8 家族で食べよう、おうちごはん 5
その日は、朝から粉雪が降っていた。
あの「ブルードラゴン、ざまぁ」事件以来、アイナはご機嫌で暮らしていた。
幼い弟は絶好調で、アイナがかつてそうだったように、ゴーレムによじ登ったりしがみついたりと、毎日元気だ。爪や牙を使っても壊れないゴーレムは、ドラゴンの赤子にとって力加減を覚えるかっこうの遊び相手だ。
門番をする傍ら、パパがゴーレムの肩から弟が転げ落ちないかとハラハラしているのを、アイナとママは微笑ましく眺めていた。
さて、屋敷に戻って、久しぶりにパイでも焼こうかと考えていると、人間の国のほうに、淡い金の光が見えた気がした。目をこらすと、朝日を受けて、金の髪が輝いている。勇者エドワード・クロスだ。
「アイナ、求婚に参りました」
アイナの前で膝を付き、エドワードは白氷草の花束を差し出す。
「ありがとうございます。見に行きます」
花束を受け取ったアイナは、とうとう完成したのかと胸をときめかせた。以前、エドワードにもらったアクセサリーだけでもセンスが良かった。どんな内装になっているのか早く見たくて、気持ちがはやる。
「とうとう行くのか……」
パパが悲しげに呟いた。ママがパパの腕にそっと触れる。
「行ってらっしゃい、アイナ。駄目だったら戻ってきなさいね」
「キャーウ」
――ボッ
よく分かっていないだろう弟が無邪気な鳴き声を上げ、ゴーレムは手を振った。
「行ってきます」
荷物の移動は、受け入れると決めてからだ。
アイナは白氷草の花束をママに預けると、ドラゴン体へと姿を変える。
「勇者さん、背中に乗ってください。さくっと参りましょう」
「アイナ、頼むから、その軽いノリで、俺の求婚を流さないでくれよ」
「結果は分かりませんよ」
アイナはいつも通りのんびりと返し、勇者に背に乗るように促した。
国境の川を越えてすぐ、見張りの砦よりは人間の国側にある場所に、エドワードが女王から下賜された土地がある。
アイナの目には、屋敷を包み込むように、シャボン玉みたいにきらめく結界が見えた。光を反射して、幻想的に輝いている。屋敷の手前に着地すると、勇者が背から降りたのを確認してから、人型へと姿を戻す。
「アイナ、結界の鍵だ」
エドワードが首にかけていた、魔石がはまった銀製の鍵を取り外した。細いチェーンがついていて、花の意匠がついている。
「綺麗な鍵ですね」
「持っていて楽しいほうがいいだろ」
エドワードは悪戯が成功したみたいに、嬉しげに笑った。そう言うエドワードの持つ鍵はシンプルなものなので、アイナのものだけ気遣ってくれたらしい。
「さあ、こっちだ。……ん? どうした、きょろきょろして」
「魔法使いさんと神官さんはどこに隠れているのだろうと思いまして」
「こんな大事な時に邪魔する奴らじゃないよ」
結界の中に入ってみたが、なるほど確かに他のにおいがしない。
(他にいないんですか)
急に緊張を感じた。カリンという助け船がいない状況は初めてだ。この勇者という存在からは、アイナは逃げきれないわけで。
ふと、引っかかる。
――どうして逃げる前提なんだ?
