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「あんたも見合いしてんの?」
ライアンの愚痴が、上司からすすめられた見合いの話題になったので、カリンは驚いてそう訊いた。
「将来的に、スカイエデン勤務になりたかったら、あちらの上司と縁続きになると有利だと聞いて」
スカイエデンとは、天空神教の総本山だ。唯一、天空神と謁見できる聖地でもある。
「私はどこの勤務でもいいんですが、そんな偉い方の娘さんなら、姉さんみたいなおしとやかな女性が多いかなあと思ったんです」
ライアンはグラスの酒をあおり、深いため息をつく。
「違かったんだ?」
「全員がそうだとは思いませんが……見合いした方は癖が強くて。勇者様のお気持ちが分かりました。人間不信になりそう」
どれだけアクが強い人と見合いしてきたんだろう。
ライアンには悪いが、カリンの好奇心はおおいに刺激された。
「うんうん。それでそれで?」
テーブルに身を乗り出して続きを促すと、ライアンにじとっと冷たい目で見られる。
「面白がってるでしょう?」
「当たり前じゃないの」
「ひどいご婦人ですよねえ、ほんとに」
ライアンは嫌そうに眉間に皺をきざんだが、愚痴は言いたいようで話は続く。
「まず一人目は、スカイエデンの上級神官の娘さんでした」
――カトリーヌというご令嬢は、金の巻き毛が美しい少女だった。
品が良く、微笑を浮かべる様子は、可憐な花のようだった。
「うわぁ、表現が気持ちわるー」
「茶々を入れないでください」
黙って聞け! とライアンがテーブルをバンバン叩いてさいそくするので、カリンは口を閉じる。
初めて会った頃から酒にはめちゃくちゃ強い男だが、珍しく、すでに酔っているのだろうか。テーブルを見ると、度数の強い酒しかない。カリンは奥に隠れてしまった店員に向けて叫ぶ。
「すみませーん、おつまみを何か持ってきてくださーい」
「はーい」
弱弱しい声が返った。営業してくれるだけマシか。
まったく、と思いながら待っていると、すぐにチーズとハム、薄切りのパンの盛り合わせを運んできてくれた。まずはライアンにすすめる。
「ほら、食べなさいよ。酒ばっかりだと体に悪いわ」
「あ、ありがとうございます」
礼を言って、ライアンはハムとチーズをパンにのせてつまむ。彼は食べ物を口にしながらしゃべらないので、少しの間、沈黙が落ちた。
ライアンは平民だが、こういったところは育ちの良さを感じる。両親を亡くして、まだ赤子の頃に、姉とともに神殿預かりになったらしく、八歳年上の姉に育てられたようなものらしい。
どうやら亡き両親の教えが良かったのか、それとも姉がしっかりしているのか、ライアンはこの通り、しっかり教育を受けた若者になっている。加えてシスコンになってしまった。ということは、やはり姉の教育が良いんだろう。
「ええと、それでなんですけど」
ハムを飲み込んでから、ライアンは切り出す。
カトリーヌは、十代後半ほど。ライアンが二十一歳なので、ちょうどいい年齢だ。
勇者一行として、天空神のお告げがくだれば旅に出ることもしょっちゅうだが、ライアンは出世すると周りに見なされている。
それで、上司から見合いの話が来たのだった。
「ちょっと待って。そもそも神官って結婚していいの?」
「ええ。天空神様は美しいものを愛しておられます。夫婦の愛、その結晶である赤子という生命は、特に美しいものとされているので、問題なしです。それに、神官としての能力は、血で受け継がれやすいですし」
「ん? あんたのところの宗教では、神官の能力は、信仰心の強さって言ってなかった?」
「そのほうが、信者が増えますからね」
「う、わー。マジか。規模の大きい宗派は怖いわぁ」
カリンは森の神の信徒だ。この神は自然との理を愛するので、理にしばられる魔法使いの多くは、森の神を大事にしている。一人につき一柱の神しか信仰してはいけない決まりはないので、天空神教をメインで信奉しながら、森の神を祀っている人もいる。
この世界に神は多くいるが、天空神が最高位なので、もっとも人気があるというだけだ。
「あれだけ育ちが良いなら、きっと心根も良いのだろうと思ったんです」
ライアンの話は続く。
まずは顔合わせということで、使用人も居合わせて、レストランの個室でお茶会をすることになった。
和やかに雑談している途中、お茶のカップを置こうとしたメイドが失敗した。お茶をテーブルにぶちまけてしまったのだ。
カトリーヌはそれをやんわりと叱って許した。
ライアンはそんなカトリーヌを見て、優しい人だと感じた。
そしてお茶会を終え、あいさつをして帰ろうとしたところ、忘れ物に気付いて部屋に戻ったのだ。
「そして、見てしまったんです」
その重々しい空気に、カリンもごくりと唾を飲む。
「な、何を?」
「あのご令嬢が、使用人を鞭で叩いているところを……」
