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「ちょっとぉ~、ライアンってば。起きなさいよ」
珍しくも、深夜にもならないうちに、ライアンが酔いつぶれてしまった。テーブルに突っ伏して、すぅすぅと寝息を立てている。カリンがライアンの肩をつついても、「うん……」という返事があるばかりだ。
「あーあ。空きっ腹に、あんな強い酒を入れるからよ。……くっ、意外と重いわね、こいつ」
神殿まで送っていこうかと思ったが、自分の肩に腕を回して持ち上げるのがやっとだ。カリンはしかたなく、店員に声をかける。
「すみませーん。上の部屋ってあいてませんか?」
「はい、どうぞ。三階の一番奥ならあいております」
酒代と宿の代金を引き換えに部屋の鍵をもらい、カリンはライアンの肩を揺さぶる。
「起きなさいってば。明日、酒代を返しなさいよ。ああもう、駄目ね」
カリンはしかたなく、すっと息を吸いこんで、鋭く命令する。
「ライアン! ライアンに補助魔法、浮遊をかけて!」
「はいっ、浮遊!」
地属性の攻撃を無効にする補助魔法だ。その名の通り、短時間だけ体が浮く。
旅の間に、条件反射で魔法を使えるように鍛えられているライアンは、酔っぱらっていても命令に応じた。
パッと起きて自分に補助魔法をかけ、またバタッと眠りに落ちるのを見て、カリンは呆れた。
「あんた、しっかりしないと、悪い奴に利用されても知らないわよ」
これが攻撃魔法だったら最悪だった。
やれやれと思いながら、魔法でほんの少しだけ浮き上がったライアンの腕を掴み、そのまま三階へ向かう。あとは引っ張っていけばいいだけだ。
「なんで私、こいつの世話を焼いてるのかしら。あーあ、いっそ外国で一晩の相手を探すかなあ」
ぼやきながら目当ての部屋に入ると、ライアンが部屋の真ん中で急に踏ん張った。
「らめですよぉ、ちゃんと鍵しないとぉー。危ないですぅー」
「ねえ、その危機管理能力を、どうして見合い相手に発揮しないのよ。ほんっと馬鹿ねえ」
旅の間もそうだったが、ライアンは戸締りにうるさい。カリンはいったん鍵をかけて、一人用にしては大きなベッドへとライアンを押しこんだ。
「あんたねえ、私はあんたのお姉ちゃんじゃないのよ! ったく」
腹いせに、ライアンの鼻をむぎゅっとつまむ。「むうむう」と言うのを見て、馬鹿馬鹿しくなったカリンは手を離した。ちょうどそのタイミングで補助魔法が解け、ライアンの体がベッドに沈み込む。
「はー、眠い。私も宿に帰って寝ようっと」
こんな場末の酒場ではなく、もう少し綺麗で安全な宿をとっている。カリンは旅をしない時は故郷にいるのだが、魔法設計の学会があったので、その発表を見に来たついでに婚活していたのだ。
勇者の仲間ということで、王立図書館への出入り許可証ももらっている。
新刊に目を通して、書き写し終えたら魔の山岳地帯へ戻ろうと決めていた。今年の新刊は豊作で、あと十冊ばかり読まないといけない。
本は高価だから、いくら貯蓄があっても、買いあさっていたらカリンのような庶民は破産してしまう。勇者の仲間になって良かったことの一つだ。
隠れ里の防衛魔法を管理しているので、父は身動きが取れない。だから、カリンが持ち返る写本を読むのを楽しみにしている。カリンもはりきろうというものだ。
「あーあ、これは暑すぎるわ。ちょっとだけ窓を開けて、うーん、――来たれ、そよ風よ!」
ゴウッと風が吹き抜けて、部屋にこもっていた熱気を外へ運んで行った。窓がバタンと開いた。
「失敗して強風になったけど、まあいっか!」
窓の隙間を調整しなおし、ライアンのお腹に掛け布をかけてあげる。文句は言うものの、カリンは仲間には優しいのだ。
「良いことしたわ~。ええと、ここに酒代を返しに来なさいよ……っと」
窓からの月明かりを頼りに、紙切れにメモを残し、サイドテーブルに置いておく。カリンが泊まっている宿と、だいたいの予定も書いておく。こうすればすれ違いにならなくて済む。
「さ、帰ろう」
外から鍵を閉めて、店員に渡しておけばいいかと考えながら、ベッドを離れようとした。が、思いがけず左手を掴まれた。
「うわっ。ちょっと、何すんのよ」
「カリンさーん、もっと飲みましょうよー」
「はいはい、これを飲みなさい」
半端に起き上がっている酔っ払いに、水差しから水をついでやり、グラスを押しつける。言われるままに飲んだライアンは、首を傾げる。
「なんか薄くないですかー?」
「味覚がおかしいんじゃないの。ほら、もう一杯、ぐいっと」
「うーん」
不思議に思いながらも、ライアンは二杯目の水を飲む。素直なライアンに、カリンは頭痛を覚える。
「あんたね、本当に気を付けなさいよ。毒を盛られたらどうすんのかしら」
勇者なら毒の無効化という加護があるから安心だが、ライアンは死んでしまう。まあ、神官ならば毒消しの魔法を使えるから、即死でなければ死なないだろうが。
「カリンさん、私ですね」
