第58:夏の終わりと
クロウの病気が思わぬ騒ぎを密かに引き起こしてから十日余りが経ち、ようやく長い夏休みが終わりを迎えようとしていた。
新学期が始まるということで生徒会や風紀委員会、各部活動の主将たちは合同で会議を行ったりと、始業式の前から学園生活に戻っている。
当然、そこには生徒会役員のカルとククル、風紀委員のクロウも含まれていた。とは言え、一年生である彼らに出来ることはそれほどなく、会議の様子を見たり、お茶を出したり、掃除をしたりと、先輩たちのサポートに努めていた。
新学期へ向けて会議もそこそこ白熱したが正午を回ったことで昼休憩となり、会議も一旦落ち着きを取り戻した。
「ねぇクロウちゃん。さっきの会議でさ、私たちのことチラチラ見てる人が結構いたじゃない?あれってなんでか分かる?やっぱり邪魔だったのかな」
「いやぁどうだろうね?僕から見たらあの視線に含まれてるのは敵意じゃなくて好意や好奇の物だと思うけど」
「ど、どういうこと?」
「変に目立っているけど、嫌われてはないってこと」
「おい、俺らもさっさと飯食いに行こうぜ。早くしねえとうまいパンだけ無くなっちまう」
せかすようにそう言うカルに「わかった」と頷いてクロウは会議室を出て、大きな音を立てないようにしながら食堂へと駆け出す。
一人会議室に残されたククルは「結局どういうことなんだろ………」と首を傾げつつも、二人の後を追うために会議室を後にするのだった。
本日学園に来ている生徒は生徒会や風紀委員会、各部活動の生徒を全部合わせても80人ほどしかおらず、その内、先ほどの会議出席していたのはその半分もいない。生徒会と風紀委員会は共に会長と副会長が出席し、部活動は主将のみ出席していた。カルやククル、クロウのような手伝いを覗いた他の面々はそれぞれの部室で細々とした作業を行ったりとしていたが、多くの生徒が先ほどの正午を知らす鐘の音で昼食をとるために作業を切り上げて食堂へ集まったのだろう。食堂にはその80人がほぼ全員集まっていた。
かなりの数の生徒を持つ学園からすれば今の食堂はかなり空いている状態に当たるのだろうが、そんな風には考えられないくらいに食堂は騒がしく、あちらこちらで会議のことと思われる話が聞こえてきた。
「おぉ………スゲー盛り上がってるな。会議室より五月蠅くないか?」
「そう?あんまり変わらないと思うけど。あ、ククルが来たよ!声かけな…って、もう見つかった」
「うわぁ…あいつクロウに目印でも付けてんじゃねぇのか?ジンたちレベルの反応速度だぜあれ」
既にパンを買って人の少ない窓際に席に座っていた二人は、食堂に入ってきて一秒かそこらでこちらを発見したククルに若干引き気味の二人。
しかし、ククルはそんなふうに思われているとは露知らず。残り少ないパンをニコニコと手の取って、給仕のおばちゃんと談笑していた。
「おまたせ~。どうしたの二人とも。カルはサワガニ食べた時みたいになってるよ?」
「いつの話だよ……いやまぁ、クロウから貰ったやつは何とも言えない味あったけどよ」
「サワガニ結構おいしかったよ?まぁ生で食べた人には分からないだろうけどさ…」
大きな窓から差し込む明るい光を浴びながらモグモグとパンを齧る三人。たわいない話に耳を傾けつつ、クロウはこの平和な日常を噛み締めていた。
『あ〜……なんか心が洗われていくみたい』
先日の夢のことやその後のちょっとした出来事。クロウ・ロペスとして生まれる前から身近にあったそれらがこの世界では日常として蔓延っている。日常の中に潜む非日常が潜むことなく日常に出てきていることに頭が痛くなっているものの、その気配のない純粋な日常はクロウにとって何にも代えることのできないものだった。
たとえそれが唯々騒がしい食堂の一コマであったとしても。
「…………はぁ。またあの会議が続くのかぁ」
「そうぼやかないの。私たちは生徒会役員なのよ?………一応」
パンの耳を齧ってはため息を溢すカルに、ククルも遠い目で外を眺めてはチビチビとココアを飲んでいた。
「というか…あいつはいっつもマイページだな。なんだあのでっけぇ本。表紙すら読めねぇんだけど…」
「教会のマーク?神様のお話し…かな?多分あれ古語だよ。メアリーさんのところであんなの見たことあるもん」
「まじで?古語習うのって高等部になってからじゃなかったか?いろんな部活の先輩たちがぼやいてたの聞いたことあるぞ」
「メアリーさんも覚えるの大変だ立って言ってたしね~。何で読めてるんだろ?」
黙々と古めかしいページをめくっていくクロウを傍目に二人の会話は進んでいき、やがて昼休みの終わりを告げる鐘が響く。
鐘の音が反響取ると共にガヤガヤとした喧騒が収まっていき、生徒が続々と食堂を後にする。カルやククル、クロウもそれに続いて食堂を出た。
「もうちょっとで読み終わるのに…」
大きな栞を挟んでそうボヤきながら廊下を歩くクロウに前を行く二人は振り向いて呆れたような顔を向ける。
「私としては読み終わるどうこうよりも何で読めるのか知りたいんだけどね。メアリーさんに習ってたの?」
「ん?読めるから読めるんだけど…そういやなんで読めるんだろう?」
「いや俺らに聞くなよ」
「そんな~」
毒気のない気の抜けた声が響く校内は天窓から差し込む日の光に照らされ、彼らの姿を眩く照らしていた。