すぎますが」
「酒好きだけあって、塩辛いほうが好きだもんね、ライアンって」
「黒こしょうや辛いものも好きですよ。上品なお菓子もいいですが、豆菓子のほうが落ち着きます」
「わかる~。庶民の味のほうが舌になじむよねえ。その点、アイナちゃんの手料理はどれもおいしかったわ」
「ええ。まさか魔物に教わって、料理のレパートリーが増えるとは思いませんでした」
家事手伝い禁止を言い渡されていたカリンと違い、ライアンは台所仕事も手伝っていた。
まったりしていると、アイナとエドワードが顔を出した。
「カリンさん、ライ、もう着いていたんですね」
「俺達の部屋、ちょうど反対側の棟なんだよ。ここより警備が厚いほうだ。陛下が、アイナのことを心配されてな。魔物の国との同盟反対派がいるから」
エドワードはそう言って、いかにも不愉快と言いたげに眉をしかめる。
「アイナはこんなに可愛いのに」
「魔物にもいろいろいますからねえ。人間にもいろんな人がいるんですから、危険を考えるのは当然ですよ、エド。大丈夫ですよ、襲われたところで返り討ちです。ドゴッで、ドバーンです」
アイナは胸をはり、力こぶを作ってみせた。彼女はか弱い乙女のような見かけだが、ドラゴンなので、言葉通りに敵は吹っ飛ぶことだろう。
「っていうか、アイナちゃんが出るまでもなく、エドワードがぶっ飛ばすでしょ。私もドカーンとやるから、教えてね!」
カリンが加勢すると伝えると、ライアンが腰を浮かせた。
「やめてくださいよ、三人とも! お城が壊れるでしょう! いいですか、アイナさん。問題があるなら、私に相談してください。補助魔法でさくっと行動不能にしますから」
「回復魔法のエキスパートのほうが、意外とやることがえげつなかったりするんだよな」
「わかる~。私やエドワードなら、一撃で終わらせるけど、ライの場合は地味にきついもんねえ」
エドワードとカリンが声をそろえて茶化すと、ライアンは氷のような笑みを浮かべた。
「それはお二人がたまに馬鹿をやらかすからでしょう? 後片付けの手間をかけさせないでください」
これまでの苦労を思い出したのだろうか。ライアンから本気の怒りを感じとり、カリンとエドワードは急いで謝った。
「ごめんなさい」
「悪かった」
このやりとりに、アイナが噴き出す。
「ふふっ、面白いです~。ライって怒ると怖いんですねえ。魔物受け間違いなしですよ!」
「……いえ、全然うれしくないです」
アイナの褒めているんだかよくわからない珍妙な言葉に、ライアンはがくりと肩を落とす。アイナはほんわかしているので、話しているとカリンも気が抜ける。
「そういえば、アイナちゃん。なんで私達が二人部屋のほうがいいって、お姫ちゃんに言ったの?」
「ああ、そうでしたぁ。カリンさんに気を付けるようにって言いに来たんでした」
アイナがカリンの名をあげたので、カリンは首を傾げる。
「なんですか、カリンさんがやらかしそうな感じの魔物なんですか?」
ライアンはカリンの行動のほうを警戒して、アイナに問いかける。
「ちょっと、失礼よ! なめくじやゴキでもない限りは、何もしないわよ」
そんな客だったら、パーティーに参加するまでもなく逃げ帰るつもりだ。
「そうではなくてですねぇ。同盟を結びにくる使者は、うるわしい夜の一族なんですよ。吸血鬼さんです」
「へえ、そうなの? あいつら滅多と人前に出てこないから、ちょっと見てみたい気はするわね」
「美貌の持ち主で、我が国では高位の魔物なんです。カリンさんみたいな強い魔法使いを好んでいますし……カリンさんは魔法のことはともかく、見た目は綺麗なので、たぶん伴侶にしたいと言い出すと思うんですよね」
アイナの説明に、カリンではなく、ライアンの顔がこわばった。
「なんかちょっと気になる言い方だけど……。ライアンと婚約する前ならともかく、今は他の男には興味はないわよ?」
「いえ、婚活のことじゃなくて。あちらが、カリンさんに迫りそうだなってことで」
「あはは、ないない。これまで、どれだけ男が逃げていったと思ってんのよ」
パタパタと手を振るカリンに、アイナは今までになく真剣に注意する。
「人間の常識で考えてはいけません。あの魔物は一族内で多重婚や愛人を平然と作るなど、やりたい放題なんですよ。人間をさらってきて、ハーレムを作ることもあるんです。で、恋の相手として飽きたら、血袋扱いで、最後はあっさり殺します」
「ちぶくろ?」
「食料ってことです。血を吸って生きてるんですから、意味はわかるでしょう?」
カリンの顔が引きつった。
「そういえば、これまでに倒した魔物に、そういう猟奇的な魔物がいたわね。巣には人間が閉じ込められてた……」