「何よ、帰りたいんだけど」
「私ですねっっ!」
「わーかったわよ、聞くわよ。くそ面倒くさいわね」
手を掴まれたままだから、中腰できつい。しかたなくベッドの端に腰掛けると、ライアンはゆらゆらと体を揺らしながら話す。
「カリンさんが自分のことを美人だの良い女だの言うの、自信過剰で馬鹿じゃないかと思ってたんですけど」
「ぶっとばすわよ?」
カリンは右の拳を固めた。
しかし相手は酔っ払いだと自分に言い聞かせ、凶暴になりそうな自分をおさえる。
「あんな女性達と会ってみて分かりました。カリンさんって本当に良い女なんですね! 美人だし、性格も良いし……。私の話を聞いても、うのみにしないで、冷静に返しますよね。カトリーヌさんが被害者ではないかと言ったことには驚きました。私はどうやったら、カリンさんみたいに他人を思いやれる人になれるんでしょうか」
急に褒められて動揺したものの、カリンは年上としてライアンをさとす。
「別に私にならなくたって、あんたは充分に良い奴でしょうが。他人を見極めたいなら、もっと視野を広く持ちなさい」
だが、ライアンはぐすっと鼻をすする。
「カリンさん、私はそんなに良い人じゃないですよ。親がいない神殿育ちは、神殿入りした貴族の子息子女に見下されるんです。いっつも姉さんがかばってくれて……、勇者様と旅をしようと思ったのも、ただ、馬鹿にされたくなくて。私、マウンティングする女性も怖いんですぅー」
酔っているせいもあるのだろうが、ライアンはグスグスと泣いている。泣き上戸だったのかと、カリンはひそかに驚く。
「神官も、裏ではそんなことしてんの? こっわー」
確か、家の後を継げない子息や、結婚まで勉強や家事修業をする子女が神殿に入ると聞いている。身分社会なので、ライアンのように神殿で育とうと、立場は弱いままのようだ。
「姉さんは、カリンさんの村の鍛冶屋さんと落ち着いて、とても幸せそうで。本当に、あの村の人は良い人ばかりで……カリンさんが良い人なのも分かります。……でも、私はどうしたらいいんでしょう。姉さんのために出世したかったのに。姉さんは幸せになった。私はスカイエデンなんて冷たい場所に行きたくない……」
「そんなに嫌なら、やめちゃえばいいじゃないの」
「一回、道をそれたら戻れないのに?」
「あんたの幸せは、どの道に続いているかよ。自分で選ぶしかないわ」
こればっかりは、カリンも力にはなれない。
「カリンさんの幸せはなんです?」
「だから、家族を作ることだって言ったでしょ。あんたね、私の釣りを邪魔しておいて、訊くんじゃないわよ」
「いたっ」
ベチッとデコピンをすると、ライアンは両手で額を押さえる。やっと手が外れたので、カリンは立ち上がった。
「それじゃあ、私、帰るから。よーく考えて決めなさい。大丈夫よ、あんたはきっと何を選んでも幸せになるわ」
仲間としても、心からそう願っている。
カリンのほうは、また仕切り直しだ。あの変装はバレたから、違うかつらと服を用意しなくてはと考えながら、扉の鍵を開ける。扉を手前に引いた時、後ろから伸びてきた手に扉を押さえられた。
バタンッと、扉が勢いよく閉まって激しい音が響く。
さすがにびっくりして、カリンは身を強張らせる。恐る恐る振り返ると、ライアンが後ろから扉に右手をついていた。ガチンと音がして、鍵をかけられたことに気付く。
「え……と、ライアン?」
部屋が暗くて、表情がよく見えない。このやわらかい青年に、こんな圧迫感を感じたのは初めてで、カリンの心臓は早鐘のように鳴り始める。
最初の頃は背が低かったのに、いつの間にこんなに背が高くなったのだ。
「カリンさん、誰でもいいなら、私では駄目ですか?」
ライアンが問う。
これが平常だったら、カリンもときめいたかもしれない。だが、ライアンからは酒気がする。
「誰でもいいけど、あんたは駄目よ」
「何故?」
「仲間だから」
さすがに気にしないでいられるほど、カリンは図太くない。
「落ち着きなさい。あんた、酔ってるのよ。朝になったら後悔するわよ?」
「どうして?」
「もーっ、質問ばっかしないで、少しは考えなさいよ。私はあんたより四つも上なのよ!」
「ええ、だからなんです?」
「森の神の信徒だし」
「カリンさんの信仰と、私の信仰は別ものですが?」
「仲間でしょ!」
「ええ。傍でずっと見てきました。良いところも、悪いところも。カリンさんは魔法の調整が下手すぎですが、それ以外は良い人です」
「えーとえーと」
他に何か良い理由はなかったかと考えるが、思考が空回る。
「もういいですか?」
顔を近付けてくるので、カリンは慌てて両手を突きだして、押しとどめる。
「だ、だから、やめ――」
「カリンさん」
「な、何よ」
ライアンはカリンの左耳に顔を近付ける。
「黙って」
甘いささやきに、カリンの顔に血が昇る。
外見はもちろんだが、声も良いのだ、この男。
結局、口づけを拒否できず、あとはなし崩しだった。




