ロスト
白い世界。熱帯の森で育った私にとって、それはあまりに新鮮で、ここが私の故郷である事を忘れさせてしまう。
サクサクと足跡をつけながら、私は歩いた。それは書き表せば同じ綴りなのに、乾いた枯れ葉を踏み砕く時とはまた違う音で、少し興味深い。こんな時にのんきな考えを持てる自分に呆れてしまうが、こんなことでも考えていなければ、とてもこの道を進むことはできない。この先に待つのは死神。同胞を殺し尽くした、冬の女王だ。自ら命を捨てに行く、そんな私の行為は愚かだとわかっている。たが、これがけじめ。王として国を収めた私の、最期のけじめだ。
かつて共に戦った同胞は、既に地に伏した。あるものは寒さに負け、あるものは飢餓に負け、あるものは忌々しき冬の女王の手にかかって朽ち果てた。森の民も、共に戦った盟友たちも、森の周囲の国々も、全てあの女一人の手で滅び去った。残ったのは、私だけ。その事に責任を感じ、倒れた盟友を思い出すうちに、かつて共に駆けた相棒を思い出す。そういえば、彼はあの時も一緒にいたのだった。
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「怖気づいたか?今にも吐きそうな最悪な面構えだぞ」
静かな声で、あの時彼は私にそう言った。
「怖気づいてはいないけどね。私の一声で彼等は命を捨てる、そう思うと苦しくて」
視線の先…本陣を敷いた小高い丘の下に広がるのは、私の国と彼の国の戦士、人間の兵士と森の獣で構成された、総勢一万からなる軍隊だ。彼らは明日に控えた決戦に備え、ここで夜を明かしている。雪の降り積もる平野に陣を敷いての野営は本来したくなかったが、冬の女王に挑むには、冬の女王のテリトリーの中で一夜を明かすしかない。戦うか国を捨てるかの判断で戦うことを選んだ代償だ。
「お前は今は一国の女王なんだ。今は私とお前しかいないからいいが、兵士がいる時は気をつけろ。お前の一言は、全軍の士気に関わる。前王のが残してくれた国を、亡ぼしたくはないだろう」
「ええ。もちろんそうだけど…。ねぇ、あなたは、勝てると思う?」
彼は少し考えてからあたりを見回し、私に耳打ちした。
「正直なところ、厳しいだろうな。我々が仕向けた最精鋭の連合軍を、一人で打ち倒したのだから」
そう、私が勝てないと考えてしまう一端には、父上の敗北がある。父上は二月前、精鋭の連合軍を率いて、彼の国の将軍と共に冬の女王に挑み、帰ってくることはなかった。賢王として知られ、軍略にも武力にも長けた父が敗北した相手に、私が勝てるわけない。そう思えてしまうのだ。
「だがやるしか無い。逃げるには少しばかり遅すぎる。後は腹を括って、奴と戦うしかない。なに、安心しろ。お前を死なせはしないさ」
彼はそう言って、自分の陣に戻っていった。私はそのまま寝付くことができず、進撃の時を迎えたのだ。
私と彼の号令で、軍は戦闘態勢を維持したまま少しづつ進む。冬の女王の作り上げた仮の陣は、すぐに見えた。氷で出来た円形の陣に番兵の姿は無く、そこには氷像となった人影が見て取れる。
「ウオォォォォォン」
最前列から伝令の狼の雄叫びが上がった。雄叫びは次々に上がり、うねりとなって全軍を駆け抜ける。その声はすぐに、最後尾に構えている本陣にも届いた。
「なんですって?父上が?」
その声は、前王の氷像を発見した。という意味だった。
「全軍突撃!冬の女王の首級をあげろ!」
彼が吼える。私も足並みを揃えるために突撃命令を下し、彼の方を見る。
「前王の氷像はまずい。悲しみに崩れ落ちるか、怒りに震えるか…お前の国の兵士達が動きを乱すと勝敗に関わる。すまないが、はじめさせてもらったぞ」
雪煙を上げながら、兵士たちが走る。魔術で行動を補助していても動きづらいほどに積もった雪で、前進が遅い。それでも兵士は前進を続け、精鋭部隊の氷像の位置を超えたその時、冬の女王が姿を見せた。角方から雄叫びが上がり、全軍が冬の女王に向けて進路を取る。冬の女王まであと一息となった時、莫大な魔力が大気の中で渦巻き、戦場を飲んだ。