「アイナ?」
「ひゃっ」
急に名前を呼ばれて、ビクッとした。考えに気をとられているうちに、エドワードが目の前でこちらを覗き込んでいる。
「もしかして体調が悪い?」
「そんなことありませんよっ。ドラゴンは頑丈が取り柄ですからね!」
「だったらいいけど。ほら、こっちこっち! 大工と鍛冶屋、芸術家が良い仕事してくれたから、見せるのが楽しみで、昨日は眠れなかったんだよな」
エドワードは心なしか弾んだ足取りで、屋敷のほうへ向かう。こぢんまりとした屋敷は、外観は落ち着いた瀟洒な建物だ。ドラゴンの頭のノッカーがついた扉に、エドワードは自分の持っている鍵を差し込む。この鍵は結界の鍵だけでなく、扉の鍵にもなっているようだ。
「あれ、リコ・ランプ。すっげー綺麗だろ? 西のほうの国に、ガラス工芸に優れた工匠が多い所があってさ。俺も欲しかったんだよな」
天井の高い玄関ホールで、エドワードは天井から釣り下がるランプを指差した。
モザイクのような柄で、赤や黄や緑といった色とりどりのガラスが球形をえがき、魔法の光を透かして、赤っぽく輝いている。
「巣と台所以外はあんまり手をかけられなかったから、他は少しずつ追加していこうと思うよ」
「巣は分かりますけど、どうして台所?」
「え? だってアイナ、料理が好きだろ。一日のほとんどを過ごす場所は、きちんとしておかないと。一応、王都の最新設備を入れておいた」
マ ジ で す か。
巣を見る前だというのに、ぐらぐらっときた。
――最新設備の台所! すごい!
魔物の国の料理は、人間の国ほど凝っていない。当然、設備だって昔からほとんど変わらないのだ。見てみたくてうずうずするが、それより巣だ。
「勇者さん、そこまで気遣いできるのに、どうして結婚されてないんですか?」
「え、それをアイナが聞いちゃうわけ?」
玄関ホールから二階へのびる階段を上る途中で、エドワードがあっけにとられた顔をした。
「アイナが好きだからだけど」
「その前ですよ。人間は早ければ、十代半ばで結婚するでしょう?」
「ああ、早いと十五には所帯を持ってるよな。俺はその頃は旅を始めたばかりで、結婚どころじゃなかったし……勇者だからって、博愛主義者なわけじゃねえよ。どっちかというと、人間不信が入ってるほう」
「前に言っていた、村長とその娘さんのせいですか?」
エドワードは静かな表情に苦味を混ぜて、アイナに答えを返す。
「アイナ。弱い立場になって、しいたげられる側になれば分かるよ。油断したら、利用されるか、奪われるんだ。俺は無条件に誰かを信じるほうじゃない。それが旅には役立ってるってのが皮肉なものだな」
「無条件にというと……神官さんみたいな?」
「あれもあれで長所だ。あいつのああいう純粋さは、仲間として守ってやりたいと思ってるよ。それはカリンも同じだ。だから、ライアンが誰かを信じたせいで俺達がわりをくっても、俺もカリンも気を付けろとしか言わない。それに、ライアンが信じたおかげで、俺達が助けられたこともある」
アイナは首を傾げる。
「まるで、勇者さんは、今の勇者さんであるのがいけないことだと思ってるみたいですね」
「嫌だろ、人間不信の勇者なんて。勇者っていうのは、もっと純粋で、明るくて、周りを照らし出す光のような存在であるべきなんだ。――俺には無理だけど」
「誰かを助けているのは同じなのに?」
「象徴っていうのかな。ま、そういうイメージがあるんだよ。そして、周りはそういう勇者像を求めるんだ」
そんなものか。人間というのは面倒くさいんだなあと、アイナは僅かに首を傾げる。
すると、エドワードが笑い出した。
「ははっ、そういうところが好きだよ。アイナは俺を勇者という型にはめようとしない。だから居心地が良い」
「よく分かりません。勇者である前に、あなたはエドワード・クロスという個体でしょう?」
「個体ときたか。それを分かってくれない人が多すぎるんだ。ありがとう、アイナ」
「?????」
どうしてお礼を言われたのか、アイナにはさっぱり分からない。当たり前のことを言っただけだ。
アイナの様子に、エドワードは困った顔をする。
「とにかく、俺は誰でもいいわけじゃない。でも、アイナといたら幸せになると確信してる」
「……そうですか」
アイナは目をそらした。
さすがにこれは……照れる。魔物でも照れる。
「それより、巣だよ、巣!」
幸いにも、エドワードは前を見ていて、アイナが顔を赤くしているのに気付いていない。それにほっとするような、なんだか気付いて欲しかったような、あいまいな気持ちでアイナは階段を駆け上った。