思い出したのか、ライアンは顔色を青ざめさせ、ぶるりと震えた。カリンも目を丸くする。
「鞭?」
「テーブルに両手を置かせて、その手の甲を鞭で叩いていたんです。いまだにあんな真似をする人がいるとは! あのような悪習は断ち切るべきです。天空神教では良くないこととされ、信者にも叱ってやめさせているくらいですのに」
「よりによって、それが上司の娘って……」
カリンはライアンが落ち込むのもしかたないなと、酒で誤魔化したくなる気持ちが分かった。
「私はそのご令嬢との見合いはお断りしました。残念です。本当に……」
声を殺して泣いている使用人がかわいそうだったと、ライアンは胸を手で押さえる。
「なるほどねえ。でも、私は、そのご令嬢も被害者だと思うのよね」
「え? どういうことです?」
「誤解しないで、暴力はいけないことよ。でも、育ちが良い娘さんが、どうして他人を鞭で叩くなんてことを覚えるの? 子どもの頃から見ていたのよ。それか、されていた」
簡単な推測だ。しかしカリンは確信している。暴力は連鎖するものだ。
「まさか、あの上級神官が……?」
信じられないという顔をしているライアンを見て、カリンは苦笑する。
できればライアンには綺麗なものだけ見ていて欲しい。だが、神殿の暗がりまではカリンには分からない。今は気付いていないのなら、出世すればおのずと直視するだろう。この辺りで知っておけば、衝撃もやわらげられる。
「そうかもしれないし、他の親か、乳母か教育係、親戚かもしれない。あんたがやる気があるなら、調べてあげたらどうかしら。それとも余計なお節介かしらね」
「調べてみます。もし被害者ならば助け、その後で考えを正して差し上げないと」
ライアンの顔つきが真面目なものになった。
嘆くだけの男ではないのが、ライアンの良いところだ。どんな着地点になるにしろ、何かが変わるはずだ。
「それで、次は?」
カリンが話の続きをせっつくと、ライアンの表情が引きつった。
「本気で怖かったんですけど」
そう前置きをして、話し始める。
次に見合いをしたのは、ローズマリーという少女だった。
物静かでうつむき加減にたたずんでいる、そんな少女だった。少し陰気に見えるものの、唇のすぐ下にあるホクロが色気を感じさせる。容姿は綺麗だった。
「次の人は大丈夫だろう、と思ったんです。実直で有名な上司の娘さんでしたから」
ライアンは溜息をついた。
「とりあえず、彼女の父親である上司のすすめで、お試しで一ヶ月ほど交際してみることになって。そこからが恐怖の始まりでした」
「え、何、どういうこと?」
「手紙ですよ、手紙! 彼女は私と会う時は何も言わないのに、後でこれが嫌だった、恋人としてはこうあるべしと書きつづって送ってくるんです!」
「う、わー……」
どん引きしているカリンに構わず、ライアンはゆるく首を振る。
「私も交際経験はないので、そんなに礼儀を欠いたのかと、最初はその通りにしていたんです。一日に一度はごあいさつに伺い、行けない日は手紙で伝え、エスコートの仕方にお茶会での雑談まで、できる限り合わせる努力をしました。しかし、一回、それをおこたった日があって」
「……うん」
「浮気したのではないかと押しかけられて、職場だというのに、冷たい人だと大声でなじられ……別れました。ただ、この方、別れる時にも一悶着あって」
「へえ?」
「自分を捨てる気なら死んでやる! と、大騒ぎするんです。お試し交際ですよ? 婚約しているわけでも、結婚しているわけでもない。もちろん、キス一つしていませんからね!」
ライアンが必死にそう言う前で、カリンは両手で顔を覆った。ぶるぶると肩が震えるのを見て、ライアンは落ち着きを取り戻す。
「え? カリンさん? なんで泣いて……」
「……ごめん。控えめに言って、女運が悪すぎて、めちゃくちゃ面白い」
「あんたなぁ……!」
涙すら浮かべて笑っているカリンを前に、ライアンの品行方正の仮面が一瞬だけ外れる。
感情的になると、ライアンは他人をあんた呼ばわりするので分かりやすい。いつもは決してしない呼び方だ。
カリンはよくライアンを怒らせるので、しょっちゅう呼ばれているが。
「他にないの~?」
「ありませんよっ。そういうわけで、私は疲れはてて傷付いているんです。カリンさん、暇なら、やけ酒に付き合ってくださいよ!」
「いいわよ。でも、朝帰りして平気なの?」
「一週間の休みをもぎとってきたんで大丈夫です! あのローズマリーさんから隠れるという名目で。唯一の救いは、職場も上司も同情的なことですよ。きっと休み明けには落ち着いている……はず」
「刺されそうで怖いわね」
「やめてくださいよ、本当にそうなりそうで怖いんですからっ」
想像したようだ。ライアンは青ざめた顔をして、情けなくも涙目になっている。
この顔を見ると、ちょっといじめっこの顔が出てくるカリンだが、今日は本気でかわいそうなので、いじめるのはやめにした。




