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早朝に目が覚めたカリンは、昨晩のことを思い出して、血の気が引く思いがした。
恐る恐る隣を見ると、ライアンが眠りこけている。
カリンとライアン、どちらも服を着ていない。
つまり、昨日のことは夢ではなかったということだ。
(やってしまったー!)
頭を抱えたカリンだが、のろのろとベッドを抜け出す。腰が重いとか体の違和感とかを振り払い、急いで服を身に着ける。
(これは駄目なやつだ。あれだ、『行き遅れの魔法使い、とうとう血迷って、年下の若者を襲う!』って新聞の見出しに書かれるやつだわ。よし、逃げよう!)
社会的に死ぬと想像したカリンの行動は早かった。
たとえカリンの性別が女性だろうと、ベッドを共にした以上、わりと最低なことをしている自覚はあるが、お酒のせいにして忘れたことにしようと決める。あの様子ならライアンも忘れているかもしれない。
――そうであって欲しい。頼むからそうであって!
静かに部屋を出たカリンは、慌てすぎて鍵をかけるのも忘れ、酒場を飛び出す。なんとか自分の泊まっている宿に戻ると、ようやくほっと気を抜いた。
それからシャワーを浴びて、着替えを済ませる。ベッドに座って水を飲みながら、ふと気付く。
そもそもカリンは、思い余ってあの作戦に出た。
(待って、昨日って危険日じゃないの! え、どうしよ……)
羞恥を振り払って、昨晩のことを思い出す。
(うん。……終わった)
もし子どもができていたらと考えて、怖くなった。
カリンは子どもが欲しい。
だが、ライアンとなんて想定外だ。
(ごめん、ライアン。もしできてたら私が大事に育てるから、あんたには迷惑かけないから!)
将来有望なライアンの道を閉ざすのは心外だ。認知も求めないから、カリンにはもう関わらないで欲しい。
そこでふと、置き手紙をしていたのを思い出した。
(ひーっ、逃げよう。逃げねば!)
予定など放り出して、荷物を鞄に詰め込む。そして、大急ぎで宿を飛び出す。
ライアンと鉢合わせにならずに済んだのをいいことに、カリンは王都からも逃げ出した。
「えーと、それってやり逃げって言いませんか~?」
「アイナ、そんな下品なことを口にしないでくれ」
誰にも相談できず困ったカリンは、エドワードとアイナの家を訪問した。
新婚の邪魔をするなとエドワードには迷惑そうにされたが、カリンのうろたえようを見て心配になったのか、結局、家に上げてくれた。
何があったか話すと、アイナはいつものふんわりした態度で、ずばり問題点を口にした。その隣でエドワードは顔をしかめている。
「というかだ、魔法使い。お前は馬鹿だ、大馬鹿者だ。一夜の相手を探しにいく時点で、どうかしている。親父さんが聞いたら泣くぞ」
「わ、分かってるわよ、馬鹿なことをしたなーってことは。でも、どうしても家族が欲しかったんだもん! 幸せそうなあんたには分からないわよ!」
逆切れだと分かっているが、カリンはたった一晩で崩してしまったことへの後悔が大きすぎて、たまらず泣きだした。
わぁわぁとテーブルに突っ伏して泣くカリンがかわいそうになったのか、アイナがカリンのいる長椅子の傍らに座って、カリンの背中を撫でて慰める。
「エドったら、どうして追い詰めることを言うんですか。そんな状況になった以上、女性側だけの責任ではありませんよ。酔っていたからなんです? 理由になるとでも? これは二人の問題です。――エド、神官さんを連れてきてください」
「俺が?」
「雄同士で話してください。私が行ったらぶち殺しそうなので」
「……分かった」
アイナの本気を感じ取ったのか、エドワードは渋々頷いた。
「でも、どこにいるか知らないぞ」
「加護でもなんでも使って探せばいいでしょう? 神官さんのことだから、こちらに向かってますよ」
声に若干の苛立ちを込めてアイナは返す。
「それもそうだな。それじゃあ、上から探せばいいか」
エドワードは跳躍して上から探すと言っているのだ。相変わらず化け物じみた身体能力の持ち主である。エドワードはすぐに居間を出て行った。
「あいつ、こっちに来るの? 私、帰る!」
「駄目です。子どもだろうが大人だろうが、こういったことから逃げてはいけません。カリンさん、幸せになりたいんでしょう?」
「ええと、どういうこと……?」
「私から見ると、今のカリンさんは、幸せから逃げ出している大間抜けってことです」
「おおまぬけ……」
