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番外編 カリンの婚活 1 

 勇者一行の魔法使いカリンと、神官ライアンのお話です。

 


 初夏にもかかわらず、王都の雑踏には熱気が漂っている。

 とっくに閉門した時間だというのに、空の端はまだ明るい。だが上を見上げれば、空は黒味をおびた藍色だ。

 通りには魔石灯(ませきとう)煌々(こうこう)と輝き、羽虫が集まっては、その熱に干からびて死んでいく。そんな羽虫の死骸を避けて、カリン・ナルバは緊張を押さえつけ、通りを歩いていた。


 そして、目当ての建物へと入る。外よりもむわっとした空気に、一瞬、眉をひそめた。酔客が集い、ガヤガヤしている酒場では、煙草の煙も漂っている。いつもなら、一人では絶対に来ない場所だが、今日は特別だ。

 カリンは適当な席につくと、そっと周囲を見回した。

 どうやら変装が功を奏したのか、誰もカリンが砲撃の魔法使いの二つ名を持つ魔法使いだとは気付いていない。


 長く豊かな黒髪は、今日は金髪のかつらに押し込んで、派手な化粧をほどこしている。戦うのには邪魔な大きな胸も、今日ばかりは強調し、胸元のあいたシックなワンピースに身を包んでいた。

 魔石灯で、唇の赤いルージュが目立つ。


 カリンは焦っていた。

 もう二十五歳になるというのに、全くモテないせいで、結婚の危機が訪れている。

 それというのも、誇りでもある二つ名のせいだ。砲撃の魔法使い。むやみやたらと砲撃するわけでもないのに、カリンの名を聞いた途端、人々は蜘蛛(くも)の子を散らしたみたいに逃げていく。


(まあ、確かに、細かいコントロールは苦手だけど)


 だが、人を巻き込むかもしれない場所で、魔法を使うわけがない。だというのに、まるで爆弾を見つけたみたいに青ざめて、人々は逃げていく。――もちろん、男も。

 婚活に励んでも、名乗った時点で逃げられる。結婚仲介所にも、客が逃げるからと出入り禁止にされた。知り合いに見合いを頼んでみたところで断られる。


 しかしカリンは結婚したい。いや、正しくは、子どもが欲しい。家族を作って、温かな家庭を築きたいのだ。

 母を幼い頃に亡くし、父に男手一つで育ててもらった。孫の顔を見せてあげたいし、自分は両親がそろった家庭というものを体験してみたい。

 だが肝心(かんじん)の夫が見つからないので、腹をくくったのだ。


 場末の酒場で、商売女のふりをして、誰かと一晩過ごして子どもを作ろう、と!

 かなり最低な結論に行き着いたが、焦っている行き遅れの女に常識など通用しない。魔の山岳地帯の隠れ里でも、さすがに白い目で見られるだろうが、カリンは勇者と旅をして得た報酬があり、貯蓄はガッポリだ。女一人でも暮らしていける。

 適当に果実酒を飲みながら、獲物が引っかかるのを待っていると、がたいの良い男に声をかけられた。


「姉ちゃん、今日、一晩どう?」


 かかった!

 少々不細工な男だが、この際、誰でもいい。

 カリンは薄く微笑もうとしたが、男がカリンの左手を握ると、ゾワワッと背筋に悪寒(おかん)が這いのぼった。


(――あ、やっぱ無理)


 土壇場(どたんば)で生理的に無理だった。


「ごめんなさい、人を待っているの」

「ちっ、先約ありかよ」


 なんとか受け流してほっとした時、聞き覚えのある声がした。


「あれ? カリンさんじゃないですか、どうしたんですか、その格好」

「……ん?」


 嫌な予感とともに顔を上げると、勇者一行の旅仲間、四歳年下のライアン・レーシスという青年が立っていた。お忍びらしく、いつも着ている白い神官服ではなく、灰色のシャツと黒いズボンという地味な服装をしている。柔らかそうな茶色い髪は短く、緑色の目、すっと通った鼻筋と、少女のような赤い唇がバランス良く並んでいる。色白の肌は、カリンが嫉妬するくらいなめらかで、まるで大理石みたいだ。


 彼ももう二十一歳になり、背が伸びて体つきも男らしくなった。初めて会った頃は世間知らずの頼りない――それでも頭に「美」が付く少年だったが、今では少し頼もしくなっている。頑固(がんこ)なところが少々難点だが、心優しく穏やかな青年だ。


(最悪)


 よりによって、清廉(せいれん)を絵に描いたみたいな人物に、こんな最低の行動をとっている場面を見られるとは。彼にはこの世の悪や汚れみたいなものとは無縁でいて欲しい。