「くっ、これはマズイ…引け!引けぇ!」
彼が吠えた時には、すべてが終わっていた。雄叫びも、怒号も聞こえない。静かな世界が、広がっていた。
「っ…う、うわあああああ!」
「にげろ!にげろおぉ!」
私がギリギリだった。私の数歩前で指揮をとっていた彼は全身が凍り付き、私と彼の間にいた兵士は、殆どが彼と同じ状態になって時を止め、生き延びた者達はちりじりに敗走を始める。
私も逃げた。現実から逃れるために、全てから目を背けるために。
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その後、数日に渡って逃げ続けた私は、どこに行っても雪と氷に覆われた世界に絶望し、逃げ場はないと思い知った。
そしていま、最後の王として、国を終わらそるための戦いをしようとしている。
付き従う臣下もおらず、支持してくれる民もいない。それなのに、王たる自分だけ生きているのはおかしいから。ここで死ぬことこそが、私の国に殉じる道だと、そう思ったから。
私が冬の女王の陣に近づくと、変化があった。彼が最後に指揮をしていた場所。そこにあった筈の氷像は、他の氷像もろとも、跡形もなく無くなっていた。まっさらな雪原にポツリと、冬の女王の拠点が立っている。ここにあった氷像…兵士たちの亡骸は、どこに行ったのだろう。跡形もない事を不気味に思って周囲を見回した時、冬の女王が姿を表した。水色の薄い服に、マントをたなびかせ、耳には防寒用の耳あてをしている。拠点の前、雪原に立って、私を待っている。またあの魔術が来るかと思って背筋を凍らせたが、冬の女王はそんな事はせず、ただ私を待っていた。
「やつれている割には、綺麗な毛並みだな。落ちぶれても四神、白虎の末裔という事か」
冬の女王はうっすらと笑みを浮かべながら、私を見てそう言った。視線が合う。私は歩みを止めず、冬の女王に問う。
「貴様は、何者だ?」
「ほぅ?あぁ、そうか。そういえば、そなた達からの使者は話す前に凍らせてしまったなぁ。いやいや、すまないことをした。妾はイース。この世を統べるものだ」
「この世を統べる…」
「なに、まだ統べているわけではないがな。この一体を支配したのは、手始めじゃ。あの忌々しき魔導大国、グロリアを滅ぼすには、まだまだ力が足りんからな」
「貴様!そんな理由でこの地を滅ぼしたのか!」
「おうおう、怒ったか。ククク、なら、かかってくるがいいぞ。貴様も妾の力の一部にしてやろう」
私の間合いまで近づいた時、冬の女王は私にそう言った。もう、私からかける言葉はない。ただ一足に飛びかかり、喉元に牙を立てた。喉笛を噛み千切ったはずの牙は雪を食み、冬の女王の肢体は雪になって崩れ落ちる。
「eternalforth blizzard」
背後で呪文が紡がれた。そして声と同時に、私の意識は吹き飛んだ。
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荒野を、軍隊が進んでいた。人と獣の混ざった混成軍は、行軍には不向きな、進行方向に対して大きく陣を横に広げた状態で、均一な速さで進み続ける。もう三日以上等速で行軍しているのに、その速度が衰えることはない。大地を踏みしめる音と鎧のぶつかる音が、枯れ木と砂と岩石の世界に響いている。
その軍隊を率いるように、一頭の虎が歩んでいた。全身雪のような毛並みの虎は、背中に水色の女を載せ、機械的な動きで歩みを進めている。トラが一歩踏み出すたび、大地は白く染まっていく。それはトラだけではなく、全軍、全兵士が、歩いたところを白に染めていた。軍隊が通りすぎたところは雪が降り積もり、軍が通らないところすらも、徐々に、白く染め上げていく。
終わりが、始まった。