思いもよらぬ罵倒に、カリンの肩から力が抜ける。
「ちょっとその表現は……古いわ」
「もうっ、茶化さないでくださいっ」
アイナに怒られ、カリンは首をすくめる。こういう時に冗談を言いたくなるのが、カリンの悪い癖でもあった。
アイナは扉のほうを気にしながら問う。
「エドもいなくなりましたし……どうなんですか?」
「何が?」
「妊娠してそうですか? その事件から何日経ったんです」
「ええと、二週間かな」
ジール王国の王都からアイナ達の屋敷まで、乗合馬車を乗り継いで二週間以上かかる。
「まだもうちょっとしないと分からないけど……子どもができていたら産むつもりよ」
「いいんじゃないですか。そこはカリンさんが決めることですし」
「でも私、怖いの。誰でもいいけど、あいつだけは駄目だったのに」
「どうして?」
「仲間でしょ!」
なんでこう、アイナといいライアンといい、どうしてと質問してくるのか。当たり前ではないか。
「でも……正直、カリンさんと釣りあうのって、神官さんくらいですよね。即死回避スキル持ちですし、魔法を防ぐ結界も張れる」
「どういう意味よっ。私がいつも魔法を暴走させると思ったら大間違いだからねっ。少なくとも人の多い場所では使わないわよ! ……魔物や悪漢に襲われでもしない限り」
条件付きなので、一応、付け足しておく。
「お似合いだと思いますけどねぇ、私」
「あいつは私よりも、四つも年下なのよ。ああー駄目だー、完全に、人生経験の少ない若者を餌にしてる感じだ」
「それってカリンさんが女性だからですか? しかし、人間では、年上の男性と結婚する女性は少なくないですよね。何故、逆だとそんなに気になるんですか」
「え……そういえばそうね、なんでだろ」
アイナは純粋に、魔物からの視点で疑問を口にしているのだろうが、カリンも上手く説明できなかった。
ただ、社会的に抹殺されるという恐怖におびえていたのだ。下手に名声を得てはいない。噂が回るのはあっという間だ。
アイナの質問は続く。
「四歳年上の男性が若い女性をめとったら、人生経験の少ない若者を餌にしてる感じとはならないんですか?」
「よっぽど年齢が離れてなければ……。でも今度は、女性が財産目当てとか馬鹿にされるのよね」
「女性がお金持ちだったら?」
「……なんか変ね。確かに」
カリンは何を気にしていたんだろう。どこでこんな常識を身に着けたのかと、カリンは不思議でならない。
アイナはいったん席を立ち、ハーブティーを淹れてから、カリンの前に置く。
「どうぞ。とりあえずこちらを飲んで、落ち着きましょう」
「ありがとう」
なんて良い子なんだろう。カリンはうるっと目を潤ませ、ハーブティーを飲む。アイナと出会って、魔物への印象が変わった。もちろん、良いほうに。
アイナは小首を傾げる。
「そういうよく分からない考えは除いて、神官さんをどう思ってるんですか?」
「うーん。良い奴、よね。あんまり世の中の暗いものを見ずに、幸せになって欲しいわ。仲間として、心からそう思ってるのよ」
「それは、愛ではないんですか?」
「さあ、どうでしょうね。友情じゃない?」
カリンにはそうとしか思えない。ライアンは気が置けない仲間だった。あの夜までは。
表情に苦味を混ぜ、カリンはハーブティーを見つめた。迷子みたいな顔をした自分の姿が映っている。
「あいつは神官として、きっと大成するわ。私はその時にお荷物になりたくない。――取り乱してごめん。落ち着いたわ。やっぱり、会わずに実家に帰る」
「カリンさん……」
「もう無理ね。妊娠してなくても、あいつと旅するのは。私、勇者のパーティから抜けるわ、エドワードに謝っておいて」
カリンは椅子を立ち、また荷物を手に取る。
「私は責任とかはどうでもいいの。ただ、誰かを愛して愛されたいだけよ」
魔法使いであることは誇りだが、このせいで愛が遠のくのは悲しい。
ものすごく寂しくなってきて、カリンの目からポロポロと涙が落ちる。
「うう、本当に最悪。ごめんね、アイナちゃん」
「カリンさん、もし妊娠しているなら無理はいけませんし、私が送っていきますよ」
「頼んでいいかなあ」
「はい」
結局、カリンが思った以上に打ちのめされているのを見て、アイナは説得をあきらめたようだ。ドラゴン体になって送ってくれるとまで言ってくれている。持つべきものは女友達だ。
それから出て行こうと居間の扉を開けたカリンは、ぎくりと立ち止まった。
ライアンが怖い顔をして立っていて、その後ろではエドワードが苦笑していた。