「うふふ、どなたかしら」

「何を言ってるんですか、どこから見てもカリンさんじゃないですか。それとも、魔法使いさんと呼ばないといけませんか?」

「カリン? 魔法使いでカリンって、もしかして、カリン・ナルバ?」


 さっき声をかけてきた男の顔色が変わる。酒気を帯びて赤い顔をしていたのが、スッと青ざめた。

 酒場の中の人々もざわつき、蜘蛛の子を散らしたみたいに、あっという間に客がいなくなった。店員すら奥に隠れてしまう。

 波が引くようにいなくなった人々を見て、ライアンはあっけにとられている。


「あ……、もしかしてこうなるから変装してたんですか? すみません」

「謝りながら、なんで席に着くのよ! もーっ、馬鹿!」


 作戦失敗に、カリンはやけくそになって、かつらを外してテーブルに叩きつける。中に押し込んでいた長い黒髪が、ターバンのようにするりと背に落ちた。いったん席を立ち、酒場の裏庭の井戸で顔を洗い、厚化粧を落としてから戻る。本当は、カリンは化粧など嫌いなのだ。化粧品のにおいが苦手で、吐き気がする。

 戻ってくると、ライアンはそしらぬ顔で、度数の高い酒を飲んでいた。


「いまいましい奴!」

「まあまあ、落ち着いて。せっかくだから、私の愚痴(ぐち)を聞いてください」

「あんた、本当に最悪よっ」


 自分勝手なことを堂々と言うので悪態をついたが、カリンは席についた。いつもこの調子なので、勇者であるエドワードとその妻であるドラゴン族のアイナ、ライアン以外に親しい知人はいない。飲み友達もいないわけだ。ライアンはカリンが寂しがりだと分かっているから、カリンが立ち去らないと踏んで、しれっと席を共にしているわけである。

 本当にいまいましい男だ。


「もしかして、誰かと待ち合わせでもしてたんですか?」

()りに来ただけ」

「? ここは酒場ですが。()ってるんですか?」

「ナンパ待ちだって言ってるのよ!」

「はあ?」


 腹立たしいが、やさぐれた気分で、カリンは何をしようとしていたか話した。


「え? 一夜(いちや)の関係を求めて、ここで待ってたんですか。その妙に派手な格好は、そういう商売の方のふりって……」


 唖然としていたライアンだが、スッと冷たい顔になる。


「あんた、馬鹿じゃないですか! そんな危ない真似をして、相手が危険人物だったらどうするんですか。明日の朝、路地裏に転がっていても知りませんよ!」


 彼の言うことは正論だ。王都は繁栄の輝きの裏で、そういった闇の面もある。和気あいあいと酒場で席を共にしている見知らぬ者が、実は殺人鬼だったということもあるのだ。


「寸前でやめたわよ。なんかゾワッとして怖かったし」

「賢いくせに、変なところで馬鹿ですよね、カリンさんって」

「うっさい」


 ムカついたカリンは、テーブルの下でライアンの足を蹴り飛ばす。ライアンは迷惑そうに眉をひそめたが、仕返しをする真似はしない。こういうところは優等生だ。


「あんたには分かんないわよ。私は名誉も女としての幸せも、全部欲しいの。結婚できないなら、子どもだけでもって望んで何がいけないの?」

「悪いとは言ってないでしょう。もっと上手い方法があるでしょうに」

「知り合いに見合いを頼んでも断られるし、結婚仲介所は出禁(できん)になったのに?」

「う……」


 ライアンは言葉に詰まる。その緑の目が、みるみるうちに(あわ)れみに染まった。


「かわいそうですね、カリンさん」

「でしょ?」

「でも、血迷(ちまよ)いまくりだと思いますよ」

「うっさい」


 ライアンはゆるく首を振る。


「カリンさん、魔法の腕を除けば、良い人なのに……」

「その除けばの部分が、全ての長所を台無しにしてるのよ。あーあ、どこかに父さんみたいな素敵な人が転がってたら拾うのに」

「あの熊みたいな人がタイプなんですか?」

「男らしくていいでしょ」


 カリンの理想は、父親だ。大柄な男で、無口だが優しい。ちょっと窮屈そうに身をかがめながら、器用に家事をこなし、得意の魔法設計で、隠れ里の防衛魔法を管理している。頼りになってかっこいいと、子どもの頃から自慢だった。


(ライアンはひょろひょろ……でもないか)


 どうも最初に会った頃の印象が抜けきらないが、ここ数年で大人の男に成長したライアンの体躯は、見た目こそ華奢(きゃしゃ)そうだが、がっしりしている。やんわりした雰囲気に反して、神殿の伝統武術を身に着けているので、(はがね)みたいに頑丈なのだ。


「私はひょろひょろじゃないですからねっ」


 カリンの目で、昔から言われていたことを思い出したのか、ライアンはすかさず言い返した。結構、ライアンは気にしいだ。


「もう思ってないわよ。あんた、立派になったじゃない」

「……だったらいいんですけど」


 今度はライアンが溜息をついて、テーブルに突っ伏す。


「そういえば、愚痴を聞けとか言ってたわね。あんたはどうしたのよ。神殿から抜け出して酒場に来るなんて、いつの間に不良になったんだか」

「飲んでなきゃやってられませんよっ」


 ライアンはダンとこぶしでテーブルを叩いて、愚痴を話し始めた。


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