その1
ザザ……ザザ……。ザー…………。
少しのノイズを挟んでから、耳に装着した無線機は静かになった。
聞こえてくるのは通信機を挟んでつながっている、お互いの微かな息遣いのみ。
「そっちの様子はどうだ?報告を頼む。オーヴァ。」
「…………。」
「おい?」
「……んっ、ぁ。」
その通信機から聞こえてくる音に、一人の少年は慌てて席を立った。
「おい!どうした!?返事をしろ!!」
決して大きな声にはならないように気をつけながらも、少年は強い口調で声を出す。
相手からの返事は相変わらず意味をなさない音のみ。
それを耳にしながら、少年は目の前のキーボードに指を走らせた。
カタカタカタ、カタカタ、カタタ。
スッ、と音もなく空中に透明なディスプレイが出現し、少年はそこに目を走らせる。
(バイタルは問題なし……。周りに変な反応もない。)
見た限りでは特に問題がない。
『問題がない。』という事実は今現在、最も嫌な言葉だった。
問題があれば直せばいい。
だが、その問題が見当たらない場合はどんな奴でもお手上げになってしまう。
「……んん。ユウ、くん。」
「どうした!?大丈夫か?」
まさか新手の毒でも仕込まれてしまったのだろうか。
心なしか、息が荒くなっているようにも聞こえてくる。
「つっかえ、ちゃった。」
「……は?」
分からない事だらけだがともかく対応策を、と考え始めた少年の耳に、無線はそんな言葉を届けてきた。
(つっかえ……は?何が?どこに?)
言葉の意味はわかる。
が、それ以降の理解を少年の脳は拒んでいる。
そこに。
「私の、またおっきくなったみたい。」
「あー!あー!!あー!!!」
『何を』とは言わなくても分かってしまう一言が、無線機から送られてくる。
その言葉に、少年の脳のささやかな抵抗はあっさり瓦解してしまった。
(何やってるんだよ、まったく……。まて、まさかさっきから聞こえてるこの擦ったような音は……。)
ゴクリ、と思わず生唾を飲み込んでからハッとする。
その音は無線機を伝って、相手側の耳に届けられた。
届けられてしまった。
「あれぇー?ユウくん今、一体何を想像したのかなぁー?」
「だぁー!!うるさい!!今すぐ帰還しろ、ネイト!今回は中止だ、中止!!」
少年のその叫びを最後に、今回の仕事である、組織への潜入は中止となった。
(まさか相棒の身体的特徴のせいで、こんなに間抜けなことになるとは……。)
思ってもみなかった結果に、少年は頭をガシガシと掻くと、椅子に身体を預けて盛大なため息をついた。
頭の中では、狭い通路に挟まったまま笑っている、端から見れば少しばかり気味が悪い相棒の姿が浮かび上がっていたのだった。
10分ぐらい。
◇◆◇◆◇◆
俺こと、「今井 秋」と「猫ノ宮 絲」との出会いは、随分と殺伐としたものだった。
有り体に言えば『殺し、殺される』関係だ。
「まさかここまで来れるやつがいるなんてな。」
「…………。」
様々な機材が並ぶ、少し手狭な個室で、俺とその女は向かい合っていた。
自身への皮肉を含んだ一言を吐く俺に対して、女はただ冷たい視線で睨みつけてくる。
(いや、違うな。)
女の目には何一つ映っていなかった。
薄ぼんやりとして、霞がかかったように虚ろな目。
整ってはいるが、無表情で人形のような表情。
目の前にいる、俺すら正しく見ているか定かではないその様子に、不意に思ってしまった。
(勿体無いな。)
少しばかりの違和感と共に。
「…………私も、正直驚いた。」
「なんのことだ?」
「…………まさか、気づかれるなんて思わなかったから。」
「あぁ、そのことか。」
聞こえてきた声は、顔に合った綺麗な声だった。
それはともかく。
実は直前まで、女の気配には全く気づいていなかった。
確かに誰かが侵入した形跡はあった。
小さくてもここは俺のアジトだ。
もちろん、セキュリティもそれなりのものを用意している。
だから、最初は侵入の形跡そのものが罠かと疑ったほどだ。
だが、それらを全て突破し、俺の目の前までやってきた。
いや、正確にはこの部屋に侵入していた。
見張っていたはずの俺に、一切気取られることなく。
だから若干ヤケクソ気味に言ったのだ。
『そこにいるんだろ?出てこいよ』、と。
そして、天井に潜んでいた彼女はその言葉を真に受け、今現在こうなっているというわけだ。
「…………でも問題ない。あなたは今ここで死ぬ。私が、殺す。」
まっすぐに突っ込んでくる彼女を見て。
ようやく、さっきから感じていた違和感がなにか分かってきた。
だから俺は、一歩も動かずに口を開く。
「23件。……お前の依頼人が潰した企業の数だ。」
ガッッッッ!!!