「吸血鬼にもいろんな好みがあるようですが、ほとんどは若い人間の血が好きなんです。あまり問題になっていないのは、ちょっとだけ血をもらったら、そのまま帰すことが多いからです。ですが今回、人間と魔物の間に正式に同盟が結ばれたら、ヤバイほうの吸血鬼には面白くないはず」
思っていた以上に深刻な内容だ。カリンもごくりとつばを飲む。
「どういうこと?」
「身の危険を感じたなどの生命にかかわる理由以外で、人間に危害を加えることを禁止する条項が入っているようなんですよ。この国は魔物の国からもっとも近いので、彼らにとっては餌場ですから……」
アイナが言いづらそうに指摘すると、エドワードがあっさりとまとめた。
「つまり、食事をとるために、違う国に行かないといけない。それは面倒くさい。しかも人間をさらってきて、倉庫に保管することもできなくなる。こんな同盟、どうにかしてつぶしちまえって輩が出てくるかもしれないってことだ」
「そうです、エド。すごーい、私が言いにくいことを、なんて的確にまとめるんでしょうか。さすがです」
アイナはパチパチと拍手する。
「そうか?」
エドワードはうれしそうに返すが、カリンは頭痛を覚えた。
「いや、あけっぴろげにもほどがあるでしょ! 勇者って、たまに無神経よね」
「俺の気遣いは、全部アイナの為のものだから、その他は知らん」
「ああ言えばこうのろけるの、やめなさいってば!」
気づいたらのろけに走るエドワードにブチ切れ、カリンはテーブルをバシバシ叩く。
「でも、待ってください、アイナさん」
ライアンが挙手して疑問を口にした。
「魔王陛下から使者としての任をたまわったのでしょう? その使者が勝手に同盟を破棄するのは難しいのでは?」
「それは魔物側からはできないのであって、人間に問題行動を起こさせればいいわけです。そして、『人間と協力関係は難しいので、同盟は見送りましょう』と魔王陛下に報告すればいいんですよ」
「そこでカリンさんですか? 確かに、カリンさんが切れて砲撃の魔法をあびせたら、同盟破棄の問題にはなりますよね……」
「それも心配ですが……たぶんあの魔物のことなので、すでに計画は用意しているはずです。今回のことは、あくまでカリンさんが気に入られてお持ち帰りされるのを危惧しているだけですよ、ライ」
アイナはそう付け足すと、カリンを上から下まで視線を走らせる。
「カリンさん、魔物から見ても美人で、体型が素晴らしいですからね……。吸血鬼は性におおらかなので、ちゃんと敵に回していい相手か選んだ上で、奪いに来ますから。私のようなドラゴンとは無縁の人達ですが、お二人は人間ですから」
「なんでドラゴンだと問題ないの?」
カリンが問うと、アイナはあっさりと返す。
「ドラゴン族は、番に色目を使われたら、片割れがその魔物を抹殺しに行くので」
「へ~、魔物って感じね」
「はい、魔物です」
アイナはにこっと笑ったが、カリンの背筋には寒気が走る。怖い。
一方、ライアンは違う方向で戦々恐々としている。
「それってつまり、アイナさん。私達が二人部屋なのは、一人部屋にしているとカリンさんの貞操が危ないって意味ですか?」
「ええ、そういうことです」
アイナはきっぱり頷いた。
彼らの心配は分かるのだが、これまでモテた試しのないカリンにはどうもピンとこない話だ。
「うーん、気を付けるけど、おおげさじゃない?」
「いいえ、注意しまくってください! あの魔物の恋愛観、おかしいんですよ。略奪愛なんて当たり前ですから。それで相手を手に入れた途端、飽きて捨てたりして、とにかくクズなんですから!」
「クズって言った」
アイナは自分の口を手で押さえた。
「あっ、しまった。つい、本音が口から! 言わないようにしてたのに!」
「つまりアイナちゃんは、その魔物が嫌いなのね?」
「ええ。眺めている分にはキラキラしていていいんですけどねえ。正直、ばっちいので近づかないでほしいですね」
「言うわね~」
アイナがそこまで言うなら、カリンからは近づかないようにしたほうがいいだろう。
「おいおい、ライのほうが真っ青になってるぞ。がんばれよ。魔法を使わせないようにするより楽だって」
エドワードが気休めを言うと、ライアンは頭を抱える。
「勇者様、吸血鬼から守りつつ、カリンさんの自衛も阻止しないといけないってことでしょう? 同盟の締結と、カリンさんの安否。私個人としてはカリンさんをとりますけど、勇者一行としては同盟を優先すべきってことですよね」
「ああ、そっか。そういうことだよなあ。仲間を国に売る気はねえし、アイナ、俺達もがんばろうぜ」
エドワードからもからかう空気は消え、アイナに頷いてみせる。
「え? 私と国の命運が乗っかってるような話なの? これ。だから、そもそも気に入られると思えないんだけど!」
とんでもない話の飛躍にカリンは慌てたが、悠長に構えているカリンと違い、三人は深刻そうに顔を見合わせているのだった。