彼女が抜いたナイフは、まっすぐ俺に向かって振り下ろされ。
そのまま床に突き刺さった。
「っ!!」
それでも体が止まったのは、一瞬だけだったことに内心で感心する。
すぐさま宙返りで距離をとった彼女は、体制を立て直すとこちらをこんどこそ睨みつけてきた。
「…………何を言っているの?」
「なに、別に大したことじゃない。お前は知っているのかな、と思っただけさ。」
そして、このやり取りに、今度こそ違和感は確信に変わった。
彼女は、純粋にすぎる。
今まで俺のアジトにちょっかいをかけてくるような奴は、同じ世界に住んでいるものばかりだった。
俺もハッカーとして活動している身だ。
そういった輩は皆一様に、変な気を利かせすぎる。
当然、俺のセキュリティもそっちよりになっていたのだろう。
だからこそ、俺たちとは考え方が違う彼女には効果がなかった。
加えて彼女は、俺の言葉を二度も真に受けている。
敵であるはずの俺の言葉を、だ。
「…………知らない、そんなの。」
「やはりな。」
今だってこうやって俺を殺す機会を逃した。
他ならぬ、俺の言葉を聞いて。
(惜しい。……欲しい!)
そう感じた途端、背筋がゾワリとした。
彼女の技術はすでに素晴らしいレベルに達している。
ほとんど「チート」ともいえる状態だ。
その彼女が、正確に情報を判断できるようになったら?
「お前は知らないことが多すぎる。」
だから。
俺はこうして手を伸ばす。
「俺と一緒に来い。もっと広い世界を見せてやる。」
どうも、Whoです。
前半と後半の温度差がひどいことになってますが、ひとまずここまで。
もうちょっと進めて、もう一人ぐらい主要人物出したかったけど、まだかかりそうなので。
続きを書くかはまだわかりませんが、雰囲気だけでも楽しんでいただけたなら幸いです。
タイトルに深い意味はありません。
いえ、本当に。
話に絡めようとかこれっぽっちしか思っていません。
以下、頭の中にあった主要人物の簡易プロフィールをば。
ユウ:本名「今井 秋」
中学生ながら凄腕のハッカー。主人公。両親を殺した組織を追っている。よくネイトにからかわれる。基本的には冷静に物事を判断できる。が、ネイト関連では、中学生らしいムッツリの片鱗を見せることもしばしば。
ネイト:本名「猫ノ宮 絲」
スパイ工作や暗殺に長けた妙齢の女性。年の差その1。20代にも30代にも見える。ユウをからかうのが好き。ちょっと天然っぽいが、その実、どこまでが計画でどこからが天然なのかいまいち掴めない。
ナレーさん:本名含めてプロフィールのほとんどが不明
ユウがネット上で知り合った密売人。年の差要素その2。話してる感じは50代ぐらいの元気なおっさん。ネイトが使う装備を調達してくれる。お金と女が好き。